※この作品はR-18です。

範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ)   作:贋海王

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御式内

 

 奇妙な音だった。

 空気を裂く、不思議な摩擦音が鳴った。

 下手な者が吹いた短い笛の音の様でも、鞭をしならせた時に生じる乾いた音のようでもあった。

 

 落石の様な拳が疾り、冬の大気を焦がした音である。

 そして、その拳は、大気中に漂う埃を確かに焦がしていた。

 火元が無い倉庫の中で、一瞬だったが、焦げ臭い物が真冬の鼻孔を擽ったのである。

 

 そうした現象も、その拳の速度があまりに凄まじいスピードとパワーだったから起きたのだろう。

 

 だが、その拳は真冬に掠りもしなかった。

 悪樓(あくる)の右腕が弾かれたのである。

 真冬は、膝行で僅かに左へ回り、右手の甲を振り上げたのだ。

 甲で放つ鞭打──誰が、御式内の体勢から鞭打が飛び出すなど考えるだろう。

 確かにこれは、真冬が行う、彼女の御式内なのだ。

 

 弾いた──それとほぼ同時に、真冬の視界に、悪樓の爪先が突然入って来た。

 フェイントとしての蹴り脚。

 意識の上で織り交ぜたそれは、準備段階でもあったのだ。

 二重のフェイントでもあった。

 蹴りと見せ掛け、殴る、だが、実際にも蹴り付ける、そんな動作だ。

 

 無理な姿勢でパンチを打ち下ろし、防がれた。

 その上、体勢を崩されてしまう。

 そこから更に蹴りを放つとは、悪樓もまた、凄まじい身体能力の持ち主である。

 

(蹴っただと!?)

 鎬は、驚愕を隠せなかった。

 冷や汗が頬をつたっている。

 

 真冬の顔面に向かって、つるはしか何かを振り回した様な、爪先で放つ重く鋭利な蹴りが、襲い掛かったのだ。

 鎬も、更に蹴りが繰り出されるとは思っていなかったのである。

 

 真冬の視線は、鎬へと向いていた。

 だが、伸びてきた悪樓の爪先を、更に上体を下げて躱したのだ。

 まるで、お辞儀をするような格好である。

 茶室で、そうするかのように、ゆるりと頭を下げていた。

 元々、御式内は正座に見える。

 殿中作法に基づいた秘伝なのだ。

 優雅さも当然ある。

 そして、礼儀作法など学んだ事もない、かねてから浮浪児宛らの真冬だったが、この所作一つに、大和撫子の美しさや気品めいた物が、奇妙な事に、何故か備わっているのだ。

 

 ──座れば日本刀(ぽんとう)、御式内

 将来、真冬の起居振舞を指して、そう喩えて語る女性が現れる。

 つまり、大和撫子の美しさを讃える言葉である『座れば牡丹』を真冬に当て嵌めて、捩っているのだ。

 花に例えるのではない。

 ──御式内

 武術で語られるのだから、真冬とは、奇妙で、尚且つ面白い女性である。

 そして、真冬のこの技術は、幼い頃から、その片鱗を、この様にして、既に見せていたのだ。

 日本刀に勝ると言う意味で日本刀(ぽんとう)で止めても良かったのだが、語感の心地良さと、先の話だが、真冬がこの御式内で日本刀に相対するのを彼女は目撃したので、そう称したのである。

 

「何!?」

 悪樓の脚が、真冬の頭上を疾り抜けた。

 何か、気味の悪い事が起きている。

 悪樓は、そう思った。

 タイミングが、奇妙に狂ったからだ。

 いや、真冬にタイミングを外されたのである。

 

 伸び切った右足首に、真冬の左掌が添えられた。

 そして、尺骨と橈骨が粉砕されている右上腕が、蛇の様な動きで絡み付いて来たのだ。

 

 悪樓の視点が、突然変わった。

 天井、壁、床と、一瞬で目まぐるしく、見える物が変わったのだ。

 何が起きたと、思うより先に、浮遊感に襲われていた。真冬に投げられ、縦に、一回転したのである。

 悪樓は、頭頂部を真冬に向けて、俯せに倒れていた。

 

(まさか──これは、あ……合気……なのか!?)

 こうして、218kgの巨躯が、宙に舞ったのである。

 鎬は信じがたい面持ちで、真冬と悪樓を見詰めていた。

 

 良く見ると、真冬が投げた悪樓の右足首が、血塗れであった。

 たんに投げただけでは、こうは、なるまい。

 そんな負傷だった。

 

 真冬は、左手を自身の膝の上に添えるように置いた。

 その左手も血に濡れている。

 

 悪樓の爪先蹴りが放たれた時から、既に、真冬は攻撃を加えていたのだ。

 真冬がタイミングを外すように仕掛けていたのである。

 悪樓が行った意識の上でのフェイントを、やり返したのだ。

 真冬は、防御をする意識のタイミングを態と外した。

 悪樓もまた、肉体が行動を開始する0.5秒前の脳の伝達を知覚している。

 

 真冬の脳と肉体が、別の行動を取ったのだ。

 悪樓が知覚した、真冬の脳が伝達した行動と、真冬の実際の肉体の行動が、別物だったのである。

 故に攻撃のタイミングが狂ったのだ。

 

 そして、呼吸だ。

 真冬の耳は、彼の心臓の鼓動と呼吸を捉えていた。

 その呼吸から、彼の行動を読み取り、呼吸を合わせた。

 その為に、彼のタイミングをずらし、防御を容易く行ったのである。

 

 実戦合気柔術『渋川流柔術』の開祖である“達人”『渋川剛気』や、彼の師である『御輿芝喜平』なら、真冬が行ったこれらの技術を完璧に理解しきるだろう。

 だが、この場にいる鎬も悪樓も異様な状況であるとしか、考える事が出来なかったのだ。

 合気──

 もし、渋川剛気が真冬のそれを見たら、どう感じるだろうか。

 ごく自然に呼吸し呼吸を合わせる、誰に学んだ訳でもない、在るが儘の合気である。

 武田惣角のヤマト流が祖となり御輿芝喜平の護神流に。

 護神流の術理が渋川剛気の渋川流へと伝わり、合気道が生まれ、完成していった。

 もし、渋川剛気と當之真冬の合気が出会えば、それはどう、変化していくのだろう。

 真冬の合気にとって毒となるか。

 武田惣角から連なる合気にとって毒となるか。

 それとも、合気が更なる進化を遂げるのか。

 それは、また、近い未来で語られる當之真冬の闘争の記録となる。

 

 左腕がほぼ死んでいる為、悪樓は、右手を支えに上体を起こしていく。

 顔を上げた。

 目の前に、当然だが、真冬が居る。

 彼女の虚ろな紅い双眸は、正面から逸れていた。

 つまり、悪樓を見ていないのだ。

 

(何処を見ておる──)

 

 視線を追って、探った。

 その先は梯子だ。いや、梯子の上である。

 横穴状の廊下が続いている。

 ──逃走を考えているのか。

 と、悪樓は推察するが、実際は、暗がりで壁を背にして潜む鎬を、見ているのだ。

 

 引き摺るように、脚を動かし、悪樓は立ち上がる。

 もはや、どこが痛いのか分からないほど、激痛が全身を駆け巡っている。

 だが、立ち上がろうとした時だ、右足首で火薬が炸裂したかのように錯覚した。

 熱い痛みが、足首に広がっている。

 その激痛に、悪樓は顔を歪めた。

 奥歯を噛む。

 

 足首──いや、アキレス腱が激痛の発生源だ。

 

 奥歯が擦りきれる程、歯を食い縛り、真冬を睨み付ける。

 鬼の様に両目が吊り上がっていた。

 異様に澱んだ双眸であった。

 血と汗で汚れ、痛みと怒りで、歪みに歪んだ凄まじい表情となっているのだ。

 

 吊り上げられたその目に、突然、何かを投げ付けられた。

 

 膝に置かれていた真冬の左手の内に、それは隠されていた。

 真冬自身、隠そうとする意思は無かったかも知れないが、そうした格好になっていたのである。

 

 何が、目にぶつかってきたのか。

 両目に投げ付けられた。

 投擲武器ではない。

 悪樓には見えなかったが、血塗れの肉片であった。

 

 眼球に衝突し、痛みより一瞬の驚愕で、悪樓は目を覆った。

 反射に近い。

 上体が反らされたかと思うと、再び、俯せ気味に手をついた。

 

(──アキレス腱を毟ったのか)

 鎬には、それがアキレス腱だとすぐに理解出来た。

 理解出来たとしても、その容赦の無さを目にして、若干青ざめている。

 

 右手上腕を絡ませ、左掌を添えた時だ。

 左手の五指で掴んだ。

 そして、爪を引っ掛けたのである。

 爪が刺さり、指も潜り込んで行った。

 

 鋼板を穿つ真冬の爪。

 花崗岩や玄武岩を抉る真冬の爪。

 打岩を完成させた、拳と爪、そして指だ。

 真冬は、貫手で、打輪と打針も成し得たのだ。

 真冬が完成させたそれらを所有している『徳川光成』は、こう語る。

『あの娘の拳はどんな肉体も打ち抜いてしまうじゃろう』

 

 完全な死に際の集中力を取り戻した今の真冬ならば、悪樓の肉体さえも貫く事が可能なのだ。

 

 そして、既に脱力もまた完全な状態になっている。

 ──消力(シャオリー)

 

 先ずは、蛇の様に巻き付いた右手上腕で、重心を崩した。

 ここでも、意識のずれで、悪樓のタイミングを狂わせた。

 投げられまいとする、悪樓の反発を崩し、呼吸を合わせていく。

 ──そして、投げるのだ。

 単に投げようとしても、腕力で投げる事は出来ないだろう。

 完全な開放率の陵伽なら、腕力で216kgを投げる事も可能である。

 だが、鬼の貌が背なで哭いていたとしても、今の真冬の腕力では、流石に不可能な話であった。

 

 故に合気が、活きて来るのだ。

 

 逆に、陵伽では、こうした真冬の様な合気や呼吸を、高水準で行う事は難しいだろう。

 尤も、陵伽にはまた別の手段も持ち合わせてはいるのだが。

 

 タイミングと重心を崩し、呼吸を合わせ投げる。

 その際に、真冬はお辞儀の様な上体を反る様に起こしていく。

 顔を挙げる瞬間と、投げるタイミングを同時に合わせていき、投げたのだ。

 

 お辞儀から上体を起こした時に、攻めの消力に転ずるのだ。

 

 呼吸と脱力が合わさり、そこで216kgにも通用する真冬の投げが炸裂したのである。

 その投げと共に、アキレス腱を毟ったのだ。

 

 御式内と合気と消力。

 殿中の秘伝と、連面と続く古流武術の奥義、中国武術の高等技術が、一人の少女のなかで、一つになっているのである。

 

 真冬は、膝行のまま、前方に進む。

 歩幅なら、半歩も進んではいない。

 血と肉片の目潰しを食らい、アキレス腱を失いながらも立ち上がろうと踠く悪樓を前に、真冬は、両手を膝の上に、体勢はそのままで、じっと鎬を見据えた。

 

 そこで漸く、鎬は、真冬が自分に何かを、訴えているのだと察したのである。

 

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