【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
「痛い、いたたた……。こ、この女をなんとかしろ、お前ら──」
エリカに片腕を背中側に捩じられているステファンが叫んだ。
外からやってきた護衛たちはすでに剣を抜いている。
いかん……。一郎も必撃の剣を構えた。
ふたりの護衛のジョブは、「戦士」であり、ジョブレベルはそれぞれに〈レベル9〉だ。
ひとりならエリカは勝つだろうが、ふたり相手だと厳しい。
「待ちなさい、あなたたち──。乱暴は許しません──」
突然にニーナが前に進み出て、ふたりの護衛たちの前で両手を拡げた。
さすがに護衛も当惑して動きを止める。
「お前もやめろ、エリカ。手を離すんだ」
一郎もすかさず言った。
「……はい」
エリカが素直にステファンの腕を解く。
自由になったステファンが反動でその場に跪く。
しかし、すぐに立ちあがって、険しい表情でエリカに詰め寄りかけ、そして、躊躇して止まった。
さすがに、呆気なくやられてしまって懲りたのだろう。
「お前たちはなんだよ……」
ステファンが指をエリカと一郎に突き出して声をあげる。
「俺たちは依頼を受けて、この店のトーイの護衛と襲撃の調査を任された者です。依頼者は、このニーナさんであり、俺の連れは、あなたが依頼者のニーナさんに乱暴をすると思ったのですよ。お許しください」
一郎はすかさず言った。
「依頼……? ああ、そういえば、トーイが襲撃されたと言ったか?」
ステファンは少しだけ落ち着いた表情になった。
一郎は簡単に事情を説明する。
「サイの毒……?」
ステファンは顔色を変えた。
だが、なんとなく思うところがあるような感じだ。
一郎はそれが気になった。
「なにか心当たりがありますか」
一郎は訊ねた。
「い、いや……まったくない」
ステファンは首を横に振る。だが、その顔色には動揺が走っていた。
一郎は確信した。なにかを知っている……。
「とにかく、トーイの安全が確認できるまで、わたしはここを離れるわけにはいかないのです。ステファン、お願いです」
ニーナが頭を下げた。
「しかし……」
ステファンが困惑顔になる。
そのとき、一郎は階段に人の気配を感じて振り返った。
トーイだ。
コゼに身体を支えられて、階段を降りてきている。
「コゼ、どうして、トーイさんを?」
エリカがトーイに肩を貸しているコゼに叱るような口調で言った。
「……なんていうか。この人がどうしても、ここに来るって、聞き分けがなくて……」
コゼも困ったような感じだ。
「ねえ、トーイ、なんで……? まだ起きては駄目よ。寝ていないと……」
ニーナはトーイに向かって、悲鳴のような声をあげた。
マニラもたしなめる言葉を口にした。
だが、トーイはそれを制してここまでやってくると、椅子のひとつに腰掛けた。
顔色は悪く、まだ身体は完全には回復していないようだが、すでに致死の段階は遥かに通りすぎている。
少なくとも死ぬような状態ではない。
「……ステファン殿の声が聞こえたんでね……。ステファン殿、ニーナを連れて帰ってくれ。彼女がここにいる必要はない。ニーナの安全こそ第一だ。ニーナを頼む」
トーイが冷静な口調で言った。
ステファンのことをよく知っている気配だ。
よく考えれば、ニーナは毎月ここに一日やって来ていたという話だったから、その都度、ステファンは同じように送り迎えをしていたのだと思う。
トーイがステファンのことを知っているのは当然か。
「なに言っているのよ、トーイ。わたしは、ここにいるわよ。あなたがなぜ、毒で狙われたのかわかり、危険が排除されるまで残るわ──。それに、わたしにはそれを見届ける義務もあるもの。依頼人としてね」
「依頼人?」
トーイは怪訝な顔をした。
「俺たちが契約により依頼をされました。依頼主はニーナさんです。その内容は、あなたの安全を確保することと、あなたの命を狙った者を排除すること。あるいは、それを明確化すること……。報奨金は金貨十五枚です」
一郎は言った。
まだ事情を知らなかったコゼが少し驚いた顔になった。しかし、一郎が無言で頷くと、納得したような表情になった。
「金貨十五枚──? こんなどこの馬の骨ともわからない連中に?」
声をあげたのはステファンだ。
「ええ、依頼したわ。ねえ、トーイ、ステファン──。わたしはここから離れないから」
ニーナはきっぱりと言い切った。
「金貨十五枚なんて、冗談じゃない──。契約は取り消してくれ、ニーナ。そして、お前は王都に戻れ。お前には唄があるだろう。王都での歌姫の仕事があるはずだ。夢のためじゃないか──」
すると、トーイが口を挟んだ。
「唄も夢もそんなものは、いまはどうでもいいのよ、トーイ──。わたしにはあなたのことが第一なのよ──。それに、わからないの? サイの毒よ。そんなものを使うのはプロの殺し屋の仕業よ──。誰があなたを狙ったのかつきとめないと、また狙われるのよ──」
「やめろ、ニーナ──。唄や夢がどうでもいいなんて言うなよ──。だったら、なんのために──」
トーイが叫んだ。
だが、言葉の途中で我に返ったように冷静な表情になり、一度口をつぐんでから、また口を開いた。
「……とにかく、王都に戻るべきだよ、ニーナ……。唄の仕事は大切だ。俺なんかのために犠牲にするな」
「で、でも、わたしはあなたのそばに……」
だが、ニーナは頑な表情をしている。
「やめろ──。もう一度言うよ、ニーナ──。依頼は取り消すんだ。そして、王都に戻って、唄を歌え。ニーナが有名な歌姫になったというのは俺の誇りだ」
「でも、トーイ……」
「いや、とにかく唄を捨てるようなことはやめてくれ。大切な唄の仕事が待っているはずだ……。そうなんでしょう、ステファン殿?」
トーイがステファンに視線を向ける。
「そうです、ニーナ様──。仕事に穴を開ければ、あなたを支援しているドルニカ様がお怒りになります。トーイのことであれば、別に護衛を置いていきます。それでいいでしょう。それでトーイのことは守られます。あなたは王都にお戻りを……。とにかく、ドルニカ様がなんというか……」
「だから、ドルニカ様には手紙を書くと申したはずです」
「お言葉ながら、ドルニカ様は、勝手なことはお許しにはならないと思います」
「許してくださるわ、ステファン……。あなたはドルニカ様を知らないのでしょう。ドルニカ様は優しい方です……。それは厳しいところもおありだけど、ちゃんとお願いすれば、わかってくれます」
「いいえ、わかっていないのはニーナ様です。ドルニカ様はとても厳しい方です。とにかく、王都にはお帰りを……」
「い、や、よ」
ニーナはきっぱりと言った。
ステファンが嘆息した。
「ニーナ様、恐れながら、あなたの唄は芸術です。それを無暗に棒に振るようなことは許されるわけはありません。それを第一にお考えください。トーイのことは、あなたがここにいなくても問題はないはずです」
「あたしは、依頼人です──」
「だったら、この冒険者たちに依頼をしたのなら、任せればいいでしょう。報奨金も俺が準備をしておきます。だが、唄はあなたにしかできないのです。あなたの美しい唄声を待っている大勢の人が……」
「トーイのことが第一なのよ──。何度も言わせないで──」
ニーナが叫ぶ。
ステファンが途方に暮れたような表情になった。
すると、トーイが口を開いた。
「……ニーナ、朝の返事をちゃんとしていなかったね。答えは、“いいえ”だ。俺はお前の申し出には応じられない。王都の歌姫が俺なんかのことを大事に思ってくれたのは、本当に夢のような信じられないことだったけど、だけど、俺には分にすぎることだ。悪いね……」
トーイの言葉で、見る間にニーナの両眼に涙が溢れ出す。
一郎は驚いた。
「それはわたしが汚れた女になったから……?」
ニーナが身体を震わせながら言った。
「汚れた女なんて思っていない……。そんなこともあるのだろうと思っただけだ……。昨夜のことも俺には夢のようだった……。だけど、俺はあれだけで十分だ。多分、俺もニーナも別々の世界の人間になったんだよ……。こんなところに戻るな。せっかく、夢の世界に行けたのに」
「夢の世界なんかじゃ……。わ、わたしは……。わたしはね、トーイ……」
「君は俺の誇りなんだ──」
トーイがニーナの言葉を遮って、大きな声を張りあげた。
ニーナの身体がぶるりと震える。
「……それを捨てないでくれ……。それが俺の答えだ……。そして、出ていけ──。もう、二度と戻らなくていい……。いままでありがとう……。そして、さよならだ」
なんの話なのかは無論わかりようもないが、一郎にはなんとかく察しがついた。
夕べふたりが愛し合っていたことも併せて考えると、ニーナはトーイに対して、歌姫をやめて、ここに戻りたいと求婚したのではないだろうか。
そして、いま、トーイがそれを拒否した。
そんなところではないかと思った。
「あなたがなんと言おうが、それはわたしには関係ない……。わ、わたしの想いはもう決まっているの……。いいわ──。わたしはここを出ます」
ニーナが目に溜まった涙を拭いて言った。
「おう、ニーナ様、ありがとうございます。では、さっそく、馬車に……」
ステファンがほっとしたように声をあげた。
「でも、この城郭からは出ていきません。別の宿に泊まります。今回のことが解決するまで、わたしはこの城郭に留まって見届けます」
そして、ニーナはこの城郭の中心に近い高級宿屋の名を告げた。
「そ、そんなあ……」
ステファンががっかりした声をあげた。
だが、ニーナはそれを無視して、一郎たちに向き直った。
「ここには毎日来ます。どうか、依頼の件をお願いします」
ニーナは一郎たちに深々と頭を下げた。
これは大した頑固者だ。
一郎はニーナの評価を改め直した。
よく考えれば、こんな場末の宿屋の娘から、王都の歌姫にまで、この歳で昇り詰めたくらいの女性なのだ。
芯はすごく強いのだろう。
ステファンが再び盛大に嘆息した。
「……わ、わかりました。とにかく、数日のことについては俺がなんとかします。また、あなたには護衛をつけます……。俺はあなたの仕事に穴をあける処置をするために王都に一度戻りますが、そのあいだにお考えください。もう一度言いますが、あなたの唄は芸術です。俺はあなたの唄が大好きなのです」
ステファンが言った。
「ありがとう、嬉しいわ、ステファン」
ニーナがにっこりと微笑んだ。
そして、馬車に向かっていく。
荷物はそのままにしておいてくれと言っていたので、またここに来る気は満々なのだろう。
あれだけはっきりと振られたのに、大した女性だ。
「……あれでいいんですか、トーイさん? あんなことを言って……」
ニーナたちがいなくなると、ぽつりとエリカが言った。
エリカはなんとなく不満そうだ。
「いいんだ」
トーイはしんみりとした表情で応じた。
「……ところで、トーイさん」
一郎は声をかけた。
「なに?」
「外で毒で倒れたとき、あなたは、ニーナさんの名を口にしました。“まさか、ニーナが”という言葉も……。それがどういう意味だったのか、覚えていますか?」
一郎の言葉にトーイはびっくりしていた。
そして、まったく覚えていないと答えた。
だが、かなりの動揺をしていることは明白だ。
「……そうですか……」
一郎はそれだけを言った。
ふと、母親のマニラを見た。
彼女は押し黙ったまま、とても複雑そうな表情をしていた。
トーイはひとりで寝台に横になったまま、昨夜のことを考えていた。
夕べ、ここでニーナを抱き、愛し合った。求めてきたのはニーナからだった。
あれは確かに現実のことだった。
ニーナと男女の関わりがあったのは、もう六年前だった。
彼女の父が亡くなって、ニーナが身寄りを失ったあの日、トーイは彼女を妻に迎えるつもりだった。
まだ十四歳同士だったが、結婚には早くない年頃だった。
宿屋で働き始めた時から、そうなるのが自然だと、ふたりとも信じていた。
初めてニーナを抱いたのも、この部屋だった……。
もしあの時、ドルニカ夫人が現れなければ、ニーナはいまもこの宿屋の若女将であり、トーイの妻になっていただろう。
だが、そうはならなかった。
ニーナの唄の評判を耳にした、あのドルニカ伯爵夫人がわざわざ、この宿屋まで足を運び、ニーナの唄に聴き惚れ、王都に連れていきたいと誘ってくれたのである。
後継人となり、全面的な後押しをする。ニーナは、ただ身ひとつで来ればいいと……。
彼はニーナに王都へ行くよう背を押した。
ニーナの歌声が舞台で響かせる姿をトーイが夢見たからだ。
こんな場末の小さな宿屋の娘が、王都の大きな舞台で唄を歌うなんて、夢のような話だ。
ニーナの唄は最高だ。
それを知っているトーイは有頂天になった。
伯爵夫人のような人にニーナの唄が認められたことも、トーイは自分のことのように嬉しかった。
ニーナは迷っていたが、最終的には、トーイの強い勧めで伯爵夫人とともに、王都に行った。
そして、すぐに有名になった。
トーイが失ったものは大きかったが、それはニーナの夢のためだ。ニーナの成功はトーイの夢だ。
ニーナが“王都の歌姫”とまで称されるようになり、成功した芸人として、王都で屋敷を構え、召し使いまで使うようになったと耳にしたときには、ニーナが遠くに去ってしまった気もしたが、やはり誇らしかった。
一方でニーナはトーイとは別の世界にいった人間だとも思い定めた。
だけど、ニーナは一度もそんなつもりはなかったのだ。
あれだけの有名な歌姫になりながらも、まだ、トーイのことを忘れてはいなかった。
どんなに忙しくても、必ず月に一日だけは、この宿屋にやってきて、昔のように唄を歌ってくれた。
月に一度の王都の歌姫の唄は、この宿屋の名物にもなった。
そして、昨夜……。
もう別の世界の人だと思っていたニーナの求めに応じたのは、トーイに衝撃を与えるような手紙を事前にもらっていたからだ。
手紙というよりは脅迫文だ。
もちろん、悪戯だと思っていたし、王都の歌姫が毎月足繁く通う小さな宿屋にいる歌姫の幼馴染だということで、それをやっかむような手紙はこれが初めてではない。
気にはしないつもりだったが、そこに書かれている内容には真実味があった。
そのこともあり、トーイはニーナの求めに応じた。
その手紙には、ニーナがあのドルニカという女伯爵の愛人であり、鞭で打たれたり、大勢の女客たちの前で淫具で犯されたりする「性奴隷」だと書いてあった。
そんなことは信じられるものでもないが、それらのことが本当に具体的で赤裸々に書かれてあり、それは衝撃的だった。
トーイは確かめたかった。
ニーナの裸身には、鞭の痕のようなものがあったりするのだろうか……?
手紙に描かれていたように、ニーナはすっかりと「調教」されて、女夫人なしではいられないような淫乱な身体になっているのだろうか……?
そして、ニーナを抱いた。
燭台の灯りでニーナの裸身をしっかりと確かめた。
ニーナの身体には、薄っすらとではあるが、無数の鞭の痕がある。
そして、六年前とはまるで違う身体だった。
とても、いやらしく……。
淫らで……。
色っぽかった……。
トーイは手紙に書かれている内容が真実だろうと確信した。
だったら、脅迫の内容も……。
翌朝、ニーナはトーイに求婚してきた。
唖然となった。
歌姫をやめて、この宿屋に戻るというのだ。
六年間、トーイとの婚約を解消したつもりは一度もないと……。
そして、驚くことに、ニーナは、自分からドルニカ夫人とのことを説明したことだ。
愛人であること──。
淫らな関係であること──。
それは、ドルニカ夫人が、ニーナの後継人となるにあたって出した条件であり、トーイの望む歌姫になるためには、受け入れなければならなかったそうだ。
でも、もう戻りたいと泣いた……。
そして、哀願した。
トーイは返事をしなかった。拒絶ではない。頭にあったのは、あの脅迫文のことだった。
「どうしたものか……」
トーイは、嘆息しながら立ちあがって、机からあの手紙を取り出した。
差出人の名はない。
だが、なんとなく女の字を思わせる。
長い手紙の大部分は、ニーナがどんな風に調教され、ドルニカ夫人やその女友達に嗜虐の性でいたぶられているかということの事細かい内容だ。
だが、最後に、もしもニーナを受け入れれば殺す──。誰かに漏らしても同じだと書かれていた。
歌姫ニーナの幼馴染として、やっかみ半分の同じような脅迫文の悪戯は初めてではなかったが、この脅迫は本物ではないかと考えた。
だから、ニーナに返事はできなかった。
もしも、トーイがニーナを受け入れれば、トーイだけではなく、ニーナの命まで危うくなる。
そして、今朝のこと……。
ニーナを抱いた翌朝すぐに、トーイは突然に飛んできた針に刺されて倒れた。
誰が、どこから狙ったのかまったくわからなかった。
偶然に居合わせたあの冒険者たちがいなければ、トーイは死んでいただろう。
ぞっとした──。
恐怖した。
恐れたのは自分のことではない。
それだけの力をもった暗殺者であれば、ニーナの命を奪うのも簡単だろうということを悟ったからだ。
トーイがニーナを受け入れれば、おそらくトーイとニーナは殺される……。
自分のことよりも、ニーナが死ぬということに、トーイは耐えられない。
その手紙には、トーイが誰かにこの脅迫のことを喋っても、ましてや、ニーナに告げても、トーイとニーナを殺すと書いてあった。
だから、トーイは意を決して、さっきはっきりとニーナを拒絶した。
王都に戻って、トーイのことを忘れろとも言った。
ニーナは、大好きだ。
妻にするのであれば、ニーナ以外の女性は考えられない。
でも……。
しかし、ニーナは頑なだった。
トーイの拒絶を受け入れず、この城郭に留まり続けるという。
外見は穏やかだが、芯は強くて、絶対に自分の心は曲げない。
それがニーナだ──。
ニーナは絶対に自分の言葉を翻さないだろう。
「どうしたらいいんだろう……」
トーイは脅迫文を握りしめたまま、途方に暮れてしまった。