※この作品はR-18です。

範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ)   作:贋海王

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雲行雨施

 ──ね、真冬は、いつから私の事が好きだった?

 私はね、あの冬の夕刻。貴女に出逢った時からずっとずっと愛してるわ。

 

 意識の上では、いつからだろう。

 しかし、真冬の肉体が、翠への想いに気付いたのは、きっとあの、倉庫での一戦からだ。

 既に、背なで鬼の貌は哭いていなかった。

 だが、異質なまでに、高水準の脱力が、備わっていた。

 ただ、翠に逢いたいと願った時、肉体は安らぎに包まれたのだ。

 

 あの日、確かに羽毛は大気へ。

 大気は、無に転じていた。

 

 無量空処の極地。

 それは、翠への想いがその境地へと導いたのだ。

 

1.

 真冬と対峙している。

 この小娘を、好きなように扱う為に、二年間、鍛練に鍛練を重ねた。

 憎悪が、俺を強くした。

 お前の存在をゴミクズにする。

 そんな思いが、100kg近い筋肉を与えたんだ。

 三回だ。

 三回犯してやった。

 お前の中に、征服の証を三度吐き出してやった。

 

 お前はもう、俺の玩具だ。

 意気がるなよ。

 今からまた、犯してやるからな。

 

 蒙将龍は嗤っていた。

 暗い目で、真冬を見ている。

 暗いが、悍ましく濡れた刃物の様に炯々としている、そんな目であった。

 ズボンの中で、陰茎が膨張していた。

 目の中に有る刃物の正体である。

 それを真冬へと突き刺したい。

 ズボンを押し上げ、傍目にも充分に分かるくらいに、勃起しているのだ。

 

 半歩分、蒙将龍は進んだ。

 回り込む様に右へと更に踏み出した。

 警戒はしているのだ。

 真冬に勝ったとは言うが、あの時点の真冬は、普通では無かった。

 実際に、戦闘を行って、組み伏せ、勝利の末に犯した訳では無い。

 その事を、誰に言われなくとも、蒙将龍自身、はっきりと理解している。

 

 真冬への警戒をより強めたのは、先程の指取りの結果を鑑みた結果である。

 指が折れない。

 明らかに、まともな人体ではない。

 少なくとも、人間の関節とは全くの別物なのだ。

 関節技が効かないとなると、手札がかなり制限される。

 

 打撃戦或いは、絞め技だ。

 頸の血流を止める。

 剛志を破った、三角絞めなどの技術が活きるのではないか。

 柔術を学んだのは、間違いでは無かった。

 そして、真冬はまだ、彼が新たな技術を学んだ事を知らないのだ。

 

 真冬の腕を取りに行く。

 にじり寄り、そして、一気に詰め寄った。

 真冬は裸体だ。

 技術を100%扱うなら、衣服を着用している方が良い。

 元々、衣を身に付けた相手に使うことが念頭にある技術なのだ。

 

 真冬は、肋骨を一本、蒙将龍の顔へ向けて投擲した。

 怯まなかった。

 軽い音を立て、蒙将龍の左手が、真冬の右前腕を掴んだ。

 尺骨と橈骨が粉砕されている箇所だ。

 

 ──紙縒(こよ)り投げ

 しかし、それを試みるも、蒙将龍は踏み止まった。

 互いに動かない。

 蒙将龍に、紙縒り投げの知識は無い。

 だが、柔(やわら)に精通している。

 当然、同じ柔(じゅう)の技術を仕掛けられると、その『意』を汲み取る事が出来る。

 そうすると、明確に技の差を分けるのは膂力となる。

 そして、体重などの体格さである。

 

 真冬の技術の水準は凄まじい。

 だが、仮に、オリンピック候補生と柔道の試合を、ルールに則って行えば、確実に敗北するだろう。

 筋力や体格は、それほど迄に、明暗を分ける重要な物なのだ。

 そうした試合に、爪や骨の強度、軟体骨格は然程、影響しないものなのだ。

 

 悪樓に通用した合気も、蒙将龍相手には分が悪い。

 

 蒙将龍は、引き抜く様に真冬を上に引っ張った。

 真冬の足が、床から離れる。

 

 真冬の最大の弱点は、固執することにある。

 悪樓に通用した合気を使い、蒙将龍と相対した。

 

 大竿王(the)・隷符男(レイプマン)に心の隙を衝かれたのも、そうした固執する性質が災いの元となった部分が大きい。

 あの時は、明らかに、殴ってみろ屋に金を払うことしか、頭に無かったからだ。

 敵意無く会話で心の中に潜り込む様な、レイプマンは、真冬が最も苦手な敵だったろう。

 

 だが、闘争の機微には敏感だ。

 既に意識は、変わっていた。

 

 蒙将龍は、持ち上げた真冬を投げた。

 床に叩き付ける様に、勢いをつけている。

 

 その時だ。

 

 真冬は、投げられた瞬間、空中で回転したのだ。

 投げる力に逆らわなかったのである。

 投げに対して行う消力だった。

 しかも、つっと軽く、天井に一瞬だけだが、立ったのである。

 そこから跳躍し、威力と衝撃を完璧に殺し、床に降り立った。

 

 ──猫ひねり問題

 猫は、背中から落とされても、空中で回転し、脚から地面に降り立つ事が出来る。

 それは、身体的なバランスも然ることながら、骨格の可動と柔軟性が要となっている。

 そして、真冬もまた、如何なる体勢から落下しても、脚から降り立つ、或いは背中から落ちて受け身を取ることが可能だ。

 真冬の頸椎から腰椎にかけての可動が、人のそれと大きく異なるからである。

 自由な可動が、それぞれ分割して行えるのだ。

 そして、軟体とも言える柔軟性のある筋肉と骨を持つからだ。

 当然、羽毛の如きバランス感覚と身体的な軽さもその要因である。

 真冬は、そうした猫の体術にて、空中で回転し、天井に一瞬着地し、更に跳躍することも可能なのだ。

 

 鑓嚨式体術『猫反(ねこそり)』と後々名付けられる技法である。

 

 北辰館館長『松尾象山』の言葉にこんなものがある。

「檻の中で、人と猫が対峙した時、人は日本刀を持って漸く猫と対等になる」

 これは、獣の恐ろしさを表す話だ。

 だが、猫の身体能力の凄まじさもよく理解出来るだろう。

 まさに、真冬の体術の凄まじさは、猫のそれに比肩するのである。

 

 降り立ち、真冬は、両腕を揺らし始めた。

 全身を揺めかせ、両腕を同時に振り上げた。

 そして、肩でそれを操作する。

 両腕による鞭打だ。

 

 溶けた鉛。

 重い水。

 水銀の鞭。

 しなる鉄。

 それらを束ねた。

 そして、打ち下ろした。

 

 ──ミチさん

 初めて、食べ物の温かさと、人の温もりを教えてくれた賽の河原で出逢ったホームレスの老婆の顔が浮かんだ。

 再び、痛みが消えた。

 まだ、打てる。

 拳を足を、当てる事が出来る。

 

 雷鳴が轟いた。

 音が、凄まじく遅れて鳴ったのだ。

 二本の鞭打は、雷となって、叩き込まれた。

 

 蒙将龍は、腕を上げ、防ごうとする。

 しかし、その反応速度を遥かに上回る速さで、鞭打は炸裂したのだ。

 

 打ち下ろし、左右から同時に横へと腕を交差する様に薙った。

 そして、その交差した腕を再び広げ、甲で打つ。

 

 両肩、両の二の腕、左右の頬を打った。

 蒙将龍の皮が剥がれ、肉を抉られる。

 びちゃびちゃと、血と皮と肉が床に飛び散った。

 

 激痛が、蒙将龍を襲った。

 眉を顰め、凄まじい表情で絶叫する。

 身を捩り、踠く様な動きで倒れ伏した。

 

 だが、真冬の掌と甲も、中央から円を描き、まるで内部から破裂したかの様に、皮が剥がれ落ちていた。

 床に飛び散った血には、真冬の血も混じりあっている。

 真冬は、大きく、息を吐き出した。

 

 右手の甲に至っては、血管が剥き出しになっていた。

 その血管も潰れるように断裂しているのだ。

 音の速さを越えた結果である。

 真冬の肉体も、無事に済む筈がなかった。

 

 疲労がのし掛かり、一瞬蹌踉めいた。

 だが、真冬は走った。

 逃げた訳では無い。

 そこには、凌辱に使われたベッドが置かれている。

 そして、ベッドから僅かに離れ、そこで片膝をついた。約1.5mの距離だ。

 

 ──モグサさん

 子犬ポチタロ探しを依頼してきたホームレスがいた。

 神室町での、居場所を与えてくれた。

 なんの得も無いのに、親切にしてくれたのだ。

 ──ユウヤさん

 コピー機の使い方を教えてくれた、ホストの男性がいた。

 何でも無い、日常に、思いを馳せる事を知った。

 ──アコさん

 ユウヤさんのお友達で、オカマバーのママさん。

 ポチタロを目撃していて、その事を報せてくれた優しいお姉さん(・・・・)だった。

 

 ゆっくりと、痛みが引くのを待ちながら、蒙将龍が立ち上がった。

 頭を振り、痛みと朦朧とした意識を整えていた。

 真冬の立ち位置を確かめ終えると、一瞬怪訝な表情を浮かべる。

 真冬の戦闘の要は体捌きにある。

 それを何故、足枷になりそうな、物体であるベッドと隣り合っているのか。

 

 ──柄本先生

 負傷の手当てをほぼ無償で、施してくれた恩人だ。

 ──古牧さん

 賽の河原の寝泊まりの際に世話を焼いてくれた老人。

 カツアゲ坊主との死闘のあとに出会った人物だ。

 

 あぁ、おかしいな。

 神室町で過ごしたのは一ヶ月程度だ。

 なのに、それまで生きてきた以上の生を感じられたなんて。

 だからかな。

 ねぇ、お母さん。

 わたし、つよくなってますよ。

 

 軌跡が見えた。

 あの日、ミレニアムタワーから落とされた時に身に付けた死に際の集中力。

 それが、更なる洗練された物となっていた。

 仕掛けて来る、その動作がストップモーションになって見えた。

 攻撃の線、点、面が軌跡となって視認出来る。

 脳の伝達速度を知覚する。

 それは、既に未来予知の様に感じられるのだ。

 

 ──莉愛

 ──宗介さん

 ──博士

 メスキングか。ゲームセンターなんて、楽しいか分からない。

 でも、あの同い年くらいの人たちと、一回遊んでみたい。

 

 ──柴さん

 ポチタロの救出に力を貸してくれた暴走族。

 強い人だった。

 一度、殴り合ってみたいかな、なんて思ったんだ。

 

 ──姉さん

 言葉では言い表す事は不可能だった。

 それでも分かるのだ。

 遺伝子が、血が、偉大な父を同じくするもの同士の共感覚。

 姉さんなんだと。

 いつか、本気で殺し合う時がくる。

 そんな大切な存在であると、真冬は感じたのだ。

 

 神室町の雑踏が、聞こえた。

 煌びやかなネオンを幻視する。

 帰りたいな。

 

 帰りたい──?

 そうだ、あそこが、わたしが居ても良い場所なんだ。

 ですよね、お母さん「翠……」

 

 タックルが来るのが見えた。

 目だけが見ているのではなかった。

 細胞の一つ一つが感じていた。

 もはや、肉体は、限界の先にまで進んでいる。

 何が残っているか、真冬は分からなかった。

 だが、そのタックルは、真冬の身体をすり抜けた。

 そうとしか思えない、そんな水準で躱したのだ。

 羽毛が大気になっていた。

 

 真冬は片膝立ちで躱したのだ。

 その状態から、更に体勢を低くしていく。

 爬行に近い。

 

 ゆらりと、白い髪が躍った。

 風が見えた。

 

 爬行する真冬の顎を蹴り上げるため、蒙将龍は足の甲を振り上げた。

 空気が裂ける。

 それは、真冬の鼻先を掠めて、宙に跳ね上がった。

 真冬は、四つ足で、獣の様に跳んだ。

 前肢、いや、左手で地面を叩いた。

 

 右足の中指と薬指で地面を削る様に蹴ったのだ。

 跳ね上がっている蒙将龍の右脚、その脛に右前腕を絡めていく。

 肉が音を立てる。

 前腕の筋(すじ)を限界まで伸ばした。

 半ば千切れながら、腕が延びた。

 拳二つ分。

 概ね、それくらい、前腕が延長されたのだ。

 肘の靭帯も伸ばした。

 絡み付く反動で、延ばし続ける。

 

 その腕は、蒙将龍の右脛に蟠る様に巻き付いたのである。

 巻き付いた腕の上腕を繋げる肩の靭帯が、収縮されていく。

 

 蒙将龍の両腕が空を掴みながら迫って来るのを真冬の双眸が映していた。

 

 蛇と龍が異様に絡まりあっていた。

 

 爬行する真冬の上に覆い被さるが、蒙将龍の右脛に真冬の右腕が絡まっているため、彼の脚と腰の関節の構造上、完全に覆い被さる事が出来ないのだ。

 脚を動かすが、真冬の腕がびきびきと鳴くだけで、離れないのである。

 肩の靭帯が収縮し、自壊するブラックホールの様に内側へと固まっているのだ。

 

 蒙将龍の右手が真冬の左耳を掴んだ。

 親指、人差し指、中指で摘み、薬指を添える。

 小指は無い。

 二年前に、真冬が嚙み千切ったからだ。

 指詰力士の四指が、真冬の耳輪を捻り、持ち上げる様に引っ張った。

 そして、一気に振り上げた。

 厭な音を、真冬の耳はほぼ直接聞いてしまった。

 耳朶の付け根からミリミリと音が上がり、引き裂かれる。

 

 神心会の総帥、愚地独歩は、親指一本で逆立ちをする。

 彼は言った。

「これが出来るとね、耳でも鼻でも引き千切れるんだ」

 

 鍛えたピンチ力の凄まじさは、これ程の威力なのだ。

 

 真冬は、声を上げない。

 痛みが既に無いのだ。

 痛覚は、既に、風がさらっていた。

 

 真冬が、上体を起こした。

 睾丸を掌で打った。

 しかし、蒙将龍は嗤う。

 睾丸は腹腔に、隠されている。

 力士が、廻しを締める際に睾丸が潰れ無いように行う技術だ。

 骨かけや、釣り鐘隠しに近い。

 

 蒙将龍が耳を棄てる。

 そして中指を立てた。

 

 同時だった。

 蒙将龍の中指が、引き剥がされている耳の奥へと突き刺さった。

 鼓膜を破った。

 押し込み、蝸牛にまで届いた。

 指先で圧した。

 押し込まれ、潰れていく。

 中指がずぶりと蝸牛へと潜り込んだのである。

 

 それと同時に、真冬の掌も圧していた。

 無寸勁だ。

 震動が腹腔にまで伝わった。

 その震動が睾丸を下ろした。

 陰嚢内に、それが収まると、真冬はそれを握った。

 

 ぐちゃりと、真冬の蝸牛、そして、蒙将龍の睾丸が不気味な音と共に潰れた。

 蒙将龍が絶叫する。

 一瞬白目を剥いた。

 そして、嘔吐する。

 

 吐瀉物が、真冬の白い髪を汚した。

 真冬も一瞬朦朧としたが、その吐き気をもよおす吐瀉物の臭いで、意識を取り戻した。

 

 その時だ。

 真冬の脳裡に、多くの光景が過った。

 

 ミチ、モグサ、ユウヤ達の顔が浮かんだ。

 神室町が見えた。

 金属の墓場が見えた。

 猫や鼠達とゴミを食べた。

 蜚蠊が舞っている。

 

 そして、知らない筈の記憶が見えたのだ。

 

 お母さん、最初は、笑ってくれていたの……?

 そうなんだ。

 一番さいしょは、喜んでくれていたんだ。

 ──でも

 ごめんなさい、わたしがおんなだから、お母さん苦しんだんですね。

 おんなに産まれてごめんなさい

 よわくて、ごめんなさい

 もっとつよくなるから

 今より

 もっと。

 

「みどりぃッ!」

 

 記憶は、時が逆行して見えていた筈だ。

 にも拘わらず、最後に輝いたのは、城之内翠の笑顔だった。

 

 故に、1ミリ秒前の真冬より、強くなれたのだ。

 肉体は、知っている。

 その境地の更なる先を。

 

 ──はやく逢いたいな

「だから、終わらせます」

 

 意思が現世に戻っていた。

 視界が、紅く染まった。

 眼球の毛細血管が幾つも破裂していた。

 

 収縮している肩の靭帯を一気に解き放った。

 伸びきったゴムの反動の様に、肩の靭帯は引き千切れながら、恐ろしいエネルギーを産み出したのだ。

 そして、上腕、巻き付いていた前腕の筋肉にそのエネルギーは伝播していく。

 

 右腕を犠牲にし、真冬は蒙将龍の身体を跳ね上げたのだ。

 この瞬間、攻めの消力を使わなかった。

 

 消力は、次の段階に残したのだ。

 跳躍した。

 ここで、消力だ。

 浮き上がった蒙将龍に追い付き、更に真冬は上を取ったのだ。

 

 在るが儘に、真冬の肉体が動いた。

 ごく自然に。

 最初から決まっているように。

 

 膝を落とす。

 膝は蒙将龍の腹を圧した。

 

 肉体は、雲である。

 自然に動く。

 雲は雨となり、川に流れる。

 逆らわず、氣を合わせる。

 意思も肉体も自然の一部の様に。

 川は海に繋がる。

 肉体は水だ。

 

 自分も、敵も。

 

 闘争も自然の流れの一つである。

 雲行雨施

 

 その様に、氣を渡らせていく。

 

 そして、左の掌を、心臓の上に置いた。

 

 無寸勁。

 一拍子で、それを二度、打ち込んだ。

 蒙将龍の心臓に震動が発生し、震動がぶつかり合い、心臓を揺らした。

 

 一拍子の無寸雷神──

 

 落下先にはベッドが置かれている。

 その金属のパイプフレームへ落とすのだ。

 

 膝で、無寸雷神を放つ。

 その衝撃での勢いのまま、落下していく蒙将龍の背骨に、パイプフレームが潜り込む。

 

 真冬の膝と合わさり、それは、ギロチンの様に、背骨を断ったのである。

 

 

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