淫界人柱アラカ葬式エンドIF 作:名無し犬
思考がまとまらない。意識が朦朧として、まるで夢でも見ているかの様だ。もういっそ夢であってくれ。そう縋ってしまうほどに、悪夢の様な光景が、そこに広がっていた。
アラカが、アラカの姿をしたモノが、自分を見下ろしている。虫が蠢く、空洞の瞳が顔を覗き込んでいる。撫でられた左手からは、焼けただれた様な感覚が襲ってきて、どうなっているのか確認もしたくない。
このままではまずい。分かっているのに動けない。動く気すら起きない。アラカはもういない。その事実が、自分からどうしようもなく活力を奪っていく。
だから、『ソレ』が右手に触れようとするのを、黙って眺めていた。悪霊の思念を読み取ったらどうなるか、なんて百も承知だ。その上で自分は何もしない。生きる意味も、理由も、とっくに失ってしまったから。
『はい、これ。クリスマスプレゼント、十倍返しだから』
だというのに、触れられた瞬間流れ込んできた記憶に驚いて、弾かれた様に右手を遠ざけてしまった。今の記憶、間違い様がない。アラカと過ごしたクリスマス、彼女が手袋をくれた大切な日だ。ああ、目の前の、この悪霊は、間違いなくアラカだったモノなのだ。彼女は、死んだのだ。その事実を改めて目の当たりにして、よりいっそう絶望が深くなる。
「…デ」
「…?」
そこでようやく、悪霊が何事か呟いている事に気が付いた。悪霊の言葉に耳を貸してはだめ。それは彼女の言葉だったか。ただ今となってはどうでも良かった。何とはなしに、その言葉に耳を傾けて。
「イカ、ナイデ…」
「…!」
空洞の瞳から虫が溢れる。それは泣いている様だった。いや事実それは泣いているのだ。悪霊は、いやアラカは泣いている。
本当は普通の女の子なんだと、知っていたはずだ。あの忌まわしい場所で受けた仕打ちも、断片的にだが知っていた。耐えられるはずが無かったのだ。あんな場所にたった一人で閉じ込められて、正気でいられるはずが無い。
「オネガイ…」
恐ろしく思えたその姿が、今は弱々しく、悲しげに見えた。そうだ。こう成り果てる前に、自分が彼女を救わなければいけなかった。何を犠牲にしたって、彼女を助け出さなければいけなかったのに…!
「イッショニ、イコウ…?」
「…ああ」
良いよ。君と一緒なら。何の償いにもならないけれど、君が少しでも安らげるなら。命だって惜しくは無い。改めて、今度は自分から右手を彼女へと伸ばす。彼女は驚いた様に少しだけ肩を震わせて、右手へと、手を、伸ばした。そうして、自分は 意
識 を
手
放し
「ダ、め…!きミだけ、ハ、ぜっ対に…!」
「ん…?」
意識が浮上する。自分は死んだのだろうか?その問いを否定するように、カーテンの隙間から漏れた朝日が、自分の目を眩ませた。
「ゆ、め…?」
全て、夢だった?昨夜の事は、全て都合の良い妄想に過ぎなかったのか?そう考えるとまた胸を虚無感が埋め尽くしていく。…起きたくない。夢でも良い。もう一度彼女に会えるなら、このまま眠りに落ちる方が、灰色の現実を生きるよりもよっぽど有意義に思えた。
「?」
そこまで思考して、ふと違和感に気付く。髪が長い。明らかに首から下、腰辺りまで伸びている。
「あれ?ん、んん?あー、あー?」
声もおかしい。聞き覚えの無い、なのに聞いていると泣きたくなる様な声が、自分の喉から発されていた。それだけじゃない。自分の肌はこんなに白くきめ細かかっただろうか?手足も、こんなにもすらりと細く華奢だったろうか?これではまるでアラカの様で…?
「まさか…?」
そんな馬鹿な。あり得ない妄想だ。それこそ夢だろう。そう心の中で否定しながらも、確認の為にベッドを降り、姿見へと向かう。サイズの合わなくなった寝間着を煩わしく思いながら姿見の前に立つ。映った自分の姿を見て、言葉を失った。
「アラ、カ?」
恐る恐る口を開けば、鏡に映った少女、アラカも口を開く。手を振ってみれば、アラカも手を振る。到底理解出来ない事だが、認めるしかなかった。
────自分の姿が、アラカと瓜二つになっている事を。
◆
貰った名刺の出番が、こんなにも早く来るとは思わなかった。退魔師協会に連絡を取って、色々と調べられて分かった事は、これが霊障の一種だという事。昨夜の悪霊、アラカの仕業で間違いないらしい。右手の力、サイコメトリーが、過剰にアラカの情報を読み取った事も一因かもしれない、と説明を受けた。それ以上の事は、もっと詳しく調べてみないと分からないらしい。
とにかく他にどんな影響があるか分からない以上、しばらくは家族とも会わない方が良いと、退魔師協会が管理するマンションの一室を使わせてもらう事になった。
「…ふぅ」
荷解きを終わらせて、ソファに座って一息吐く。検査に引っ越しと、1日中慌ただしかったから疲れてしまった。経緯を説明した時、自暴自棄になるものじゃない、とこってり絞られたのも原因だろう。ただその事よりも、アラカが悪者として扱われてしまっている。その事実の方が辛かった。
外を見れば、もうすっかり真っ暗だ。夕食は適当に済ませるとして、一つだけ、無視出来ない問題が有る。風呂を、どうするかだ。異性の体、しかも他ならぬアラカと瓜二つのそれを、自分の手で洗う事にどうしても抵抗がある。
だが入らない、というのは現実的じゃないだろう。そもそも元に戻れるかも不透明なのだ。一生このままの可能性が有る以上、この身体と付き合っていく覚悟を決めるべきだ。
数回、深呼吸をして、脱衣所へと入る。備え付けられた鏡に映る自分の姿に、少しだけ泣きたくなった。
「アラカ…」
つい、鏡に向けて呼び掛けるが当然返事は無い。やめよう。こんな事は虚しいだけだ。ごめん、と内心で誤りながら、恐る恐る服を脱いでいく。その途中、サイズの合わなくなってしまった右手の手袋を見て、思わずため息を吐いた。
サイコメトリーは、残ったままだった。肉体ではなくて、魂に紐付いているのだという。この異能とは、生涯付き合っていくしか無いらしい。
全て脱ぎ終えて、出来るだけ平常心を保ちながら、浴室へと足を踏み入れる。細心の注意を払い、美術品を扱う様に丁寧に、ネットで事前に調べた知識を総動員して、髪と身体を洗っていく。いくら自分の身体とはいえ、アラカの姿を損なうのはどうしても許せなかった。そうやって神経をすり減らしたものだから、いざ浴槽に入る頃にはすっかりくたびれていて、
「はふぅ…」
だなんて情けない声が出て、誰も聞いていないのに羞恥心が湧いて来た。早く慣れよう。そう心に誓いながら、極力身体を視界に納めないよう、天井を見上げた。
「あ、あー、あー」
ふと思い立って、適当に声を発してみる。やはり聞き慣れない自分の声が、浴室に響いた。自分の声というものは、人と自分とで聞こえ方が違うらしいがなるほど、アラカには、アラカの声がこう聞こえていたのか。
「アラカ…」
もう一度、最愛の人の名を呼ぶ。思い浮かぶのは昨夜の事、結局彼女は、自分をどうしたかったのだろう?ここまでするのならばいっそ、乗っ取ってしまえば良かったのにとすら思ってしまう。彼女が居ない世界で生きるよりも、彼女が生きる為の礎になれた方が、よほど幸せに思えた。
◆
風呂を上がり夕食を済ませて、ベッドに寝転がる頃にはもう半分眠りかけていた。そのまま、襲いかかる睡魔に身を任せれば、あっという間に眠りに落ちた。
───だというのに、自分はどこに居るのだろう?
気付けば、暗闇の中をふわふわと漂っていた。ああこれは夢だ、と感覚で理解する。すると目の前に薄ぼんやりとした、白い人影が現れた。
人影は、少しずつその像を結んでいき、より人に近い形に近付いていく。それがいったい誰なのか、何故だか自分にはすぐに分かった。
「アラカ」
再び、名前を呼ぶ。確かに自分の目の前に、焦がれた人が、伊早瀬アラカその人が、不機嫌そうな顔でこちらをじっと見つめていた。