しがない強面中堅冒険者、新進気鋭の美女パーティの全員に「私のことは好きにしていいから仲間だけは助けてください」と体を差し出された。 作:ユリイカ
トラガの森はその植生の豊かさも特色の一つである。豊富な水源と肥沃な土壌が独特の生態系を形作り、中にはここにしか根付かないという希少な植物も多い。
「み、見つけたのじゃ!」
夜も更け、暗闇が広がる森の中を駆けずり回ったパテマは、その末に目当てのものを見つけた。根本から腐り、倒れた古木から生える真っ赤なキノコ。非常に珍しい種類のもので、これを煎じて飲めば毒を消し去ることができるという。
彼女は昼間の探索の中で、このキノコの存在を知っていた。
「これがあれば、シエラたちも助けられるはずじゃ」
極悪卑劣な男の策略によって媚薬を盛られた三人は、明らかに精神に異常をきたしている。その毒が全身に回る前に、少しでも早く薬を飲ませなければならない。
パテマは自分の幼児体型に初めて感謝した。人間族にとって性的な興味を抱かせない平坦な体のおかげで、バルクの注意を免れた。彼は自分に薬学の心得があるとは知らなかったのだろう。そうでなければ、いの一番に動きを封じているはずだ。
「よし。あとは――」
真っ赤なキノコをもぎ取り立ち上がったパテマははたと気付く。自分がいったいどこからやって来たのか、キャンプ地へと戻る道はどこなのか、分からないのだ。キノコを探すことに夢中で、ここまでの道を全く覚えていない。
ごくり、と生唾を飲み込む。魔法使いらしく光球の魔法を杖の先に宿らせて視界を確保しているが、昼間と比べれば視界は劣悪の一言だ。ただでさえ木々が周囲を取り囲み、先は見通せない。
「これはマズいかもしれぬのう」
冷や汗がパテマの背中を伝う。大声で仲間に知らせる? 否、それがキャンプ地にまで聞こえる可能性は低い。それ以前に、森の中に潜む魔獣を刺激しかねない。
彼女は、バルクから注意されていたことを思い出す。トラガの森は昼夜でその表情をがらりと変える。昼間は物陰で眠っていた凶暴な魔獣たちが起き出し、闊歩するのだと。
――がさり。
「ひっ!?」
背後の茂みから物音がして、パテマは悲鳴をあげる。仲間たちが助けに来たのかもしれない。儚い希望に一縷の望みをかけて、恐る恐る振り返る。
「グルルルルッ」
「ひぎゃああっ!?」
茂みの奥から現れたのは、ずんぐりとした四足獣だった。牙を剥き出しにして、パテマを睨みつけている。鋭い爪がキノコの生えていた倒木を粉砕する。
「ひ、ひぃ……」
見たことのない魔獣。おそらくその俊敏性はパテマのそれを上回る。逃げられない。助けを呼ぶ暇もない。圧倒的な窮地。絶体絶命の危機。
聡明すぎたパテマは、瞬時に状況を理解してしまった。故に、ここに希望がないことも。膝が震え、足元から崩れ落ちる。腰が抜けていた。しょわぁ、と股間が生温く濡れる。杖を持つ手にすら力が入らず、ぬかるみの上に落とす。光球の魔法が崩れ、闇が彼女を包み込んだ。
「ガァアアアアッ!」
光が消えた瞬間、魔獣が咆哮を上げて飛び掛かる。もはや、パテマは抵抗することすらできない。ただ、自らが喰われる未来を甘んじて受け入れる他ない。
「うぉおおおあああああっ!」
その時だった。
パテマの後方から、低く響く勇猛な声が上がった。それは力強い足音と共に近づき、そして彼女を飛び越える。直後、激しい衝突音が闇の中で響いた。
「パテマ、明かりをつけろ!」
野太い男の声。パテマは咄嗟に杖を拾い、魔力を込めた言葉を紡ぐ。
「ひ、“光よ、我らを導け”!」
杖の先端に光が灯る。周囲の闇が払われる。
前方に現れたのは――熊のような巨漢だった。
「バルク!?」
「話は後だ。攻撃魔法の準備を!」
バルクは鎧も着けていない軽装だ。ただ愛用の戦斧だけを手にして駆けつけた。彼が横に構えた斧の長い柄が、魔獣の凶悪な爪を阻んでいた。己と同等の体格を誇る魔獣と真っ向から力で勝負し、拮抗する。あまりにも非常識な光景だ。
しかし、そこに驚いている暇はない。パテマは杖を握りしめ、バルクに言われた通り攻撃魔法を編み始める。
魔法とは、魔力の糸を用いて術式という布を織る行為に例えられる。網目が緻密で整っているほど、魔法の強度も上がり、威力も高まる。しかし、冷静に丁寧に編み進めなければ、どこかで破綻したり、不安定なものに仕上がったりしてしまう。
優秀な魔法使いとは、切迫した状況でも素早く正確に、かつ丁寧に魔力を紡ぐことのできる者のことを指す。そして。
「――“灼熱の炎槍よ、我が敵を貫き、その肉を焼け。癒えることなき傷と、忘れることなき苦痛を刻め”!」
パテマは優秀な魔法使いであった。
放たれるのは
絶叫が響き、魔獣が吹き飛ぶ。
「よくやった!」
渾身の魔力を注ぎ込んだ一撃。にも関わらず、魔獣を怯ませただけだった。強靭な剛毛の一本一本に魔力が浸透しているのか、彼女の魔法でさえ魔獣に傷を与えることはできなかった。
しかし、バルクはパテマに賞賛の声を送る。十分な働きを見せてくれたと。
光球が照らすなか、バルクが動いた。その巨体に似合わない、驚くほど機敏な動きだった。
「せぁあああっ!」
野太い雄叫びと共に繰り出される戦斧の一撃。それはパテマの
魔獣の叫び声が森に響く。先ほどとは迫力が違う。真に苦痛を受けた時の声だ。しかし、バルクは容赦なく追撃を繰り出す。
「ふんっ!」
よく研がれた斧の刃が魔獣の顔を撫でる。鮮血が吹き出し、周囲に飛び散った。バルクは顔面に返り血を受けながらも、臆することなく攻勢を畳み掛ける。だが、向こうも野生の意地を見せ、片腕となった前脚で迫る。その爪が、今度はバルクの肩を裂いた。
「バルク!」
「心配するな!」
思わず悲鳴をあげるパテマ。バルクは動じない。傷など受けていないかのように平然と、さらに魔獣へと近づく。狙うはその首。
「これで、終わりだ!」
丸太のような両腕から発揮される強大な力。そこに総金属製の大斧の規格外な重量も加わり、必殺の一撃と化す。繰り出された斧は、断頭の処刑具と称するに十分なほどの殺意を孕んでいた。
太い首の骨も問答無用で叩き折る。あまりにも力づくの戦いだ。しかし、それを遂行できるだけの力を、男は持っていた。
断末魔が途切れ、魔獣の大きな頭が地面に転がる。周囲に血の匂いが立ちこめ、静寂が戦いの終了を告げていた。
「バルク……お主……」
「大丈夫か、パテマ。怪我はしてないな?」
血みどろのまま振り返るバルクの元へ、パテマは震えながら駆け寄る。肩をざっくりと裂く、大きな傷があった。自分がキャンプ地を飛び出さなければ、できなかった傷だ。
「こっちのことは気にするな。この程度、傷のうちにも入らん」
「しかし、それでは……。ま、待っておれ、今薬を作るのじゃ!」
気が動転しているパテマは、なんとか対処しようと動き出す。荷物の中から拾い集めていた薬草を取り出し、石の上で擦り潰す。その時、懐から先ほど拾った赤いキノコが転がり出た。
「パテマ、それは――」
「こ、これも食べるのじゃ! 滋養強壮に良く効くのじゃ」
「ちょっ、待て。それは――もががっ!?」
いくつかの薬草と赤キノコ。それらをまとめて、バルクの口に押し込む。その直前に彼が何か叫んでいた気がするが、気にしている余裕はなかった。
急拵えとはいえ、薬草の効力は本物だ。味こそこの世のものではないと言われる凶悪さだが、すぐに効果は現れる。
「ぐっ、うっ。逃げろ、パテマ……」
「なぬっ!?」
苦しげに呻くバルク。言葉とは裏腹に、彼は大きな両手で、パテマの華奢な肩をがっちりと掴み、引き寄せる。その顔は紅潮し、吐息も荒い。何より、目の焦点が合っていない。
パテマが見つけた赤いキノコ。ある植物図鑑には“カブトワリタケ”と名前を記載される、希少なキノコである。その鮮やかな赤い見た目は有毒とも思われていたが、実際のところは無毒。ただし、人体に強い影響を与える効果はある。
その昔、勇猛な戦士の一族が、戦いの前にこのキノコを食していたという。小匙に乗る程度を取り込んだだけで全身から力強い生命力が溢れ出し、多少の毒ならば容易く無効化し、傷の痛みや疲弊さえ忘れる。理性という拘束から解き放たれ、ただ破壊衝動に突き動かされる獣と化すのだ。人の力では到底成し得ない、兜を破るほどの膂力を得られる秘薬として重用されていた。故にその名がついたという。
「うぐぅ、ぐううっ!」
「ひっ、ひいっ!?」
ほんの一欠片食べるだけで、激甚な生命力の爆発を引き起こすキノコ。それを丸々一本押し込まれた男の忍耐は、もはや限界だった。目の前に可憐な少女がいる。戦いの直後で昂った精神も、彼を動かす一助となった。彼女を得たい。
逃げてくれ。そう願う理性が、本能に塗り隠される。