※この作品はR-18です。

範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ)   作:贋海王

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輪廻

 漸く殺せた──

 既に、男達から心臓の鼓動、呼吸音は聞こえない。

 彼らの死を、真冬は、研ぎ澄まされた聴覚を以てして、それらの音の停止と言った側面から捉えていた。

 

 ──だが、終わりではない

 あの虐待されていた仔犬の救出が残っている。

 彼を安全な場所まで連れて行きたい──真冬はそう考えていた。

 少なくともこの倉庫……地下から地上へ連れて行きたい。

 そうすれば、最低でも命は助けられる。

 しかし、それでは駄目だと、真冬に訴え掛けている物がある──それは彼女の心情であり信条であった。

 

 地上へ出ても安全では無い。

 ここがどの辺りかは分からないが、迷い犬になってしまうのは間違いない。

 車道も近いだろうから、事故に遭う危険性も考えられる。

 それに、この仔犬は病気なのだ。

 餌も暫く与えられていない筈だ。

 迷い犬になれば、餌も自力で見付けなければいけないが、こんな場所に餌になるような物はあるか分からないし、餌を探す体力も無さそうに見える。

 空腹や体力の低下、虐待による精神の疲弊が激しく、獣医に診せなければ、衰弱死は免れないだろう。

 ここを離れ、信頼できる人物──そうだ、翠かモグサ、柄本に連絡を入れたい──そう真冬は考えた。

 

 それまでは、死ねない──

 それが叶えば死んでも良い。

 

 問題は、巨人……邪淫勁(じゃいんけい)・悪樓(あくる)の存在だ。

 簡単に逃がしてはくれないだろう。

 交戦したら確実に殺される。

 

 ──死

 それを意識した時、ふと浮かんだ顔があった。

 二人の女性だ。

 一人は母だった。

 去年死んだ母の顔だ。

 いつも睨み付けるような目で自分を見ていた母の顔だ。

 母の笑顔を見た事が無かった。

 空虚で、憎悪を伴った表情しか知らない。

 いや、もう一つ知っている母の顔があった。

 ──死に顔だ。

 天井からぶら下がっていた、恐ろしい顔である。

 苦しみ踠き、憎悪と絶望で歪んだ死に顔だった。

 体液を目や鼻孔、口から流していた。

 何も映していない両眼は開かれたまま、枯れた口から舌もだらりと垂れ下がっている。

 両手首からは血が溢れ、畳には様々な体液が水溜まりの様になっていた。

 手首を切り、更に首を吊った母の姿は異様な物だった。

 

 もう一人──それは、城之内翠の顔だ。

 母の顔と対照的な、優しい笑顔が思い出された。

 鼓動が不思議と高鳴り、脳と心臓に暖かい安らぎが湧き上がり満たされる様な、そんな翠の笑顔だった。

 無寸勁・破砕連振を見せた時の、楽しそうな翠の表情が思い出の中に無ければ、或いは先程の『無空衝(むくうしょう)・振烈(しんれつ)』の片鱗が生まれる事は無かったかも知れない。

 生まれるにしても、少なくとも、かなり先の事だったろう。

 

 翠の顔が思い出された時だ。

 ちょうどその瞬間、悪樓は真冬からとてつもない、熱量を感じた。

 実際の熱では無いだろうが、爆発的な熱量が叩き付けられた様に錯覚したのだ。

 それは、恐ろしい『氣』だった。

 咄嗟に、左腕と、痛む右腕をも上げて、防御の姿勢を取ってしまう程の暴力的な気配なのだった。

 翠への想いが、奇妙な多幸感となり、真冬の脳内麻薬に更なる変化をもたらしていた。

 

 真冬にとって、死の象徴は母の顔だった。

 しかし、翠の顔が、生へと向けられる象徴となり、真冬の脳内麻薬を更に強化する切っ掛けとなったのである。

 

 ゆらゆら揺らめく真冬の姿に、初めて悪樓は戦慄した。

 返り血で染まった真冬の姿は、正に悪鬼羅刹といった様相を呈している。

 ──いや、朱い血濡れの裸体は産まれ落ちた赤子の様だ。

 血が、穢れた真冬の身体を浄めた様でもあった。

 血濡れの真冬は、ここで再び産まれ落ちたのか。

 焔に身を投じて生まれ変わる不死鳥の様に、血溜まりの中で、絶望に身を投じていた真冬は生まれ変わったのだ。

 最早、真冬の氣は異質な物と化していた。

 絶望の坩堝を母として、真冬は再び生を受けた。

 真冬の精神と『氣』は輪廻を巡り、転生したかの様だった。

 

 蠱毒は完成しつつあった。

 

 突然絶命した柳田には目もくれず、悪樓は真冬を見据えたまま、僅かに後方へと下がる。

 警戒していた。

 例えば、昆虫界最硬の甲虫。

 蜂の針も、蟷螂の鎌や牙も通さない甲虫の装甲。

 そんな装甲さえ関係無く、巨大な恐竜や象なら容易く甲虫を踏み潰してしまう。

 ティラノサウルス対甲虫──悪樓と真冬の戦力差はそれと同じ様な物だった。

 悪樓にしてみれば、何れ程真冬の戦闘力が高くても、何の問題も無く勝てる程度の物だった。

 戦闘にすらならない一方的な蹂躙だ。

 反撃さえされる事なく、レイプすら出来る相手、それが真冬だった。

 だが、今の喩えで言うなら──

 恐竜が踏み潰そうとした甲虫は、実はそれの形を模した爆弾であったような物だ。

 踏み抜いた物が甲虫ではなく地雷だったら、恐竜の脚が吹き飛ぶ。

 悪樓の目に映る現時点の真冬は、恐竜が踏み潰せる甲虫ではなく、地雷原に埋まる爆発物そのものだった。

 恐竜や象が地雷を踏み潰そうとしても、それは叶わない。

 しかも真冬は甲虫ではない、蜚蠊だ。

 どんな動作を見せるか分からない、地雷の蜚蠊。

 弾道が不規則な、追尾してくる小さな誘導弾である。

 踏み潰そうとしたら、反撃してくる誘導弾だ。

 故に、悪樓もここに来て、漸く真冬の戦闘力を警戒し始めたのだった。

 

 ──遅いな

 悪樓が短く、誰に言うとも無く呟いた。

 監視カメラは、この惨状を捉えている筈だ。

 制圧部隊が動き出すのが遅いと感じたのだ。

 しかし、それは彼の錯覚した時間感覚だ。

 嘉信達が殺害された時間は三秒に満たない。

 制圧部隊が動き出すにしても、まだ時間がかかる。

 尤も、全うに言うなら、制圧部隊の行動が開始されるのは速い物だ。

 が、悪樓や真冬の知らぬ所で、制圧部隊を含む“倉庫”の常駐者達に異変が起ころうとしていた。

 

 制圧部隊が動く前に、悪樓も当然真冬の制圧を再開した。

 真冬は、悪樓が動きを注視すると同時に、仔犬の動向にも気を割いていた。

 仔犬は震え、悲鳴の様な鳴き声を上げながらじっとしている。尻尾を下げて、耳を後ろに傾けて怯えているのだ。

 仔犬の姿に真冬の胸が痛むばかりだった。

 出来る事なら、飼い主の元に帰してやりたいと、そんな想いも湧いて来る。

 飼い主から引き離され、心細さに加えて恐怖も与えられていたのだから。

 

 仔犬を連れて、地下室から抜け出す。

 悪樓と言う、高い戦闘力の持ち主以外にも、大きく高い壁がある。

 壁は比喩であり、文字通りの意味でもある。

 この地下室は、扉が無く、高い壁を梯子で登り降りして出入りしなくてはならない。

 梯子の足場が有るのは、凡そ高さにして8mだ。

 横穴状の出入り口までは高さ13m、天井までは15mである。

 梯子は二連梯子で、調教師達が昇降する際に床まで下ろされる。交代要員が来るまでは、8mの高さでたたまれているのだ。

 

 真冬は、曾てブランコや金網の梁部や枠へと一瞬で跳躍した様に3m程度なら予備動作をせずともジャンプ出来る。

 それは、助走や、屈体を必要としていない事を意味している。

 例えば、無造作に、立ったまま跳躍しブランコの梁部へと飛び乗れるのだ。

 

 その気になれば、梯子の足場へ向かって跳躍し、到達する事も不可能では無いだろう。

 

 八艘飛びと言う源義経の逸話が有る。

 義経は、壇之浦の戦で、八隻の船を次々に飛び移り、跳躍による移動を行った。

 真冬もそれが出来る。

 離れた船から船への跳躍。

 無論、船で試したことは無いが、例えばビルの屋上から近場のビルの屋上へと、幾棟も続けて跳躍し、移動する。

 しかも幅跳びだけではなく、高跳びでもそうした尋常ならざる跳躍を行えるのだ。

 

 ゴミ捨て場にあった歴史か国語の教科書を流し読みしていて、源義経のその逸話が目に止まり、面白そうだと思い、練習した事が切っ掛けだ。

 面白そう──それだけで、一般人なら……いや、それなりの達人でさえ、発狂しても可笑しくない鍛練を、真冬は今より幼い頃から自発的に行っているのだ。

 しかも真冬にしてみたら鍛練ではなく遊びの一環なのだ。

 遊びと言え、それはいい加減な物ではなくて、真剣な物だ。

 強くなることが楽しい。

 強くなれば母が喜んでくれるかも知れないから、楽しい。

 楽しいから遊びと言う意味である。

 不可能だった事を、可能な範囲で実現する。

 擬似的にであっても、まず試す。

 それを教えてくれたのが、師であり戦友の『蜚蠊』である。

 勿論、口頭などで技術云々を師事した訳ではない。

 蜚蠊のと或る動きから、不可能を可能な範囲で実現すると言う、精神性を学んだのだ。

 それは、蜚蠊の飛行だ。

 蜚蠊の飛行を見ていて、真冬は気付いた事があった。

 蜚蠊は蝶や鳥の様に、自由に飛行している訳ではない。

 彼らは滑空する事で、あたかも飛翔している様に動いているのだ。

 その蜚蠊の滑空飛行を見て、真冬は、可能な範囲で不可能を実現する事を学んだのである。

 蜚蠊や、野良猫、溝鼠、世間では意味嫌われる彼らも真冬にとって師匠であり戦友(ゆうじん)だった。

 野良猫は、真冬に人ならざる身体制御を教えてくれた。

 猫ひねり問題──例えば真冬は猫の様に仰向けで落下しても問題なく足から着地出来る。

 真冬が行っている壁に一瞬立ったり、恐らく消力もこうした猫のバランス能力から発展させた技術だ。

 理屈など真冬は知らない。

 しかし、猫の動きを見ていて、そうした技術を自身で可能としたのだ。

 勿論、そうした事が可能となったのは、真冬の優秀な遺伝子による産まれ持った脱力の才覚、強靭な骨格やバネ、柔軟な身体があってこそだ。

 誰でも、思い付いたからと言って出来るものでは無いだろう。

 だが、真冬はそうした知識など持ち合わせていない。

 ただ、蜚蠊や野良猫を師として尊敬し、愛し、感謝している。

 真冬の異常とも言える動物や昆虫への愛情は、こうした過去から形成された物なのだろう。

 真冬の人格形成に、そうした忌み嫌われる者達の存在が影響している事は間違いない。

 

 高さ8mの先にある梯子の足場への跳躍。

 真冬の跳躍力ならば不可能では無いが、仔犬を連れてならどうか。

 そこまでジャンプ出来ても、梯子の足場に飛び移り、仔犬を抱えた状態で、どこかしらを掴む必要がある。

 真冬のバランスなら掴む必要は無いかも知れないが、仔犬を安全なままに昇降する為には掴む方が良い。

 そうした行動は試した事が無い。

 悪樓の追撃を捌きながら行動しなければいけないというのも難易度を高めている。

 

 脳内麻薬により、疲労状態からは解放されている。

 真冬は概ね、脳内麻薬の分泌が常態化しているが、現在の強化された脳内麻薬の分泌がいつまで続くかは、真冬にとっても不明瞭なものだ。

 何にせよ、行動を開始するのは、速い方が良いだろう。

 

 両者は、ほぼ同時に動き出していた。

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