範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ) 作:贋海王
真冬の膝が剛志の顎を砕いた。
その際に響いた嫌な音を、剛志も、野次馬達も聞いていた。
剛志は息が出来なかった。
あまりの激痛に両目から涙も滲む。
砕かれたのは顎骨だけではなく、奥歯もだ。
苦痛の声を上げる一瞬の猶予も与えられない、連撃に次ぐ連撃のだめ押しに放たれた膝蹴りは、かなりのダメージだった。
初撃となった脳天への踵落とし。
額へと、もう片方の足による踵落とし。
そして、またも踵は鼻へと落とされた。
それは刹那の出来事だ──
だとしても、滞空時間が異様な長さである。
滞空時間と飛距離の長さに定評がある技に“真空飛び膝蹴り”と呼ばれる物があるが、この真冬の連撃は古牧宗太郎の脳裏に、正しくそれを連想させる物だった。
そして、連撃は顎への膝蹴りで締めくくられた。
脳天への踵落としは間違いなく、そこいらの格闘家に放ったのなら、首を引っ込める途中の亀の様に、首が胴体にめり込んでいただろう。
本来は連撃を行う必要の無い威力を持った踵落としであった。
連撃へと移ることになったのは剛志という化け物相手だからだ。
鼻への踵落としも、鼻の骨が潰れる感触も無かった。
そんな少しの気持ち悪さを真冬は感じだ。
軟骨が潰れていない……潰れる感触を覚えないことが気持ち悪い。
潰れた感触を味合うことの方が、普通の精神の持ち主なら気持ち悪さを覚える筈なのだが、やはり真冬の精神はどこかおかしい。
グラリとよろめき、倒れ込むかと思われた剛志だったが、地面を強く踏み締め踏ん張る事でその巨体をアスファルトへと投げ出す事は無かった。
ある種の意地だった。
そして、恥じていた。
一瞬だが、防御に回ってしまった事を、剛志は恥じているのだ。
顎を砕く膝蹴りを喰らった時の事だ──
剛志の脳裏に浮かび、網膜は真冬の姿ではなく脳裏の中にある幻想を映し出していた。
幻視されたものは一人の
喧嘩師 花山薫──
先日、剛志をたった一発のパンチで沈めた異形の拳を持った男だ。
不良や極道、裏社会に生きる格闘家にとって、花山薫との喧嘩は一種のステータスとも言える憧れなのだ。
花山薫に殴られる事は一生の幸福であり、誇りとなる……そこまで言ってしまうものも居るほどだ。
剛志にとっても当然そうだ。
花山薫に殴られた──
あの拳を経験したのなら他の拳など恐れる物ではない。
地上最強の生物を目指している剛志だが、今はまだ花山薫の実力に比べると、大きく遅れをとっている。
今、目指すべきは花山薫だ。
そして、そんな花山薫と拳を交えたのだ。
他の誰の拳を恐れる必要などあるものか。
剛志はそう考えていた。
「まだ、やるか?お前の踵落としも膝蹴りも……花山薫の拳と比べちゃ何でも無いぜ」
未だに、剛志は嗤っていた。
“お母さん、貴女が下さった甘さで頭の中が今も充たされています。この人の戦うことで今も貴女を感じられます”
真冬の両目から涙が零れた。
頭骨へのダメージで血の涙の様な流血が両目から溢れていたが、それに加えて血に混じった涙が零れていた。
剛志は真冬を透して花山薫の姿を……そして、真冬の脳内には剛志ではなく母の姿があった──
此処に来て、両者は互いを見据えながらも、互いを見ることなく、その後ろにいる別の
真冬は、剛志の分厚い胸板を蹴った。
ダメージを与えるつもりはない。
キックの反動で背後に跳んだのだ。
剛志がまたも足を掴む、そう読んだから故の行動だった。
現に、剛志の両手は空を掴んでいた。
背後に跳んだと同時に真冬は別の一撃も入れていた。
先程立ち上がるときにアスファルトを叩いた際、五指の爪でアスファルトを抉っており、砂塵の様なアスファルトの破片を爪の間に隠し持って居たのだ。
恐らくこの行動に気付けたものはいなかっただろう。
その破片を隠し持った腕をしならせ、アスファルトの破片を『縄鏢掌』(鞭打の応用となる技で、しならせた腕を鞭の様に打ち付け、爪で切り裂くと言う真冬特有の鞭打)で抉った背面の傷口にねじ込んでいたのだ。
傷口を更にアスファルトで傷付ける……残虐な技だった。
背後に跳んだ真冬であったが、直ぐに仕掛けた。
突然に真っ向から突っ込んだのだ。
その真冬を迎撃するために、剛志は脚を振り上げた。
それは真冬のスピードを考慮したタイミングを計った物だった。
剛志の考えでは、顎を蹴り上げられるタイミングだった筈だ。
しかし、寸でで、真冬の全身は下に落ちた。
蓄積されたダメージが今になって出てきて崩れ落ちた……訳ではない。
血の涙が、一瞬真冬の高さに残っている、そんな速度で真冬は全身を沈めていた。
真冬の白い後ろ髪は逆立つように舞っている。
氷柱か雪か、寒さや冷たさを思い起こさせるそんな髪の毛の舞いだった。
左の掌はアスファルトに、右手は僅かに浮いている。
右足は片膝を立て、左足は膝を折っていた。
何処と無く地面を這う蜥蜴の様でもある、その姿を保ったのは刹那──
飛び掛かった。
拡がり舞っている髪の毛で、剛志の顔面を打った。
生きている様に舞っている髪の毛が打ち込まれた、その奇妙さに、剛志は一瞬怯む事になってしまい、その隙を見逃す真冬ではない。
飛び掛かると真冬の右掌は左胸側に左掌は背中へ。
両手は挟むように、回された左手は抱き込むようにも見える。
巨体である剛志の胸板を、挟み込むのは小柄な真冬には難しいだろうが、一瞬、鞭打の如く距離感を無視した様に腕がしなり、左掌は背面に回されていた。
その瞬間、剛志は音もなく、アスファルトに倒れ込んだのだった。
何が起きたのか──
無数の野次馬達が集まるこの場で理解出来たものはただ一人──古牧宗太郎だけだった。
“……無寸雷神ッッ”
古牧は心中で今しがた真冬が行った技の名称を叫び、
「勝負あり、じゃな──」
ピクリとも動かぬ、が、死んではいない剛志と血塗れになりながらもその場に立つ真冬の元へと古牧は歩んだ。
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