※この作品はR-18です。

【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】   作:ドン・ドナシアン

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073 報われぬ恋の唄

「……とりあえず、ご苦労様。クエスト成功を認めるわ」

 

 ミランダが卓の上に金貨十三枚を並べた。

 一郎は、金貨を見つめながら、背もたれに深く身を沈める。

 

 冒険者ギルドの奥にある個室である。

 横並びのソファがテーブルを挟んで向かい合っており、奥の席にはミランダがひとり腰掛け、こちら側にはエリカ、一郎、コゼが並んでいた。

 

「ところで、手元で使う分は持っておきなさい。残りはギルド・ビルに預けるといいわ」

 

「ギルド・ビル……?」

 

 一郎とコゼが同時に首を傾げた。

 

「俗に言う両替商ね。魔道印の刻まれた『ビル』と呼ばれる手形を発行してくれるの。その手形があれば、ビルに魔道で記録されている金額を、どこの国でも受け取れる仕組みよ」

 

 ミランダは、さらに事務的に説明を続けてくれた。

 つまりは、一郎のもとの世界における「銀行」と「為替」のような仕組みらしい。

 

「でも、そのビルを盗まれれば同じじゃないの? それとも殺して奪うとか」

 

 コゼが口を挟む。

 

「いいえ。ビルは盗まれても無駄なの。信用ある者しか支払いはできない仕組みになっているわ。冒険者ギルドの場合は、ランク徽章と一緒に提示しなければならないから、たとえ奪われても持ち主以外には使えないわ」

 

「なるほど、旅には便利そうだ」

 

 一郎は頷いた。

 

「わたしは、ローム地方で冒険者をしていた頃には使ってました。『ビル』は偽造できない魔道印が刻まれてますし、徽章と照合されるから安全です。とりあえず、一枚残して預けましょうか」

 

 エリカが口を挟む。

 

「そうだな」

 

 一郎は、ミランダにそうしてくれるように頼んだ。

 ミランダがその場で魔道具の機械を持ってきて手続きをする。

 そして、金貨一枚と、「ビル」と言われる小さな薄い金属カードを渡した。全面に魔道紋があり、片面の隅の数字と文字が書いてある。

 一郎は、この世界の言葉の会話は問題ないが、文字は読めない。

 おそらく金貨十二枚を示す符号なのだろう。

 金貨もカードも、そのままエリカに渡す。

 

「それにしても……」

 

 ビル登録のための魔道機械を横に置いたミランダが、溜息まじりに顔を上げた。

 

「……まさか、あそこまで過激な手段を執るとは想像もしなかったわね」

 

「なんのことか、わかりませんが」

 

 一郎は肩を竦めた。

 

「そうなの?」

 

 ミランダは半分呆れているような笑みを顔に浮かべている。

 

「達成条件は、あの宿屋のトーイのもとに婚約者ニーナが戻ることでした。結果はその通りです」

 

「その手段が問題だと言っているのよ。貴族相手に、頭おかしいの?」

 

「……さ、さあ、なにかの誤解ではないですか?」

 

 エリカが横目で一郎を見た。

 だが、明らかに動揺していることを隠しきってない。エリカは素直なのはいいのだが、嘘が下手だ。

 改めて、一郎はそれがわかった。

 

「そうね。貴族様になんか手は出してませんよ。そんな証拠もないんでしょう?」

 

 コゼだ。

 エリカとは逆に、完全に無表情だ。

 だが、ちょっと言葉に棘がある。

 しかし、ミランダはわざとらしく肩を竦めた。

 その表情から察すると、特に問題にするつもりはないようだ。

 

「まあ、そういうことにしておきましょうか。それより──歌姫ニーナを屋敷に監禁していたドルニカ女伯爵のこと、聞いている?」

 

 ミランダは声を潜め、わざと皮肉げに唇を歪めた。

 

「ニーナさんを伯爵夫人が監禁? それは知らなかったですね。ああ、もちろん、伯爵夫人に俺たちがなにかをしたということはありません。とんでもないことですし」

 

 一郎はうそぶいた。

 

「……へえ……。じゃあ、伯爵邸に監禁されていたニーナをどうやって、連れ出したのかしら?」

 

「道を歩いているところを偶然会っただけですよ。歌姫を引退することが決まり、トーイさんのところに戻るというので、会わせました。実に簡単なクエストでした」

 

 一郎は言った。

 

「そんなことを信じると?」

 

 ミランダが顔をしかめる。

 

「ほんとよ」

 

 コゼが横からはっきりと言った。

 ミランダが大きく嘆息し、ひと呼吸してから口を開く。

 

「……ドルニカ伯爵は、先日、記憶をなくして幼児退行しているところを保護されたわ。話によると、夜に見知らぬ馬車から全裸で降ろされ、大勢の王都民の前で大便を漏らしたそうよ。まるで幼児のような喋りしかできなかったとかね。一日して退行だけは戻ったけれど、数年間の記憶をすっぽり失っていて、誰に何をされたのかまったく答えられないらしいわ。それに──なにかにすごく怯えているようだし、しばらくは療養だという噂ね」

 

「そうですか。お気の毒ですね。まあ、俺たちには関わりないですが」

 

 一郎は堂々と応じた。

 実際には、淫魔術でドルニカの記憶を消し去り、あの夜の王都広場に放り捨てている。

 その際、間違っても、消失させた記憶が復活することはないほど強く術式を刻み込んだ。

 

 また、ブルドについても同じだ。

 記憶を抜き取り、毒に関する知識まで削いだ。

 その結果、〈毒使い〉のジョブさえ失わせられたのだ。淫魔術は支配下の女の能力にまで干渉できる──その確かさを一郎は知った。

 とにかく、ふたりは記憶を失ったまま放逐され、一郎やニーナに再び関わることは決してないだろう。

 

「……はあ……。まあ、どうせ、ギルドじゃ、あなたたちをかばえないしね。間違って、伯爵夫人が記憶を思い出し、あんたらを訴えれば……そして、それに違法があれば、容赦なくギルドはあんたらを王軍に突き出すわ」

 

「そのときはどうぞ。まあ、その心配はないとだけ言っておきます」

 

 一郎は頷いた。

 

「なら、心配ないわね」

 

 ミランダが今度こそ、満面の笑みを浮かべた。

 

 


 

 

 素晴らしい唄だった。

 

 小さな宿屋の酒場に、ニーナの声が響き渡っている。

 ステファンは大勢の客で賑わう酒場の隅に腰を下ろし、その声にただ聞き惚れていた。

 

 やはり、彼女の唄はいい……。

 最高の芸術だ……。

 

 あの唄がなくならなくてよかった。

 ステファンは胸の奥から満足を覚えていた。

 

 やがて唄が終わり、場内に大きな拍手と歓声が湧き起こる。

 この宿屋の食堂の小さな舞台に立つニーナが微笑み、深く頭を下げる。

 

 ──ニーナがマイムに戻ってから、もう三箇月が経っていた。

 その間に彼女は、心も身体も驚くほど立ち直った。

 しかも今は、新しい命を宿していると聞く。

 柔らかな頬の色、落ち着いた笑顔、そのすべてが「母になる」兆しを宿していた。

 

 あれほど酷い拷問を受けたというのに……。

 いまではまるで何もなかったかのように、彼女は楽しげに唄っている。

 それを見届けたとき、ステファンの心はもう十分だと告げていた。

 

 ──これで安心できる。自分は旅立てる。

 

 トーイがやってきた。

 肉の料理とビールを載せた盆を持ち、ステファンの前に置く。

 

「頼んだ覚えはないけどね」

 

 ステファンは苦笑した。

 

「あんたから代金なんか取るものかい。それに、来てくれてありがとう。……今回の件では、あんたにも助けてもらったと聞いた。礼をしたいと思ってたんだが、ニーナを王都に近づけるわけにはいかないし、まだ一人にするのも怖くてな」

 

 トーイはそう言ってから、目を細めた。

 

「そういえば、あの冒険者たち──ロウさんや仲間の連中、いま随分と名を上げてるらしいな。王都でも、知らない者のいないくらいに有名になっている」

 

「……そうなんだな」

 

 トーイはちょっと懐かしむような顔になった。

 どうやら、すでにトーイにとっては、王都のことも昔の話のようになっているのだろう。

 おそらく、ニーナにとっても……。

 

「ところで、ニーナ様が元気そうで安心した。あんなことがあったのに……。やっぱり、ニーナ様はお前のもとに戻るべきだったんだろうな。王都では、あんな顔は一度も見せなかった」

 

 ステファンは言った。

 

「それが不思議でね……。ニーナはこの三箇月のことをよく覚えていないらしい。思い出そうとしても夢の中みたいに曖昧なんだ。覚えているのは、この宿屋の前で俺が毒針で倒れたときまで。ドルニカ夫人のことも、ほとんど忘れている……」

 

「そう……なのか?」

 

「うん……。でも、そのおかげで、こんなにも早く笑顔が戻った。俺は、それがなにより嬉しい」

 

 トーイの言葉に、ステファンは驚きながらも納得した。

 やはり、あの冒険者の力だ。不思議で頼もしい男だった。

 

「あら、ステファン、来てくれたのね──」

 

 屈託のない声が響いた。

 前掛け姿のニーナが現れる。板についた若女将のような所作。

 頬は柔らかく、瞳は澄み、そして腹部には新しい命がある。

 

「突然、王都の仕事をやめたりしてごめんなさい。あなたにも迷惑をかけたでしょう?」

 

「王都のことは心配いりません、ニーナ様。すべて片づけておきました。あなたが引退したことで問題になることは、もうなにもありません。ご安心ください」

 

「ゆっくりしていってくれるんでしょう? よければ店が終わるまで待っていて。トーイと三人で飲みましょう」

 

 ニーナはそこで、ふと笑ってお腹に手を当てた。まだ目立たない小さな膨らみだ。

 

「わたしは飲めないけど……お付き合いはするわ」

 

 ステファンは目を伏せ、小声で呟いた。

 

「……こいつの子ですよね?」

 

「まあ、なんてこというのよ」

 

 ニーナは顔を真っ赤にして、次の瞬間には堪えきれずに爆笑した。

 その様子に、トーイも呆れたように笑みを浮かべている。

 ステファンは、その態度を見て確信した。

 

 ──どうやら、あのときの子ではない……。

 ふたりにとっては冗談にしかならない問いだったのだ。

 胸の奥にわずかに残っていた重石が、すっと消えていくのを感じた。

 ステファンは首を横に振った。

 

「残念ですが、そうもいきません。別に宿を取ってあります。……これは別れの挨拶に来ただけなんです」

 

「別れ?」

 

 トーイが眉を寄せる。

 

「旅に出ることにしました。ニーナ様のことも一区切りついたし、いい機会です。もっと見聞を広めたいと思っていたので」

 

 本当は──ニーナを忘れるためだ。

 結局、自分は彼女に恋をしていた。

 ニーナの唄を、そしてその唄を歌うニーナ自身を……。

 

 だが、そのニーナはこれからトーイと生き、母となる。

 ならば、自分は旅に出て、すべてを心に封じるしかない。

 

「そんな……。水臭いわね。宿屋なんて引き払ってしまってよ。ここも宿屋なのよ。ここに泊まってよ、お義母さんに頼んで部屋を用意してもらうから」

 

 ニーナが声をあげ、トーイも同じように勧めてくれる。

 だが、ステファンは静かに首を振った。

 

「……だったら、お願いがある。それをかなえてくれたら、ひと晩ここに厄介になります」

 

「なに、ステファン。なんでも言って」

 

「あなたが最初に俺の前で歌った唄が聴きたいです……。報われない恋をする男の唄です」

 

 ステファンは微笑んだ。

 

「お安いご用よ。あなたのために、一生懸命に歌うわ」

 

 ニーナが前掛けを外し、その場で歌い始めた。

 すぐに、柔らかく、そして力強い旋律が、宿屋いっぱいに流れていった。

 

 

 

 

 

 第10話『新米冒険者と歌姫の幼馴染』終わり──

 第11話『男嫌いの女騎士』に続く──

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