範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ) 作:贋海王
「
どろりとした、異様な声色で、辮髪の男は名乗った。
武術的な構えも取らず、両腕は後ろ手に組まれている。
踵は揃えられ、両脚は真っ直ぐ芯のように伸びていた。
──直立不動と言った様相である。
だが、自然体ではない、どこか違和が見受けられるような佇まいでもあった。
禍々しい『氣』が仄暗く揺らめいている。
「名前なんか、どうでもええんや」
しかし、その苗字が引っ掛かる。
不穏な物が、心中へと、小石の様に投げ込まれた。
──真冬と一緒やんけ。
──血縁者か。
──いや、
──せきしゅうはって
──武術流派か?
──當之と関係あるもんなんか?
たった一つの小石が、心臓に、とてつもない
苗字一つ告げられただけで、リョウガは、一瞬攻めあぐねてしまったのだ。
故に、馬厳の行動を許してしまった。
とはいえ、一般人の目には、行動の起こりさえ始まっていない様に映っている。
馬厳の一連の動作は、そんな時間の流れの中で行われた。
身長183cm体重97kg
馬厳の、武術家として恵まれた体躯が、するりと前進した。
そよ風が吹く様な、緩やかな動きだった。
しかし、それは凄まじく速い。
重心や脚の動きが、どう流れたか分からない、異様な足捌きだった。
そして、先ほどリョウガが弾丸を投げ返し仕留めた男の一人が、腰に携持していた中華包丁を軽く蹴り上げた。
留め金を砕き、革鞘となっているベルトが千切れ、中華包丁が舞った。
いつの間にか、それは、馬厳の右手に収まっていた。
厨房付近に、二十代前半と見られるバイトの女性がいる。
ガラス戸が勢い良く割れる音や、リョウガの啖呵に驚き厨房から、出てきた事が彼女の不運だった。
持ち帰り用の焼き肉弁当を調理したり、キャベツを千切りにするのが彼女の仕事だ。
丁度暇になった時、リョウガが店内に侵入したのだ。
仕事が続いており、顔を出すタイミングがもう少し遅ければ、その不運から免れる事が出来たかも知れない。
馬厳は、風がそよぐ様な動きで、彼女のすぐ背後へと踏み出した。
この様な状況で中華包丁が煌めくと、それは、冷たい凶刃そのものであった。
本来なら、人が生きる糧となる料理を生み出す為に使用される刃が、人体に潜り込んだ。
先ず、女性の右腕が肘関節に近い上腕で切断された。
骨で止まることもなく、容易く断たれたのである。
中華包丁は、実のところ、武器となる様に製作された物でなく、あくまで調理器具を武器に扱っているだけだ。
刃物の切れ味に頼った訳では無いのだ。
ひと息に肉と骨を断つ、それは馬厳の凄まじい膂力と技術、速度が合わさる事でなし得た事であった。
──続いて左腕を切断。
宙を舞う左腕へと、左膝を突き上げる。
そして、更に浮いた女性の左腕の手首へと、膝蹴りを放った左脚を伸ばし脛を疾らせ、打ち付ける。
その左腕は、脛蹴りの衝撃を利用し、リョウガへと放たれたのだ。
もう一本の切断された右腕を宙で掴む。
脛蹴りを打った状態から、右足を軸として独楽の様に回転し、その勢いのまま、右腕を投げた。
一歩程進み、投げられた右腕に追い付くと、それに向けて掌底を付き出した。
掌底のインパクトと同時に、加えて、自身の手首を捻る様に動かし押し込んでいた。
リョウガが行動を許してしまった際の一連の動作である。
2ミリ秒──刹那にも満たぬ間にそれらの動作は終わっていた。
これらの動作の意味は何なのか──攻撃とも思えぬ奇妙な物であった。
リョウガもまた、彼の苗字を耳にした際に生じた動揺から立ち直り、彼と同じ、達人が身を置いている時の流れに突入していた。
馬厳は掌底を打つために伸ばしていた左腕を引きながら、中華包丁もリョウガへと投擲した。
刃が、回転し、リョウガへと飛翔していく。
そして、引き戻した左腕と、中華包丁を手放し自由となった右腕、現れた時は踵を揃え、芯の様に伸びていた両脚──それらは続けて大きく形を変えて、奇妙な構えを見せ始めていた。
心臓に残った重石を、リョウガは小さな呼気と共に吐き出した。
眼前に奇妙な物が迫ってくる。
呼気が擦過音のように空気を震わせ、リョウガは両手の指を揃え掌の中心を窪ませて、空掌の形を作る。
──腕!?なんやねん!?
女性の左腕が、リョウガに直撃する寸前で、突如爆ぜた。
まるで、火薬か何かを仕込まれていたかの様に。
しかし、火薬の匂いはしない。
爆ぜた為か、肉片がリョウガに向かって来る。
血飛沫が、リョウガを紅く染めようと降り注いだ。
肉片と血の目眩ましである。
そして、骨片が散弾となり飛び散った。
右腕も、同じ様に炸裂する。
しかし、左腕よりも細かい粒子の様になり、肉片は骨片と混ざり、合わさり、顔面を叩くのだ。
血は霧となり、呼吸器へと潜り込む。
──當麻塵滅流『
黄泉比良坂で、伊邪那岐命と伊邪那美命を取り持つ、菊理姫に因んで名付けられている。
死者の人体を武器と化して、生者へぶつける、悍ましい秘術である。
それは、死者の伊邪那美命と生者の伊邪那岐命に由来しているのだ。
そして、
両腕を切断された女性は、突然激痛が発生したと錯覚した。
腕が熱い。
上体が跳ね上がり、痙攣を繰り返す。
地獄で責苦を受ける者の様な声が、絶叫となって、女性の喉から、両腕の鮮血と共に迸った。
痙攣し、捻られる上体のせいで、血飛沫が踊っていた。
畝り、空中でのた打ち回るような血飛沫が、血臭と踊った。
血臭は、ロースやカルビ、ハラミなどが焼ける匂いと混ざり合う。
タレの匂いも充満していた焼き肉屋だ。
そうした、焼き肉の匂いを嗅いだとき、恐らく血臭を思い出すだろう。
幻臭として、鼻腔に残り続ける者もいるかもしれない。
今夜、ここに来たものは、二度と焼き肉が喰えない、そんな不気味で恐ろしい、忘れ難い臭いだった。
リョウガは、両腋を締め、両肘を曲げて、空掌を構えた。
両脚を前後に開く。
それは、空手の前羽の構えとどことなく似ていた。
真空が掌に発生する。
すると、リョウガへと飛び散った血が、幾つもの球形となり、掌の前方で、浮かんでいた。
そして、血液の球形は、なんと、空中に溶ける様に蒸発してしまった。
肉片と骨片は空掌に掌握され、吸着するや、乾燥し床に散らばり落ちていった。
肉片は、出来の悪い人肉ジャーキーと言った状態である。
奇妙な構えを描き出し、仕掛けようとした馬厳だったが、そのリョウガの異様な空掌による防御に気付き、動き出すのを止めた。
奇妙な構えのまま、静止する。
馬厳は、リョウガの空掌を目の当たりにして、より強く、心を昂らせていた。
空掌──ここまで面白いとは思ってもいなかった。
馬厳は、まるで、リョウガと視線を合わせようとしているかのように、深く腰を沈めていた。
そして、左脚を前方へ長く伸ばし、右脚をくの字に曲げて後方へ引いていた。
両の拳が奇妙なものだった。
拳を形作り、親指、人差し指、中指を伸ばす。
そして、人差し指と中指を揃え心持ち緩やかに曲げ、親指を添えるのだ。
左手を胸元に、右腕を前方へ僅かに上向きに伸ばしている。
かつてリョウガが行った鶏口拳に似るが、薬指と小指は握られたままだ。
鶏口拳よりも、より狭い範囲を突き刺すように打てる。
その拳のまま、絡めとるように相手を捕らえ、転倒させる事も可能だ。
所謂、
これは、当然、本来の當麻塵滅流に含まれる物ではない。
馬厳が、中国に渡ったとき学んだ技術であった。
彼は、塵滅流の人間であり、當之の血も流れている。
だが、本家の者ではない。
中国人の血も流れているからだ。
石蹴派は、大陸の武術と血が結び付いた、塵滅流であった。
捕食者を狩る被食者──それが、螳螂。
その姿を模した象形拳が蟷螂拳だ。
螳螂は鳥すら狩る。
──呉の迦陵頻伽を、蟷螂拳で狩ってやろう。
塵滅流石蹴蟷螂拳──
馬厳は、跳躍とステップが合わさった、異様な歩法で、リョウガへと間合いを詰めていた。
深く腰を落としているにも拘わらず、ほぼ一度の足の運びで、リョウガへと進んでいた。
リョウガなら二歩、馬厳なら半歩で間合いに入る、そんな距離だ。
しかし、その間合いの差も、身長差を考えての物だ。
リョウガが並みの人間なら確かに二歩だ。
だが、二歩程度の距離は、リョウガに取って意味がある距離ではない。
胸元にあった、蟷螂手を下げる。
伸ばされていた右腕を振りかぶり、勢い良く振り下ろした。
そして、その動作と共に、背後へステップで下がる。
リョウガは、左肘でそれを、ぶつけ合うように受ける。
が、左肘は、虚空に走った。
馬厳が背後へ下がったからだ。
そして、馬厳は、ステップで下がった際にもくの字に曲げていた右足を軸に、身体を半回転させる。
胸元にあった左手がその回転に合わせて、伸びるや、リョウガの白黒反転している右眼球へと三指の先端が迫り、右手が同時に左脚の膝へと襲い掛かっていた。
本来は、ここまで腰を落とさない。
的確に、人体の急所や経穴、経絡秘孔を破壊するための体勢である。
その為、リョウガの目線まで腰を沈める程に落としているのだ。
しかもそれでいて、速度は全く損なわれていない。
膝関節の靭帯を引き裂き、軟骨を削ぎ、膝蓋骨を剥ぎ取る。
それを、馬厳は、人差し指と中指でやってのけるのだ。
リョウガは、半身を向けて、眼球を狙う突きを躱した。
半身から勢いを付けて、彼女も先ほどの馬厳同様回転した。
膝に襲い掛かる蟷螂手を、回転の遠心力を加え右足で弾く。
その瞬間、馬厳は、リョウガの左隣をすり抜ける為、床を蹴ってステップを試みた。
そして、左手首を曲げて蟷螂手の鉤を作り、リョウガの首へ回して、絡め、捕えるのだった。
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