残骸置場 作:逃走‼蜚蠊男
木塚は、攻撃の手を緩めない。
連続で、どれだけの数を打ち込んでいるのだろう。
野次馬達から見れば、残りの二人が逃げ出すのも無理はない──そう納得してしまうコンビネーションのラッシュである。
それを可能とする木塚のスタミナは、空恐ろしい物があるだろう。
かのマウント斗羽のライバルと呼ばれるレスラーの中に、無類のタフネスとパワーを誇る世界ヘビー級チャンピオンがいた。
──彼の異名は、人間発電所である。
この木塚のスタミナも、また、人間発電所に喩えたとしても、申し分が無いだろう水準にあった。
下段から中段、両足で交互に回し蹴りを放つ。
顔面中央に刻み突きが二連。
膝が顎下から突き上げられた。
と、そこで──
再び、木塚が構えた。
最初と同様の物だった。
その構えから、変化していく。
足を前後にするのは変わらない。
新たに構えを変化しつつ、発汗している赤い顔のまま、顰めた眼光で久信をにらみ据えている。
気合いを込める様に声を挙げた。
人間発電所となった木塚のエネルギーが炸裂する。
炉心と化した丹田で、核融合がスパークしたかの様だった。
全身に力が漲っていた。
そして、全身全霊かけて放たれる拳──
構えを変化させたが、ほぼ間髪入れず、その拳は放たれた。
核融合が如くスパークしたエネルギーは上半身の全ての筋肉に熱を発散させ、力となった。
その拳を放つ際、両の拳は引かれて、腰にあった。
それを真っ直ぐ突き出したのだ。
突き出す瞬間、腰を捻り更に加速。
正拳突きが、久信の鳩尾に突き刺さっていた。
膝蹴りで顎が跳ね上がった状態からの、腹への正拳突きである。
更に、その正拳突きが後ろに下がるや、二発目が、全く同じ箇所にめり込んだのだ。
連続で恐ろしい音が響いた。
打製石斧の如き拳、確かに、石斧が肉を叩くと生じる音かも知れない。
硬い物が、硬い物にぶつかる音でもあった。
一般人なら、悶絶では済まない。
内臓の破裂は免れ無いだろう。
一般人がこの正拳を食らったら、石斧で打たれた──ではなく、鳩尾の内側で、爆発物が炸裂したかのように錯覚する筈だ。
誰もが、久信のその巨体が崩れて行くのを想像した。
その時だ、真冬が突然奇妙な事を行った。
真冬が立っていたのは、赤牛丸のガラス壁の前だ。
そこで、ポスターを眺めるフリをしつつ、やり取りを見守っていたのだ。
それは、少女の唐突な奇行──
真冬は、左掌でガラス壁を叩いたのだ。
そして、そのインパクトの瞬間、強く圧していた。
──ガラス壁は音も鳴らなかった。
九歳の少女の奇行に一瞬目をやったのは、もう一人の神心会の男と、近くに居た数人の野次馬だけである。
しかし、彼らも真冬が何をやったか理解出来る訳が無かった。
理解しようとも思わなかっただろう。
一般人の目には、神心会の空手家が見せた技に興奮している変わり者の幼女とでも映ったのだ。
そして何より、真冬が行ったこれと、ほぼ同時に、木塚と久信のやり取りに変化が有ったからである。
殆どの者が注視したのは、この闘辰館と神心会が繰り広げている『辻投げ』の動向であった。
何かが軽く音を立てた。
冷たく、鈍い、軋む様な音だ。
それを聞いたのは真冬だけだった。
雑踏が搔き消してしまう程度の音なのだ。
「いやあ、美味いねぇ、辻投げには手頃な美味しさだよ、あんた」
無数のコンビネーション、全身全霊を傾けた二連の正拳突きを喰らった。
それを放つ木塚を美味いと言ったのか。
久信がそう、異様な称賛を言い放った直後、彼の両腕が動いた。
ぬらりと伸びて来た。
しかし、気付いた時には、その二頭の大蛇が、既に木塚へ絡まりその牙を立てていたのだ。
開手された五指と掌が、大蛇の牙であり、開口された顎だ。
それが、木塚の襟元と袖に、食らいついていた。
久信の右手が右襟に、左手が右襟を掴んでいた。
奇妙な組み手であった。
だが、奇妙に思う間も無く、木塚は全身が総毛立つのをかんじた。
木塚は、凄まじい引力に襲われたのだ。
引力──
地上の引力に抗う引力に、引かれた。
自分の身体が、吊り上げられるかの様な感覚に見舞われていた。
空いている右手で打つ。
そして、右膝を入れた。
右脚が地面に戻った時、久信はそれを跳ねるように払ったのだ。
その時だ。
体勢と視覚に違和感があった。
自分の目線の先は、天下一通りのアーチ看板に続く方角だった筈だ。
それが、赤牛丸のガラス壁に向いている。
一瞬だけ悲壮な顔の井上の顔が見えた。
みるみる内に、ガラス壁に亀裂が生じて行くのが見えた。
異様な現象であった。
このままでは確実に割れる。
そう思った刹那、左足がアスファルトを離れた。
不味いと考え、堪え様と力を込める。
しかし、既に木塚の身体が久信の腰の上にあったのだ。
そして、木塚は右足を打ち上げられた。
目眩の様な浮遊感──
既に視線はアスファルトに向いていた。
ガラス壁──
そこに、叩き付けられようとした時だ。
真冬が更に、軽くガラス壁を叩いたのである。
ガラス壁は、木塚を赤牛丸店内に迎え入れるかのように割れていく。
破片が多少、道着に当たりはするだろう。
だが、ガラス壁に意思でもあるかのように、割れるのだ。
木塚の身体がすり抜けた様にも見える。
緩やかに割れていった。
音も立てない。
もし、ガラス壁に投げ付けられていたら、どうなっていたか、想像に難くないだろう。
井上が絶叫した。
もう一人は、言葉を失っている。
木塚は、店内の床へと背中を叩き付けられた。
受身の心得はある。
だが、床は、畳などではない。
かなり強固な物である。
そこに背中を叩き付けられたのだ。
凄まじい激痛が背中で発生し、熱い呼気が唸るように洩れた。
「──ガ……ガラス」
何が起きたのか。
最初にガラスの異常について言及したのは、真冬の側にいた野次馬の一人であった。
彼は真冬がガラスを叩いた瞬間を目撃していたのだ。
「まさか、お嬢ちゃん、あ、あんたがあの現象を……?」
眼鏡の奥の目が真っ直ぐに真冬へと向いていた。
神心会
闘辰館
それらより、この少女だ。
彼は、何故か、この場にいる何者よりも、この少女について詳しく知りたくなったのだ。
「無寸勁・破砕連振です」
「えっ!?」
「無寸勁・破砕連振です、翠が名付けてくれました」
真冬はそう、同じ名を繰り返した。
「翠?」
その問いには答えなかった。
「お嬢ちゃん、ちょ、ちょっと聞きたいんだけど、良いか?」
「はい、答えられる範囲なら構いませんがよろしいですか」
「最初に、ガラス壁叩いたのも無寸勁?」
「はい」
「もしかして、お嬢ちゃんは、こうなることに気付いてた?」
「はい」
「柔道家が空手家をガラス壁に投げるってのも?」
「はい」
「お嬢ちゃんエスパーかなにか?」
「いいえ」
こっくりさんが答えているような会話である。
しかし、男は身体の震えを止められ無かった。
恐怖の震えではない。
歓喜だ。
真冬が、最初に無寸勁を放った時は、誰もが、木塚の勝利を疑っていない頃だったのだ。
あれから物の数秒の事とは言え、既に先を見越してガラスに何かの技術を使っていたと言う事になる。
「お嬢ちゃん、な……名前は!?」
「當之真冬です」
「お嬢ちゃん」
「それよりは──」
真冬は、なおも続く質問攻めを言葉だけで制した。
そして、するりと、身体を動かした。
真冬の知覚は、確かに性的な物には対応していないかも知れない。
しかし、あの久信が、もう一人の神心会を叩きのめした後、あの女性に何かしら危害を加えるのは、分かる。
それが性暴力とは知らないが、危険な意思を向けていることは理解出来るのだ。
それに、木塚は倒れた。
彼は、闘争の意識を持っていた。
だから、彼の面子の為に、自分がしゃしゃり出るのは止めたのだ。
危険なら、彼が気付かぬ様に庇う。
もう一人の空手家は、闘争の意識を持っていない。
彼が路上の喧嘩を嫌う誇り高き武道家だとは察している。
そうした者に態々、余計な『危うき』に近寄らせる必要は無い。
他人の護身を、自らが買って出るのもたまには悪くない。
そして、何より、真冬自身、こうして前に出るのか。
それは、あの井上の目だ。
怯え切ったあの目は、ある冬の夕刻、翠が見せた恐怖の色だ。
翠の目と重なってしまった。
だから、真冬は、竹内久信の前に立ったのである。