【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
「そうでした……。スクルズ様、助けてください……急に、急に苦しがって……」
我に返ったミウが切迫した声で叫んだ。
息は切れ、言葉がほどけている。
その様子で、一郎はなにか突発的なことが起きたのだと想像した。
「苦しがるとはどういう意味ですっ──? 誰のことですか──?」
スクルズがミウの肩に手を置いて、状況を訊ねる。
「ご、ごめんなさい……。でも、あたしが治療術かけたら、急に苦しがって」
ミウは廊下の奥を指さした。
「あなたが術をかけたのですか──。なんてことを──。あなたには、まだ魔道は禁止していたはずです。ましてや、人にかけるなど」
スクルズがミウの肩に手を置いたまま叫んだ。
「お説教はあとよ──。どこよ──?」
コゼが部屋から廊下に飛び出す。
スクルズとミウ、一郎とエリカとシャングリアもそれに続く。
「あっちです──。こっちの棟に向かう渡り廊下のところで……」
ミウが走りながら叫ぶ。
全員で走る。
「ミウ。あなたの魔力は不安定です。過度な魔力の放出による治療は、身体が崩壊することもあります。いまはどういう状況ですか──?」
走りながら叫ぶスクルズの声は低く抑えられていた。叱責というより切迫した確認に近い。
「倒れて苦しがってます。ごめんなさい──でも急に苦しがって、助けなきゃと思って」
ミウは泣きじゃくり、言葉の切れ目ごとに嗚咽が混じる。
そのあいだも、走り続けている。すると、廊下の角を曲がったところで、廊下の床に倒れて蹲っている人影があった。
巫女服の女が、床に蹲って倒れている。布の裾が乱れ、呼吸は浅い。苦悶の波が肩と背に小さく走っていた。
倒れたまま頭を抱えて呻いているが、意識があるかどうかはわからない。
一郎たちが来ても反応はない。
「ボニーさん、しっかりして──」
ミウが駆け寄って、倒れている女の前に跪いて手を当てる。
「この人は……知らない顔です……」
スクルズが足を止め、慎重に距離をとった。ただ手を翳して、魔道で身体を探っている。
「ちょっと待って。いま、ボニーって呼んだ?」
エリカだ。
そして、素早く、一郎の前に身体を入れて、女から一郎を守るような体勢をとる。
「そうです──。ボニーさんです。あの男から、あたしを助けてくれた人です。お願いします。ボニーさんを助けて」
ミウが膝を床についたまま哀願する。視線は女──ボニーから離れない。
「この女を知っているのか。エリカ?」
シャングリアもエリカと同じように、一郎の前を隠す。しかし、訝しむようにエリカに顔を向けた。
「ボニーというのは、あのクライドが仲間だと口にした女よ──。ねえ、お前、このボニーはクライドの仲間なんでしょ──?」
エリカの声が鋭くミウにぶつけられた。
一郎も思い出す。記憶が一本に繋がった。
「そうですけど……悪い人じゃないんです。クライドからあたしを守ろうとしてくれて……でも、殺されそうになって……必死であたしを庇ってくれて……逃がそうとして……。お願いします。いい人なんです。この人を助けて──」
ミウが叫んだ。
一郎は視線をボニーに落とし、読み取る。
ボニー(リン・シン・ボニン)
人間族(外界人)、女
皇帝家の諜者
パリスの奴隷
年齢28歳
ジョブ
諜報(レベル25)
毒遣い〈レベル5〉
アサシン(レベル1)
生命力:10/50↓(洗脳開放による意識喪失)
魔道力:200
経験数:男32
淫乱レベル:A
快感値:250/250
状態
洗脳(開放中)
死の呪術(未発動)
特殊能力
魅了
皇帝家の諜者にして、パリスの奴隷──。
ステータスに記された文字を一郎は反芻した。
パリス──エリカが口にしていた、あのアスカの少年従者の名だ。
つまりは、彼女もまた、あのアスカの刺客ということか?
だが、性支配を受けたまま姿を消したあのノルズは、アスカなどパリスに支配されているだけだと語っていた。
クライドもまた、命令主はアスカではなくパリスだと言っていた。
タリオの諜報員に、ローム皇帝家の工作員──このハロンドール王国も忙しいことだ。
一郎は内心で苦笑した。
それはともかく、ボニーの身体に刻まれているという死の呪文──。
これもまた、ノルズのときと同じだ。任務失敗の際に発動するようになっている呪術である。ボニーについてはまだ発動はしてないが、これもパリスの呪術のはずだ。
なによりも、あのミウがあんなに、ボニーを慕っていた。
クライドとは違って、目の前のボニーは、哀れな犠牲者なのかもしれない。
「身体に異常は見られませんわ。でも、なにかがおかしいです。急速に生命力が低下してます。危険な状態です」
スクルズが声をあげる。
「ああ、そんな」
ミウが悲鳴を漏らした。
「スクルズ、どこでもいい。近くの空部屋を教えてくれ……。エリカ、シャングリア、ボニーをそこに運べ。それと、ミウは自室にいろ……。いや、スクルズの部屋がいいな。コゼ、ミウを連れて行ってくれ」
一郎は矢継ぎ早に指示を出し、上衣を脱いだ。
「空部屋……ですか……。では、そこに……」
スクルズがすぐ横の扉に手を翳す。小さな金属音がして、魔道で鍵が解錠された。
「ちょっと待ってください。なにをするつもりですか──?」
エリカが血相を変えて振り返る。
「このボニーが苦悶しているのは、多分、洗脳を無理矢理に解呪した反動だ。それと、こいつにも死の呪文がかかっている。ノルズのときと同じだ。俺なら助けられる」
一郎は素早く言い切った。
「認められません。危険です──。スクルズ、あんたが治療しなさいよ。死の呪文よ──解呪しなさいよ」
エリカがスクルズに向き直る。
「……呪術? いえ……でも、わたしの鑑定ではそんなものは……」
スクルズは困惑を隠せない。
「役に立たないわねえ──」
エリカが舌打ちする。
「それだけ高位の呪術なんだろう。解呪できるのは俺だけだ。エリカ、頼む」
一郎はエリカにわずかに頭をさげた。
エリカは、少しのあいだ迷いを見せていたが、やがて、小さく吐息をした。
次いで、身体を反転させ、ボニーのもとへ向かった。
「シャングリア、持ちあげるわよ」
「わかった……せーの」
二人が息を合わせ、ボニーの身体が持ち上がる。
「あんたはこっちに来なさい」
コゼがミウを促す。ミウはボニーに取りすがっていたが、スクルズに軽く叱責され、コゼに伴われて離れていった。
一郎たちは空き部屋へ入る。
神官の居住用らしく、小さな机と寝台が二つずつ、戸棚があるだけだ。ほかにはなにもない。寝台には毛布すらなく、
使われていない部屋だと一目でわかった。
エリカとシャングリアが、ボニーの身体を寝台へ移す。
二人が左右から支え、力を抜いたままの身体をそっと横たえた。
ボニーは意識を失ったまま、喉の奥でかすかな呻きを漏らすだけだ。胸が浅く上下し、指先が時折、反射のように震える。
「いままで、たくさん女を犯してきたけど、睡眠姦というのは経験があったかな?」
一郎は、肩を竦めながら、下半身だけを脱いでいく。
そのあいだも視線は逸らさず、状況は確かめている。呼吸、脈、そして生命力の落ち込み。時間はかけない方がいい気がする。
「睡眠姦に入るかはわからないが、以前にロウが限界に挑戦しようとして、気絶したわたしたちを無理矢理に覚醒させて犯し続けたというのはあったな」
扉側の壁にもたれて腕組みをしているシャングリアが笑った。
「ああ、そんなこともあったわね……」
シャングリアの隣で同じように壁にもたれているエリカが吐息をつく。
「あれも睡眠姦に入るのか?」
一郎は小さく笑った。
そして、軽口を交わしながら、巫女服の裾に手をかけてスカートを完全にめくり上げていく。布が擦れる音が小さく響く。下着が露出したが、ボニーは反応しない。
呻きが一瞬だけ強まり、すぐに細く途切れる。
一郎は、装飾のない下着に指をかけて脱がせていく。寝台の上で、ボニーの腰がわずかに浮き、すぐに力なく沈んだ。喉から洩れる息が掠れ、額に汗が滲む。意識は戻らない。
ボニーの髪の色と同じ黒い繊毛が露わになる。
「ふふ、ロウ、コゼほど上手ではないが、口で手伝おうか」
シャングリアが小さく笑いながら声をかけてきた。
「あっ、だったら、わたしが致しますわ。ここは、わたしが神殿長代理の場所ですもの。わたしがお手伝いしなくては」
スクルズがはっとしたように、駆け寄ってくる。
「どういう理屈よ」
エリカが呆れたように呟いたのが聞こえた。
「いや、大丈夫だ。すぐに終わらせるよ」
一郎はボニーの両股を抱え込むと、自分の股間に力を込める。
勃起させようと思えば、自由自在にできる。こんな芸当は一郎がこの世界で淫魔師になったらばこそだろう。
さらに自分の性器の表面に、無害無臭の潤滑油を発生させた。
ボニーの股間に勃起した男根の先を押し当てて、ぐっと腰を突き出した。
「……んっ……んん……」
まだ意識は戻らないようだが、ボニーがかすかに身じろぎをする。
一郎は根元まで怒張を貫かせると、すぐに律動を開始した。
しばらく腰を動かしていると、明らかにボニーの息に甘い響きが混じり始めた。
意識はなくても、一郎は淫魔術で感じることができる性感帯の赤いもやに沿うように亀頭の先を擦りつけている。ボニーの肉体は反応をしているのだ。
最初に施した淫魔術による潤滑油以外に、ボニーの胎内から吐き出された蜜が男根に濃くまとわりついていくのがわかる。
「出すぞ……」
一郎は射精感が込みあがると躊躇することなく精を放った。
淫魔術がボニーに繋がるのがわかる。
ボニーの呼吸が深くなり、身体がびくびくと震えだした。
素早く、ステータスを覗く。
ボニー(リン・シン・ボニン)
人間族(外界人)、女
年齢28歳
ジョブ
諜報(レベル25)
毒遣い〈レベル5〉
アサシン(レベル1)
生命力:50/50↑
魔道力:200
経験数:男33
淫乱レベル:A
快感値:250/250
状態
一郎の性奴隷↑(新)
特殊能力
魅了(淫魔師の恩恵により凍結)
生命力が急速に回復し、死の呪文の表示も消えた。蒼白く弱っていた感じだった肌も滑らかさを一気に取り戻す。
ボニーが危機を脱したのは明らかだ。
ただ、彼女にあった魅了という特殊能力は、凍結している。それが淫魔師の恩恵だというのは、よく意味がわからないが……。
すると、ぱんと金属音が鳴った。
見ると、ボニーの首にあった奴隷の首環が壊れて外れていた。
「う、うう……」
ボニーが身じろぎをする。
ゆっくりと目が開く。
上から見下ろしている一郎と視線が合う。
「……こ、ここは……? あれ……あなた……は?」
ボニーが一郎の顔を見上げながら呟いた。
「ここは第三神殿だな。そして、俺はロウだ。お前たちが殺そうとしていた男だろう?」
一郎はお道化た。
「えっ……?」
ボニーは全く状況が理解できないようだった。
しかし、すぐにはっとしたように身体を竦める。いまだに、一郎の怒張がボニーの股間を貫いたままなのに気がついたようだ。
「きゃああああ──」
ボニーの絶叫が部屋に轟いた。
「ああ、もう許して──。そんなに長くは無理よ──」
ボニーが悲鳴をあげた。
正常位から始まった一郎とボニーとの性愛は、後背位、また正常位となり、いまは対面座位の体勢で愛し合っている。
一郎は、胡座をかいている自分の腰の上にボニーを跨がらせており、しっかりと怒張はボニーの股間を貫いていた。
「なにを言っている。今日こそ、ボニーを完全に堕としてやるぞ」
「もう堕ちてるわよ──あっ、あっ、あああ──」
一郎の腰の上のボニーが大きくよがる。
ボニーの両手は後縛りに緊縛している。縛られて抱かれることに、最初こそ、少し恐怖心のようなものを示したボニーだが、五回目の逢瀬となるいまでは、むしろ縛られることで快感を昂ぶらせるようになってきていた。
「だったら、ただ愉しもう……なにもかも忘れて──」
「ああ、ロウさん、あたし、もうこのまま、死んでしまいたい──」
ボニーが汗まみれの裸身を一郎に押しつけるようにして、腰をうねり動かす。
「口づけだ……」
一郎はボニーの肩を抱き寄せる。
抵抗はない。ボニーは口を開いて、一郎の舌を迎え入れる。しばらくのあいだ、唇と唇を重ね合い、舌を絡ませた。
そのあいだも、腰は動いている。
「ああ、ロウさん──」
ボニーが口を離して、感極まったように叫んだ。
そして、一郎の脚の上に乗った太腿をがくがくと震わせて、脂汗まみれのうなじをのけ反らせる。
一郎はボニーの腰を上下に揺さぶりながら、片手でお尻を支えるようにして、アナルをくすぐるように愛撫してやる。
「だめええっ」
ボニーは激しい狼狽をしめし、まるで電撃でも浴びたように、身体を突っ張らせた。
彼女が悦びの頂点に達したのは明らかだ。
一郎も、それに合わせるように、ボニーの中に精を注いでいく。
ボニーは最後のひと滴まで搾りとろうとするかのように、膣で一郎の怒張をしっかりと締めつけ続けた。
「……ありがとう……ございました……」
か細い声が落ちる。
縄を解き、ボニーを寝台に横たえた。
身体の力が抜けきっており、さっきまでの昂奮が嘘のように、顔から表情が消え、目の焦点も合っていなかった。
疲労というより、気力そのものが剥がれ落ちたような状態だ。
第三神殿の奥にあてがわれている、ボニーの居室である。
小さな寝台と机、簡素な棚だけの部屋だ。外から隔離されているわけではないが、用もなく人が立ち入る場所ではない。
奴隷の首環による命令で、一郎とエリカを狙う暗殺者として王都に送り込まれた女であるボニーだが、いまは、神殿の奥で静かに保護されている存在だ。
スクルズの手配によるもので、表向きは「療養中の巫女」という扱いになっている。
淫魔術を注ぎ、彼女にかかっていた呪縛と洗脳を解いて以来、同じ光景を何度も見てきた。
抱き合っているあいだだけ、確かに感情は戻る。
声に温度が宿り、視線が一郎を追う。
会話さえも普通だ。
だが、それが終わると、魂が抜け落ちていく。
いまも同じだ。
しかも、だんだんとそれが顕著になっていく気がする。少し前までは、まだ日常会話ができた。
いまは、意思疎通ができるのは、性愛の途中だけである。終われば、人形のようになってしまう。
一郎にはまるで、彼女が生きるのを放棄しているようにしか思えなかった。
寝台の脇に腰を下ろし、ボニーの顔を見る。
呼吸は安定している。
生命力に異常もない。
淫魔術の反応も正常だ。それでも、内側が空洞になったようなこの状態は、どう扱えばいいのかわからなかった。
淫魔術を刻まれた直後の訊問のとき、ボニーはすべてを隠さなかった。
命令の詳細をすべて理解していたわけではないが、自分が何をさせられていたのか、誰に従っていたのか、覚えている範囲をそのまま口にした。
言い訳も、虚飾もなかった。
やはり、ステータスで呼んだとおり、ボニーもまた、外界から召喚された人間だった。
アスカの召喚術により、この世界に無理矢理引き込まれた存在だという点では一郎と同じだ。ただし、決定的な違いがあった。
ボニーには、向こうの世界に家族がいたのだ。
愛する夫と、まだ幼い娘たち。名前を口にするときだけ、彼女の表情は変わった。
声が震え、眼に水が滲み、堪えきれずに涙を落とした。故郷の景色を語り、召喚されたときには娘たちと家の庭で遊んでいた途中だったと泣きながら話した。
その瞬間だけは、彼女の心は生きていた。
彼女に授けられた異能は、魅了だそうだ。
操心術のように思考をねじ曲げるものではなく、人の感情を特定の方向へ傾ける力だという。
優しさも、好意も、疑念も、わずかに揺らす。
その能力を使い、一郎とエリカを暗殺するよう、少年従者パリスから命じられていた。
だが、話を聞くほどに、暗殺者という役割が彼女の本質から遠いこともわかった。
ミウの証言もある。
ボニーは、ミウと向こうの世界に残した娘たちの姿を重ねていたようだ。命がけで守ろうとし、クライドに半死半生の目に遭わされていた。
王都城外に潜んでいたボニーを攫い、洗脳し、神殿へ送り込んだ者の正体は不明だ。
彼女が覚えているのは、マーリンという老人と、ターシャという女の名だけだった。
正体も所属も知らない。
ただ、タリオ系の工作員である可能性が高いと、一郎は見ている。
第三神殿の内情も絡んでいる。
副神殿長ポーランは、スクルズを神殿長に据えるために動いている。
一方、タリオから神殿長を呼び寄せたいキシダインとは明確に対立している。
ポーランを狙わせる動きがあるとすれば、筋はひとつしかなかった。
どうすればいいのか、わからない。
それが、一郎の率直な実感だった。
ただひとつ思うことがある。
一郎が女を淫魔術で性奴隷にしたとき、これまでは必ず能力の向上が起きた。
それが「淫魔師の恩恵」だ。
支配を強くせずに、性奴隷の刻みまではしないことはあったが、ボニーのようにしっかりと、意識して性奴隷にしたときには、例外なく能力が向上したのだ。
しかし、いまだに、ボニーにはステータス上の能力の向上がない。
授かった「魅了」という異能が凍結されただけだ。
ボニー(リン・シン・ボニン)
人間族(外界人)、女
年齢28歳
……
……
特殊能力
魅了(淫魔師の恩恵により凍結)
だが、こうやって逢瀬が五回目になると、ひとりの仮説が頭に浮かぶようになった。
能力がなくなること──。
それはボニーの心からの望みだったのではないかと……。
だから、能力が凍結された。
この気力がなくなったかのように、なにも動かないボニー──。
これこそが、この世界におけるボニーの唯一の望みなのではないかと……。
一郎の淫魔術は、だから、それを実現したのだと……。
服装を整えた一郎は、ボニーの居室を出て、壁の扉で繋がっている隣室に入った。
そこにはエリカ、シャングリア、コゼの三人と、スクルズが揃って待っていた。
「どうでしょうか?」
スクルズが心配そうに声をかける。
「変わらない。愛し合っている最中には正気に戻ったようになる。でも終われば同じだ。むしろ酷くなる」
一郎は首を横に振った。
「そうなのですね……。肉体的な損傷はありません。治療術も受け付けませんし……」
スクルズが短く嘆息する。
「……心の病ってやつ?」
コゼが軽く肩をすくめる。
「多分、そうなのだろうな」
シャングリアが低く応じた。
「もしかしたら、俺のせいかもしれない」
一郎がぽつりと零す。
「えっ、なんでですか?」
エリカがすぐに問い返した。
「俺の淫魔術だ。まだ俺自身、全部を把握しているわけじゃない。ただ、これまで女たちの能力を引き上げ、新しい力を与えてきた。そんな力まであるのかと、俺自身が驚いてきた」
「それは間違いないですよ」
エリカが即座に肯定する。
「だけど、ボニーの場合……その望みが、なにもしないことなんじゃないかと。俺の淫魔術は、それを叶えてしまったのかな……なんてな」
「なんだ、それは?」
シャングリアが首を傾げる。
「俺にもわからん。ただ、感じてきたのは、ボニーはこのまま死んでいくことを望んでいるんじゃないかということだ。なにもせず、なにも感じず、なにも考えずに」
「そう……なのか? よくわからんな」
シャングリアが低く唸った。
「いや、わかるわ」
すると、コゼが静かに口を挟んだ。
「えっ、なにをが?」
エリカが振り向く。
「……あたしも、そうだったから……。ご主人様に会うまでは……。死ぬことしか、望んでなかった……」
コゼの言葉に、すこしのあいだ、室内が沈黙に包まれた。
一郎は寝台を椅子代わりにして座っていたコゼの横に腰をおろす。
コゼが嬉しそうに、一郎の腕に両手でしがみついてきた。
まるでネコみたいだな。
一郎は思った。
すると、スクルズが小さく息を吐いた。視線を向ける。
「……故郷のこと、家族のこと……。わたしやミウとその話をするときだけ、ボニーは感情を取り戻します。わたしの行ったことのない異世界の話ですけど」
「故郷か……。もしも、返してあげられればなあ……。それこそが本当の望みなんだろう」
一郎は小さく息を吐いた。
夢の中にいるような気分だった。
真っ白に満ちていた光が、ゆっくりと裂けていく。
色が滲み、匂いが戻り、音が輪郭を持つ。
湿った土の匂い──刈り草の甘さ──遠くで鳴く鳥の声──。
足の裏に、懐かしい土の感触が伝わった。
気がつくと、ボニーは庭に立っていた。
見覚えがある。
いや、忘れようもない。
低い柵──。
踏み固められた小径──。
陽を受けて揺れる畑の葉──。
どれも、記憶よりもはっきりしている。
中央にひとりの男がいた。
腰を落とし、小さな自転車の後ろを支えていた。補助輪の擦れた跡が、何度も同じ円を描いている。
「しっかりと踏むんだ……。怖がるな……。よしっ──。そうだ、そのまま──。そのまま、踏め──」
声が届いた瞬間、胸の奥が痛むほど締めつけられた。
男に自転車を教わっているのは、七歳くらいの娘だった。
前を向き。唇を結び、必死にペダルを回している。
「おねえちゃん、しっかり──」
少し離れて、もうひとりの少し幼い娘が跳ねるように見守っていた。
ボニーの喉が鳴った。
音にならない息が漏れる。視界が滲み、足が勝手に前へ出た。
夫だ──。
娘たちだ──。
夫は変わらない。でも、娘たちは随分と大きくなっている。
アスカに召喚されたときは。上の娘はもっと幼く、下の娘は赤ん坊だったのだ。
「……」
声は割れ、言葉にならない。
それでも、身体は止まらなかった。草を踏み、砂利を弾き、庭を横切る。
夫が気がついてこっちを振り返る。
動きが止まり、目が大きく開いた。次いで、支えていた手が震え、離れた。
娘たちも顔を上げた。
一拍の静止。
次の瞬間、自転車を乗り捨てた上の娘が全速力で駆けだしてきた
「ママ──」
呼ぶ声が重なり、空気を震わせる。
小さな身体が勢いよくぶつかり、腰に絡みつく。腕が、服が、必死に掴まれる。
遅れて下の娘が来た。
ボニーは膝を折り、泣きながら、ふたりを力いっぱいに抱きしめた。
記憶よりもずっと大きな身体。確かな温度。伝わる鼓動──。
言葉が溢れ、嗚咽に変わる。
「ごめん……ごめん……」
何度も繰り返す。
泣きじゃくる娘の腕たちに力がこもった。
遅れて男が駆け寄る。
三人まとめて抱き寄せる腕が、強く、迷いなく絡む。
「……戻ったんだな……。戻ってきてくれたんだな……」
夫の低い声が震え、途切れた。
ボニーは何度も頷いた。涙が落ち、笑いが混じる。
「ごめんなさい、あなた……。あああっ、あなたああっ」
ボニーは娘たちとともに、夫を抱き締めて号泣した。
庭の匂いが、風が、体温が、すべてそこにあった。
抱き合う輪の中心で、時間が確かに動いている。
──あたしは、家に戻ってきたんだ──。
白い空間から引き剥がされるように、感覚が現実へ戻ってきた。
いつもの幽霊屋敷の広間だ。
視界を上げる。
広間の中央には低いソファーが置かれ、その周囲にエリカ、シャングリア、コゼ、スクルズが揃っていた。一郎の帰還を待っていたのだ。
「おう、久しぶりだな……。いや、そうでもないか」
ソファーにどかりと腰を下ろしながら、女たちに声をかけたのはサキだ。
妖魔将軍の姿ではなく、背の高い人間族の美女の外見に変じている。脚を投げ出し、背もたれに体重を預ける所作は、相変わらず遠慮がない。
「サキさんも、お元気そうで」
スクルズがにこやかに応じた。
「魔族といえば、神官の敵じゃないの。神殿長代理になったんだから、討伐しないといけないんじゃない?」
コゼが茶化すように口を挟む。
「魔族を敵視する教義はございませんわ。元はと言えば、同じクロノス神の妻の末裔ではございませんか。魔族の守神のモズ様も、人間族の守神のメティス様とヘラティス様も、天空神様の妻ですわ。問題ありません」
スクルズはくすくすと笑いながら言った。
「クロノス信仰の統一的な見解ではなさそうだな」
シャングリアが低く指摘する。
「こいつは敬虔な巫女の仮面を被った堕天巫女だしね」
コゼが肩をすくめる。
すると、サキの横に屋敷妖精のシルキーが盆を抱えて出現した。
「ようこそ、サキ様。おくつろぎください」
サキの前に置かれたのは、火酒と呼ばれる純度の高い酒であり、肴としての薄肉だ。手で食べられるように、一口ずつ串に刺さっている。
「屋敷妖精か。いつも歓待に隙がないのう。わしの好物をよく覚えている」
サキが相好を崩して、火酒の入った盃をぐいとひと飲みした。
一郎は、それを微笑んで見届けながら、エリカとコゼのあいだの長椅子の中心に腰をおろす。
すると、ほかの女たちの前には紅茶と菓子が並んでいたが、一郎の座った前に温かい紅茶が現れる。
一郎はそれを手に取り少し喉を潤す。
「ボニーはどうなりましたか?」
エリカが女たちを代表するように訊ねた。
「家に帰った。そこまで見届けた」
一郎は紅茶をテーブルの皿に戻しながら言った。
「だが、
サキが盃を傾けたまま、横目で一郎を見る。
「彼女の幸せを熟考した結果だ。元の世界に戻す方法はない。そうなんだろう、サキ?」
一郎は視線を向けた。
「さあな。召喚術のことはわからんが、時空を越えて人族を呼び寄せる術だとすれば、無数にある時空の中から、たったひとつを選んで特定するのは不可能な気がするのう。本当の意味で元には戻れんだろう」
サキは肩を竦める。
「でも、ロウは、ボニーを故郷を再現した仮想時空に閉じ込めると言わなかったか」
シャングリアが口を挟む。
「サキに、ボニーの記憶を読んでもらい、可能な限り記憶のとおりの仮想時空を作ってもらった。彼女はそこで残りの人生を過ごす。そして、老いて死ぬ。そこが仮想時空とは知らずに、死ぬまでそこで暮らす」
一郎は淡々と告げた。
「幻想の牢獄ということですか」
エリカの声が、わずかに揺れる。
すると、サキがテーブルに盃を置く音がこつりと鳴った。
「牢獄ではないぞ。仮想時空とはいえ、あれにとっては現実だ。主殿は、考えられる限りのことを、あのボニーとかいう人族のためにしたと思うがな」
サキが低く言う。
「それはわかっているけど……。なんとなく、それでいいのかなあと」
エリカは釈然としない様子だ。
「だけど、この世界に、ボニーが望んだものはなにもなかった。だからな。ほかには方法を思いつかなかったよ」
一郎はそう言って、言葉を切った。
女たちは、それ以上、なにも言わなかった。
「……ところで、ミウは? 寂しがってなかったか?」
少し間があってから、一郎はスクルズに視線を向けた。
「故郷に帰ることになったと説明しましたし、寂しがってましたけど、ボニーのために喜んでましたわ。問題ありません」
「ならよかった。自分のせいで、ボニーがあんな風になったんじゃないかって、しばらくしょげてたしな」
一郎は言った。
「すぐに脳天気に元気になったけどね」
コゼが茶化すように笑った。
すると、全員から同時に笑いがこぼれた。
不幸な目に遭ったミウだが、彼女はとても明るいのだ。クライド事件では多くの者が不幸になったし、多くの者が殺された。
だが、ミウの陽気さは、一郎もほっとさせてくれる。
みんなも同じ気持ちなのかもしれない。
「さてと……」
一郎は、シルキーが入れてくれた紅茶を一気に飲み干し空してテーブルに戻す。
女たちの視線が一斉に集まる。
「……それじゃあ、折角、サキが遊びに来たんだ。みんなで風呂に入るか」
ぽんと軽く自分の膝を叩く。
「なにが、折角なのだ?」
サキが笑った。
「いやか?」
「いやではないかな」
サキが立ちあがる。ほかの女たちもだ。
「まあ、愉しそうですね。ご一緒しましょう」
スクルズが嬉しそうに言った。
「まだ昼間じゃない。ボニーのことは見届けたんだから、お忙しい神殿長代理様は、神殿にお帰りになってはいかがですか?」
コゼが一郎の腕にしがみつきながらスクルズを見る。
「まあ、そんな意地悪をおっしゃらないでください。問題ありませんわ。辻褄は合わせておりますので」
スクルズがコゼとは反対側の一郎の腕を掴んでくる。
「なによ、辻褄って。知らないわよ。あとで大変なことになっても」
エリカだ。スクルズに向かって息を吐く。
「問題ありませんわ」
スクルズが元気に応じた。
一郎はくすりと笑ってしまった。
そして、スクルズを見る。
「……いいのか? 多分、一緒に風呂に入れば、それこそ大変なことになると思うぞ。全員の手は括って、俺の指で身体を洗う。それこそ、隅から隅までね。多分、動けなくなると思うぞ」
一郎は笑った。
「も、問題ありません」
スクルズの顔が真っ赤になる。
ふと見ると、ほかの女の顔もだ。サキの頬までほんのりと赤くなっている。
「じゃあ、行こうか」
一郎は全員を促した。
28話『災厄の後始末』終わり──
29話『素晴らしき哉、レイプ』に続く──