【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
【歴史余話2】ドロボークの古酒亭にて
ハロンドール王国の起こりは、かつて大陸を支配した人間族の唯一の帝国──ローム帝国の開拓植民にさかのぼる。帝国東辺の辺境に拓かれたその地は、はじめ商人と行商、そして開墾を目指す農夫の混在する小国にすぎなかった。
肥沃ではあるが、帝都から遠く、しばしば魔物と瘴気の脅威にさらされ、帝国の地図においても余白のように扱われていた。
そのローム帝国も、やがて名のみを残して崩れた。帝位をめぐる争いと長い内乱の果てに、かつての版図は三つの公国に分裂し、旧帝都は廃都のまま荒れていた。
東には新興のハロンドール王国、西には旧ローム帝国を継いだ三公国、そしてその中間に、人族発祥の地とされるナタルの森を中心にしたエルフ女王国が横たわっていた。
女王国は両勢力のあいだで緩衝地となり、ときに橋となり、ときに火種となった。
さらに北方には、旧恵月国を母体とするエルニア王国が成立していた。ここもまたロームの開拓地から発展した若い国であり、湿地の多い大地を領しながらも、交易と鉱山で力を蓄えていた。
こうして大陸は四つの勢力がにらみ合う時代に入った。
だが、歴史とはしばしば逆説を好む。
母なる帝国が退廃の泥に沈み、王侯たちが享楽に耽るころ、この辺境の地こそが新たな力を育んでいた。
商人は自らの財で傭兵を雇い、探求者たちは瘴気の森を解放して、新たな鉱脈を見つけた。
そして、いつしか人々はこの開拓地を“辺境の王国”と呼ぶようになる。それが、のちに大陸の覇者となる「ハロンドール」のはじまりである。
王国北辺の町だったドロボークは、当時の入国管理局が置かれていた地として知られる。
統一帝国成立により「国境の城郭」ではなくなった後も交易の中継地として賑わい、各地から冒険者や行商が集まった。
残された古い台帳の中に、ひとつ興味深い記録がある。
ロウという名の人間の男が、エルフ族の若い女性とともにこの地を訪れたという記録である。
記載は簡潔で、身分も来歴も記されていないが、同行したこの女性が、のちの初代皇后エリカ妃であるとする説が、今も王立史学院では議論されている。
記録の日付が後のロウ=サタルス帝が王都ハロルドの冒険者ギルドに登録した年と合致しており、この符合が、その説を支える最も有力な根拠とされている。
この時代、冒険者ギルドはすでに全盛を極めていた。
国家の権威が衰えたあと、社会の秩序を支えたのはこのギルドであった。
討伐、護衛、交易、探索──ありとあらゆる契約がその網の目の中で結ばれ、人々は金貨よりも、ギルドビルという〈信用印〉を重んじた。
ギルドは国を超え、宗派を越え、あらゆる人間を繋ぐ網であり、同時に力ある者だけが生き残る峻烈な社会でもあった。
私はドロボークの小さな酒場で、ひとりの老人に出会った。私が初代帝ロウの伝承の地を巡る旅としていると告げると、老父は一杯の安酒を傾けながら言った。
「ロウ陛下は女にもてる人でな。美男子ではないが、女扱いは上手だったな」
まるで知人の噂をするような調子だった。
「そうなのですか?」
「ああ、エリカ妃と一緒に来たロウ陛下は、コゼ妃をここで見つけたんじゃ。コゼ妃なんぞ、このドロボークで、陛下が奴隷から身請けしたんだぞ」
老人は当たり前のことを話すように言った。
その口ぶりには誇張も伝説めいた調子もなく、まるで昨日の出来事のようであった。
コゼが奴隷あがりというのは知られているが、ロウ帝との出会いは諸説ある。しかし、この土地では、それが当たり前のこととして人の伝承に残っているようだ。
老人は笑い、手酌で杯を満たした。
その横顔に、遠い記憶を懐かしむような穏やかな光が宿っていた。
なるほど、この元の国境の城郭では、古のロウが数百年の時を経てなお、いまだに人々の心に生きているのだと思った。
史料の上でロウが初めて現れるのは、この土地である。
諸王国の女王たちを妻として迎え、血と婚姻によって大陸を束ねたことだけが確かな事実として残る。
彼が二人の女性とともに、ハロンドールの王都に向かって旅立ったという伝承もまた、その始まりを飾るにふさわしい逸話として、いまも民の語り草となっている。
退廃していた母国ロームを凌ぎ、かつての属国が大陸の覇者となったのは、歴史の皮肉といえるだろう。
しかし、あの酒場の老人の言葉を思えば、それは皮肉ではなく、人々が己の手で築いた“夢の成就”であったのかもしれない。
ロウが現れた時代を、後世の史家は“成りあがり者の時代”と呼ぶ。
神々の時代が終わり、人が自らの手で歴史を動かし始めた最初の時代──その始まりに、確かに、ひとりの無名の旅人が存在していたのである。
エリオス=ヴァンレーン『ロウ帝伝承の地をゆく』より