※この作品はR-18です。

範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ)   作:贋海王

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休息

 

 西暦2005年1月11日──

 

 當之真冬の生活が、一変していた。

 倉庫の一件から凡そ五日が過ぎている。

 その後、身体の検査を受けた。

 

 身体の損傷は、やはり激しい物があった。

 生活の変化は、その負傷も大きく影響している。

 まず、車椅子を使う事になったのだ。

 

 右膝の前後十字靭帯、左足アキレス腱が断裂し、両足の親指と小指の骨が粉砕骨折したのだ。

 少なくとも、それが治るまでは、車椅子を利用する事になりそうであった。

 

 そして、生活していく上で、非常に問題となる損傷があった。

 尿道口の損傷である。

 彫刻刀を突き立てた際に、大きな傷を負っていた。

 内尿道口まで貫通してしまい、尿を排出することが難しいのだ。

 その為、尿管カテーテルの使用を余儀無くされたのである。

 

 また、近い内に、とある手術も決まっていた。

 破裂した子宮の摘出だ。

 それを聞かされたとき、真冬は特に何も感じなかったが、隣にいた翠と彼女の母親『城之内月子』は青冷めていた。

 真冬は、その時の辛そうな翠の顔をよく覚えている。

 自分の内臓が摘出されると言う話よりも、翠の辛そうな表情を見て、心が苦しくなってしまった。

 その手術は、開腹するため、入院が必要になる。

 

 だが、その手術が決まるまで、真冬は、ある場所で暮らしていた。

 城之内翠の屋敷である。

 

 生活が一変した──それは、この事も含まれる。

 悪い事が多く発生している中、数少ない良いこととなった。

 

1.

 真冬は、車椅子に乗っていた。

 翠に押して貰い、庭を散歩していた。

 

 ──広い。

 

 庭園と言った方が良いだろう。

 湖の様な池の畔で、ぼんやりと、水面(みなも)を眺めていた。

 何か、魚が泳いでいるのが見える。

 昔、徳川光成の邸宅で、彼と鯉に餌を撒いたのを思い出した。

 

 打岩の石庭での思い出だ──

 毎夜、岩を削り球体に変えていく──楽しかった。

 ──また、やってみたいな。

 

 翠は、学校を休み、真冬の側にいた。

 入院するまで、側にいるつもりであった。

 翠の母も、それを許しているのだ。

 

「魚……」

「え?」

「──泳いでる」

 

 囁くような、か細い声だ。

 白い髪、白い肌、その幽鬼のような声は消え入りそうで、どんな色も着いていない。

 きっと、声も白い。

 だが、瞳だけは血のように紅い。

 先天性色素欠乏症、そんな、儚げな白い少女である。

 

 頭に包帯が巻かれている。

 千切れた左耳を附け治す手術を受けたばかりであった。

 耳をガーゼなどで保護している。

 それを押さえる様に、包帯が巻かれていた。

 

 右腕もギプス等で固定されている。

 肩から上腕。

 そして、前腕。

 肘で曲げて、三角巾で吊っていた。

 前腕は、粉砕骨折しているのだ。

 厳重に保護されてあった。

  

 白い大きめの浴衣風の患者衣を身に纏っている。

 上からは、翠に貰ったショールを巻いていた。

 足元も指の保護の為にギプスで固定されており、靴は履いていない。

 こうした衣服は、毎日往診に来る鎬が診察を直ぐに出来る様にするためだ。

 夜はもう少し暖かい物を纏うが、右腕と肩の固定しているため、以前のような、ゴスロリなどは、着られないでいた。

 

 翠も、そんな真冬に合わせているのか、派手さの無い、水色のロングシャツと白いズボンを身に付けていた。

 肩から、白いケープを羽織っている。

 足元は、薄いピンクのスニーカーだった。

 真冬の看病をする事を念頭に措いた服装であるようだ。

 

 ちょっとした変化は他にも見られた。

 誰に対しても、概ね敬語や丁寧語で話す真冬が、翠に対してだけは、自然な、くだけた口調で話す様になっているのだ。

 

「大きな池だからね。色んな魚放してるよ。ほら、向こう、ボートにも乗れるわ。車椅子、降りられる様になったら、一緒にボート乗って見てみようね」

 

「昔、鯉に餌をあげるの好きだった」

「鯉に……?」

「ぅん、鯉に餌あげて、そのあと、庭に置いてある岩を削るんだ」

「ん?」

 

 少し話の前後が噛み合わない所もあるが、真冬はこう言う娘なのだ。

 

「岩を?」

「ぅん、そう、こんな感じで、角(かど)を打ったり削って、球体に近付けていくの、楽しかったな」

 動かせる左腕を振った。

 人差し指と中指を揃え立たせ、それで突いたり、斬るような動作を、翠に見せた。

 左手でやっているので厳密には異なるが、仏教の刀印のような形である。

 

「岩を──球体に」

 翠の細胞が、熱を持った。

 ──それは、見たい。

 真冬が、岩を穿ち、球体にするところを想像すると、胸が高鳴った。

 

 魚の話が岩を削る話に、いつの間にか変わっていた。

 

「うちの庭でも、やってみる?今度、庭石、プレゼントしようか?」

「ぇ……いいの?うん、やりたい──」

 

 少し、遠慮がちに、しかし、明確な意思表示を真冬は見せた。

 自分から、望みを口にしたのである。

 

「私も見たいわ!」

 翠が、微笑んだ。

 翡翠の様な、真冬の心を安らげてくれる、輝かしい笑顔であった。

 

 ──この人は、私の打岩を喜んでくれるのか。

「でも──」

 真冬は、左拳を強く握り込んだ。

 そして、それをじっと見据えた。

 

 虚ろな双眸が、僅かに揺れている。

 哀しそうな歪みが、その視線にあったのだ。

 握られた拳が、震えていた。

 

「出来るかな、今の、私に──」

 

 肉体の動きが開始される0.5秒前に、脳は肉体に伝達信号を発している。

 真冬の脳は、その0.5秒前の信号を知覚出来る。

 本来なら、真冬の肉体は躱す事を選択する神経伝達。

 

 だが──

 その、震える拳に、ふわりと暖かい物が包み込んだ。

 真冬の肉体は、それを受け入れる事を望んだのだ。

 脳と肉体の判断が違っていた。

 肉体は、拳を包み込む物を欲(ほっ)したのだ。

 ──翠の掌であった。

 

 身を屈めて、車椅子に座る真冬と視線を合わせていた。

 

 小さな拳だ。

 だが、この握られた小さな拳に、二年前、自分は護られた。

 翠は愛おしげに、その拳に触れていた。

 

「岩を買おう」

「ぇ?」

「何が良いかなぁ、硬い方が良い?綺麗な石でも良いわね。そうだ、黒曜石とかどう?」

 ──黒曜石

「どんな岩?」

「綺麗な、火山岩でね。装飾品とかにもなったらしいって聞いた事あるわ」

 

 真冬は、その岩を知らなかった。

 名前の雰囲気から黒いのかなとは想像出来るくらいだ。

 

 ──だが、翠のこの提案はかなり面白い物だった。

 

 魔拳『烈海王』の黒曜石の打岩。

 翠は知らずして、真冬にそれを打たせようと、提案したのである。

 

「直ぐに出来なくて良いじゃない。岩をいっぱい買おう。その岩を……打つ……そうだ、真冬の打岩──」

「え、ぅん、そう打岩……」

 真冬は、少しきょとんとした目で、翠を見た。

「打岩って呼ぼうか、真冬の打岩って」

 

 偶然だ。

 しかし、翠はそう、名付けたのである。

「真冬が、満足出来る打岩を作れるまで、やって良いのよ、この家で」

 

「……翠」

「他には何かやりたい事ある?」

「岩を輪にするのも楽しかった」

「また、岩かぁ。他には?」

「岩を芯に出来た時は、感動した」

「岩をちょっと離れて良いのよ」

「──ぅん、そうだね」

「岩で、甕(かめ)でも作ってみる?」

「──亀?」

 

 翠としては、岩から離れるんじゃないの?と突っ込みを入れて欲しかったが、不思議そうな表情を返されるだけだった。

 陵伽なら言いそうだ。

 いや、この場合は違う。

 岩で甕を作る──

 陵伽なら、

『そんなん、円輪剣・面鬼戦の砲岩(ホーガン)になってまうやん!縁起悪過ぎるで!』

 ──くらいは言いそうだ。

 

「ねぇ、翠」

 真冬の声が、震えていた。

 言い淀むような声音だった。

「私──翠とまだ、一緒にいて……いいの?」

 

 声だけではない。

 拳もまだ、震えていた。

 翠の掌に、その細い震えが伝わっていた。

 

「私には、もう、左腕しかないから、もう、弱いから」

 それで、岩を穿てるのか、真冬はそれを恐れていた。

 

 しかし、翠は、その真冬の言わんとする意味が一瞬理解出来ないでいた。

 

 確かに今は歩けないし、右腕は動かない。

 だが、左腕しか無い──?

 真冬は、何を言いたいのだろう。

 

 真冬の左拳を包む、掌に少し力を込めた。

 震えを止めたいが、それで、止まる筈もない。

 

「私は、まだ、真冬が、側にいて欲しい。入院して、退院したら、また、ここに帰って来て欲しい」

 

 そう言いながら、翠は自分の穢い感情に戸惑いがあった。

 知られたら、吐き気を催されても仕方無い、そんな感情である。

 

 二年間の空白があった。

 満たせない恋心に苛まれたものだ。

 だが、はしなくも手元に舞い込んで来た、愛おしい少女を、二度と失いたくない。

 そんな、想いも、抱いてしまっているのだ。

 

「この家で、もっと、真冬がやりたいことを、一緒にやっていこう──ね?真冬」

「ぁの、翠……こ、仔犬さん達、迎えに行きたい」

 

 ポチタロと、倉庫で助けたゴールデンレトリーバーの仔犬の事だ。

 我が儘過ぎるか、そう思い、声が掠れた。

 

「えぇ、真冬の仔犬さん達よね、勿論、迎えに行こう」

 

 真冬は、虚ろな双眸で翠を見詰めた。

 そして、口唇を震わせ、歪んだような、笑顔を翠に見せた。

 

 抱き締めたい。

 翠は、その微笑みを向ける少女が愛おしくてそんな衝動に駆られる。

 だが、何処を、両腕で包んでも、真冬の身体に痛みを与えそうで、躊躇してしまう。

 

 だから、その左拳を抱く様に、両の掌を添えていた。

 いつしか、真冬の震えは止まっていた。

 

「ありがとう、翠」

「色々、用意しないといけないね、仔犬さん達に」 

「うん、あの子達にも早く会いたいな」

 

 仔犬か。

 と、翠は少し楽しくなってきていた。

 

 過去に、ふと、妄想した事を思い出していた。

 二人で、犬の散歩に出掛ける──そんな妄想だ。

 

 真冬が、動物好きなのは、再会してから、知った。

 そして、真冬が迷い犬を探している事も聞いた。

 

 その犬を見付けて、二人で犬を連れて、散歩に──と言う名目のデートをする、そんな夢があったのだ。

 

 真冬の雰囲気からして、迷惑と思われるのではないかと、明らかに、そんな心配をしていそうな風情であったが、翠にとってはありがたい話だった。

 

「他には?何したい?」

 

 普通なら、ゾッとしそうな程、翠は執拗だった。

 もしかしたら、浮かれているのかも知れない。

 

 真冬が、漸く戻って来たのだ。

 実際、あの倉庫に居たのは三日程だ。

 

 だが、悍ましい画像を見てから、真冬救出の報せが届くまでの時間が、恐ろしく長く感じたのだ。

 

「──ミチさんに無事を報せたい」

 

 自分の浮かれ具合を恥じたくなる、生真面目な、真冬の返答であった。

 

 あぁ、こう言う娘なんだなぁ。

 と、つくづく思った。

 真冬にとっての平穏な日常が、どう言うものなのか。

 翠は、理解を深めていくのであった。

 

「何か、お土産、持っていこうね、真冬」

 

「ぅん、そうだね。ありがとう。何にしよう……」

 

「無事で良かったじゃねぇか、シロガキ」

 

 その時だ。

 真冬の声に被せ、掻き消してしまう、そんな声が聞こえた。

 平穏な日常を嘲笑う、そんな悪意に満ちた声であった。

 真冬の知覚をも遮断してしまう凄まじい気配を纏っている。

 

 それが、近付いて来た事に、全く察する事が出来ないでいたのだ。

 

「随分と腑抜けちまったものだな、糞餓鬼が」

 

 背後から、冷たい刃が突き立てられた。

 臓物を断たれた。

 それを、幻視してしまった。

 

 そんな恐ろしい声色だったのだ。

 翠が、悲鳴を洩らした。 

 真冬の左拳を持つ手に、一層力を込めた。

 

「敗れ、犯され、穢れた、堕ちた戦士、子袋を失い、雌としての価値も、既に無い……なぁ、お前(め)ぇ、そんな無様な姿を晒して、よくもまぁ、生きていられるもんだな。生き恥晒すくらいなら、普通、死ぬぜ」

 

 ──離した。

 咄嗟に身体が動いてしまった。

 

「──ほう、これはこれは」

 

 翠は、まるで、庇うように真冬の前に立ったのだ。

 小さな少女の身体で、真冬へ向けられている、その男の視線を遮る事は出来ないだろう。

 

 だが、翠は真冬の前に立ったのである。

 翠の歯が鳴っていた。

 今にも泣き出しそうな顔で男を見据えた。

 

「俺の前に、立ちやがったか。女子供と言えども、そいつぁ」

 

 ──俺に挑んだって事になるぜ。

 

 牙を剥き出しにする鬼よりも恐ろしい形相で嗤い、如何なる猛獣の唸りに勝る怒気を孕んだ声で、男は告げたのだった。

 

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