【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
シャングリアは憤慨しながら洞窟を進んでいた。
洞窟の中に逃げ込んだ見張りの盗賊をすぐに見失ってしまったが、幸いにも道は横道のない一本道だ。
このまま進めば、やがて必ず追いつく。
そこには残りの盗賊どももいるはずだ。
見つけ次第、一網打尽にして捕えるか、殺すかする──ただそれだけの仕事だった。
さらに幸いだったのは、洞窟の壁が奇妙な光を放っていることだった。
本来なら、燭台を持つ役はロウに任せていたので、シャングリアはなにも持ってはいない。
もし岩壁が光らなければ、たちまち闇に閉ざされていたに違いない。
……それにしても。
シャングリアはいま、この期に及んで臆病風を吹かせ、洞窟に入るのを躊躇ったロウに怒っていた。
やっぱり所詮は冒険者。あてになるものではない──そう改めて思い知らされた。
腹が立っていた。
煮え返っている。
許せない……そう思った。
だが、すぐに打ち消した。
違う……。
許せないのはロウではない。
あれは単なる冒険者だ。冒険者などあてにはならぬと最初から思っていたし、もともと大伯父が持ち込んだこの任務は、ひとりでやるつもりだった。
許せないのは──シャングリア自身だ。
洞窟の入口で、ロウが襲撃をやめると決めたとき、シャングリアは失望した。がっかりしたのだ。
冒険者など頼らないと決めていたくせに、冒険者のロウが突入を断念したことに、なぜか心が揺らいだ。
いつの間にか、ロウに肩を並べて戦ってほしいと望んでいた。
──そのことが許せなかった。
……自分はまだ弱い。少しも成長していない……。
十二の頃──。
モーリア伯爵であった父が不慮の事故で急死した。
母はすでに亡くしており、伯爵位を継げるのは、ひとり娘の自分しかいなかった。
父も女の身であろうと武芸を仕込み、領地を託すつもりでいた。
だが父は根回しをする前に逝き、男子しか認めぬ一族の声に押し切られてしまった。
結局、遠縁のユンゲル男爵がモーリア伯爵を継ぎ、父が守った領地も屋敷も領民も、シャングリアの手のひらから零れ落ちた。
伯爵位を継げなかったことそのものは構わない。女伯爵になりたいと思ったわけではない。
だが──父の期待に応じられなかったことは、口惜しかった。
もし自分が男であれば、成人していなくとも後継者に認められていただろう。
いや、女であっても、一族を黙らせるほどの強さがあれば、認めざるを得なかったかもしれない。
だが、あのときの自分には力がなかった。だから一族は受け入れず、父の願いは潰えたのだ。
十五で成人を迎えると、シャングリアは家を出た。
そして、強くなろうと決めた。
あのとき、シャングリアが持っているべきだったのは、一族すら黙らせるだけの圧倒的な強さだった。父の願いを受け継ぐには間に合わなかったが、それを騎士になることで手に入れようとした。
男と同じ強さでは足りない。
女であるシャングリアだからこそ、どの男よりも強くならねばならなかった。
そうであれば、父の遺したすべてを失わずに済んだはずなのに……。
──だから、いまも許せなかった。
強くあるはずなのに、ロウが突入をやめたことに失望してしまった。
誰かに頼ろうとしてしまった。
それは、自分がまだ努力の途上にあり、心が弱いままなのだという証拠だった。
ロウ……。
とにかく、これまで会ったことのない男だということだけは認めざるを得なかった。
強くはない。
おそらく、シャングリアが接してきた男たちの中でも弱い方に入る。
だが、不思議と弱さを感じさせなかった。空威張りでも、はったりでもない。そういう虚勢なら、シャングリアにはすぐに見抜ける。
シャングリアの前で、わざと気取った態度を取る者、へりくだる者、怒鳴って優位に立とうとする者──どれも散々見てきた。
自分の短気な性格に耐えきれず、呆れて去ったり、苛立って声を荒げたり、あるいは完全に無視するのが常だった。
だが、ロウは違った。
弱いくせに、いつも毅然としていて、堂々としている。
シャングリアの感情的な言葉も、柳が風を受け流すように受け止め、しかも気がつけば、彼の思うままにシャングリアは動かされている。
そんな男はいなかった。
気づけば、ロウに頼もしさのようなものを感じていた。
信頼──。そう呼んでいいのかもしれない。
そんな感情は生まれて初めてだった。
そして、一昨日の夜。
馬車の外で、突然にコゼとエリカを抱き始めたロウは、それまでのどの姿とも違っていた。
とても、怖くて。
とても、頼もしくて。
淫らで……。
鬼畜で……。
胸がどきどきした。
生まれて初めて、男として誰かを意識した──。
その相手がロウだったのだ。
だからこそ、襲撃をやめると決断した瞬間、大いに失望した。
ひとりでも十分に盗賊退治ができると信じていた。ロウたちの助けなど関係ない。もともと協力など期待していなかったはずだ。
それなのに……。
ロウが共に戦ってくれないとわかったとき、どうしようもなくがっかりした。
すぐに理由がわかった。
ロウを男として惹かれ始めていたからだ。
それを悟った瞬間、シャングリアは自分自身の感情に腹が煮え返った。
シャングリアはかなり長い洞窟を進み続けた。
どのくらい歩いただろうか……。ようやく、先に人の気配を感じ取る。
剣の柄を改めて力強く握りしめた。
いた……。
五人……。
洞窟が大きく広がった場所に、五人の盗賊らしき男たちがいた。
全員が武器を持ち、だがその刃を構える気配はない。
怯えた表情でシャングリアの方を凝視している。
「……お前らがこの山に半年ほど巣食っていた盗賊たちだな? 大人しく投降すれば、王都でちゃんと裁きを受けさせてやる。だが、抵抗するなら皆殺しだ──。好きな方を選べ──」
五人に声が届く距離まで進み出て、そう告げた。
だが盗賊たちは一向に動かない。
──おかしい。
抵抗の気配がない。
シャングリアは彼らから、まったく殺気も闘志も感じ取れなかった。
あるのは怯え……。
だが、こちらの剣に怯えているわけではない。
もっと別の……、得体の知れぬなにかに、全身をすくませているような恐怖……。
そのときだった。
「ふふふ……よく来たな、シャングリア──。俺のことを覚えているか……?」
五人の背後から、低く湿った笑い声が洞窟に響きわたった。岩壁がわずかに振動するほどの大声。
五人の顔がさらに強張る。恐怖の理由は、この声の主。シャングリアは直感した。
「誰だ──?」
思わず大声をあげる。
声は岩肌に反響し、余計に不気味に響いた。
「俺だよ、オーヌだよ……。久しぶりだな……」
五人の盗賊たちが左右に割れた。
そこに現れたのは、小太りの小柄な男だ。灰色のケープを全身にまとい、その奥の姿を覆い隠していた。
シャングリアは訝しんだ。
眼の前の男には、確かにどこかで会ったような気がする。
だが、同時にこんな男に会った覚えは断じてない、とも言い切れた。
薄気味悪い。まとわりつくような不気味さを全身にまとっている。もし以前に出会っていたなら、忘れるはずがない。
「わからないか……? お前が手酷く振った男は大勢いるからな……。いちいち覚えていないか……。あるいは、俺が変わりすぎたのかな──。なにしろ、お前に復讐するために、俺は俺自身の身体に魔族の源を憑依させたのだからな……」
小男が名乗った。
オーヌ……。
「ああ、お前か……」
シャングリアの脳裏に記憶が蘇る。
半年ほど前、しつこく言い寄ってきた魔道遣いだ。
練兵場で叩きのめし、最後には顔を踏みつけて追い払った。
……だが、いま目の前にいるのは、あの時のただの男ではなかった。
どす黒いものに変質している。だからすぐに思い出せなかったのだ。
そのとき、天井と壁を照らしていた光が、不自然に波打った。
「なに?」
視界が歪んだかと思った瞬間、足首を冷たいものに掴まれた。
粘り気のある液体がいつの間にか両脚を浸し、石床と一体化するように固定している。
「うわっ……な、なんだ、これ?」
剣を突き立てる。
だが──遅かった。
刃が沈んだ瞬間、粘体は逆に金属を伝い、柄から腕へ、粘つく冷気が一気に這い上がってきた。
「きゃあああ──」
剣もろとも右腕が包まれる。
粘体がずるずると這い上がりながら、ぐちゅ、ぐちゅと湿った音を立てた。冷たさとぬめりが皮膚の隙間に入り込み、爪と肉の間をこじ開けて染み込んでくるような感覚に、思わず絶叫したくなった。
耳元で骨が軋むような音が混じり、まるで自分の身体そのものを噛み砕かれているようだった。
音が洞窟に反響し、心臓の鼓動と一緒に全身を責め立てる。
腕だけではない。
両脚からも粘体が這い上がり、肉を圧し潰すような重みと、皮膚を舐めるような冷たさを伴って胴へとせりあがっていく。
「な、なに──。なんだ──。こ、これはお前の仕業か──? やめろ……やめろおお──」
薄膜のような粘液に覆われた腕が、ぼやけて見える。
透けた中で指が震えるたび、形がぐずりと崩れていくように見えて、恐怖に胸が締めつけられた。
自分の身体が溶け落ちる様子を、自分の目で見せられているのだ。
腰から下はすでにすべて包まれた。
衣服も装具も溶かし尽くされ、素肌に直接まとわりつく。
冷たさとぬめりが神経を侵し、吐き気を催すほどの嫌悪感を残す。
しかも、その動きには意思の影もなく、ただ機械的に「取り込む」ことだけを目的にしていた。
「へええ、シャングリアのような男勝りの女も、そんな女のような悲鳴をあげるんだね……。俺の身体に瘴気溜まりを憑依させてまで、お前に復讐しようとした甲斐があったよ……」
オーヌの笑いが洞窟に反響した。
だが、ウーズは、ただ溶かしていく。
苦しむ獲物を愉しむ様子もなく、ただ無感情に取り込み、同化させるだけ。
意思のない大地の災厄のように淡々と侵食を続けていた。
金属も革も肉も、すべてを等しく餌とみなし、じわじわと身体を侵食していく。燃やしても切っても砕いても止まらない。
「こ、これはなんだ……? なんなんだ、これは──?」
叫んだ声すら、口の中に入り込んだ冷たい粘体に吸い取られていく。
喉の奥をずるりと這い、内側から食道を擦りながら胸へと侵入してくる感覚に、吐き気が込み上げた。
皮膚の下を流れる血の脈動に合わせて、ぬるり、ぬるりと粘体が吸いつき、まるで肉そのものを裏返されているようだった。
足の感覚はすでにない。
骨のきしみまでが吸われ、体そのものが溶かされていくようだった。
冷たいのに灼けるような、甘ったるい腐臭が鼻腔に押し込まれ、思考が白くかき消されていく。
これは生き物だ──。しかも、ただの生物ではない。
「それはウーズだよ、シャングリア──。粘性体型の不定形魔獣さ……。知性はほとんどないが、あらゆるものを飲み込み、溶かし、成長を続ける。刃で裂こうが、潰そうが無意味だ。ただしつこく、しつこく、捕らえたものを同化させるだけだ」
オーヌの声が洞窟全体にこだました。
次の瞬間、視界は闇に呑まれ、全身が冷たいものに押し潰された。
冷たいものが耳の奥へと流れ込む。音が途切れる。
光が消える。闇が閉ざす。
最後に残った皮膚の感覚すら、ぬるりと裏返されるように奪われていく──。
そして、シャングリアは全てを失った。
シャングリアを追って洞窟に入った。
「シャングリア──。戻って来い──。すぐにだ──」
一郎は怒鳴った。だが返事はなく、すでにその姿は見えない。
奥は分岐のない一本道に見える。急ぎ足で追えばすぐに追いつけるはずだった。
「ご主人様、岩が光ってます……」
先頭を進んでいたコゼが、ふいに立ち止まった。
まだ洞窟に入って間もない場所だ。背後には入口の光が小さく残っている。
「どうかしたの、コゼ?」
不審げに声をかけたのはエリカだった。
「なんで岩が光ってるのかと思って……。これ、光苔じゃない……。ぬるぬるしてる……。初めて見たわ……」
「ぬるぬる……?」
一郎は燭台を掲げ、壁に近づけた。魔道の火が揺れもせず、淡い光が岩を照らす。
次の瞬間、壁が波打った。
岩壁に張りついていた透明な粘性のものが、一斉に散ったのだ。
「な、なに?」
「なんだ──?」
一郎とコゼが同時に声をあげた。
「きゃあああ──」
コゼの悲鳴──。
見ると、彼女の腕が短剣ごと壁から伸びた粘体に掴まれている。
刃はみるみる泡立ち、崩れ落ちて消えた。
溶けたのだ。
粘体はそのままコゼの腕を飲み込み、胴へと這い上がっていく。
「ご主人様、エリカ──。逃げて──。これは生きている……。苔なんかじゃない……。洞窟の壁じゅうに張りついた、不定形の生物です」
「ウーズ……よ。魔界の粘性生物だわ──。ロウ様、下がって──」
エリカが叫び、杖から光線を放った。
だが、苦しんだのはコゼだった。捕らえられた腕が焼けたように痙攣し、コゼがうめき声をあげる。
「効かない……。魔道も効かない──」
エリカの声が悲鳴に変わった。
「エリカ……ご主人様を連れて逃げなさい──。あたしはいいから──」
コゼが叫び、もう片手の短剣を自分の右腕に向けて振り上げる。
一郎は悟った。自ら腕を斬ってでも逃げるつもりだと。
昨日耳にした盗賊の話──腕を失って逃亡した男。こいつも同じようにして生き延びたのか。
「待て、早まるな──」
一郎は燭台を床に置き、剣を抜いた。
コゼを包んでいる部分を切り離そうとしたのだ。
「駄目です、ご主人様──。逃げて──」
コゼの絶叫を無視して、一郎は必撃の剣を振り下ろした。
その瞬間、視界の端に青いもやが揺れた気がした。なにを意味するのかはわからない。だが剣は振り抜かれた。
──手応えがない。
次の瞬間、冷たいぬめりが刃を伝って一気に這い上がり、手首ごと捕らえられた。
「うっ……」
心臓の鼓動に合わせて、粘体が脈打って腕に絡みつく。血を吸われているようだ。皮膚の下の血管まで冷たさが侵入し、筋肉が凍りつく。
「ああ、ロウ様──」
エリカの悲鳴が轟く。
飛び込もうとした彼女の頭上にも、巨大な粘体が落下した。
瞬く間にエリカの身体を覆い、全身をすっぽりと飲み込む。
「エリカ──」
一郎は叫んだ。だが、その声もすぐに掻き消された。
「あ……だめ……っ」
コゼの声が遠くから聞こえる。
すでに両腕を奪われ、胴も脚も覆われている。抵抗は無意味だった。
じゅくじゅくと音を立てて衣服や装具が崩れ落ちる。溶かされていく。
粘膜越しに見えるのは、透明の囚獄に浮かぶ裸身──。
エリカも、コゼも……。
そして一郎自身も。首から下はすでに捕らわれ、装備も衣服もすべて崩れていった。
「……くっ」
冷たさとぬめりが肌に直に吸いつき、骨のきしみすら内側から奪っていく。
羞恥よりも、生理的な嫌悪が勝った。
皮膚を裏返されるような錯覚に吐き気がこみ上げる。
そのとき──。
「これは魔剣のようだな……。溶かすには惜しい。もらっておくか……。ところで、お前たちはシャングリアの連れか?」
洞窟全体に声が響いた。
一郎は目を見開いた。魔眼を使う──。
だが、そこにはなにも映らない。
気配も、ステータスも、空白。魔眼が通じない……?
つまり、この声の主はここにはいない。
だが、確かにこの場を支配している。ウーズを操っているのは、間違いなくこの男だ。
「誰だ──。お前は……」
一郎は叫んだ。粘体に声を吸われ、途切れ途切れになりながら。
「俺はオーヌだ。シャングリアに恨みを持つ者……。ここであいつを待ち受けていたのだ。ところで──お前たちはなんだ」
オーヌと名乗った声が嘲る。
「俺はロウ……。シャングリアの仲間だ──」
必死に叫んだ。
「仲間……? あの性格の悪い女を受け入れる者が、この世に存在するとはな……。だが、それなら都合がいい。お前たちには、あいつを俺のものにするための道具になってもらう……」
笑い声が響いた瞬間、一郎の顔全体も粘体に覆われた。
冷たさが鼻孔を満たし、喉に流れ込む。声も、息も、光も、すべてが呑み込まれていった。