蛇の林檎――シャンフロ内でも、妙に“話がこじれる連中”が自然と集まる店だ。正月仕様で店内は飾り付けが派手になっているのに、俺の背筋だけは寒い。
入った瞬間、嫌な予感が確信に変わった。
SYSTEM:「蛇の林檎・新年会へようこそ。御席:中央席(移動制限)」
「は?」
カウンターでも端席でもなく、堂々たる“中央”。逃げ道が存在しない配置。店員NPCがにこやかに頭を下げる。
「お客様、中央へ。縁起物ですので席替えは……ええ、“難しい”です」
難しい、じゃねぇ。拘束だろ。
俺が渋々座った瞬間、左右から圧が来た。
右――アーサー・ペンシルゴン、通称ペンシルゴン(=天音永遠)。左――サイガ-100(=斎賀百)。そして、斜め前に“実況席”みたいな顔でオイカッツォ。
「開幕から逃走封じ。ヘイト固定完了だな」
「実況すんな」
ペンシルゴンが柔らかく笑う。柔らかいのに、眼だけが鋭い。
「逃げないでね。今日は“正月”だし」
「正月は逃げるだろ。初売りから逃げたいだろ」
百は静かに頷いて、短く言った。
「逃げるなら、今のうちです」
「今のうちも何も、もう移動制限って出てんだが?」
オイカッツォが肩をすくめる。
「陽務、口だけは滑らせるなよ」
「それができたら俺はここにいない」
乾杯の流れすらないまま、ペンシルゴンが唐突に切り込んでくる。あまりに自然で、逆に怖い。
「結婚の話、嫌い? それとも“面倒”なだけ?」
正月の親戚かよ。
「嫌いでも面倒でもなくて、重い。重量制限オーバー」
「重量……」
百が眉を寄せる。真面目な顔で追い打ちしてくるのが、彼女の厄介なところだ。
「大人は重さから逃げません」
「逃げるだろ。重い荷物は宅配するだろ」
俺が論点を逸らそうとすると、百は微動だにしない。
「面倒でも必要なら向き合う人が誠実です。あなたは誠実側ですか?」
「誠実の定義から詰めよう。何歳? 社会人? 税金払ったら?」
オイカッツォが即座に突っ込む。
「時間稼ぎは悪手だ。相手が“条件提示”に移行する」
「なんで敵に攻略アドバイスしてんだ、お前は」
ペンシルゴンが紅茶を一口飲む。それだけで空気が一段、静かに冷える。
「面倒なら、面倒を減らす方法を考えればいい。嫌いなら理由を聞く」
「その言い方、面談担当の人事かよ」
ここからが本番だ。恋愛の単語は出さず、“生活”と“責任”で殴ってくる。大人だからこそできる最悪のやり口。
百が先に、淡々と並べる。
「休日の使い方。金銭感覚。仕事優先の度合い。連絡頻度」
「おい、婚活アプリのプロフィール欄か?」
「曖昧が一番揉めます。あなたは曖昧にしない人です。……そうですよね?」
否定すると、“曖昧にする人”認定。肯定すると、言質。正面から詰めてくるのが、百の怖さだ。
俺は笑って流す。
「俺は曖昧だよ。回線みたいに揺らぐ。ラグい男だ」
「言い訳がゲーム寄りすぎます」
ペンシルゴンがふっと視線を落とした。その一瞬、いつものニヤニヤが消える。
「……取り繕わない私を見て、引かない? それが条件」
一言だけ。短いのに、妙に刺さる。俺は反射で答えかけて――慌てて口を閉じた。
「引く引かないじゃなくて、耐性の話だろ? 状態異常“素直”への耐性、俺まだ積んでない」
「逃げてる」
百が即断する。ペンシルゴンも同じく、楽しそうに頷いた。
「逃げてるね」
「逃げてねぇ。戦略的撤退だ」
オイカッツォがうんざりした顔で言う。
「今のは撤退じゃなくて回避行動。陽務、いずれ“優しさ”踏むぞ」
「踏まない。俺は今日、靴底に“言質回避”を貼ってきた」
店員NPCが、正月限定のメニューを運んできた。見た目はめでたい。嫌な予感は最高潮だ。
「縁起メニュー、ご注文ありがとうございます」
SYSTEM:「縁起メニュー注文者は新年の抱負を一言入力してください」
「うわ、来た」
俺は最短で済ませる。短いほど安全だ。たぶん。
「抱負:平穏。以上」
「平穏が正義。戦争はやめろ」
オイカッツォがため息をつく。
「“平穏”は挑発になるぞ。現状維持=誰も選ばない、だからな」
「勝手に翻訳すんな!」
百が、わずかに身を乗り出す。
「今年、あなたは何から逃げるつもりですか?」
「逃げないって言わせたい顔してる!」
ペンシルゴンは、今度は逃げ道を潰すように、静かに言った。
「今年は、私は“強いふり”を減らす」
「へぇ」
「それを見たら……あなたはどうするの?」
一瞬だけ、本当に“素”の目をした。俺は、嫌になるほどその目に弱い。
「どうするって……縁起悪い単語を正月に出すな。嫌われるとか言うな」
「質問に答えて」
百が重ねてくる。
「曖昧にしたら、今年も同じです」
詰む。逃げたら逃げたで、二人が“逃げ”として確定してくる。俺は最悪の妥協案を選ぶ。
「答える前に運営に確認する! SYSTEM! “情緒的質問”のスキップ機能ください!」
SYSTEM:「スキップ不可」
「ほらな」
オイカッツォの声が、やけに遠い。
百が、まっすぐにこちらを見る。目が真剣すぎて、冗談が通じない。
「あなたは逃げない人です。否定しますか?」
「否定したら俺が悪者になる構図だろ、それ」
「否定しないなら、言ってください。短く。今年は逃げない」
俺は最後の抵抗として、定義を持ち出す。
「“逃げる”の定義は? ログアウト? 退出? 撤退? 用語集――」
「定義は後で詰めます。今は宣言です」
「強い。行政」
ペンシルゴンが横から、楽しそうに刺してくる。
「逃げないって、誰に対して?」
「“イベントに”なら安全でしょ。言って。ほら、あなた得意だよね? 逃げ道作るの」
俺は、まんまと乗った。
「そうそう、これはイベント戦だ。人生じゃない」
「今年は逃げない(イベントから)! これで安全!」
オイカッツォが顔を覆う。
「今、原文を言ったな。“今年は逃げない”。括弧はログに残らないぞ」
「残るの!?」
百が、容赦なく次を重ねる。
「では、次。誠実なら言えます」
「『今年は逃げない』――約束できますか」
誠実――その単語はズルい。俺は誠実でいたい。少なくとも、自分がそうだと信じたい。
「誠実は否定しない! 俺は誠実だ!」
そして、勢いで続けてしまった。
「……約束は、する。だから――今年は逃げない!」
言った瞬間、店内の空気がピタリと止まった。
ペンシルゴンが、楽しそうに笑う。
「はい、今 “今年は逃げない” と “約束する” が同じ息で出た」
「完成。おめでとう」
「待て待て待て! 今のはイベントの話! クエストの話!」
「俺は人生から逃げないとは言ってない!」
間に合わない。間に合うはずがない。だって、ここはシャンフロだ。運営は人の心を遊ぶ。
SYSTEM:「発言を確認しました。新年契約を記録しました」
SYSTEM:「契約文言『今年は逃げない』」
SYSTEM:「対象:未指定 キャンセル:不可」
「はぁ!?」
俺は立ち上がろうとして、移動制限を思い出す。喉が変な声を出した。
「未指定!? なんで未指定!? そこが一番危ないだろ!!」
「運営ぇぇぇ!! 正月から言葉を契約に変えるな!!」
ログアウト――と叫びかけたところで、追いログが刺さる。
SYSTEM:「契約状態:有効。ログアウト時、ペナルティが発生します」
「詰みじゃねぇか!!」
ペンシルゴンは、嬉しそうに、でもどこか真剣に言った。
「未指定なら、今から指定すればいい」
「あなたは私を見た。だから“今年は逃げない”は、私に向けて成立する」
百は百で、淡々と上書きしに来る。
「指定の前に、契約の主導権を確認します」
「あなたに“今年は逃げない”と言わせたのは私。管理権は私です」
「管理権って何だよ! 恋愛を行政にするな!」
「正月から人生を“申請制”にするな!!」
オイカッツォが、ひどく冷静に締めた。
「陽務、今年一発目の敗因:口が素直」
「恋愛PvP、勝ったのは二人だ。お前はログに負けた」
俺は、中央席で絶望したまま、心の底から誓った。
――来年の正月は、蛇の林檎に来ない。
……いや、今のも契約にされそうだから撤回する。撤回させてくれ。
SYSTEM:「注意:対象未指定の契約は、周囲の関係者が主張できます」
「やめろォォォ!!」
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