※この作品はR-18です。

範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ)   作:贋海王

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河津掛け

 

 鈍いが、堅く太い音がした。

 高所から落とした金属の塊が、コンクリートに直撃した時に、そんな音が発生するかも知れない。

 

 そして、その音とほぼ同時か、一拍遅れて、爆ぜるような、破裂するような、轟きが生じたのだ。

 

 投身自殺──

 人が──例えばビルの屋上から身を投げ出し、コンクリートの地面へと叩き付けられたときに聞こえる、そんな音であった。

 無論、ここは投身自殺の現場では無い。

 

 ──河津掛け、または、河津落とし。

 大相撲決まり手八十二手の一つ。

 或いは、プロレスリングの投げ技だ。

 河津落とし──往年の名プロレスラー『マウント斗羽』が得意とする技である。

 プロレスに興味が無くとも、日本人なら誰もが知っているプロレスラー、マウント斗羽。

 身長209cm体重150kg希代の巨人レスラーである。

 

 その巨躯から繰り出される、ど迫力の河津落としを、テレビなどの映像で観る機会も多いだろう。

 

 蒙将龍が掛けたバックドロップへの返し技として、剛志がそれを繰り出したのだ。

 鉄神『ルゥ・セーズ』

 ──二十世紀最強と名高いこの外国人レスラーのバックドロップを、昭和プロレスの英雄『力剛山』が、河津落としの体勢で堪えた姿も有名な話だ。

 そして、剛志は、その体勢からバックドロップに耐えて、更に、河津落としを仕掛け、成功させたのである。

 

 蒙将龍はまず背中から落とされた。

 そして、ほぼ同時に、続けて後頭部がコンクリートの地面へと叩き付けられたのだ。

 

 プロレスのリングの上ではない。

 リングのマットとて、素人が背中や後頭部を叩き付けられたなら、呼吸すら出来なくなるだろう。

 マットは硬いのだ。

 だが、マットには弾力が有り、ある程度の衝撃を殺してくれる。

 

 土俵でもない。

 無論、土俵は固い。

 それでもコンクリート程の強度では無いだろう。

 あくまでも表面は固められた土や、撒かれた砂である。

 そうした砂は力士の足にかかる負担を減らすためのものだ。

 

 リングであれ土俵であれ、レスラーや、力士の安全性を考慮した構造が、なされている筈だ。

 

 それらと比べて、コンクリートの地面。

 ──そこに叩き付けられ、只で済む筈が無い。

 このコンクリートの地面の上で、格闘技を行うことなど考慮されている訳がないのである。

 安全性など皆無なのだ。

 

 頭から落とされたら、間違い無くかち割れる。

 それだけで、命を奪われる可能性だってあるのだ。

 

 蒙将龍の後頭部と背中が落ちたコンクリートの地面に、亀裂が生じ、陥没していた。

 剛志の河津掛けの威力の程が、理解出来る、コンクリートのクレーターであった。

 

 忽ち、亀裂に雨が流れ込む。

 豪雨の為か、クレーターは直ぐに水溜まりとなっていた。

 そして、みるみる内に、その水溜まりは朱く染まっていった。

 朱く染まった水溜まりから、亀裂へとその朱色が這って行く。

 毛細血管にくまなく循環する血液を思わせた。

 

 その朱色は、蒙将龍の血液によるものだ。

 叩き付けられた後頭部が、割れていた。

 そこから、どくどくと流血しているのだ。

 

 剛志は、ゆっくりと立ち上がる。

 追い討ちは掛けなかった。

 ──鉄板や重しで補強された革靴で、踏みつける。

 ──馬乗りになり、殴りつける。

 どうとでも、追い討ちを掛ける事が可能だったろう。

 だが、敢えて、そうしなかったのだ。

 

 ──決まり手は、河津掛け

 相撲で、元横綱に勝った──

 そう、主張するかの様であった。

 剛志が仕掛けたのは河津落としではない。

 河津掛けなのだ。

 そこから、追撃を仕掛けたら、それは相撲ではない。

 

 故に、剛志は、河津掛けのみで、攻撃の手を止めたのである。

 剛志は、仰向けに倒れている蒙将龍の傍らに立った。

 そして、顔を覗き込むように見下ろしていた。

 

 剛志は、嗤っていた。

 裂けた鼻から、今も幾つもの朱い筋が這い、伸びている。

 血に塗れた凄まじい笑顔だった。

「どうした、元横綱さんよ。あんた、相撲で負けたぜ」

 

 その瞬間、蒙将龍の巨躯が跳ね上がる。

 水飛沫と血飛沫と共に、宙を舞ったかと思うと、両の脚で、しっかりと地面に根を張るように降りたった。

 後頭部が、割れているにも拘わらず、蒙将龍は立ち上がったのだ。

 頭蓋骨に、罅の一つも入っているだろう。

 

 恐ろしい、執念の様な物が内部に沸き立っているのだ。

 

 蒙将龍の双眸がすっと細められた。

 元から線のようだった物が更に細くなっている。

 表情からは、その感情の裡にあるものが全く読み取れ無くない。

 

 立ち上がり様に──蒙将龍は、下から左拳を振り上げた。

 凄まじい、速度だった。

 それは、もはや力士の動きでは無い。

 確かに、蹲踞の姿勢からのぶちかまし──そのスピードは、世界最速のランナー『ウィルバー・ボルト』が短距離を走る際の初速に匹敵する。

 しかし、この蒙将龍の速度とは、打撃を放つ速度の事だ。

 身のこなし、体捌き、そうした速度が、力士では無く、格闘家のそれなのだ。

 

 80kg以上の脂肪を落とし、筋肉に変えた。

 更にそこから、体重を増やした。

 増えた体重は筋肉の量による物だ。

 

 体重が減ったと言うことは、土俵際の勝負を棄てた事に他ならない。

 しかし、筋肉が大幅に増えている。

 脂肪を考慮に入れなければ、間違い無く、真冬に敗れた頃と比べて、今の筋肉の量感は遥かに巨大な物なのだ。

 

 しかも、打撃の為の筋肉である。

 それは、しなやかな物だ。

 魅せる為の筋肉の様に固いだけ、或いは薬で作った見せ掛けの筋肉なら、体捌きは鈍るだろう。

 手に入れたのは、人体を破壊するための筋肉である。

 

 となれば、膂力は当然ながら、打撃の速度も、体捌きのスピードも、横綱時代を遥かに上回っているのだ。

 

 ──意気がるなや、小僧。

 ──相撲で勝っただと。

 ──だから、何だ。

 

 肚裏に、ゾワりと、獣が生まれていた。

 獣は、牙を剥き出しにしている。

 肚を破り、肉の内側から滲み出している。

 まさに、獣の気迫だった。

 

 ──俺はなぁ、真冬に勝ったんだぜ。

 ──真冬に負けたままの、お前とは違うんだよッ。

 

 蒙将龍の尖らせた口から、金属同士を擦った様な高く硬い呼気が、烈帛の気合の如く、発せられた。

 

 肉を打つ音が響く。

 そして、不気味な音も、聞こえた。

 

 その攻防は、一瞬だった。

 

 蒙将龍の左拳が昇り龍の様に打ち上げられた。

 疾走するそのアッパーは、剛志の下顎を狙っていた。

 人体がぶつかり合う、最初に、生じた音がこれだ。

 左アッパーが、剛志の右掌と衝突した。

 

 剛志が、衝突の瞬間、右手の甲へと鉄槌打ちを放つ。

 両者の骨が軋んだ。

 剛志の甲、蒙将龍の左拳の骨だ。

 続けて剛志は、その左拳を鷲掴みにし、握りしめた。

 

 アッパーを放った蒙将龍の左腕は、突き上げられ、真っ直ぐな棒或いは軸のようになっていた。

 剛志が上から左腕を圧している。

 しかし、棒になっていた時間は、3ミリ秒程度だ。

 直ぐ様、肘を曲げ、剛志から掛けられる力を逃がした。

 

 そして、右脛で剛志の左足首を薙るように叩いた。

 同時に、右掌を剛志の股間へと振り上げたのだ。

 

 ──ここで、厭な、不気味な音が聞こえた。

 肉が潰れる、ゾッとする音だ。

 打ち、ぶつかり、圧され、潰れる。

 小さな肉の塊が破裂し潰れる音。

 軽い音の後、そんな音が響いたのだ。

 

 蒙将龍の左手には小指が無い。

 真冬に噛み千切られ、指詰(エンコ)力士のあだ名の由来となった小指である。

 小指が失われている故に、拳を固めても、握力の安定性に欠けるため、パンチの威力は激減されている。

 だからこその、掌底だ。

 力士の張り手──と言うよりは、掌底と呼んだ方が適切であろう一撃だった。

 ぶつけたのは、手の平の付け根部分──母指球と小指球間の中央辺りである。

 

 厭な音のあと、硬い物がぶつかり合ったような、鈍い金属音に似た音が響いた。

 剛志が、強く、歯をぶつけ合うように噛み締めたのだ。

 奥歯が、それだけで、磨り減ってしまうようだった。

 激痛により発しかけた絶叫を、噛み殺したのだ。

 

 凄まじい形相で、目を見開き、奥歯を嚙んでいた。

 脳天にまで、睾丸が潰れた激痛が走り抜けている筈だ。

 闘志は失われていない。

 目が死んでいないのだ。

 寧ろ、睨みつける様に目を剥いているのである。

 

 しかし、一瞬、剛志は動きを止めてしまった。

 そして、僅かだが、前のめりに崩れた。

 両脚が、痙攣している。

 

 ──左腕の肘を曲げた。

 それは、剛志の睾丸を打ったタイミングとほぼ同時だ。

 

 左足首を叩いた蒙将龍の右脚が跳ね上がったのだ。

 右膝が鉤の様に曲げられた。

 そして、その鉤となった膝は、鎌となり剛志の頸を刈り取るように振り下ろされた。

 異様な光景だった。

 鉤となり、鎌となり、そして蛇の様に頸へと絡み付いているのだ。

 更にその巻き付けた脚が、剛志を引き寄せた。

 

 剛志に、睾丸が潰れた激痛が発生したのとほぼ同時に、蒙将龍は、この状態に入っている。

 左肘を曲げ、上から圧してくる力を逃し、左腕を若干引いた。

 蒙将龍の腹筋が盛り上がった。

 そして、前のめりに僅かに崩れた剛志の上体を、巻き付けた脚で引き寄せた瞬間、その左腕を剛志の右腕に巻き付け、左腋で掴まえたのだ。

 

 そのまま、蒙将龍は背中を地面に落とす。

 剛志は、被さる様な状態で、蒙将龍の上に乗るが、捕らえているのは、蒙将龍なのだ。

 

 剛志の頸を絡み付けている右脚の足首をくの字(・・・)に曲げた左膝を交差させ、フックで掛けるように組んだ。

 こうすることで、剛志の頸は、自身の肩と蒙将龍の両脚に絞められるのである。

 

 首4の字固め+腕挫十字固め

 ──三角絞めである。

 頸動脈が引き絞られる。

 剛志の脳へと送られる血液と酸素が停止していく。

 あっさりと、剛志は、意識を手離したのだった。

 

 弛まぬ鍛練による、強く重くしなやかな筋肉の獲得。

 その筋肉から繰り出される速度と技。

 相撲を棄てた蒙将龍が、この二年間で手に入れた格闘技術。

 

 ──柔術の技術(わざ)であった。

 

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