範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ) 作:贋海王
西暦2005年1月11日──
當之真冬の生活が、一変していた。
倉庫の一件から凡そ五日が過ぎている。
その後、身体の検査を受けた。
身体の損傷は、やはり激しい物があった。
生活の変化は、その負傷も大きく影響している。
まず、車椅子を使う事になったのだ。
右膝の前後十字靭帯、左足アキレス腱が断裂し、両足の親指と小指の骨が粉砕骨折したのだ。
少なくとも、それが治るまでは、車椅子を利用する事になりそうであった。
そして、生活していく上で、非常に問題となる損傷があった。
尿道口の損傷である。
彫刻刀を突き立てた際に、大きな傷を負っていた。
内尿道口まで貫通してしまい、尿を排出することが難しいのだ。
その為、尿管カテーテルの使用を余儀無くされたのである。
また、近い内に、とある手術も決まっていた。
破裂した子宮の摘出だ。
それを聞かされたとき、真冬は特に何も感じなかったが、隣にいた翠と彼女の母親『城之内月子』は青冷めていた。
真冬は、その時の辛そうな翠の顔をよく覚えている。
自分の内臓が摘出されると言う話よりも、翠の辛そうな表情を見て、心が苦しくなってしまった。
その手術は、開腹するため、入院が必要になる。
だが、その手術が決まるまで、真冬は、ある場所で暮らしていた。
城之内翠の屋敷である。
生活が一変した──それは、この事も含まれる。
悪い事が多く発生している中、数少ない良いこととなった。
1.
真冬は、車椅子に乗っていた。
翠に押して貰い、庭を散歩していた。
──広い。
庭園と言った方が良いだろう。
湖の様な池の畔で、ぼんやりと、
何か、魚が泳いでいるのが見える。
昔、徳川光成の邸宅で、彼と鯉に餌を撒いたのを思い出した。
打岩の石庭での思い出だ──
毎夜、岩を削り球体に変えていく──楽しかった。
──また、やってみたいな。
翠は、学校を休み、真冬の側にいた。
入院するまで、側にいるつもりであった。
翠の母も、それを許しているのだ。
「魚……」
「え?」
「──泳いでる」
囁くような、か細い声だ。
白い髪、白い肌、その幽鬼のような声は消え入りそうで、どんな色も着いていない。
きっと、声も白い。
だが、瞳だけは血のように紅い。
先天性色素欠乏症、そんな、儚げな白い少女である。
頭に包帯が巻かれている。
千切れた左耳を附け治す手術を受けたばかりであった。
耳をガーゼなどで保護している。
それを押さえる様に、包帯が巻かれていた。
右腕もギプス等で固定されている。
肩から上腕。
そして、前腕。
肘で曲げて、三角巾で吊っていた。
前腕は、粉砕骨折しているのだ。
厳重に保護されてあった。
白い大きめの浴衣風の患者衣を身に纏っている。
上からは、翠に貰ったショールを巻いていた。
足元も指の保護の為にギプスで固定されており、靴は履いていない。
こうした衣服は、毎日往診に来る鎬が診察を直ぐに出来る様にするためだ。
夜はもう少し暖かい物を纏うが、右腕と肩の固定しているため、以前のような、ゴスロリなどは、着られないでいた。
翠も、そんな真冬に合わせているのか、派手さの無い、水色のロングシャツと白いズボンを身に付けていた。
肩から、白いケープを羽織っている。
足元は、薄いピンクのスニーカーだった。
真冬の看病をする事を念頭に措いた服装であるようだ。
ちょっとした変化は他にも見られた。
誰に対しても、概ね敬語や丁寧語で話す真冬が、翠に対してだけは、自然な、くだけた口調で話す様になっているのだ。
「大きな池だからね。色んな魚放してるよ。ほら、向こう、ボートにも乗れるわ。車椅子、降りられる様になったら、一緒にボート乗って見てみようね」
「昔、鯉に餌をあげるの好きだった」
「鯉に……?」
「ぅん、鯉に餌あげて、そのあと、庭に置いてある岩を削るんだ」
「ん?」
少し話の前後が噛み合わない所もあるが、真冬はこう言う娘なのだ。
「岩を?」
「ぅん、そう、こんな感じで、
動かせる左腕を振った。
人差し指と中指を揃え立たせ、それで突いたり、斬るような動作を、翠に見せた。
左手でやっているので厳密には異なるが、仏教の刀印のような形である。
「岩を──球体に」
翠の細胞が、熱を持った。
──それは、見たい。
真冬が、岩を穿ち、球体にするところを想像すると、胸が高鳴った。
魚の話が岩を削る話に、いつの間にか変わっていた。
「うちの庭でも、やってみる?今度、庭石、プレゼントしようか?」
「ぇ……いいの?うん、やりたい──」
少し、遠慮がちに、しかし、明確な意思表示を真冬は見せた。
自分から、望みを口にしたのである。
「私も見たいわ!」
翠が、微笑んだ。
翡翠の様な、真冬の心を安らげてくれる、輝かしい笑顔であった。
──この人は、私の打岩を喜んでくれるのか。
「でも──」
真冬は、左拳を強く握り込んだ。
そして、それをじっと見据えた。
虚ろな双眸が、僅かに揺れている。
哀しそうな歪みが、その視線にあったのだ。
握られた拳が、震えていた。
「出来るかな、今の、私に──」
肉体の動きが開始される0.5秒前に、脳は肉体に伝達信号を発している。
真冬の脳は、その0.5秒前の信号を知覚出来る。
本来なら、真冬の肉体は躱す事を選択する神経伝達。
だが──
その、震える拳に、ふわりと暖かい物が包み込んだ。
真冬の肉体は、それを受け入れる事を望んだのだ。
脳と肉体の判断が違っていた。
肉体は、拳を包み込む物を
──翠の掌であった。
身を屈めて、車椅子に座る真冬と視線を合わせていた。
小さな拳だ。
だが、この握られた小さな拳に、二年前、自分は護られた。
翠は愛おしげに、その拳に触れていた。
「岩を買おう」
「ぇ?」
「何が良いかなぁ、硬い方が良い?綺麗な石でも良いわね。そうだ、黒曜石とかどう?」
──黒曜石
「どんな岩?」
「綺麗な、火山岩でね。装飾品とかにもなったらしいって聞いた事あるわ」
真冬は、その岩を知らなかった。
名前の雰囲気から黒いのかなとは想像出来るくらいだ。
──だが、翠のこの提案はかなり面白い物だった。
魔拳『烈海王』の黒曜石の打岩。
翠は知らずして、真冬にそれを打たせようと、提案したのである。
「直ぐに出来なくて良いじゃない。岩をいっぱい買おう。その岩を……打つ……そうだ、真冬の打岩──」
「え、ぅん、そう打岩……」
真冬は、少しきょとんとした目で、翠を見た。
「打岩って呼ぼうか、真冬の打岩って」
偶然だ。
しかし、翠はそう、名付けたのである。
「真冬が、満足出来る打岩を作れるまで、やって良いのよ、この家で」
「……翠」
「他には何かやりたい事ある?」
「岩を輪にするのも楽しかった」
「また、岩かぁ。他には?」
「岩を芯に出来た時は、感動した」
「岩をちょっと離れて良いのよ」
「──ぅん、そうだね」
「岩で、
「──亀?」
翠としては、岩から離れるんじゃないの?と突っ込みを入れて欲しかったが、不思議そうな表情を返されるだけだった。
陵伽なら言いそうだ。
いや、この場合は違う。
岩で甕を作る──
陵伽なら、
『そんなん、円輪剣・面鬼戦の
──くらいは言いそうだ。
「ねぇ、翠」
真冬の声が、震えていた。
言い淀むような声音だった。
「私──翠とまだ、一緒にいて……いいの?」
声だけではない。
拳もまだ、震えていた。
翠の掌に、その細い震えが伝わっていた。
「私には、もう、左腕しかないから、もう、弱いから」
それで、岩を穿てるのか、真冬はそれを恐れていた。
しかし、翠は、その真冬の言わんとする意味が一瞬理解出来ないでいた。
確かに今は歩けないし、右腕は動かない。
だが、左腕しか無い──?
真冬は、何を言いたいのだろう。
真冬の左拳を包む、掌に少し力を込めた。
震えを止めたいが、それで、止まる筈もない。
「私は、まだ、真冬が、側にいて欲しい。入院して、退院したら、また、ここに帰って来て欲しい」
そう言いながら、翠は自分の穢い感情に戸惑いがあった。
知られたら、吐き気を催されても仕方無い、そんな感情である。
二年間の空白があった。
満たせない恋心に苛まれたものだ。
だが、はしなくも手元に舞い込んで来た、愛おしい少女を、二度と失いたくない。
そんな、想いも、抱いてしまっているのだ。
「この家で、もっと、真冬がやりたいことを、一緒にやっていこう──ね?真冬」
「ぁの、翠……こ、仔犬さん達、迎えに行きたい」
ポチタロと、倉庫で助けたゴールデンレトリーバーの仔犬の事だ。
我が儘過ぎるか、そう思い、声が掠れた。
「えぇ、真冬の仔犬さん達よね、勿論、迎えに行こう」
真冬は、虚ろな双眸で翠を見詰めた。
そして、口唇を震わせ、歪んだような、笑顔を翠に見せた。
抱き締めたい。
翠は、その微笑みを向ける少女が愛おしくてそんな衝動に駆られる。
だが、何処を、両腕で包んでも、真冬の身体に痛みを与えそうで、躊躇してしまう。
だから、その左拳を抱く様に、両の掌を添えていた。
いつしか、真冬の震えは止まっていた。
「ありがとう、翠」
「色々、用意しないといけないね、仔犬さん達に」
「うん、あの子達にも早く会いたいな」
仔犬か。
と、翠は少し楽しくなってきていた。
過去に、ふと、妄想した事を思い出していた。
二人で、犬の散歩に出掛ける──そんな妄想だ。
真冬が、動物好きなのは、再会してから、知った。
そして、真冬が迷い犬を探している事も聞いた。
その犬を見付けて、二人で犬を連れて、散歩に──と言う名目のデートをする、そんな夢があったのだ。
真冬の雰囲気からして、迷惑と思われるのではないかと、明らかに、そんな心配をしていそうな風情であったが、翠にとってはありがたい話だった。
「他には?何したい?」
普通なら、ゾッとしそうな程、翠は執拗だった。
もしかしたら、浮かれているのかも知れない。
真冬が、漸く戻って来たのだ。
実際、あの倉庫に居たのは三日程だ。
だが、悍ましい画像を見てから、真冬救出の報せが届くまでの時間が、恐ろしく長く感じたのだ。
「──ミチさんに無事を報せたい」
自分の浮かれ具合を恥じたくなる、生真面目な、真冬の返答であった。
あぁ、こう言う娘なんだなぁ。
と、つくづく思った。
真冬にとっての平穏な日常が、どう言うものなのか。
翠は、理解を深めていくのであった。
「何か、お土産、持っていこうね、真冬」
「ぅん、そうだね。ありがとう。何にしよう……」
「無事で良かったじゃねぇか、シロガキ」
その時だ。
真冬の声に被せ、掻き消してしまう、そんな声が聞こえた。
平穏な日常を嘲笑う、そんな悪意に満ちた声であった。
真冬の知覚をも遮断してしまう凄まじい気配を纏っている。
それが、近付いて来た事に、全く察する事が出来ないでいたのだ。
「随分と腑抜けちまったものだな、糞餓鬼が」
背後から、冷たい刃が突き立てられた。
臓物を断たれた。
それを、幻視してしまった。
そんな恐ろしい声色だったのだ。
翠が、悲鳴を洩らした。
真冬の左拳を持つ手に、一層力を込めた。
「敗れ、犯され、穢れた、堕ちた戦士、子袋を失い、雌としての価値も、既に無い……なぁ、お
──離した。
咄嗟に身体が動いてしまった。
「──ほう、これはこれは」
翠は、まるで、庇うように真冬の前に立ったのだ。
小さな少女の身体で、真冬へ向けられている、その男の視線を遮る事は出来ないだろう。
だが、翠は真冬の前に立ったのである。
翠の歯が鳴っていた。
今にも泣き出しそうな顔で男を見据えた。
「俺の前に、立ちやがったか。女子供と言えども、そいつぁ」
──俺に挑んだって事になるぜ。
牙を剥き出しにする鬼よりも恐ろしい形相で嗤い、如何なる猛獣の唸りに勝る怒気を孕んだ声で、男は告げたのだった。
『仕切り直し、没ネタエピソード』は削除し、残骸置場に入れた方が良いですか?
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そのままで良い
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残骸置場行きが良い