※この作品はR-18です。

【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】   作:ドン・ドナシアン

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ポニー⇒ボニー




229 見えない網

 王都ハロルドの城壁外の貧民窟──通称「外町」の家々に、夕方の気配が染み込んでいく。

 通りを行き交う人の声が少しずつ減り、代わりに鍋を叩く音や、戸を閉める音が増えていく時間帯だ。

 

 ボニーは、すでに火を入れていた。

 かまどの上の鍋からは、煮えた芋の甘い匂いが立ちのぼっている。

 この家では、夕餉はだいたいいつもこの時刻だ。

 灯りのための油や魔道具など無縁の貧しい界隈だ。陽射しの残るうちにすべてを終え、夜が来れば休む。

 そうでなければ、やっていけない。

 だから、老女が帰る前に用意を終わらせておく。それが、自然な流れになっていた。

 戸板が開き、足音が入ってくる。

 

「おかえりなさい、お婆さん」

 

「ああ、ただいま」

 

 老女はぼろぼろの外套を脱ぎながら、室内を見回した。

 

「いい匂いがするね」

 

「隣の家から、芋をもらったので」

 

 ボニーは、老女から受け取った外套を掛けながら応じた。

 

「芋を? もしかして、あのごうつくばりからかい? 驚いたね」

 

 老女は、少しだけ口元を緩めた。

 

「先日、部屋に飾ってはどうかと、道端に咲いていた花を渡したんです。そのお礼とのことでした」

 

「へえ、あれがねえ……。まあ、お前さんにかかれば、誰でも優しくなってしまう。それも、お前が優しいからだろう。本当に娘が戻ってきたようさ。怪我が完全に治っても、いつまでもいるといいよ」

 

「ありがとうございます……」

 

 ボニーは頭をさげた。

 勿論、老女の物言いを恥と感じるくらいの心はある。

 しかし、そうしないと生きていられなかった。

 

 ボニーが隣に住む中年の女に、道端に咲いていた小さな花を数本渡したのは数日前のことだ。

 思惑もあった。

 好意にほんの軽い魅了術を添える──それだけで驚くほどに人はボニーに親切になる。

 

 老女が粗末な台の前に腰を下ろす。

 ボニーは、煮物を盛った木椀を二つ並べた。

 

「今日は具が多いね」

 

「芋がありましたから。それと、売り肉の余りをナローさんに貰いました」

 

「みんな、ありがたいことだ。もっとも、ナローはたぶんお前さんに気があるんだろうけどね」

 

 老女はそう言って笑う。

 

「まさか。こんな年ですよ。しかも、こんな疲れたような女」

 

 ナローというのは、この外町に食材を売りに来る商人の卵のような少年だ。

 その子がボニーの脚に見惚れるような視線を送るのはすぐに気がついた。女のボニーがそんな視線を見逃すわけがない。

 軽く魅了を掛けた。

 ナローは、余分な食材をボニーに渡してくれるようになった。

 

「そんな言い方はよくないね。お前さんはあたしの娘代わりさ。娘が恋心を抱くなら嬉しいさ。恋を知る前にいなくなるよりずっといい。実らなくてもね」

 

「ごめんなさい、お婆さん。そんなつもりでは……」

 

「あたしも、そんなつもりはなかったよ。さあ、食べようか。この話は終わりだ」

 

 老女は匙を取った。

 食べ方は静かで、急ぐ様子もない。

 ボニーも向かいに座り、同じように口に運ぶ。

 

 半月前、身体を動かすだけで息が上がっていた頃が、遠い出来事のように思える。

 ここでの生活は、貧しい。

 だが、不足はしていなかった。

 ただ、魅了で心を操っているという事実だけは申し訳なかった。

 

「……ところで、昼にね」

 

 老女が、食事の途中で言った。

 

「はい……」

 

 ボニーは顔をあげる。

 

「外から来た連中が、うろついてたよ」

 

「えっ?」

 

 ボニーは、表情を変えずに聞く。

 

「この辺りを歩いて、女の話を聞いて回ってる」

 

 胸の奥で、なにかが沈んだ。

 

「若い女が、棲み着いてないかってさ」

 

 老女は、ちらりとこちらを見た。

 探るようでもあり、確かめるようでもある視線。

 

「背丈も、髪の色も、お前に似てるようだ……。小金をばら撒いている」

 

 やはり、という感覚と、どうしてという感覚が錯綜する。

 

「……お婆さんは……なんて答えたんですか?」

 

「教えてないよ」

 

 老女は、即座に言った。

 

「気味が悪いしね……。娘を売るような真似などできないし……」

 

 その言い方には、はっきりとした拒絶があった。

 ボニーは、一度匙を置いた。

 

 老女には、死んだ娘がいた。

 それは、何度か聞いた。

 王都に来た頃、一緒だったこと。

 いまは、ここにはいないこと。

 年齢も、話の流れも、ボニーとは合わない。

 でもボニーは、老女が自分の面倒を見たくなるように魅了を掛け、この外町に居場所を得て、こうして老女と食卓を囲んでいる。

 

 魅了は操り術とは違い、人の心を意思と正反対には誘導できない。ほんの少しだけ、小さな動機を後押しするだけ。

 老女が魅了とはいえ、ボニーを引き取ってくれたのは多少でも情があったからだろう。

 多分、いまはもういない老女の娘が関係あると思う。

 考え始めると、きりがなかった。

 

「……でも、この辺りの人は口が軽いからね。もう出歩かない方がいいね……」

 

 老女が低い声で続けた。

 

「わかりました」

 

「誰かが喋る可能性もある。気をつけておくれ」

 

 ボニーは、小さく頷いた。

 自分を探しているのか、そうでないかはわからない。しかし、ボニーを捕らえようとする相手は、幾らでも心当たりがある。

 

 このハロンドールの衛兵──。

 王国に潜入しているタリオの手の者──。

 この王都の冒険者ギルドや神殿を、クライドが襲撃したのだから、彼らが仲間であるボニーを捜索しているかもしれない。

 ボニーが本来、属しているパリスの組織かも。なにしろ、ボニーは王都に入りながら、連絡すらしてないのだ。

 

 一緒にいたら、眼の前の老女が巻きぞいになるのは間違いない。

 外町に、夜が降りてくる。

 食事が終わると、老女はすぐに寝所へ引っ込んだ。

 戸一枚隔てた向こうから、浅い寝息が聞こえてくる。

 

 ボニーは、灯りを落とし、壁際に置いた袋を手に取る。

 中身は少ない。替えの布、乾いたパン、薬草を少し。ここへ来たときと、そう変わらない。

 

 王都へ来たときも、こんな具合だった。

 思い出そうとしなくても、勝手に浮かぶ。

 

 クライドに瀕死に追い込まれたあの夜。

 身体は裂け、意識は遠のき、動くことすらできなかった。

 それでも、生き延びた。

 

 町道を這うように進み、偶然出会った町医師に、魅了をかけた。

 慈悲を引き出すには、それで十分だった。

 治療は簡素だったが、命は繋がった。

 食料も、道行く旅人から分けてもらった。

 同情と親切を、ほんの少しだけ導いただけだ。

 

 王都に辿り着いたときには、すべてが終わっていた。

 クライドは王都で暴れ、冒険者の誰かに殺されていた。

 ミウは、どこへ行ったのかもわからない。

 もう、それ以上は調べなかった。無意味だからだ。

 

 ロウとエリカを暗殺する。

 それが、任務だった。

 だが、ボニーには、クライドのような力はない。

 あの二人を殺せるはずもなかった。

 

 任務は失敗。

 そう判断した。

 失敗の先にあるものを、ボニーは知っている。

 

 死の呪文。

 

 いつ、どこで発動するのかは、わからない。

 いますぐなのか、それともしばらく先なのかもわからない。

 でも、確実なのはボニーが早晩死ぬことだ。

 ボニーはすでにすべてを諦めていた。

 

 隠れ先に、王都の外町を選んだのは、考えた末ではない。

 ただ、人が多く、貧しく、誰も他人に構わないと思った場所だったからだ。

 

 老女と出会ったのは、その最初の夜だった。

 薬草を売っていること。

 ひとりで暮らしていること。

 かつて死んだ娘がいたこと。

 話を聞き、軽く魅了をかけた。

 しばらくしたら死ぬにせよ、とりあえず居場所が必要だったからだ。

 

 老女は世話を焼き、食事を用意し、ボニーの身体を気遣った。

 貧しいが、静かな生活だった。

 

 それが、今夜で終わる。

 いずれにしても、まだ死んでいないだけのボニーのために、老女を危険には晒せない。

 

 立ち去る直前に、ボニーは戸口で立ち止まり、振り返った。

 老女の寝所からは、変わらず寝息が聞こえている。

 

 魅了を解く。明日の朝、いなくなったボニーに嘆き悲しまないように……。

 

 強いものではなかった。

 それでも、情を繋いでいた糸は、確かにあった。

 解いた瞬間、向こうで寝息が途切れたような気がした。

 確かめはしない。

 確かめてしまえば、戻れなくなる。

 

 戸を静かに開け、外へ出る。

 夜の外町は、昼とは別の顔をしている。

 灯りは少なく、真っ暗闇だ。

 

 足音を殺し、路地へ紛れ込む。

 どこへ行くかは、決めていない。

 考えても、答えは出ない。

 

 ボニーは、夜の外町を歩き始めた。

 逃げるために。

 

 

 

 

 

 外町の夜は、音だけで満ちていた。

 灯りの届かない路地。

 湿った風──。

 足裏で砂利がわずかに鳴る。

 

 しかし、はっとした。

 その音に、自分のものではない響きが混じったのだ。

 

 足音がある。

 しかも、複数の──。

 

 前──。

 横──。

 背後──。

 

 闇の奥で、複数の足が呼吸を合わせるように動いている。

 姿は見えない。だが、囲まれていることだけは、はっきりとわかった。

 気づいた瞬間、足が止まる。

 

「つっ──」

 

 首筋に、ちくりと蜂に刺されたような鋭い痛みが走った。

 反射的に手を当てる。

 細い針が、根元まで深く刺さっていた。

 

 引き抜こうと指に力を込めた、そのときだった。

 風を切る音が、顔のすぐ横をかすめた。

 

「ひっ」

 

 思わずしゃがみ込んだ。

 かつん、とすぐ後ろから乾いた音。

 夜闇を通して、すぐ背後の板壁に短い矢が突き刺さっていたのがわかった。

 

「針を抜くな。いまのは威嚇だ」

 

 男の声だ──。近い。

 だが、どこから?

 位置が定まらない。

 

「だ、誰よ──?」

 

「袋だ」

 

 短い言葉だった。

 

「きゃあああ」

 

 次の瞬間、肩に提げていたずだ袋が弾き飛ばされた。

 矢が突き刺さり、地面を転がる。

 

「口をきくな。今度は、身体に刺すぞ」

 

 声の方向と口調が変わる。

 ひとりではないのだ。

 追おうとするほど、位置がずれていく。

 

 闇に目をこらすが、人影は視えない。

 それだけで、胸が締めつけられる。

 

「……えっ……?」

 

 そのとき、首筋から熱が広がり始めた。

 針の刺さった場所を起点に、内側から火を焚かれているような感覚が走る。

 息が浅くなる。

 吸っても足りず、吐いても落ち着かない。

 

「くっ」

 

 汗が噴き出し、喉が勝手に震えた。

 全身がじわじわと弛緩されていく……。

 身体の奥がざわめき、力を入れようとすると、逆に震えが走る。

 考えをまとめようとしても、思考が散っていく。

 

「……ど、どうして……」

 

 声が零れ、すぐに後悔した。

 身体が、完全に制御を外れている。

 

 熱い……。

 まるで身体が内側から炙られているかのようだった。

 全身から無数の汗が浮き出すのがわかる。

 息苦しさが、さらにつのっていく。

 

 しかし、その熱さと息苦しさは、ただの前兆でしかなかったことがわかった。

 じくんと痛むような疼きが乳首に襲ったのだ。

 

 どうして……こんなにっ……。

 

 胸に変化を認識して愕然としてしまう。

 服の下──胸当てに触れている乳首はいやらしく尖りきり、かちんかちんに勃起していた。

 巻いている布に当たるだけで、淫らな声が漏れそうになる。

 

 驚き狼狽えるボニーに、さらに淫らな追い打ちがくる。

 熱がさらに強まり、下腹の奥のクリトリスにも強い疼きが襲ったのだ。その重たい疼きがさらに全身に広がっていく。

 

 恐怖と混乱が重なっていく。

 針を抜かなければならない──。

 そう思って手を伸ばした瞬間、

 

 ばしん。

 

 しゃがんだ足元、数寸先の地面に矢が突き刺さった。

 

「ひいっ」

 

 声が漏れ、尻もちをついた。

 

「針を抜くなと忠告したはずだ──」

 

 声がすぐ近くで聞こえた。

 

「ど、どうして……あ、あたしを……」

 

 正面から土を踏む音がだんだんと近づいてくる。

 ぼんやりとだが、ひとりの男の姿の輪郭が浮かびあがる。

 ボニーは必死にそれを見る。

 

「……魔道の術を封じる薬液だ。だが、女には媚薬効果の副作用もある……」

 

 ついに、闇の中から黒衣の男がひとり、完全に浮かびあがった。

 数歩の距離で止まり、こちらを見下ろしている。

 全身が黒づくめであり、顔も黒布で覆っていた。

 しかし、眼だけは隠してない。

 ボニーにはそれで十分だった。

 

「あなたの名前は──? 教えて──」

 

 顔を向ける。

 視線を合わせる。ボニーの魅了は視線でかける。一瞬でも視線が合えば、魅了は掛けられるのだ。

 

「なるほど……。視線か……」

 

 男は短く言った。

 

「えっ?」

 

 戸惑いは、男に魅了の術が効かなかったことではない。目の前にいる男に、まったく存在感がなかったのだ。

 

「眼を封じさえすれば、術は使えないようじゃな」

 

 背後から声が掛けられた。

 これまでのどの声とも違うものだ。しかも、口調は老人を思わせた。

 その瞬間、正面の男の姿が煙のように消えた。

 

 背後に気配──。

 振り向くより早く、頭から袋を被せられる。

 つんと、鼻を刺す匂いがする。

 

「んんんっ」

 

 悲鳴をあげようとしたができなかった。

 袋の鼻と口の部分に柔らかい布のようなものがあり、それが完全に口を鼻を覆ったのだ。

 布には薬品とわかる匂いが染み込んでいた。

 刺激臭の正体はそれだ。

 

 熱と恐怖と息苦しさが、一度に押し寄せる。

 薬品を嗅がないようにするというのは不可能だった。それは自ら窒息死をしてみろというのに等しい。

 

 すぐに、ボニーの意識が消えていき、世界の輪郭はゆっくりと崩れていった。







【作者より】
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