範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ) 作:贋海王
窓を閉ざしていても、雨音と雷鳴が、耳に届く。
暗い空が泣いている。
雷鳴は、まるで、慟哭だった。
寝間着ではなく、私服のままである。
彼女の通う学校は、制服ではなく、私服通学だ。
学校から帰り、一度も着替えていないのだ。
食事もしていないし、風呂にも入らず、そこにいた。
枕の隣には、何時間か前に、血縁上の父親である柏木修と話した携帯電話が置かれている。
電話連絡やメールがあれば、すぐに手を伸ばして、確認出来る。
しかし、電話が掛かって来ることも、メールが届くこともなかった。
高い天井には、蝋燭を模した装飾の高価なシャンデリアが吊り下がっている。
その明かりは消えていた。
サイドテーブルに置かれた、二本足で立って両手を挙げて奇妙に踊っている──そんな不思議な茶トラ猫を模したテーブルランプだけが、この部屋で、薄く赤色の灯りを点している。
今夜はもう一つの明かりとなっている雷の光りが射してくる出窓には、白いカーテンが下がっている。
出窓には、鉢植えの小さなサボテンが鎮座している。
実は、これは、真冬と再会してから、二人で様々な買い物をした際に、真冬が選んでくれたものである。
故に、翠にとってこの部屋に有るものの中で、茶トラ猫のテーブルランプに並ぶ宝物であった。
ベッド脇のその出窓から見える景色は、一面の大庭園である。
敷地の外は、遥かに遠い。
門扉まで、車が必要ではと、翠の友人がそんな冗談を言ってしまう、そんな敷地だ。
なんと、その庭園には、ちょっとした森や川まである。
池は、まるで小さな湖で、その畔には、ボート乗り場も有った。
窓から眺めて、背の高い建物なら遠目でやっと、ぼんやりとなら見える、彼女が住むのはそんな広大な敷地の中に建っている、まるで城のような大邸宅である。
──広い部屋だ。
天井は大理石、床は一面絨毯が敷かれている。
真っ白い壁紙、その壁の窓にはステンドグラスがはめられている。
当然、彼女の自室も広いのだ。
その部屋だけで、城之内翠がひとかたならぬ──有り体に言えば『御嬢様』であることが窺い知れる。
クイーンサイズのベッドがあっても、部屋のスペースにまだまだ余裕がある。
洋服箪笥だけで四棹も置かれている。
中には衣服だけでなく、装飾品の類いも納められている。
二人掛けのソファーと、その前にガラス製のテーブルとブラウン管テレビ、ビデオデッキがある。
大型のブラウン管テレビはそのソファーに座り視聴することも、ベッドに寝そべりながら視聴出来る角度で置かれている。
テレビの近くには複数のテレビゲームのハードが置かれており、近くの棚にはそれらのハードで遊べる様々なディスクやカセットが並べられている。
本棚がベッド近くの壁に添って並んでおり、少女漫画や小説が詰まっていた。
本棚に入りきらない、書籍が層になって詰まれている。
あまり使われて無さそうな小綺麗な勉強机には、パソコンもあった。
ゲームなどは、彼女の物では無く、暫くこの屋敷で暮らしていた従姉妹の物である。
本棚に入れられていない書籍群は少年漫画やライトノベルだ。
これらもその、従姉妹の所有物であった。
翠は泣き腫らした目を擦り、ふと、パソコンを立ち上げ、あの悍ましい『祭り』が今も続いているのか、調べたくなった。
父は、あの子……當之真冬を救ってくれるだろうか。
少なくとも、なんらかの手段を用いて動いてくれているだろうか。
──気が狂いそうだった。
──殺してやりたい。
ナイフを突き立てて殺してやりたい。
銃器で撃ち殺したい。
戦車が欲しい。
戦闘爆撃機が欲しい。
核ミサイルを撃ち込みたい。
遥か衛星軌道上、そこに漂うスペースデブリをすべてアイツらの頭上に落としてやりたい。
皆殺しにしたい。
真冬を苦しめるものをみんな殺したい。
だが、どれだけの殺意を抱いても、何にも出来ない。
所詮は、妄想に過ぎない。
──自分ではどうしようも無い現実に、悔しさと悲しさで気が狂いそうになるのだ。
翠は今年中学校に進学する。
小学校高学年にもなれば、性教育もあるので、セックスなどの知識も、それら教育の範囲内で持ち合わせてはいた。
しかし、真冬に対して行われているものは、そうしたセックスからは、余りにも、かけ離れた物であった。
あれは、虐待や拷問の領域なのだ。
最初、翠が通う小学校で、それに気が付いたのは比較的、所謂不良少年であった。
金持ち、御曹司とも言って遜色の無い生徒だが素行に難がある。
大人になれば、上級国民であることを盾に悪行を成しそうな男子だった。
彼はその画像や動画を見せびらかした。
特に女生徒に、その中で美少女とも言える生徒には執拗に見せ付けて来たのだ。
翠も当然、ターゲットだった。
しかし、翠は、その画像に食い付いた。
真冬のパンパン祭り──
意味が分からない。
だが、その画像には明らかに真冬が凌辱される姿が写し出されていた。
真冬のパンパン祭り──真冬とは、当然真冬の事だ。
特別寒い冬の事ではない。
祭り……恐らく、こうしたネット上の騒ぎを称して祭りと言う、そんな文化を聞いた事もある。
では、パンパンとはなんだ?
それは、翠には、理解出来なかったが、真冬を貶めるなにか、そんな単語なのであろうとは、考える事が出来た。
幾つかの画像を見て、翠は、その行為の悍ましさに嘔吐してしまった。
動画から聞こえる真冬が泣き叫ぶ声を耳にして、その時も嘔吐を繰り返した。
学校は早退し、直ぐに、父である柏木に連絡したのである。
思い出すだけで、胃から熱く、苦しい物が混み上がってくるようであった。
真冬の苦痛を思うと、涙が止まらなかった。
真冬──
苦し気に、何度、その名を呼んだろうか。
あの画像を見るまでも、何度も何度もその名を呼んだ。
逢えないでいた日々も、再会してからも、彼女の耳にその呼び掛けが届かない場所であっても、真冬の名を呼んだ。
ふと、気が付けば、その名を呼んで、顔を思い浮かべていた。
白い髪、白い肌、血が通っていない様な不自然なまでに白い死人のような口唇。
そして、虚ろな紅い双眸。
先天性色素欠乏症、そんな言葉まで愛おしい。
ゴシックアンドロリータに身を包む愛らしい姿。
初めて出逢った時の、槍の様に鋭い姿。
翠──初めて、そう呼んでくれた時の、真冬の声も、何度も反芻するように思い出す事もあった。
たどたどしい、他人の名前を呼び慣れていない、そんな声色なのに、愛おしい。
幽鬼のような、か細く囁くような声が、耳から離れる事が無かった。
友人や従姉妹には「ストーカー?」などと、からかわれもする程、真冬を思い続けていた。
逢えなくなって一年、翠は、忘れられない真冬の姿と声、その幻影を虚空の中で追い続けるその内に、ふと気が付いた。
あぁ、私はあの子が好きなんだ──と。
好きとはどういう好きなのか──
考えるまでも無かった。
同性の真冬へ、恋焦がれているのだ。
同性……思えば、あの時、真冬が少女だから気になったのだ。
同性だから、好きになったのだ。
少女が放つ、異様な一撃に。
少女が、力士を打ち倒す、その姿に。
少女だから、忘れられなかったのだ。
少女なのに、鋼板を穿ち、自分より遥かに大きな力士を打ち倒してしまう、そんな姿に惹かれたのだ。
枕に顔を埋め、真冬と呼び続ける。
生きて、あの子に逢いたい。
逢えたら、どうしよう。
何も言わず、ただ抱きしめよう。
あの子が、苦しい事を忘れられる様にするんだ。
いっそ、一緒に暮らそうかな。
そうだ、それが良い。
幸せにしよう。
──私が。
しかし、それは、虚空に描かれた幻想である。
また逢えるとは思えない。
あんなに強くても、既に精神に異常をきたしている可能性だってあるのだ。
考えたくないが、しかし、既に殺されている場合すら、あり得るだろう。
東城会の若頭である父でさえ、どうしようも無いと言った、真冬を捕えている者……そんな連中なら、人を一人殺しても、なんら危うくなりもしない、恐ろしい組織、あるいは個人なのだろう。
所謂、上級国民──それも途方もないレベルの存在なのだ。
声を押し殺し、翠は、泣いた。
既に、深夜二時である。
そんな時刻に、自室のドアがノックされた。
誰だ──
翠は、身体を起こして、ベッドから立ち上がる。
そして、返事を返さず、ドアへと走った。
もしかしたら──
良い報告か──
悪い報告か──
それでも、真冬に関係する何かを報せに来てくれたのかも知れない。
そう、考えた訳ではない。
しかし、真冬、その関連する何かだと、頭ではなく、身体が判断し、動いてしまったのだ。
真冬と、ドアへと辿り着くまで、何度もその名を脳裏で叫んだ。
ドアを開ける。
「え……」
そこに立っていたのは、女性だった。
知った顔だ。
しかし、真冬とは全く関係のない女性だ。
だが、とても好きな相手である。
真冬へ向ける『好き』とは異なる好きである。
イタリアに帰っていた従姉妹の顔だった。
「ただいま──翠……」
女性は、一瞬、いきなりドアが開いたからか、驚いた様な表情を見せたが、直ぐに、何処とはなしに哀しそうな笑顔となり、翠に飛び付き、両手を回した。
翠より、背が高い。
まるで、包み込むように抱き締めた。
金色の髪の女性だ。
女性と称したが、その背の高さから女性と言ってしまうだけで、実年齢は、少女である。
「おねぇさま……?」
翠より一つ上になる13歳の少女だ。
白いブラウスに、青いフレアスカート。
見た目から、海外の高貴な令嬢や姫君を思わせる。
美しいサファイアの碧眼が、翠を見詰め、柔らかく細められた。
173cmと、13歳の少女としては、かなりの長身である。
イタリア人女性と、日本人男性の混血だからであろうか。
彼の父は、翠の母の弟だった。
「大丈夫?叔母様から……話し聞いたよ。苦しいよね、ごめんね、傍にいられなくて」
金色の髪をポニーテールに結っている。
紅いリボンが、どこか大人っぽい見た目のなか、年相応らしさを感じさせる。
その碧眼は、僅かにつり目がちで、なのに何処か柔らかで──それは、まるで猫の……特に、愛情深い性格であるシャム猫やカラス猫などの双眸を思わせた。
見目も踏まえると、彼女はアビシニアンのような少女であった。
日本に戻ってきたのは偶然だ。
しかし、翠の事を思えば、帰って来て、良かったと彼女は思った。
翠の母から真冬に関しての
「暫く、こっちにいるから……」
少女──アンナ・オーリッツは、翠の清らかな黒髪を撫で、そう言った。
そして、彼女の存在が──
真冬と翠の関係に、大きな影響を及ぼす事になるのである。
翠が秘める真冬への愛──
真冬が未だ気付けぬ翠への想い──
それも、また、大きな畝りの中に飲み込まれていき、これまでと大きく異なって行く、そんな変化が、二人に生じようとしていた。
二人を取り巻く騒乱と大禍、そして深愛、それは、アンナの日本への帰還が始まりであった。
『仕切り直し、没ネタエピソード』は削除し、残骸置場に入れた方が良いですか?
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そのままで良い
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残骸置場行きが良い