範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ) 作:贋海王
横浜伊勢佐木異人町鶴亀街道西に在る、自家焙煎で有名な喫茶店、ゴブリン珈琲。
店内に入って、最初に目を引くのは、真正面に立つゴブリン春日の等身大フィギュアだ。
店の外観は、とても落ち着いた昔ながらの静かな純喫茶と言った印象故に、何も知らずに入店したら、出迎えてくれるこの厳つい等身大フィギュアに恐らく面食らうだろう。
ゴブリン春日とは、大昔のプロレスラーのリングネームである。
まだマウント斗羽が存命(斗羽さんは今も生きている!そんな都市伝説もある。パリで絵描きやってて、猪狩と路上試合やってるの見た!とそんな突飛な都市伝説)で、プロレス団体の社長業を担っていた頃に活躍したプロレスラー。
……それがゴブリン春日。
弱そうなリングネーム……。
そんな声が聞こえて来そうだ。
ゴブリンと言えば、テーブルトークロールプレイングゲームやコンピューターゲームなどで、雑魚モンスターとして登場することで知られている。
実は、ゴブリン春日のリングネーム自体はあまりゴブリンそのものと関係は無いのだ。
彼の本名とその由来のあだ名、更に春日は彼が奈良出身故に春日山から『春日』の文字を借りている。
彼は『ゴブリン』何て弱いモンスターを連想させる名前を使っているが、恐ろしく強いレスラーだった。
この喫茶店は、そんなゴブリン春日の大ファンのオーナーが経営していた。
チャンピオンベルトを巻いたゴブリン春日のこの等身大フィギュアは、何と特注品だ。
800万円も掛けて作ったそうだが、公式からライセンスを受けていない超非公式グッズなので、もしどこかに売ったとしても二束三文だろう。
店内には、ゴブリン春日の写真やポスターが貼られ、公式グッズなども所狭しと飾られており、ここのオーナーがゴブリン春日の熱狂的な信奉者である事が伺える。
コーヒーとは無関係そうな、店名にある『ゴブリン』部分は、このプロレスラー『ゴブリン春日』から(無許可で)借りているものだ(ゴブリン春日にしないのはせめての良心か)。
客層も当然、男性のプロレスファンが多い。
しかし、とある常連客は、この店から匂い立つある種のむさ苦しさとは真逆の人物だった。
バイトのウェイトレスの女性
他のバイトはそんな彼女の姿に呆れもするが、その常連客の人並み外れた容姿を考えたら憧れもするだろうと、納得もしていた。
ゴブリン珈琲の営業時間は10:00から20:00で、その常連客は大体夕方に来る為に、その常連客に会いたい夏織は夕方の時間帯に合わせるようなシフトを組んで貰ったりもしている。
「いらっしゃい!真冬さん!」
今日も件の常連客に会えるかと思い組んで貰っていたシフトが大当たりだった西木夏織は、満面の笑みでその常連客を出迎えた。
真冬さんと呼ばれた常連客は、美しい女性だった。
色々な髪色に染める事が珍しく無くなった現代でも、目を引く綺麗な真っ白い長い髪。
その髪は染めている訳ではなく地毛だと言う。
肌も同じく白い、日本人離れした白さで白人のそれよりも白い。
薄く桜色の口紅を引いているが、化粧を落とせば、まるで死人の様に血の気も熱も失われたと思えてしまう、不自然な程に白い口唇が見られるだろう。
だが、その双貌は紅い。
その見目は
真冬をそう表現する人間が中国にいるらしいが、それは白い髪や肌、紅い瞳から連想したものである。
衣服は白いシャツと黒いミニスカート、薄茶色のハーフブーツと今は着飾っていないが、夏織は真冬がゴスロリ衣装に身に纏った姿も知っていて、その姿が大好きだった。
ゴスロリ衣装を着ている姿を最初に見掛けたのは、異人町にあるホームレス村でだった。
真冬が何故ホームレス村にいるのか不思議だったが、真冬はたまにホームレス達に缶ビールや缶チューハイ、そのツマミなどを差し入れして一緒に飲んでいるのだ。
ホームレス村の村長と知り合いであるらしくその縁からこうした事をしているのだ。
真っ白い和風ゴスロリを着ている真冬は、二十歳過ぎには見えない愛らしさで、夏織はついつい見惚れてしまった。
「ヤマトゴスロリのヤマトゴキブリでーす!」
などと、意味不明な事も言っていたが、それはそれで可愛くて、夏織が真冬の事を一層好きになる一件だった。
真冬をカウンター席に案内し、水を置いた。
「夏織さん、ありがとう」
真冬は微笑み、アイスコーヒーとカツサンド、オムライスを注文すると、持っていた何かの冊子に目を通し何やらスマートフォンでも検索を始めていた。
気になった夏織はアイスコーヒーを先に持っていき、また真冬に声をかける。
「ご注文のレーコーお持ちしました!他のご注文のメニューはもう暫くお待ちくださいね」
夏織は真冬と仲良くなりたいからか、アイスコーヒーをレーコーと言う真冬の癖を真似したりしていた。
最初はレーコーの意味が分からなかったが、大阪人の中にはアイスコーヒーを冷コーと呼ぶ人がたまにいる。
真冬の姉は関西で暮らしているらしく、その姉は当然大阪弁の為に、その呼び方の癖がうつったと聞いた。
「お仕事の資料ですか?」
見た目の年齢的に真冬の事を大学生かと思った頃もあったが、真冬は、大学生ではない。
『フリーター?の様なもの』と教えられたが、たまに海外に行ったりもしているので、実際どんな仕事なのかはよく分からない。
しかし、実は最初に真冬を意識しだしたのは、真冬がこのゴブリン珈琲である仕事をした時からだ。
「これ?いいえ……あ、ぅん、そう、これはね」
真冬は、資料にある文字を指差した。
心なしか、白い頬が朱に染まっている気がした。
「パートナーシップ制度……?」
あぁ、そう言う事かと夏織は思った。
実は以前、真冬と恋愛的な話題をしたことがある。
真冬の恋愛事情が気になる。
夏織は何故かそんな事が気になったので、食事に誘ってそんな話をしたのだ。
随分、ぐいぐい行ってしまったと反省した日だが、その時真冬はこんな事を言った。
「恋愛ですか……ぅん、私、好きな人と結婚出来ないから……なぁ」
そんな言葉を悲しそうに言っていた。
好きな人がいる、その事実にショックを受けたが結婚出来ないと言う事の、その理由も気になった。
相手の男死ねと勝手な怨嗟の言葉を考えてしまったあの日の自分が恥ずかしくなる。
──しかし、そうか。
──真冬の好きな相手とは、女性なのだと、理解出来た。
パートナーシップ制度とは、日本では結婚を認められない同性カップルを自治体が支援する制度の事だ。
婚姻制度とは異なるとは言え、現代の日本で同性カップルが公の場に於いて、結婚に相当する関係であると認められる唯一のそして最大の制度なのだ。
好きな女性か、と夏織は思う。
ある切っ掛けから、夏織は確かに真冬に憧れ出した。
自分も、真冬に恋をしてるんだなと、夏織は漸く自覚した。
そう、ゴブリン珈琲が経営の危機に直面していた頃、あの日からだ。
1. レスキューヒーローおユキさん
「ゲェー、ご、ゴキブリ」
一連の騒動が始まったのは、ある客が注文したパスタに小さなゴキブリが混入している事を大袈裟に、騒いだ時からである。
夏織や、他のウェイトレスや調理係のバイト、オーナー兼店長は慌てたが、まさかと思った。
オーナーは直ぐに謝罪し、その場は収まった。
しかし、それから直ぐに、混入問題が立て続けに起きたのだ。
金属片やゴム片、野菜などを纏めるテープ、ビニール、ゴキブリ等の害虫だ。
実は、ゴキブリ等の害虫が混入した際は、オーナーもウェイトレスや他のバイトも、言葉にしなかったが、客の自演を疑った。
ヤクザの古い手を真似した愉快犯だと思ったのだ。
その時点では夏織も同感であった。
最初に騒いだのが、堅気に見えない三人の男だった事も関係している。
異人町には、過去に反社会的な立場にいた人間だけが集まるボクシングジムがある。
そこは、轟木拳闘ジムと言う名称で知られている。
件の客はそこの門下生であり、良い噂を聞かない三人組だったからだ。
会長の轟木は、元ヤクザや不良などに更生を促し、社会的に受け入れられる選手に育成しようと考えているし、門下生の殆どは今は真面目にボクシング選手として活躍し、海外で有名になった者だっている。
しかし、そこのジムや会長の内情を知らない者は怖いジムと色眼鏡で見るし、元門下生で暴力事件を起こす本当に問題がある者だっている。
だが、続く異物混入事故は、素行に問題が有りそうな人物ではない客からも起きていた。
近所で見掛ける老人や、若い女性、近くの高校の生徒などだ。
その学生は進学校で有名な誠稜高等学校の生徒であり、制服を着ての来店は確かに問題がありそうだが、制服で身元が分かるため、妙な愉快犯にはならないだろうと、オーナーも考えていた。
自作自演が不可能だと判断出来た理由は、この店の給水機の不備による金属片、野菜を纏めるテープ片なども混入していたからだ。
その事から、店の不手際なのだと、皆考え出したのだ。
そしてある日、また、例の三人が来店し、またもや異物混入のクレームが発生したのだ。
それは、鼠の混入と言うとんでもない物だった。
男達は騒ぎ、オーナーに謝罪を要求しながらインターネット上に写真を上げたり、掲示板に投稿していたのだった。
その時だ。
オーナーを口汚く罵り、騒ぐ男達に彼女が声をかけたのだ。
常連客の女性だ。
最初の騒動前からよく通ってアイスコーヒーやオムライスを頼む女性。
騒動が連続しても来店を止めない、そんな常連客。
──綺麗な人だと思っていた。
──雪女。
第一印象がそれだった。
ホームレス村ではおユキさんと呼ばれていると、後に知る。
本名を知らないホームレス達が、勝手にそう呼んでいたが、彼女は特に気にせず、ホームレス村ではおユキさんで通っている。
夏織が抱いた雪女との印象をホームレス達も感じたのだろう、故に雪女のおユキさんなのだろう。
「もう、止めませんか?絡繰はもう割れてますから」
おユキさん……いや、真冬はまるで時代劇の金さんやご老公、新さんかと思ってしまうような言い回しで、男達に言った。
「台湾黒社会、
夏織が聞いた事の無い単語を、真冬が言うと男達は急に動揺した。
「貴方達だけじゃ無いですよね」
真冬は調理スタッフのバイトやウェイトレスのバイトを指差し、微笑み掛けた。
「大所帯……と言う訳ではないでしょうけど」
異人町には異人三と呼ばれる組織群が存在している。
極道組織『横浜星龍会』、中国系マフィア『
当然、真冬が言う蚩尤街はそこに含まれないし、中華街を嘗て牛耳っていた蛇華でも無い。
「……何で、そいつを」
「蚩尤街の戦略ですか?もしかして、亜細亜裏武術省『剄神山』も絡んでます?」
一連の騒動は、バイトと客、双方がグルなのだと簡単に言えばそんな話しだと真冬が語る。
バイトのスタッフは蚩尤街の工作員であり、客は一般人を適当に雇った、所謂、闇バイトらしい。
蚩尤街の工作員により、例えば店内の防犯カメラなども細工されていたため、誰も気づけなかったのだ。
そう語り、三人組に笑いかける真冬を見て、夏織は心臓の高鳴りを抑えられなかった。
「まぁ、異人町の事は異人三が解決するでしょうが、蚩尤街の工作員の貴方方には私が対処しないといけないですね」
真冬はそう言うと、何故か妙に芝居めいた口調で名乗った。
「バイトヒーロードットコム所属ユキと申します」
犯人グループの協力者であるバイトスタッフ達が慌てふためき逃げ出すと、真冬は、何故か防犯カメラに手を振った。
何かの、誰かへ向けた合図だろうか。
三人組は逃げる事はせず真冬に詰め寄った。
「蚩尤街の名前出されちゃあ、ヤるしかねぇやな、死ねや!」
三人組はボクシングジムの門下生らしいフォームで構えた。
彼らは、元ヤクザではないが素行不良の半グレとして轟木拳闘ジムに潜り込んだ、亜細亜裏武術省の工作員なのだった。
しかし、飛び出したのは、ボクシングの技術では無かった。
文字通り、飛び出した。
いや、飛び蹴りだ。
ボクシングと言うより、中国拳法的だった。
死ねやと言った男ではなく、別の一人が仕掛けてきた。
それはフェイントめいている。
大体、死ねやと叫ばれると『そいつが仕掛けてくる』と錯覚する。
そこで、そいつに注視した途端に別の人物が攻撃してくるのだ。
一瞬遅れて、もう一人が小さなナイフの様な物を投擲した。
鏢と言う中国の、投げナイフに似た手裏剣だ。
真冬はその飛び蹴りを両腕で防御するが、背後に飛ばされた。
鏢は飛び蹴りが着弾する前に真冬に命中していたが、真冬は右腕でそれを弾いていた。
ほぼ同時の話だ。
別の攻撃をほぼ同時にガードしたのだ。
鏢を弾いて直ぐ様、同じ腕で飛び蹴りを受ける。
人間技では無い。
「ぎゃあわわー」
おかしな悲鳴を上げたのはオーナーだ。
真冬が蹴り飛ばされたその先には800万円のゴブリン春日等身大フィギュアが立っている。
真冬を心配する訳では無く、等身大フィギュアを心配するオーナーに夏織は腹を立てたが、人間など概ねそんなものだ。
オーナーを責められまい。
しかし、真冬は背中からゴブリン春日等身大フィギュアにぶつかった筈なのに、フィギュアは壊れるどころか倒れる事さえ無かった。
「消力……いや、違う」
男の言葉は正解だった。
消力×無寸受け×浮身
=
あらゆる状況姿勢であっても、あのミレニアムタワーでの一件で身に付けた死に際の集中力、それで繰り出す無寸受けを扱える基本
以前、リョウガの無寸勁にて弾き飛ばされ、ガラス張りを割らずに着地した技術を応用発展させた物である。
そして、あらゆる状況とは、本来消力を扱えない様な背後に密着する、例えば壁が有ったとしても扱える事さえ意味しているのだ。
あの苦い記憶。
地獄の日々があった。
追い込まれ、押さえ付けられ、消力を扱えない状況。
圧倒的腕力に抗えない無力感。
そうした物から逃れる術。
それが真冬の始まりで基本。
真冬は、これ以上ここで戦えばゴブリン珈琲内がめちゃくちゃになると判断。
蚩尤街の名を出したのも、そうすれば、男達から殺害対象になると考えたからだ。
真冬は走り、鏢を拾う。
そして、少しずつ、店の外へ向かう様に、攻撃と受け、回避を行う。
外にいきなり出たり、映画のヒーローの様に場所を変えようなどと言ったら、この店が今の弱点とばれる。
そうしたら敵は場所を変える筈が無いし、彼らは三人組だ。
追い掛けてくる者以外の誰かが、オーナーやウェイトレスを人質にする可能性がある。
特に夏織と親密なのを知っている可能性だってあるのだ。
故に、誘導した。
鏢で斬り付け、相手の立ち位置を変える。
防御で、自身も移動。
外へ向かっていると三人組が察したら失敗だ。
その為には、消力ではなく、打撃でよろめいた様に演技しつつ、実際は古武術の抜重めいたステップも扱う。
そして、ゴブリン珈琲内で、オーナーが大切にしているゴブリン春日のグッズ等には被害もなく、また、夏織やウェイトレスも傷付けられること無く、男達を外に誘導出来たのだ。
夏織は店内から真冬を見ていた。
素人目には店内で真冬は苦戦しながらも防戦、稀に反撃している、そんな風に見えただろう。
だが、実の所、ゴブリン珈琲を守護っていた故に防戦している様に見えたのだ。
しかし、そんな苦戦しながらも、悪漢と戦う真冬。
寧ろそんな姿に夏織は惹かれていった。
自覚していない、憧れと錯覚した、恋の始まりであった。
──そんな昔を思い出していた夏織だったが、資料を読みながら真剣にスマートフォンを操作し検索している真冬の表情を見て、過去の真冬ではなく、今の真冬との時間に集中する。
「も、もう、その人には制度のお話ッッしてるんですか」
つい声が上擦ってしまった。
そこまで聞いて良いか迷うし、普通もう相談して決まっている事だろう。
「……ぃえ……怖くて」
「え?」
「言えません、私なんかと、そんな、ね」
真冬は虚ろな紅い目で微笑み、夏織を見やった。
「でも、いつかは私の思い全部、伝えたいなって思うので、こうして、あの人が居ないところで……勉強してます」
『私なんか』
その言葉に夏織は胸が締め付けられた。
この人は、そんな卑下する言葉が当てはまる人間とは思えない。
真冬の虚ろな紅い双貌は何を見てきたのだろう。
どんな人生を歩んで来たのだろう。
知らないんだなぁ、全然、この人のこと。
心の中でため息を吐いた。
「きっとね。いつか、私がもっと“つよくなれたら”きっと」
真冬は微笑み、アイスコーヒーを飲んだ。
ゾクリと感じたのは、どこか違和が有った声色への恐怖なのか、それとも真冬が言葉を紡いだ時の、その表情の強さにこがれて、一層、恋に落ちたからか。
夏織は何も分からないが、だからこそ、私なら今でも直ぐに宣誓しますよーと、冗談を言って、真冬に笑って貰った。
『仕切り直し、没ネタエピソード』は削除し、残骸置場に入れた方が良いですか?
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そのままで良い
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残骸置場行きが良い