範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ) 作:贋海王
背後に
真冬の立ち位置から、残りの標的である柳田までは約2mだ。
悪樓との彼我の距離は約7mとなっている。
悪樓は、一瞬で真冬までの距離を縮めた。
半歩踏み込めば真冬に手が届く。
その時点で真冬は、既に背面を見せてはいなかった。
半身の状態で悪樓へ視線を向けた。
しかし、真冬の意識は、柳田、そして、仔犬に向かって伸びているのだ。
視覚と気配の察知、その両方の感覚で三者を捉えていた。無論、聴覚や嗅覚、微細な空気の流れ、振動、そうした物も活用されている。
悪樓は腰を落とし、体勢を低くした。
そして、全身が陽炎の様に揺らめく真冬を見据えた。
真冬の虚ろな紅い眼差しを睨み付ける。
そこに立つ者は、もはや、性欲処理人形に堕ちていた少女ではなかった。
これが本来の真冬なのかと悪樓は考えた。
恐らく、現状の真冬には
言葉で心の隙に衝き、心と身体を堕落へと誘導するのがレイプマンの遣り口だ。
現在の真冬には心の隙がない。
それほど、戦闘に……“殺し”に集中しているのだ。
無我や忘我、そうした境地にすら達していると言っても過言では無いだろう。
姉である陵伽は、呉の里では『魔空』と呼ばれる異名を持つ。
それに倣うなら真冬の境地は無量空処──
差詰め『無空』である。
産まれながら身に付けていた脱力、澄みきった精神、あるがままの闘争本能。
空に雲が流れ、雲は雨となり、雨は地に降り注ぎ川となる、そして川は海へ繋がっていく、雲行雨施──あるがままの世界の様に、真冬に身に付いていた多くの力だ。それこそ、無であり空である。
曾て死に際の集中力を越え、エンドルフィンを越え、遂には未知なる脳内麻薬の発現だ。
この絶望と恐怖、望まぬ快楽が融け合う坩堝の中で、蜚蠊たる真冬は蠱毒として完成されつつあったのだ。
少女に対して使う比喩ではないが、悪樓の目には真冬の立ち姿が、まるで岩山の様に見えているのだった。
肉が、少女の物ではない。『氣』が、尋常ではないレベルで充実し、全身を巡っている。
それは、龍脈に流れる大地の氣そのものが、人の形を成しているような、そんな水準にあった。
大海の畝りに似た氣の猛りが真冬の体内を巡っていると、悪樓は
氣の奔流が、さざ波から高波に、そして津波となって叩き付けて来る──その様に錯覚してしまう程の脅威を、真冬から感じているのだ。
岩山にして大海──真冬の姿にそれを幻視した。
血の海と化したこの“倉庫”に立つ、返り血で紅く染まり、背なで幽鬼が哭いている真冬は、異形の美を湛えていた。
この凄まじく恐ろしい血臭が充満した部屋で、平然とした姿は異様でもあった。
悪樓とて、眉を顰めたくなる様な
並みの人間ならその場で嘔吐しかね無い。
非常に強い人間──例えばムエタイの五冠王『チャモアン』、キックボクシング世界チャンピオン『ロブ・ロビンソン』、ボクシングヘビー級チャンピオン『アイアン・マイケル』そう言った世界最強クラスの人間とて、この凄まじい血臭には耐えられまい。
だが、例えば、『花山薫』や『ズール』『錦山彰』『嶋野太』『久我
真冬は、何処かの箍が外れ、螺が抜けた彼らの様な人間に近しい感性、精神なのである。
躊躇い無く、人間の首を切断出来る。
躊躇い無く、人間を殺せる──つまり、既に、自身が殺されても良いと、そんな覚悟が出来上がっているのだ。真冬はそんな少女だった。
だが、今すぐに殺される訳にはいかない。
殺されても仕方無いし、殺される覚悟が出来てはいるが、殺されたい訳では無いのだ。
少なくとも、向こうの仔犬を安全な場所まで連れて行きたい。
それまでは、死ねないのだ。
しかし、そうした思考は、今の真冬には無い。
ただ、それらは闘争本能に組み込まれた物だった。
思考の中で、死ねないと言う感情が湧いている訳では無かった。
悪樓が、残りの半歩を踏み出した。
もはや、凌辱や調教と言った行為は、頭から抜け落ちていた。
真冬の存在を、制圧或いは排除すべき脅威だと、判断しているのだ。
脅威だと認識したのは、思考の流れを感覚的に掴む事が出来なくなったからだ。
明らかに真冬の気配が変質していた。
腰を落とし、低い体勢のまま、一気に詰め寄った。
半歩移動する前のほんの刹那、四台の監視カメラの内一台に視線を向けた。
この部屋の異常を、監視カメラは映し出している筈だ。制圧部隊が直に押し寄せるだろう。
──悪樓の右手が、素早く真冬の左腕に伸びる。
真冬の右上腕は、橈骨と尺骨が握り潰され、粉砕されている──同じ様に左腕も粉砕するつもりだった。
左腕は右肩へ絡まる様に伸ばされた。
真冬は悪樓の開かれた右掌へと、肘を打ち突け迎撃する。
真冬の肘打ちの方が速い。
そして、肘打ちのインパクトから一瞬遅れ、真冬の膝が悪樓の右腕へと打ち上げられた。
その時だ。
悪樓は血が沸騰した様な異常を、右腕に感じた。
骨肉が軋む激痛だ。
肘打ちと膝蹴りは、ほぼ同時に二発入っていた。
各々がほんの少し遅れて打たれ、衝撃と波動がぶつかり合い重なった。
血管と骨に伝わる振動──真冬は肘と膝で無寸勁を放ったのだ。
そして、それは肘と膝で打たれた無寸・雷神であった。
本来は脳や心臓に撃ち込む。
だが今回の波動は単に肉と骨、神経を破壊した。
悪樓は仰け反り、真冬から僅かに遠ざかる。
彼は、一瞬何が起きたか理解出来ないでいた。
真冬は更に、悪樓の腹に左掌を撃ち込んだ。
撃ち込むや、直ぐに肘を引き床を踏みつけ、続けて掌底を脇腹に放った。
悪樓は、大気の振動を感じた。
鼓膜が震える。
だが、彼にダメージは無い。
が、周囲に亀裂音が走った。
続けて、破裂音が聞こえた。
破裂音は柳田から聞こえた。
彼の眼球が破裂していた。
眼窩から夥しく流血している。
外見からは分からないが、脳や内臓も破裂していた。
口から泡と共に血を溢し、脚から崩れていく。
ある冬の夕刻、翠に見せた無寸・雷神の応用技術『無寸勁・破砕連振』
──車体を振動させ、窓ガラスを粉砕した技──それを更に洗練した技術だ。
室内でしか使えないが、軸から大気を振動させ対象の内部を破壊する無寸勁だ。
ある種の遠当てと言っても良いだろう。
今回の場合、軸は悪樓で対象は柳田だ。
これは、後に完成され、真冬のフィニッシュムーヴの一つとなる『無空衝・振烈』の片鱗であった。
『仕切り直し、没ネタエピソード』は削除し、残骸置場に入れた方が良いですか?
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そのままで良い
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残骸置場行きが良い