翌朝の四番隊執務室は、昨日と変わらぬ穏やかな空気に満ちていた。
しかし、その中でたった一人、虎徹勇音の心だけは、激しい嵐に見舞われていた。書類を運ぶ足は、どこか覚束なく、上官である月詠小夜の姿を視界に入れるたびに、頬が熱くなり、心臓が跳ねる。
昨夜の出来事。あの部屋で、あの寝台の上で、自分があんなにも乱れていたという事実が、何度も頭をよぎり、思考を停止させる。
(私が…あんな声を…あんなことを…)
「勇音」
すぐそばで、名を呼ばれ、勇音の肩がびくりと跳ねた。見上げれば、そこには、昨日と何ら変わらない、慈母のような微笑みを浮かべた小夜が立っている。
「顔色が優れませんね。まだ、疲れが残っていますか?」
他の隊士たちには、ただ上官が部下を気遣っているようにしか見えない、完璧な振る舞い。しかし、勇音にはわかった。その言葉の裏に隠された、悪戯っぽい響きを。
羞恥と罪悪感で俯く勇音の耳元に、小夜は、書類の受け渡しをするふりをして、そっと顔を寄せた。
「昨夜の貴女は、とても美しかったですよ。今まで見た、どんな花よりも」
その囁きは、甘い毒のように、勇音の耳から侵入し、全身に痺れを広げていく。
「また、たくさん『治療』して差し上げますからね」
「…っ!」
恐怖と、それに抗えない期待に、勇音が息を呑む。小夜は、その反応に満足げに微笑むと、すっと身を離した。
もう、この娘は、決して自分から逃れることはできない。その絶対的な確信が、小夜の心を優越感で満たした。
その時だった。
執務室の入り口に、鋭く、張り詰めた霊圧が現れた。
「失礼する」
そこに立っていたのは、隠密機動総司令にして二番隊隊長、砕蜂。その両目は、真っ直ぐに小夜だけを射抜いていた。
「これはこれは、砕蜂隊長。わざわざご足労いただき、ありがとうございます。して、本日のご用件は?」
小夜は、内心の愉悦を完璧に隠し、にこやかに応対する。
「先日、任務で負傷した部下の経過報告だ。それと…」
砕蜂の視線が、小夜の隣で硬直している勇音へと移る。そして、その視線は、勇音のうなじ、死覇装の襟元から、ほんの僅かに覗く、微かな赤い痕に、ぴたりと留まった。
小夜が、昨夜、わざと見せつけるように付けた、所有の印。
砕蜂の霊圧が、さらに鋭利さを増す。
「…月詠副隊長。近頃、この四番隊は、少々、風紀が乱れているのではないか?副官ともあろう者が、立場を利用して部下に手を出すなど、言語道断だ」
あからさまな非難。それは、嫉妬と、そして純粋な正義感から来るものだった。
周囲の隊士たちが、息を呑む。
しかし、小夜は全く動じない。むしろ、その挑戦的な態度を、心から楽しんでいた。
「まあ、怖い。ですが、砕蜂隊長。他人の隊の風紀を心配なさる前に、ご自身の心の風紀を、一度お改めになってはいかがです?」
「…何だと?」
「夜一様のことですよ。あの方を想うあまり、貴女のその鋭い刃も、近頃は少々、曇りがちなのではなくて?その忠誠心、時としてご自身の首を絞めることにもなりますよ。…いつでも、相談にのって差し上げますのに」
核心を、的確に、そして容赦なく突く。
夜一、という名前が出た瞬間、砕蜂の鉄面皮に、微かな動揺が走った。ぐっと唇を噛みしめ、言葉に詰まる。
その口論の最中、苛立ちを抑えるように砕蜂がぐっと拳を握りしめた、その時。
小夜は、見逃さなかった。
彼女が身につけている大仰な手甲、その隙間から、一瞬だけ覗いた、白い腕に刻まれた、一筋の古い傷跡を。
(…ほう)
あれは、ただの傷ではない。永い年月を経てもなお、そこに在り続ける、特別な意味を持つ傷。彼女の強固な鎧に隠された、唯一の綻び。
「…くだらんな」
砕蜂は、それだけを吐き捨てると、踵を返し、足早に去っていった。
その後ろ姿を、小夜は、新たな、そして極上の獲物を見つけた捕食者の瞳で見送る。
「ふふ…見つけましたわ。貴女の、可愛い弱点を」
その唇が紡いだ独り言は、隣にいた勇音の耳にだけ、微かに届いた。勇音は、その言葉の意味もわからぬまま、敬愛する上官の横顔に浮かんだ、今まで見たこともないほどの、歓喜に満ちた、冷たい笑みに、ただ身を震わせるしかなかった。
※※※
その夜、砕蜂は、一人、二番隊の道場で鍛錬に打ち込んでいた。
月光だけが差し込む静寂の中、木刀を振るう音だけが響く。小夜に心を乱されたことを振り払うように。夜一への届かぬ想いを断ち切るように。しかし、振れば振るほど、心は霧散し、思考は乱れる。
「随分と、熱心ですね、砕蜂隊長」
背後からかけられた声に、砕蜂の全身の毛が逆立つ。そこにいたのは、月光を背負い、まるで幽鬼のように佇む月詠小夜、その人だった。
「…何の用だ。ここは貴様のような者が、気安く立ち入る場所ではない」
「その剣筋…少し、乱れていますわよ。悩み事ですか?それとも、欲求不満かしら」
「黙れッ!」
侮辱に激昂した砕蜂が、瞬歩で距離を詰め、渾身の一撃を叩き込む。しかし、小夜は斬魄刀を抜くこともなく、ひらりと身をかわすと、その勢いを利用して砕蜂の腕を掴み、いとも容易く体勢を崩した。
ドサリ、と音を立てて床に組み伏せられる。信じられない光景だった。この自分が、隠密機動総司令である自分が、体術で、こうもあっさりと…。
「実力の差は、お分かりになりましたか?」
小夜は、馬乗りになって砕蜂を押さえつけ、その顔を覗き込む。
「離せ…!殺すぞ、女狐…!」
「ふふ。威勢のいい口ですね。ですが、その前に…少し、見せていただきましょうか」
小夜の手が、砕蜂の手甲を乱暴に剥ぎ取る。露わになったのは、白魚のような腕に刻まれた、一筋の古い傷跡。
「ッ…!触るな!」
「夜一様に、つけていただいた、名誉の負傷ですか?それとも、あの人に捨てられた、哀れな置き土産かしら?」
図星を突かれ、砕蜂の瞳が大きく見開かれる。誰にも、何者にも触れさせたことのない、自分の聖域であり、呪縛。
その傷跡に、小夜は、まるで祝福を与えるかのように、そっと唇を寄せた。
「ひっ…!?」
熱い感触に、砕蜂の体が硬直する。
「どちらでも、構いませんわ」と、小夜は囁く。「この傷が、貴女を今もなお苦しめているのなら…私が、この傷ごと、貴女を愛して差し上げましょう」
その言葉が、砕蜂の心の最後の砦を、粉々に打ち砕いた。
ああ、この女は、全て知っている。私の強さも、弱さも、この醜い執着も。全てを知った上で、私を嘲笑っているのだ。
絶望と、屈辱と、そして、それに反するように疼き始める体の熱。
「嘘…だ…私が、こんな女に…」
「ええ、嘘のような、本当のこと。…さあ、鳴きなさいな、砕蜂。夜一様には決して聞かせられないような、可愛い声で」
小夜の指が、乱れた砕蜂の死覇装の合わせに侵入し、固く引き結ばれた胸当ての紐を、一本、また一本と解いていく。
小さな膨らみの頂点で硬くなった突起を、意地悪く爪先で弾く。
「んんっ…!やめ…」
「やめませんよ。貴女のこの体は、本当は、こうして欲しくてたまらないのでしょう?」
指はさらに下へ。硬く閉ざされた、禁断の門。その入り口を、執拗に、円を描くように撫でる。
濡れているはずもない。しかし、小夜の指が触れるたびに、体の奥から、じわり、と熱いものが込み上げてくるのが、砕蜂自身にもわかった。
「なんて、意地っ張りなのかしら。体は、こんなにも正直なのに」
小夜は、くすくすと笑うと、ついに、その硬い蕾をこじ開けるように、一本の指をねじ込んだ。
瞬間、砕蜂の口から、今まで誰にも聞かせたことのない、甲高い悲鳴が迸る。
「あぎゃっ…!い、いやああぁぁっ!」
「ふふ、やっと鳴きましたね。良い声じゃありませんか」
侵入した指は、容赦なく、内部の最も敏感な場所を探り当て、的確に、そして執拗に刺激し始める。
砕蜂の体は、弓なりにしなり、快感の波に痙攣する。思考はもうない。プライドも、夜一への忠誠心も、全てが蕩けて、溶けて、ただ目の前の女に与えられる、屈辱的な快楽だけが、世界の全てになった。
「いや…やめて…ゆるし…て…」
「許してほしければ、ちゃんとおねだりしないと。…『小夜様、私のこと、めちゃくちゃにしてください』…そう言えたら、もっと気持ちよくして差し上げますよ」
もう、何も考えられない。この苦しくて、気持ちのいい地獄から、逃れる術はない。
砕蜂は、涙と涎でぐしゃぐしゃになった顔で、喘ぎながら、その言葉を、途切れ途切れに紡いだ。
「さ…よ、さま…わ、たしを…めちゃくちゃ、に…して…っ」
「よくできました。私の、可愛い雀蜂」
それを合図に、小夜の動きは、さらに激しさを増した。
二本、三本と指が増え、内部を蹂躙し尽くす。砕蜂は、何度も、何度も、身も世もなく絶頂を迎えさせられ、やがて、意識の糸を手放した。
道場の冷たい床の上、乱れた衣服のまま、ぐったりと横たわる、かつての風紀の守護者。
その頬に残る涙の跡を、小夜は満足げにぺろりと舐めとった。
「ふふ…これで、貴女も私のもの。次にお会いするのが、楽しみですわね、砕蜂」
月光が、勝利した捕食者と、その新たな獲物を、静かに照らし出していた。