範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ) 作:贋海王
投擲された中華包丁が、漸く追い付いた。
馬厳の速度は、自身が投擲した物体より速い。
首を捕らえ、ほぼ同時──数ミリ秒後、続けて右の蟷螂手も鉤の様に曲げ、リョウガの右膝裏へ絡めていった。
膝裏を鉤に捕らわれ、膝が、くの字に曲がり、上へと引っ張り上げられた。
右脚だけで立つような状態である。
──リョウガは、舌打ちした。
外しの維持を続け過ぎた事が、仇になっているのだと、いよいよもって浮き彫りになりつつあった。
それは、今の攻撃に対しての反応速度の鈍さが、はっきりと理解出来たからだ。
万全な状態で、加えて“外し”ていたら、今の様に首を捕られる事は無かっただろう。
短時間で、外しを行い過ぎたのだ。
ギョンドや劉星龍との戦闘に始まり、急ぐ余り、移動中も外していた。
そして、短機関銃の弾丸を掌握し、投げ返すと言う無謀に近い行動。
それに加えて、さっきの妙な術へ対抗をする為に外したのである。
外している時間、その間に行った事柄、強者との戦闘。身体への負担が大き過ぎた。
問題は、まだあった。
真冬救出が残っている。
故に、この男に関しては、外しを扱わずに勝つ必要がある。
だが、勝てるのか──今の掴みへの反応の遅れ、余りにも疲弊している。
いや、疲弊だけではない──外していないからだ。
外していない本来のリョウガの実力と、馬厳の実力では大きな差があると言う事を表していた。
少なくとも、ギョンドや劉星龍をも、この男は上回っているのだ。
そしてリョウガは、外さなければ、劉星龍にも敗北していた。
リョウガは肘を、馬厳の肩へ落とした。
逃れる為だ。
その瞬間、浮遊感を覚えた。
抱きかかえられる様に、身体を持ち上げられたのだ。
右足が、既に床から浮いている。
──中華包丁!?
リョウガは、持ち上げられた理由を察した。
中華包丁が、馬厳の行動に追い付いたのだ。
そして、その接近する良いタイミングで抱え上げられたのだ。
察したからとて、それに意味は無い。
中華包丁の刃が、人中辺りまで迫っていた。
顔を逸らす。
しかし、完全に躱せない。
僅かなりとも威力を逃がし殺す為に、リョウガは、無寸止めを試みた。
しかし、それも万全では無いのだ。
左の頬を中華包丁の刃が滑る様に撫でて、深々と切り込み、引き裂いた。
刃が走る軌跡に逆らわず、逸らしていく。
そして、深く刃が頬肉に潜り込むと頬骨で、刃の衝撃を止めた。
そこから僅かに頬骨で刃を押した。
中華包丁は頬を切り裂き、そして床に落ちた。
その際に、頬骨を僅かに砕いた。
ぶつりと、血が盛り上がる様に湧き、そして鮮血が噴き出した。
血は口内から喉の奥へ流れ込んだ。
血を飲み込み、気管支に流れた時は激しく噎せてしまう。
頬肉が僅かに捲れる様に垂れた。
もう少し切れた範囲が広ければ、左頬だけ、口裂け女になるような──そんな傷であった。
指を傷口に入れたら、歯や舌に指が触れる──そんな深い傷であった。
──糞が、なんちゅう、くそっ。
悲鳴を上げない。
必死で歯を噛みしめた。
悲鳴を飲み込む。
悲鳴を上げたら負ける様な、そんな気がしたからだ。
何故なら、苦痛故に悲鳴を上げそうになった訳では無かったからだ。
顔を傷つけられた──その悔しさが、悲鳴となりそうであったのだ。
それでは、誰に負けるのか。
馬厳に──ではない。
女であると言う事に負けるのだ。
それに敗北したくないから、歯が砕ける程に噛みしめ口を閉ざし、悲鳴を完全に殺したのである。
だが、敗北はあっても勝利は無い。
悲鳴を上げなくとも、女であると言う現実は変わらないのだから。
「ほう、巧いな、顔面、人中に中華包丁が潜り込むかと思ったのだが」
馬厳は、喉の奥で笑い声を洩らした。
どろりとした、汚泥のようなぬめりがある、仄暗い声で、リョウガを称賛するのだった。
称賛の言葉を紡いだその口が、リョウガの右肩へ食らいついた。
突然の奇行めいた攻撃であった。
石蹴蟷螂拳──本来螳螂は捕らえた獲物を食らう物だ。
故に、こうした嚙み付きすら、蟷螂拳は技としているのだ。
螳螂の口吻は、獲物に食らい付き、噛み砕くように出来ている。
ならば、当然それを模倣するのである。
「な、ば、馬鹿な」
谷村が、異様な格闘に絶句する。
嚙みついた状態で、馬厳の頭部が上がり後方に反れていくのを谷村は見ていた。
つまり、馬厳は、リョウガの右肩の肉を噛み千切ろうとしているのだ。
馬厳は、そして首を振った。
リョウガは、右肩に凄まじい熱を感じた。
熱は、突然発生した激痛だった。
熱さと激痛が、脳に響いた。
その熱は、異常な頭痛さえ引き起こし、胸元と胃にも熱い泥が出現し、それが、喉に上がってきた。
噎せる様な熱さが喉に残り続け、呻きと呼気が何度も溢れた。
馬厳は、何かを吐き出した。
しかも、狙ってやったのか、鉄板があるテーブルに赤黒い物が音を立てて乗った。
衣服の布切れがへばりついた、リョウガの肉片が、焼き肉の鉄板で焼かれだしたのだ。
近くにいる客の鼻腔を、リョウガが素材となっている焼き肉の匂いが擽った。
リョウガは、鈍い痛みもある胃から上がってくる物で
「糞禿げが、やってくれるやん」
辮髪を禿げと呼び、リョウガは、胃液などの吐瀉物と共に悪態も吐いた。
「無寸止めは巧かったが、お前の焼き肉は旨いかな?」
リョウガは、自身の肉片が鉄板で焼かれているのを見ている。
「後で、味見しとくわ、あんた殺してからなあ」
凄まじい激痛に汗が止まらない。
肩が熱い。
しかし、それでも、そう返す。
だが、抱えられ、脚の一本も床に着いていない、そんな状況が続いているのだ。
逃れ様と、自由な右脚、両肘を、繰り返し打ち込んでいく。
しかし、こうした体勢だ、いかなる打撃とて、まともな威力になる筈がない。
真冬であれば、こうした状態でも、攻めの消力により、威力が変わらない打撃を与える事が出来る。
だが、リョウガの場合、ある程度の速度や角度、タイミング、バランスの幾つかが打撃を行うのに必要だった。
そこは、常識的な範疇にいる格闘家と変わらないのだ。
「ハリガネムシ……」
馬厳が呟いた。
「はあ?なんやねん……」
ねん──そこで、一瞬言葉が途切れ、リョウガはここで思考するより先に、絶叫を上げた。
身体を貫かれる様な、脳天まで一気に電流を流し込まれる程の衝撃だった。
その電流──無論、電流ではない。
電流と錯覚する程の激痛が、走ったのだ。
電流が流し込まれた。
そう錯覚した部位。
それは、肛門であった。
リョウガを抱える体勢は、彼女のそれを探り当てる事が容易いものである。
膝裏から太股へ絡めて、蟷螂手を上昇させた。
スカートの中に潜り込み、蟷螂手を下着の中へと滑りこませ、中指でつつき、押し入れて一気に、中指、人差し指、親指を突き刺した。
そして抉る様に指で掻き毟ったのである。
ハリガネムシ、螳螂の肛門から出現する糸状の虫の事だ。
肛門を突き刺す、石蹴蟷螂拳の形象拳であった。
肛門への攻撃は当然危険なものだ。
場合によっては腸が傷付き、破裂しかねない。
肛門裂傷により、人工肛門での生活を余儀無くさせる場合だってある。
こうした、闘争の中では、大抵は爪先などで蹴り上げる事が上げられるだろう。
だが、貫手や武器を用いる事もありえるのだ。
馬厳は、ハリガネムシに因んだ一撃を、肛門に叩き込むのである。
まだ、蟷螂手はリョウガの肛門に突き刺されていた。
掻き混ぜる様に動かすたび、リョウガは絶叫した。
異物感がもたらせる激痛に、リョウガはついに、涙まで流し、声を張り上げて、痛みを訴えてしまった。
痛いと、何度も繰り返し叫ぶ。
すると、更に激しく突き刺し、蟷螂手を突き
蟷螂手が血に染まり、濡れていた。
リョウガの身体は、小刻みに震えている。
痙攣しているようでもあった。
いつしか、失禁までしていた。
それに気付いた馬厳の口角が嘲笑のためにつり上がる。
リョウガから、力がすっかり抜けた時だ。
意識を手放してしまったのだ。
馬厳は、リョウガを抱えたまま俯せに倒れる様に身体を傾けていく。
そして、リョウガの後頭部を床に叩きつけ、仰向けに倒れこんだ彼女の腹の上に尻を乗せ、動きを完全に封じたのである。
体勢としては、所謂マウント・ポジションと言うものだ。
後頭部を床に叩き付けられたリョウガは、その意識を取り戻すのだった。
血に濡れた蟷螂手を、リョウガの小さな唇に押し付けた。
だが、口を閉ざしているリョウガの、裂けた頬の内へと、まるで陰茎を膣口に捩じ込む様に突き入れ、そして、僅かに残る傷口と口唇の境を裂いて、傷を広げたのだ。
左側の口だけ、頬骨辺りまで裂けていた。
螳螂が、迦陵頻伽を狩っている。
捕食者である鳥が、被食者である螳螂に狩られようとしていた。
「螳螂が、ハリガネムシにやられるんやろ、ふつう、あほかいな」
口が、裂けているからか、言葉がどこかまともに紡げていない。
しかし、呉の迦陵頻伽は、凄まじい気迫を秘めて、唄うように悪態を吐いた。
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