※この作品はR-18です。

【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】   作:ドン・ドナシアン

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237 潜入者

 ボニーは、右腕の肘から下を布で巻いている。

 第三神殿で施療を受けるためであり、自分で焚き火に腕を突っ込んで表面を焼いた。

 神殿で行っている施療の列に並ぶ理由としては十分だった。

 

 懐の寄進金を確かめ、若い神官たちが誘導する列の流れに従う。

 列が少し進んだところで、たまたま横を通りかかった若い神官を呼び止める。

 

「どうしましたか? 申し訳ありませんが、順番でしたら守って頂けませんと……」

 

 その男性神官が少しだけ困った表情になる。

 こういう場所では、自分の順番を早くしろと注文する者が多いのかもしれない。

 ボニーは軽く首を横に振る。

 視線を合わせ、魅了をかける。

 目の前の神官に術が刻まれた感覚がボニーの中に入ってくる。

 

 神官はほんの少しだけ眼が虚ろになるが、すぐ怪しい表情は消え去った。これがボニーの魅了術の特徴だ。暗示にかかっていても、かかっていることが本人はもちろん、余程の高位術師でも見破ることができない。

 そして、効果はボニーの言葉に従いやすくなること。しかも、強要されているという意識もない。自分の意思だけで行動をしたと思い込むのだ。

 

「……ああ、申し訳ありません、少しぼっとしました。ご用件は?」

 

 若い神官がわずかに首を傾げる。

 

「……厠は、どこでしょうか?」

 

「ああ、厠ですね。奥の通路ですよ。信者用は左で……」

 

「高位の神官さまたちは、別なのですよね? そこは使いませんよね。」

 

 ボニーは質問を素早く挟む。

 

「ええ。執務室も自室も神官用の居住区側の奥にありますので、おそらくそちら側のを使うのでしょうね。高位神官用という特別の厠はないですよ」

 

 朗らかに笑う。

 本人には、おかしな質問をされているという自覚もなければ、喋らされているという認識もない。

 

「まあ、では、高位神官の執務室というのは、どちらに?」

 

「北側の回廊を抜けて……」

 

 言葉が続く。場所。動線。区画──必要な情報が揃っていく。

 ボニーは一歩近づく。

 もう一度視線を合わせて、魅了の深度を上げた。今度はかなり強いものをかける。

 

「全て、忘れてください。厠には行きませんので」

 

 若い神官は頷き、列の整理の仕事に戻っていく。もうすでに、ボニーとの会話の記憶は抹消されているはずだ。

 ボニーは神官の視界から外れるのを待ち、列から外れた。北側へ向かう。

 

 神殿の奥への侵入は、腕の火傷の施術を受ける前がいいだろう。

 ボニーの顔がばれている可能性も、ボニーの持つ魅了の力を見抜かれる可能性もないとは思うが、治療術の施療には比較的高位の魔道遣いが対応する。

 鑑定術のようなもので、ボニーの正体を万が一見抜かれないとも限らない。

 火傷の痛みに耐えながら、まずは信者用の厠に向かった。追いかけてくる神官はいなかった。

 そのまま、あの神官から剥ぎ取った情報に従って、奥に向かう。

 頭の中で対象の名前を反復する。

 

 副神殿長ポーラン──。

 

 今回は準備のみだ。暗示にかかりやすくする段階で止めろと言われている。

 次の指示は、まだだ。

 ただ、その指示を受けた者は誰かというのは、思い出せない。

 それに疑念はない。

 ボニーは、ただ命令に従うだけなのだから……。

 

 神殿の奥へと歩みを進めていく。

 施療の列のざわめきは背後に遠のき、石床に吸われる足音だけが残る。天井は高く、壁面の燭台は間隔が広い。光は届くが、人の気配は薄い。

 

 布で巻いた右腕を胸元に寄せる。

 火で焼いた皮膚が、動きに合わせてひきつる。痛みはある。だが、進行を止める理由にはならない。

 

 曲がり角をいくつか抜けたところで、箱に入った荷を抱えた巫女がふたり、こちらへ向かってきた。

 年若く、背丈も声も、まだ少女の域を出ていない。巫女服は簡素で装飾も少ない。見習い巫女だろう。

 

「どうしたのですか? ここは神官以外立ち入り禁止ですよ」

 

「もしかして、施療希望の方ですか?」

 

 ふたりとも歩みを止める。

 いきなり咎められなかったのは、ボニーが火傷をしている腕を抱えているので、施療希望者と判断したのかもしれない。

 ボニーは足を止め、軽く頭を下げた。右腕を押さえ、息を浅くする。

 

「……厠をお借りしたのですが、迷ってしまって」

 

 困った調子を整える。

 視線を上げ、同時に魅了を放つ。深く──躊躇なく──。

 これで、魅了を解けば、その間の記憶は消滅する。

 ふたりの瞳もまた、さっきの神官同様に、一瞬だけ虚ろになり、すぐに戻る。

 違和感はもうない。

 

「でしたら、ご案内しましょう」

 

 ひとりが言う。

 ボニーは、間を置かずに続ける。

 

「ありがとうございます。……でしたら、荷はどこかに一度置いた方がいいのでは。誰もいない部屋は、ありませんか」

 

 質問は少し不自然だが、疑念は生まれない。

 魅了が判断の継ぎ目をなだらかにする。

 

「そうですね……。だったら、そこに」

 

 もうひとりが帯の紐を引き、提げていた小袋から鍵束を取り出す。

 すぐ脇の扉を開け、三人で中へ入る。

 

 小部屋は、倉庫代わりに使われているらしい。

 半分ほどの空間に、木箱が無造作に積まれていた。埃の匂いがわずかにこもっている。

 

 最後に入った巫女が扉を閉めた瞬間、ボニーは髪飾りから細い針を抜いた。

 続けざまに、ふたりの首筋へ刺す──。

 巫女たちは声を上げることもなく、膝を折り、床に崩れた。

 

 死にはしない。

 でも、半日は意識が戻らない。戻ったとしても、直前の出来事は残らない。

 

 ボニーは、片方の巫女から巫女服を脱がせ、その場で着替える。

 布の感触と、紐の位置を確かめる。問題はない。

 ただ、相変わらず、火傷の腕が痛い。

 これは耐えるしかない。

 

 もうひとりから鍵束を取り上げ、小部屋を出た。

 扉を閉め、鍵を掛ける。中から音はしない。

 

 廊下に戻り、神殿の奥へ向かう。

 静けさは変わらない。

 

 副神殿長ポーラン──。

 彼を見つけて、魅了をかけなければならない──。頭のなかでは、ただそれだけが反芻していた。

 

 ボニーは、さらに神殿の奥へ進んだ。

 居住区に近づくにつれ、通路は細くなり、人の声も減っていく。

 

 何人かの神官や巫女とすれ違った。

 一瞬でも訝しむ素振りを見せた者には、すれ違いざまに魅了をかける。

 深くは要らない。興味を失わせるだけで十分だった。

 その結果、彼らは足を止めることもなく、なにか別のことを思い出したように歩み去っていく。

 

 やがて、明らかに雰囲気の異なる一画に出た。

 人の生活の気配。扉の造りも、装飾も、施療区画とは違う。神官の居住区だと分かる。

 

 だが、ここから先は判断が難しい。

 どの扉が副神殿長ポーランの執務室なのか、外からは見分けがつかない。

 

 あの若い神官の言葉を思い返す。

 居住区があり、その奥側が、執務室を兼ねた高位神官の居室だと。

 ならば、さらに奥へ──。

 

 一歩、踏み出そうとしたときだった。

 

「……あれっ。どなたですか? そっち側は、限られた方の部屋しかありませんよ」

 

 背後から、声がした。

 若いというよりは、幼さの残る童女の声だった。

 

 ボニーは振り返る。

 反射的に、魅了をかけるために。

 

「……あれっ──? ボニーさんじゃないですか。どうしたんですか──?」

 

 眼を丸くしていたのは、見習い巫女の装束に身を包んだ十歳ほどの童女だった。

 

 ミウ──。

 

 ボニーは眼を見張った。

 クライドに陵辱され、ボニーが必死に逃がそうとして失敗し、半殺しにされたとき以来だ。

 あのとき、ボニーを殺そうとしたクライドを、必死に止めてくれたミウ。

 それきり、消息が分からなくなっていたミウが、そこにいたのだ。

 

 顔色はいい。

 元気そうだ。

 

 よかった……。

 生きていた……。

 ボニーの視界が一瞬にして涙で歪んだ。

 

「ああっ……ミウなのね──」

 

 声が漏れた。

 叫びに近いものだったと、あとから気づく。

 

 しかし、次の瞬間、ボニーははっとした。

 ミウは完全な知人だ──。その人物とすでに会話をしてしまった。

 そうなってしまえば、魅了をいまからかけても遅いのだ。

 おそらく、ミウの記憶には残る。

 そうならないためには、限界まで強めた魅了をかけてしまうしかない。

 だが、そうすると、ミウの思念にかなりの深い損傷が……。

 

 しかし、命令がある──。

 今回だけではないのだ。

 この先も、繰り返しポーランに魅了をかけ続ける命令が与えられている。

 そのためには、ここでの出来事が残ってはならない──。

 これは絶対なのだ──。

 

 ──邪魔になる存在は、排除しろ。

 

 その言葉が頭の奥で反復される。

 

 ボニーは、髪飾りに指をかけた。

 猛毒を仕込んだ側の針を抜く。

 殺さなければならないのだ……。

 

 殺さなければ──。

 

 左手が、震える。

 

「ああ、ボニーさん、会いたかったです」

 

 ミウが、そのまま抱きついてきた。

 懐かしい体温──。

 

「ミ、ミウ……」

 

 ミウを抱く腕に力がこもる。でも、毒針の先は、すぐミウの首の後ろに……。

 

「どうしてたんですか? あたし、この神殿に引き取られたんです。少しずつ魔道も教えてもらっていて……」

 

 ──邪魔者は、絶対に殺せ。

 

 言葉が頭を満たす。

 

「ああああっ……いやああ──」

 

 絶叫とともに、ボニーはその場に崩れ落ちた。

 

「えっ、ど、どうしたんですか、ボニーさん……?」

 

 ミウが慌てて支えようとする。

 その拍子に、巫女服の袖がめくれ、布で巻かれた左腕が露わになった。

 焼け爛れて赤黒くなった皮膚が露わになる。

 

「……あっ、ひどい……火傷……」

 

 ミウが息を呑む。

 

「ああ……あああっ……いやああ──」

 

 ボニーは床の上で身をよじる。

 頭の中で、殺せという声が叫び続けているのだ──。

 だが同時に、殺したくないという感覚が、必死に抵抗していた。

 

 命令と拒絶──。

 二つが衝突し、引き裂かれるような苦悶が、ボニーを包み込む。

 身体が、言うことをきかない。

 声だけが、漏れ続けていた。

 

「いやああっ」

 

 ボニーは床に蹲ったまま絶叫した。

 

「ボニーさん、大丈夫ですか。腕が痛いんですか──。ちょっと待ってください。治療術かけますから」

 

 ミウがボニーの横にしゃがみ込み、両手をかざしたのがわかった。

 すると、燃えるような熱さが全身に襲いかかり、身体がすさまじい衝撃に包まれた。

 

「あああっ、いやああ──」

 

 なにが起きたかわからなかった。

 だが、腕の痛みが消滅するとともに、急に頭が晴れた。

 

 クライドとミウを離れて、絶望とともに王都の城門外の貧民街に潜んでいたこと──。

 謎の集団に捕らえられ、繰り返し拷問を受けたこと──。

 大勢の男たちに魅了を賭けさせられ、目の前で死なせたこと──。

 

 ポーランに魅了をかけろと送り込まれたこと──。

 最後に記憶を抜かれたこと──。

 

 その全ては一気に頭に蘇った。

 

「うわあ、どうしよう──。どうしよう──。ボニーさん、ちょっと待ってください。すぐに戻ってきますから──」

 

 ミウが泣きながら部屋を出ていくのがわかった。

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