結局、友達を作るのに大切なのはどれだけ多くの話題を保有しているかどうかで、俺にとってはそれが一番の問題だった。
「ね、昨日のドッキリ特番見た?」
「見た見た!あの逆落とし穴、どうにかして再現できねーかなー」
朝のHRで先生が来るその数分前。
教室に着くなりスマホを弄ることしか出来ない俺を尻目に、おそらくバラエティ番組の感想会が開かれている。高校一年の7月、部活をやっていればそこそこ仲は深まって、足の速い奴は彼女もいたりするだろう。
俺はその手の話題についていけなかった。部活は帰宅部、趣味は読書というなの漫画、成績も4~50点。典型的な無キャだ。
教室で一番左端、窓側の席であるのを良いことにソシャゲをやりながら画面を見られないよう窓を背にする。電車では出来ないタイプのエロ方面なやつ。男として生まれた以上、エロだけは趣味とかそういった次元を越えて誰とも語り合える話題ではあるものの、放課後の帰り道ならまだしも朝のHRからそんな話題しか言えないんじゃ長続きしない。
結局、どこの輪にも交じることは出来ずに俺は完全に孤立。
挫折した人間が次にどうするかというと、何とかして言い訳を作る。
「要はトランポリンの真上に穴を作ればいいんでしょ?」
「いやムリだろ。そんなんより裏山の池に落とした方が早くね?」
感想会で盛り上がる陽キャグループの席の真後ろには一人の女子がいる。
名字は杉浦さん。でも名前は知らない。
本人にバレたら名誉毀損で訴えられてしまうだろうから絶対に言えないが、心の中では勝手にシンパシーを感じていた。杉浦さんも本をいつも読んでいてあまり積極的なタイプに見えず、友達が少なそうだから。
見た目は年下と言われて通じそうな感じで、とにかく身体全体のラインが、腕も足も細い。髪は少し長めに伸ばしていて、セーラー服のリボンの結び目あたりに引っかかるくらい。総じて暗い印象だ。
ふと、陽キャ集団の盛り上がりがヒートアップしたのか、椅子と杉浦さんの机とがぶつかって音が鳴った。
「あ、わりぃ」
「・・・・・・・・・(コクッ)」
男子の素っ気ない謝罪に軽く会釈をして、杉浦さんはまた本に目を戻す。
俺もあんなもんだ。そう思うとますます親しみが湧いてくる。
この「イケそう」って感情はきっと、「ヤレそう」と同じだ。
結論から言うと、この勘違いが功を奏して俺は杉浦さんと仲良くなる。
友達がいないが故の、サウナみたいに籠もった熱が漏れ出て衝動に身を任せ、帰り道に一人になったのを狙ってーーといった話じゃない。
俺は勘違いしていた。杉浦さんという人を。
もっと言えば、その根本の部分。
趣味という次元を越えた「エロ」の会話は、女子にだって通じるものは通じると。
時刻は4限目終わりの昼休み、今日も相変わらず一人教室の隅で弁当を食べ終わった時のこと。他のクラスメイトは五限目の体育に備え、すっかり体操着に着替えていた。
俺はというと時間をずらす為にあえて着替えずボーッとしてたのだが、流石にこのままではいけない。
(面倒くさいなあ・・・・・・)
体育は嫌いだ。事前に何をするか知らされないのもストレスだし、種目によっては負傷のリスクさえ付き纏う。体育の時間によってポジティブな感情になれた事が無いから、嫌な面ばかり思いついて止まらなかった。
ましてや昼飯の後に体育なぞ。仮にドッジボールが選ばれ、鳩尾に当たって中身を吐き出しでもしたら、虐められるに決まっている。
体操着を取り出し、俺はそそくさと教室を出る。
右に曲がり、そのまま真っ直ぐ廊下の突き当たりまで行けば、男子トイレと男子更衣室がある場所に着く。
廊下に人は少ない。換気のために窓を開け放しているのが最たる理由だが、どうせベランダでは炎天下をものともせず雑誌を持ち込んで読んでいたり、ゲーム機を持ってきたりと、秘密の会合が行われているだろう。
一方でわざわざ教室内ではなく、廊下側で二人組がコソコソと話をしていたりもする。夏真っ盛りで冷房の恩恵に預かりたいだろうに、それをしないという事は嫌な話をしているという証明だ。
俺は全く耳に入らないように早歩きでその二人組の前を横切る。どうせ登場人物の名前を聞いても分からないだろうけど。
夏の季語だという蝉は全く姿を見せないが、壁に背を預けて内緒話をしているその様はまさに蝉のようだ。勿論俺はそれより酷い蝉の死骸だ。
やがて突き当たりに差し掛かり、男子トイレと隣り合う男子更衣室が見えてきた。どちらも分かりやすく青色に塗られた扉になっていて、そのドアノブに手をかける。
校舎自体が70年以上前と古い学校なのもあってか、扉はかなりガタがきていてちょっとキツめに押していかないといけない。
ズッ、ズッ、と扉が木枠にひっかかりながら。
「・・・・・・・・・っ」
小さな声が聞こえた。誰かいるんだろう、でも角っこを使わせてくれればそれで十分だ。俯きながらドアを開き、中へと足を踏み入れると。
「ーーは?」
更衣室の中には、一人の先客がいた。
脱ぎ捨てたセーラー服、足元に水溜まりのように広がったスカート、そしてーー。
薄水色の、スポーツブラ。
脳内が急速に回転、いや、逆流し始めた。
俺は確かに、男子更衣室に、男子トイレの隣に行った筈だ。女子更衣室と女子トイレは赤い扉で分かりやすく色分けされている筈だ。
なんで女子がここにいる?俺は慌てて顔を伏せた。それでも身体が動くのにまだ時間が掛かった。夏の暑さにやられたみたいに立ちくらみが起き、そうして扉の後ろにもたれ掛かってしまった。まるで余所者を入らせないよう閉め出すみたいに。
思考が纏まらないまま、ドアノブに手を掛ける。「ごめんなさい」口を突いて出た言葉と一緒に慌てて外へ出ようとした時だった。
「大丈夫だよ、着替えたら?」
聞こえてきたのは信じられない台詞だった。
幻聴か何か、そんな事を考えるよりもただ男子では無い女子の声がしたということだけが分かった。分からされた。
反射的に「はぁ!?」とか、そんな事を言うべきタイミングなんだろうけど人間はパニックになり過ぎると幽体離脱みたいに自我が遠くに弾かれてしまうらしい。
「・・・・・・うん」
俯いたまま、男子更衣室の左の隅へ。早く出よう、という理性が「早く着替えて出よう」に変わっていた。冷静な判断が出来ない。
体操着を床にばら撒き、シャツもズボンも脱ぎ捨てる。もう一心不乱だった。自分のが今勃ってるかどうかすら分からないほどで、それでも習慣から先に下の短パンを履き替える。
次に上の体操着。あまり顔を上げないように、裾を引っ下げる形で。
視界が開けた時には、その顔は近くにあった。
「うわっ!?」
「良いなぁ、当たり前だけど楽そうで」
着替えているうちに歩み寄ってきたのか、後ずさってしまう。
その時、目線が合った。向こうから合わせに来ていた。
細い身体のライン、胸元辺りまで伸ばした髪。
何かを掴もうとしたような伸ばしかけの手が、見るからにすべすべで。
「・・・・・・杉浦さん?」
思わず名前を口にしていた。今日の朝から話そうとしていたからか、というか、こんなタイミングで名前を呼ぶなんてどうかしてないか?この状況、他の誰かが来たらどうするんだ。
「知ってるの?ごめん、そっちの名前知らない」
「俺も、杉浦さんの名前は知らない、けど」
勝手にシンパシーを抱いて話しかけようと思ってたなんて言える筈も無く、惚けたような返事になった。
息が詰まる。背中からスースーとした空気が雪崩れ込む。
杉浦さんはまだ下着姿のままだ。女子が着替えるのにどれくらい時間が掛かるのか分からないけど、最初に見てしまった時と状況が全く変わっていないのは流石におかしい。
杉浦さんはここで、何か遊んでいたのだろうか。
「ここで何してたの」
台詞だけ聞けばよくある雑談の話し始めだが、この状況じゃとんでもない導入だなと思った。
けれど杉浦さんは悲鳴を上げるでもなく、怒るわけでもなく、
少し笑って。
「先に出て。タイミングを知らせてよ」
耳元で小さく、俺に呟いた。
追い出されるような形で俺が男子更衣室の外へ出ると。
すぐ隣の男子トイレで、二人の男が連れションから出るところと鉢合わせた。
「うわっ!?」
「ッ、なんだようっせえな」
クラスメイトかどうかは分からないが、男子二人組が迷惑そうに眉をひそめる。
「ごめん、つい」
俺の謝罪も聞き流し、悪態をつきながら去って行く。
さっき杉浦さんが言っていた「タイミングを知らせて」の意味。
もしかして、テンパって聞こえていなかっただけで他の男子は近くに来ていて、杉浦さんにはそれが聞こえていた・・・・・・?
慌てて男子トイレの扉を開ける。立ちションも個室もいない、完全に無人。更衣室の扉を背に、他の乱入者が来ないよう隔絶する。
周囲に人はいないが、遠くの方に人影は見えている。教室二個分くらいの距離ーーそれが果たして、女子が出てきたと視認できる距離なのかが分からない。
意を決して扉をコンコン叩く。ギギギッと扉が開くその音がやけに騒々しく聞こえて、中から杉浦さんが出てくるまで気が気じゃなかった。
杉浦さんは当たり前だけど、女子の夏服を着ていた。それが当たり前に狂っていた。網膜の裏に焼き付いたスポーツブラの水色が、制服を透かして見えているような気がした。
「ありがと」
「でも、この後どうすんの」
「階段を使えばいいよ。案外バレないし、バレたのは初めて」
トイレも階段も、校舎の端に並んである。確かに混雑を避けて遠回りしてきたように見えなくも無いが、それでも俺と一緒に降りる事はまた別の誤解を生みそうだ。
軽く腰を引かれる。いいから盾になれという事だろう。
あまりジロジロ見ると不審に思われるのは分かっていながら、それでも目を見開いて誰も来ない事を願うしか無かった。
同時に、違和感が口をついて出た。
「・・・・・・待った。案外バレないって」
バレたのは初めて、とも言った。
まるで、これが初めてじゃないみたいな。
というか俺が気づいた第一人者みたいな。
その時、五限を知らせるチャイムが鳴った。
廊下にいた生徒はバタバタと教室に戻るが、階段から上がってくる足音は聞こえない。
事なきを得た、んだろう。きっと。勿論授業に遅れて怒られるだろうが、この事がバレたら下手すると停学処分だ。そんなんよりは遙かにマシだ。そう思うと、途端に冷や水を被ったみたいな悪寒が全身を突き抜ける。
でも振り向くと、そこにはやはり杉浦さんがいる。
「今度会うときは、名前覚えておくね」
一緒に付いていくのも後ろめたく感じられたが、刻一刻と遅刻している中そうも言っていられない。
また会おうと言っているようにも、余計な事をすると許さないと言っているようにも聞こえる。というか、十中八九後者だ。
「女子は体育館だから」
杉浦さんはそう言って、俺とは別方向に分かれていく。
夢とか幻とか、そんな言葉じゃ片付けられない一日だった。