※この作品はR-18です。

範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ)   作:贋海王

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迦陵頻伽の翼

 幽かに、床を蹴る音が鳴る。

 馬厳(ばげん)が背後に跳んで、リョウガの膝蹴りを躱したのだ。

 スカートを足の指で掴んでいた右脚は折り畳まれ、左脚で床を蹴っていた。

 そして、右足を直ぐに伸ばし、後ろに下げ、それに体重を掛け、重心を置いて、床に立った。

 さっきとは逆に、左脚が前方にあった。

 

 リョウガが、嗤っている。

 馬厳は、その不気味な笑みに、僅かに戦慄する。

 自身が行った事とは言え、右頬が裂けているため、嗤うと右の口角が異様に割れて吊り上がるのだ。

 魔物(マ)の笑みであった。

 

「しぃ~なこぉ~くの~ぉ」

 

 嗤いながら、リョウガは、奇妙なリズムで、言葉を紡ぎ出した。

 それは、ある種の『唄』であった。

 旋律が童謡や唱歌、遊び唄に似ている。

 

 しかし、迦陵頻伽のこの唄は、そうした平和的な物ではない。

 呉の迦陵頻伽は、唄で相手の『怒り』を誘っているのである。

 

「街(まっち)な、かでぇ~、いっつでも、聞、こ、える、豚(っぶった)の声ぇ~」

 

 嗤いながら、続けた。

「とぉ~殺(さつ)さぁ~れて、ぶぅぶぅぶぅ、し~ぃ~なぁじん、とぉさぁつ、ばぁらばらぁ~」

 

 異様な旋律で紡がれるその唄を聞き、明らかに馬厳から発せられる気配が変わった。

 腹の中に、焔を宿したのか、彼から凄まじい熱気が立ち上っていた。

 

 彼の三代前、當麻塵滅流を修めていたその男は、当時の宗主の命で中国に渡った。

 中国拳法の技術や理合を奪い、手にする為である。

 様々な擂台賽(らいたいさい)で、多くの達人を屠(ほふ)り、その技術(わざ)を盗んだ。

 その中には、当時の海王も含まれる程であった。

 そんなある日のことだ。

 彼はある女と出逢った。

 ごく自然な、出逢いである。

 女を利用し、彼を堕落させようと考えた何者かに宛がわれた訳でも無い。

 そして、愛し合い、子を産ませた。

 だが──それが良くなかった。

 當之の血に、日本人以外の血を入れたからである。

 當麻塵滅流は、血に厳格だ。

 日本人であっても、例えば北海道のアイヌ人の血、沖縄の琉球人の血ならば、入れる事を許さぬのである。

 

 故に、いつの時代かには、近親婚を繰り返した歴史もある程であった。

 

 当時の當之家、塵滅流宗主は、彼を破門にこそ、しなかったが、本家からその名前を消したのである。

 その男が當麻塵滅流石蹴派を名乗る事になり、今に至るのだった。

 

 そうした理由もあるからか、馬厳の精神を逆撫でする唄であった。

 リョウガもまた、自身が女である事にコンプレックスがある。

だからこそ、相手の怒りを誘う術を心得ており、それを衝くのだ。

 

 かつて金剛拳を修練する寺院に属する修行僧へ、態と日本語で語りかけた事からも、リョウガがそうした手段で相手の怒りを誘う術を多用する事が窺えるだろう。

 あの時は、最初から中国語で語り掛けても、女人であるリョウガが相手にされる事は無い。

 侮られ、無駄に時が流れるだろう。

 それ故に、怒らせて相手から仕掛けて来るように誘ったのだ。

 そして、怒り仕掛けて来た相手を傷付けること無く無力化し、大多数の修行僧を叩きのめし、遂には海王を引き摺り出すことに成功したのであった。

 

 リョウガが、唄う、この──あえて名付けるなら『誘(いざな)い唄』は、後半のリズムはリョウガのオリジナルだが、昭和の頃に女児がゴム跳び等を楽しむ際に歌われた遊び唄の替え歌であった。

 その時代の女児達が、差別的な意味合いを込めて歌っていた訳ではない筈だが、その国民当事者が聞いたら良い気はしないだろう。

 

 未来の話だが、中国人の血を引く少女と恋仲になるリョウガである。

 本来ならば、別段偏見もなく、差別的な意味合いを込めて、こうした唄を歌う事は無いであろう。

 だが、闘争──その中で、相対する者の怒りを誘うためならこんな替え歌も唄い、罵倒もする。

 ──手段は選ばぬのである。

 

「さぁ、皆も一緒に唄ってなぁ!」

 

 リョウガは、野次馬達に語り掛ける様に声を上げた。

 二度、軽く手まで叩く、念の入れようだった。

 

「しぃ~な」

 

 唄い出した。

 

 その時、鋭い呼気が、馬厳から吐き出された。

 息で、相手を裂いてやろうと、そんな意志が込められている、短くも鋭い、鞭が振るわれた際に生じる音のような呼気であった。

 その呼気と共に、左脚が疾った。

 中足による蹴りが、素早く噛み付いてくる蛇の様に伸びて襲いかかったのだ。

「こぉ~」

 

 リョウガはそれを自身の右肘で受ける。

 インパクトの瞬間、ぶつけあった右肘を捻る様にしてかち上げた。

 馬厳の左脚が跳ね上がる。

「くの~ぉ」

 

 リョウガに釣られて歌い出す野次馬が何人かいた。

 元の唄を歌う年配の者もいた。

 

 しかし、唄を、野次馬が共に歌える──それは、奇妙な状況だった。

 

 時の流れが、技を打つ速度が、達人が身を置く時間では無かったのだ。

 どこかプロレスリング的に、他の野次馬をも巻き込み、唄う。

 彼らにも時間を共有させている。

 つまり、リョウガは馬厳の速度を支配しているのだ。

 怒髪天を衝く、そんな怒りを持ったが故に、リョウガの手によって、動作そのものを掌握されているのである。

 相手の速度を掌握する……リョウガの空掌は人心をも掌握し、相手の時の流れさえ支配するのであった。

 

 リョウガは五指の先端を揃え突き出す様に拳(けん)を固めた。

 揃えられた中指と薬指、そして親指で、同じく揃えられた人差し指と小指を挟む奇妙な拳(けん)であった。

 鶏口拳(けいこうけん)──それは、蟷螂手(とうろうしゅ)に似た形だが、揃えられた指の数が異なっている。

 蟷螂手は、薬指と小指は握られおり、親指は、半ば添えられた形である。

 

 リョウガはその左拳を、かち上げ、弾いた馬厳の左足、土踏まず(・・・・)辺りへと、アッパー気味に叩き込んだ。

 

 鳥の嘴が、先程まで螳螂であった男を啄んだのである。

 

 左脚は更に跳ね上がり、バランスが崩れる。

 ──本来なら。

 だが、馬厳は伸ばされている左脚をそのままに、自身の意思を持って更に振り上げ、踵をリョウガへと落として来たのだ。

 

 何処と無く、古武術や中国拳法というよりも、韓国のテコンドー的な、鋭い、踵落としであった。

「街(まっち)な、か」

 

 リョウガはそれを左腕一本、手の甲側の手首辺りで受けた。

 肘を曲げ、手首も緩くくの字(・・・)に反っている。

 傍目には、幼子が片腕でガードしたので、軽い一撃に見えたかも知れない。

 しかし、すぐにその衝撃の凄まじさが、誰の目にも、明らかとなるのだった。

 リョウガが立つ床に、亀裂が生じた。

 間を置かず、轟音と共に、クレーターのように陥没したのだ。

 

 リョウガの左手首に左脚を置いたまま、馬厳は跳び、身体を左向きに回転させた。

 そして、右脚の脛を走らせたのだ。

 

 少女の腕に脚を置いたままの回転。

 その腕には大の男の重量がかけられる。

 転倒しても不思議ではない。

 転倒しないのは、リョウガだからか……?

 違う。

 それが、仮に、武術の心得が無く、授業以外ではスポーツをしたことも無い、深窓の令嬢……一際(ひときわ)、文学少女である、その様な少女の細腕に、同じ様に脚を置いたまま跳び、回転しても、その少女は転倒しない。

 その腕は、羽毛程度の重さも感じないのだ。

 

 消力(シャオリー)、馬厳は長らく中国拳法に接したことで、この中国武術における高等技術を、会得していたのである。

 

 連続で繰り出される踵落とし、脛蹴りと言った足技。

 石を蹴ると書いて石蹴(せきしゅう)──その名前通りの、見事な蹴り技であった。

 

「でぇ~」

 

 顳顬を襲う脛蹴りだったが、リョウガは腰を深く落とした。

 脛蹴りは、彼女の頭上を切り裂き、通過する。

 馬厳は、身体を捻り、続けて後方転回し、床に降り立った。

 

 リョウガが『でぇ~』と唄うのとそれは、同時に行われ、彼が後方転回するより前、リョウガが腰を落とした時くらいだろう。

 

 肉が裂かれる様な、恐ろしい音が響いた。

 床に降り立った瞬間、馬厳の左足首が、ぐねる様に、折れ曲がった。

 転倒しかけるが、右脚に力を込めて、膝立ちで踏み止まった。

 

「いっつでも」

 

 リョウガのくの字に曲がっている手首の上に、血塗れの肉片が吸着していた。

 踵からかけて抉り剥がされた、アキレス腱と踵の一部である。

 手首周りに真空を発生させる、手首による空掌であった。

 腰を落とすことで、空掌は、踵とアキレス腱を抉り剥いだのだ。

 

 その肉片を、リョウガは手首に吸着させた状態から、投げた。

 馬厳の右目に向けてだ。

 馬厳は、頭を振り、それを、躱す。

 飛び散る血が、顔に附着する。

 

 「でも」と唄う、その二文字の間くらいだろう。

 リョウガは、右手を上へ向けて突き上げた。

 右腕が一本の棒の様に立ち、掌は天井に向いている。

 掌は、空掌の形だ。

 五指が揃えられ、掌中央には僅かな窪みがある。

 

 すると、リョウガはそのまま軽く跳躍すると、天井に引き寄せられる様に浮いたのだ。

 そして、天井に掌が吸着した。

 自身の身体を、空掌で、天井に引き寄せさせたのだ。

 

 迦陵頻伽は、まるで、妖怪『天井下がり』の様になっていた。

 左拳で、先程の鶏口拳を形作っている。

 

 天井下がり……天井へ空掌を吸着させていると、確かにそう見える。

 だが、不思議な事に、この場でリョウガを見る者は、馬厳、野次馬全員が、天井下がりではなく、ある生き物を幻視していた。

 

 リョウガは、その状態で、左腕を下方へ向けていた。

肘を僅かに曲げて、奇妙なリズムを取るように動かしていた。

 そして、右脚を揺らし、左膝を曲げており、それは揺らしていない。

 

 スカートの中……下着を着けず、覗かれたら陰部を見られる、そんな体勢だ。

 覗きに行きたい野次馬が何人もいた。

 だが、リョウガは既に、その様な体勢であっても、気にも止めていなかった。

 

 覗きに行きたいと、邪(よこしま)な念に囚われる野次馬達も、すぐに、それを捨てさる事になる、幻視。

 

 そこに、プテラノドンが飛翔していたのだ。

 翼開長、凡そ4mの雌のプテラノドンがそこにいた。

 

 象形拳──

 名付けて『翼竜拳』である。

 

「聞っ、こっ、える」

 

 ──鋭い声で鳴きながら、上空から、獲物を狙い、プテラノドンが強襲した。

 

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