【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
大騒ぎだった。
一郎は冒険者ギルドのデルタ支部から本部へ向かう道すがら、昨日の喧噪を思い返していた。
たった一日足らずで大ラットを二百匹以上も生け捕りにした──そんな前代未聞の成果に、支部は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。受付のテリオ婆さんなどは腰を抜かして座り込む始末だった。
支部にいた冒険者たちの羨望と賞賛の視線を浴びながら、一郎たちは報酬として銀貨四枚と銅貨二十四枚を受け取り、さらに今朝、正式にC(チャーリー)ランクへの昇任手続きのため、本部へ出向くよう命じられた。
いま、一郎はエリカとコゼを連れて王都の通りを歩いている。
デルタ支部は下町にある最下級ランク専用の拠点だ。
一方、チャーリー以上の冒険者とクエストを扱う本部は王都中心部の繁華街に構えられている。D(デルタ)ランクの冒険者は本部に足を踏み入れることさえ許されず、一郎たちにとっても初めての訪問となる。
支部に集まるデルタ・ランクの連中など、日雇い人足と大差ない。冒険者を名乗るにふさわしいのは、チャーリー以上からだ。
「とにかく、早くも冒険者として一歩前進ですね、ロウ様。七日で昇任だなんて、幸先がいいと思います」
エリカが笑みを浮かべる。
「そうだな。俺も満足しているよ」
一郎は答えながら、この王都に来てもう七日が過ぎたのかと、改めて思った。
「ところで、あれから七日だな……」
一郎は歩きながらぽつりとつぶやいた。
「ニーナさんのことですか?」
一郎の横を歩くコゼだ。
「ああ」
「……ニーナさんがあんな目に遭ってから、もう七日も放っておかれてるんですよ」
エリカは前を歩いている。あのときの口惜しさを隠そうともせず、腰の横の剣の柄を握りしめる。
七日前──。
一郎たちが王都に入る前に立ち寄った城郭マイムで、思いがけず歌姫ニーナとその幼馴染のトーイに関わることになった。
宿に滞在していた折、トーイが毒で襲われ、危うく命を落としかけたのだ。
とっさに救った縁から、一郎たちはニーナの依頼を受けることになった。
トーイを守り、背後の黒幕を暴くこと──。それが歌姫ニーナの依頼だった。
調べは容易だった。
犯人はニーナの後ろ楯であり、彼女を歌姫へと押し上げた女伯爵ドルニカ夫人──。
ニーナが「歌姫をやめてトーイのもとへ帰りたい」と訴えたことに業を煮やし、毒遣いの手下に命じてトーイを排除させたのだ。
毒遣いの女ブルドの正体も、一郎の魔眼が見抜いている。
本来なら、ここからが一郎たちの仕事だった。
だが依頼は唐突に打ち切られた。
ニーナ自身もトーイに別れを告げ、一郎たちに違約金を払って契約を取り消したのだ。
理由は想像して余りある。
ドルニカ夫人がマイムに現れ、王軍騎馬隊の護衛に守られた馬車でニーナを連れ去ったのである。
しかも、一郎の魔眼が垣間見た“ドラクス中毒”という不可解な言葉があった。
薬物か洗脳かわからないが、なにかしらの支配の証拠だ。
ニーナが無理やり屈服させられたことは疑いない。
だが、トーイはそれを認めようとせず、ニーナの夢と歌を信じるばかりだった。
苛立った一郎は、エリカとコゼを促して宿を去った。
それで終わり──。
依頼は正式に消え、関わる理由も失われた。
しかし王都に入ってから、一郎は気になってニーナの消息を探った。
わかったのはただひとつ。
彼女は戻ってから一度も歌っていない。姿も屋敷に現していない。
居場所は容易に推測できる。ドルニカ女伯爵の屋敷だ。
そこで、彼女はいまも調教という名の拷問に晒されているに違いない。
まず間違いない──。
「トーイさんは信じたままでした……。歌こそが夢だから、愛人になるくらいなら仕方ないって……。そんなのおかしいのに」
エリカは唇を噛んで顔を伏せる。
「でも、仕方ないわね。依頼も取り消されたし、トーイさんは“関わるな”の一点張り。ニーナさんにしたって、助けを求めはしなかった……。後味は悪いけど、忘れようよ」
コゼは少しばかり冷ややかに言い放つ。
「……確かに、俺たちが口を挟む理由は、もうないな……」
一郎は静かに結び、首を横に振った。
胸の奥に残る重苦しさを振り払うように、意識して別のことを考えようとした。
いつまでもニーナのことに囚われていては仕方がないか……。
「ところで……エリカ」
一郎は歩きながら口を開いた。
「はい?」
エリカが歩きながら返事をする。
「お前はこのハロンドールじゃなく、旧ローム帝国の公国で冒険者をしていたんだろう? そのときはどんなランクだったんだ? お前ほどでも、デルタから抜けるのに時間がかかったのか?」
「わたしはB (ブラボー)ランクのパーティに勧誘されて加わったんです。だから、最下層から昇格した経験はありません。それから、傭兵のようなこともして……。そして、あのアスカ様に拾われて……」
「なるほどな」
エリカほどの腕前なら、そういう上級パーティに誘われても不思議ではない。
そう考えると、この三人の中で本当にD(デルタ)ランクに相応しかったのは自分だけだろう。
エリカもコゼも、本来はもっと上の舞台で通用する実力を持っているのだと、一郎は改めて悟った。
しばらく歩き進んでいくと、いつのまにか通りは幅を増していた。
石畳は磨かれ、陽に白くきらめき、車輪の跡も浅くしか刻まれない。
また、見上げれば、両側に並ぶ建物は木造の煤けた軒から、白い石を積んだ端正な壁へと姿を変えていた。窓枠は黒鉄で縁取られ、窓ガラスが空の色を薄く映している。
「すごいわ……。大きな馬車が、三台も四台も並んで通れそう……」
通りや周りの建物にきょろきょろと視線を向けつつ、コゼが目を細めながら呟くのが聞こえた。
「中心に近づいたからね……。城に寄るほど道は広く造られているのよ。このハロンドール王国は初めてだけど、タリオ公国でもこんな感じだったわ」
エリカは振り返って言った。
「タリオ公国っていうのは、確か、ローム三公国のひとつだったっけ?」
一郎は、以前にエリカに教えてもらったことを思い出しながら訊ねた。
タリオ公国とは、かつてはローム帝国という古い国の一部だったが、いまは三個の公国に分かれている国のひとつのはずだ。
形式上には、まだローム皇帝がいるので、王ではなく大公を名乗っており、それで公国と呼ばれているそうだ。
エリカは、エルフ族の故郷であるナタル森林を出てからは、もともと、そのローム三公国を渡り歩いたらしい。
「よく覚えてられましたね。すごいです……。じゃあ、ローム三公国の国の名前、覚えてますか?」
エリカがくすりと笑った後に訊いていた。
「タリオ公国、カロリック公国……それと、デセオ公国だ。それと、名目だけの皇帝直轄地は、タリオ公国の一部だ」
一郎は思い出しながら答える。
前を行くエリカが小さく拍手した。
「完璧です。その通りです……。ちなみに、もともと、このハロンドール王国も、北方のエルニア王国も、ローム帝国が開拓した属国だったそうですよ」
「へえ、そうなんだな」
一郎の前の世界で喩えれば、アメリカがもともとは英国の植民地だったようなものなのだろう。
「あんた、物知りだったのね」
コゼが感心するように言った。
「ありがとう」
エリカが機嫌良く応じている。
進むにつれて変わっていくのは街並みや通りだけではない。人の流れもだ。
少し前までは散見できた、素足にぼろ布という姿や浮浪児は減り、上質な毛織の外套、光沢のある靴、品のよい帽子を被った人々が増える。
腰に帳面を下げた小官吏らしき男、香油の匂いをまとった商人、腕に籠を抱えた侍女なども見かけるようになった。
声も抑えめで、足取りはせわしない。
「なんだか、みんな姿勢がきれいね……」
コゼは小さく息をのみ、通りを横切る一団を目で追った。
横目で見ると、なんとなくだが、居心地が悪そうだ。
ハロンドール人だとはいえ、奴隷あがりのコゼは、こういう華やかな場所は初めてだろう。
落ち着かないのかもしれない。
「貴族街も近いそうだからね。でも、気にしないことよ。冒険者ギルドがあるから、わたしたちみたいな冒険者も珍しくはないわ」
エリカは穏やかに言い、前へ視線を戻した。
しばらくすると、子どもほどの背丈の影がすれ違った。だが、年老いたような刻みの深い顔、広い肩、短い腕に太い指。腰の道具袋が金属の音を立てる。
「いまの……子どもじゃ、ないな……」
一郎はちょっとだけ立ち止まり、振り返った。
「ドワフ族です。鍛冶や石工の名人だと聞きます。人間族やエルフ族に比べれば、小躯ですが、力は強いです」
エリカは短く答え、歩を進めた。
さらに、耳の先が尖った長身の男女が風を切るように歩いていく。髪は森の陰を思わせる色合いで、瞳は水面のように静かだ。
「……エルフ族か……。街エルフだったな……」
一郎は思いついたことをそのまま口にした。
以前に教えてもらったことだ。
エルフ族を含むこの大陸世界の人族発祥の地である「ナタル森林」において旧態依然に近い生活をするのが「森エルフ」。そして、エリカのように、森を出てほかの種族とともに、他国で暮らすのが「街エルフ」だ。
「はい。ハロンドール王国は移民の国ですから……。さすがにエルフ族の数は多くありませんが、王都には来るみたいです」
エリカは前を向いたまま、自分の細い耳の線を目でなぞった。
さらに、通りの反対側だが、毛並みを整えた数名の獣耳が、ひょいと人垣の向こうで揺れた。尾が衣の裾からちらりと覗く。
「もしかして、あれは、獣人族か?」
一郎は目を凝らし、通りの向こうを見た。
「ええ、さすがに、珍しいですね。でも、奴隷のようです」
エリカはそう言い、息を細く吐いた。
確かによく見れば、その数名の獣人族には、金属の首輪があり、主人らしい人間の足取りに合わせて無言で進んでいる。
「奴隷か……あれは」
一郎は言葉を切り、彼らを見る。
「奴隷も珍しくありません。三公国のひとつのカロリック公国には、獣人の自治区もありますが、大抵の獣人は、奴隷身分です」
エリカは目を伏せ、短く答えた。
「……奴隷は獣人だけじゃないけどね」
コゼが自分の首筋にそっと手を当て、視線を落とした。
しばらくすると、槍の穂先が朝の光を反射しながら近づいてきた。
金具の打ち鳴る律動、鎧の擦れる音。王兵の警邏隊が列をなして歩いていた。鎧は磨かれ、黒い羽根飾りが風に揺れる。
「兵が巡っているんだな」
一郎は通りの端へ寄り、列が過ぎるのを見送った。
「王軍兵ですね……。治安維持のために。下町ではあまり見ませんけど、ここでは常にいるそうです」
エリカは声を落とし、兵の背中が遠ざかるのを目で追った。
やがて、道は石造りの営門へと突き当たった。
厚い扉は両側に押し開かれ、詰所は静まり返っている。
門の上部には古い紋飾りの跡だけが残り、苔が薄く張りついていた。
「門なのに、誰もいないよ」
コゼが詰所の横を通り過ぎるときに言った。
一郎もそれを見上げ、石の継ぎ目に指で広さを測るような気持ちになる。
「むかしは、ここまでが王都ハロルドだったそうよ。移民が増えて、街が外壁まで広がったと聞いています」
エリカは門柱に軽く触れ、確かめるように言った。
その旧城壁を過ぎると、坂はゆるやかに上り、両側の建物の屋根が少しずつ低くなって、視界が開けてくる。
中心部は丘に囲まれているらしく、風が通り抜けると、遠くの鐘の金属音が澄んで聞こえた。
「……おう、もしかして、あれ……」
一郎は足を止め、遠景に釘付けになった。
白亜の城が、幾つもの尖塔を空に伸ばしてそびえているのが見えたのだ。
石肌は明るく、日の光を受けて淡く輝き、影は冷たく縁を引く。
「あれが、ハロンドール王国の王城──太陽宮だと思います」
「ほう」
一郎が頷く。
「……国王は……ルードルフ陛下……。でも、
エリカは声をひそめ、周囲へ気を配りながら言った。
「王太子はいないのよね」
コゼも王城を見上げ、そっと問いかけた。
「ええ……。だから、次は第三王女イザベラ殿下か、第一王女の婚家のキシダイン卿だと噂されているわね……。まあ、下町に噂程度のことだけど」
エリカは短く頷き、視線を移した。
「あの綺麗な色の塔はなんだ?」
一郎は訊ねた。
王城の手前に、三つの尖塔を持つ目立つ赤、青、黄色の建物が見える。
塔は針のように細く、先端に丸い飾りが乗り、各塔を結ぶ回廊が空中を渡っているようだ。
石の壁には浅い浮き彫りが続き、人物と鳥、星の模様が規則正しく反復していた。
「多分、三神殿です。大神クロノスと、その御許に仕える五人の女神を祀っています。王都の信仰の中心で、象徴みたいな場所ですね。ただ、総本山はここではなく、昔のローム帝国の帝都にある大神殿が健在です」
エリカは淡々と説明し、三色の塔を確かめるように目を細めた。
大通りはここで緩やかに折れ、脇へ伸びる通りに商家がぎっしりと詰まっていた。
ひさしの長い店々が軒を連ね、反物の色が布の海のように波打ち、香辛料の匂いが風に混ざる。
秤の皿が触れ合い、銅貨の音が木の台で軽く跳ねる。
「にぎやか……。お店がいっぱい」
コゼは目を輝かせ、果物の山の艶に見入った。
「ここが商家の区画だと思うわ」
エリカは微笑み、通りの突き当たりを指し示した。
すると、視線の先に、ひときわ人だかりを生む大きな建物が立っていた。
二階建てだが、正面の壁は三層分の高さがあり、上部に深い破風を載せている。
白灰色の切石は面取りされ、継ぎ目の目地は細く、雨樋は黒い金属でまっすぐに落ちていた。
正面のアーチは深くえぐられ、内側に向けて段が重なって、影を重ねている。
扉は濃い色の厚い木板で、金属の鋲が規則正しく打ち込まれ、取っ手は真鍮で獣の頭を模していた。
「……うわっ、大きい……」
コゼは溜息交じりに言った。
「冒険者ギルド本部ね──。紋章があるわ」
エリカは静かに言い、正面上部の金板を指さした。
「……なんの印だ」
一郎は眉を寄せ、打ち出しの跡が光を細かく弾く文様を見つめた。
剣の刃が下へ伸び、その根元に小さな皿がふたつ吊られ、左右には翼の線が広がっている。
「あれは見たことがあるわ。ドロボークの町にもあったもの」
コゼは少し背伸びをして、金板の角度を確かめるように眺めた。
「ギルドの紋章よ。各国の施政者から一定の自主裁量を認められている、その“証”でもあるの」
エリカが応じる。
「……剣と、秤と……翼か」
一郎は紋章を眼で追いながら言った。
「……剣は武を代行する力、秤は契約と均衡、翼は国境をまたいで任を果たす自由。──この三つを掲げることで、ギルドは“王法に従いつつ、自らの規律で動く”ことを許されているのです」
「だから、ここに掲げられているのか」
一郎は小さく息を吐き、金板の縁に刻まれた細い葉飾りを目で追った。
「はい。本部や上位支部だけに許される飾りですから……。デルタ支部には出せないのだと思います。あそこは雑役の受け皿で、裁量を行使する場ではないですから」
エリカは頷き、扉の重さと金具の位置を確かめるように視線を移した。
いずれにしても、冒険者ギルドは、この一帯のどの建物よりも大きくて立派だった。
冒険者ギルドの正面の石段には人影が絶えなかった。
磨かれた鎧に鎖帷子の縁を覗かせる大柄な男、革の胸当てに矢筒を背負った女、長杖を抱えた痩せた者、肩に布を巻いたドワフの職人風、薄い外套を翻すエルフの弓手。油と革の匂い、鉄の匂い、乾いた砂塵が、日の熱で少し甘く混ざり合っている。
おそらくだが、ギルドに属する冒険者たちなのだろう。
そのいくつかの視線が、こちらへ流れてくる。
胡散臭そうな眼だと一郎は思ったが、エリカもコゼも気にしてない。
一郎はふたりとともに、彼らのあいだを割って進む。
「さあ、入りましょう」
エリカは、石段の最上段に立ち、厚い扉の取っ手へ手を伸ばした。