範馬道 神室町の蜚蠊幼女(ヤマトゴスロリ) 作:贋海王
イ・ギョンドは、殺しも請け負う何でも屋だ。
暗殺者として行動するには、あまりに目立つ巨体である。
身長198cm体重181kg。
巨体故に、その膂力は無論常軌を逸している。
裏社会に身を
現在では、片腕で大型のバイク、両腕を用いたなら中型車を容易く持ち上げる事が可能な、怪物染みた筋力を誇る。
──その片鱗は当時からも見られ、パワーリフティングは言うに及ばず、腕力のみで柔道、レスリングを制覇し、望むなら幾らでもそれらの競技で世界王者となり、オリンピックの金メダルを祖国に
──尤も、レスリングに関してはロシアのアレクサンダー・ガーレンと言う大きな壁が有るため、その限りでは無いのだが。
そんな彼が、裏社会に身を置くようになった理由は、たった一つ、殺人への快楽的な欲求だ。
柔道やレスリングの試合では人を殺せない。
故に、韓国で組織されている殺人専門の工作員部隊に志願し、見事、試験を突破したのだが、入隊試験の舞台であった日本で、空道と出会う事になる。
その快楽だけを求めた殺人への欲求と、空道との出会いが、マスター国松を通して、彼を裏社会へと誘ったのである。
だが、何でも屋と言う商いの都合上、その膂力を活かせる様な殺しだけを、請け負う訳ではない。
遠距離からの狙撃は勿論、水中での暗殺、毒物を用いて人知れず相手を葬る必要もあった。
ギョンドは国松に師事し、格闘術を初め、古風な武器術から近代的な近接武器、元々韓国にて工作員として学んでいたあらゆる銃火器の扱いを更に洗練させ、毒物の知識、戦闘以外の様々な
リョウガが弾丸を掴んだカラクリも知っている。
──空掌
マスター国松の空道に伝わる
例えば、床に置かれたボーリングの玉の上に僅かな隙間を空けて、指先を揃え掌を翳す。
その際、掌の中には窪みを作っておく。
すると、ボーリングの玉は、掌へと吸い込まれる様に浮き上がり、重力をまるで無視するかの様に、落ちること無く掌に吸着されるのだ。
空掌の正体は、掌と物体の隙間に真空を発生させる技術である。
しかし、床に置かれたボーリングの玉は動く事はない。
リョウガが掌握した弾丸は初速にして凡そ350m/sとなる。
その速度で放たれた弾丸を空掌で掴み取った。
しかも、弾丸は六発だ。
空掌の知識を持つギョンドと言えど、リョウガが行った空掌で弾丸を引き寄せ無力化、手の内に収めるこの技量の異常さは、信じがたい水準として目を見張る領域だった。
そればかりか、扇状に撃った弾丸である。
直線上に放った物であったら、まだしも、理解できる。
まるで空間そのものが歪んだ様に、真空が発生したのだ。
──
マスター国松から出たリョウガの話題だ。
迦陵頻伽は上半身が菩薩、下半身が鳥の仏教に於ける空想上の生き物である。
概ね、美しい生き物として描かれるが、恐ろしい鷲の鉤爪を持った天女として描かれる場合もあった。
リョウガの名は、その迦陵頻伽から名付けられている。
故に、国松のその言葉は、名前の由来を表しているだけだと、ギョンドは考えていた。
だが、この場合、猛禽類とは件の鷲の鉤爪を持った天女と掛けてはいるが、その鉤爪こそ、リョウガが扱う空掌の事を指しているのでは無いだろうか。
──弾丸さえも、捉え、獲物とするリョウガの空掌なのだから。
しかし、リョウガもまた、決して余裕綽々にギョンドの眼前に立っているわけではない。
リョウガは、僅か身長138cm体重は32kgだ。
身長差は言わずもがな、概ね六倍の体重を誇るギョンドの巨体は、聳える大山に見えていた。
「柳葉刀を……砕くか、普通。石頭が」
さっき拭った筈の冷たい汗が、チーヨーの頬を伝う。
刀身は中心辺りから砕けていた。
3分の1程の刃は残っているが、もはや刀剣としての機能は失われただろう。
これで斬り付けるくらいならナイフを使うだろう。
「うおっッう」
石頭と軽口を叩いたのも束の間、チーヨーの身体が左側へ吸われた。
彼は一瞬理解に苦しんだが、リョウガの空掌だと気付く。
チーヨーとリョウガは、間近まで接近している。
立ち位置の間隔だけなら、5cmも離れてはいまい。
ソッと左脇腹へ添えられたリョウガの右手に吸い寄せられたのだ。
弾丸は自然に床に落とし、右手の掌をチーヨーの脇腹に密着させる。
空掌により、リョウガの右手は、チーヨーの身体へとまるで吸盤の様に吸い付いたのだ。
そして、それはギョンドの更なる銃撃に備えた物だった。
チーヨーの身体を引き寄せたのは、その銃撃が行われる寸前の事だ。
リョウガの空掌、それは一切の容赦も無かった。
チーヨーの身体は盾にされ、弾丸はチーヨーの背中に二発命中したのだ。
チーヨーは、柳葉刀の柄を離した。
そこから追撃をしても良さそうな物だが、リョウガは、直ぐ様、チーヨーへの空掌を解いた。
奇妙な違和感に襲われ、そして、あることを察したからだ。
負傷していないのか、一滴も流血していない。
空掌を解いたか、解かないか、その僅かな一瞬にチーヨーの右手の人差し指と中指がリョウガの両目へと寸分違わず突き出された。
それと同時に、親指の第一関節、親指以外の四指の第一第二関節を屈曲させた掌底を腹へ、右膝をリョウガの股間へと打ち込む。
一連の目付き、掌底、膝蹴りは同時に打たれた。
リョウガが空掌を解いていなければ、ほぼ密着状態故に、躱すことは不可能だったろう。
リョウガは、数歩分下がりそれらを躱す。
だが、チーヨーはそれらの同時打ちの瞬間に左脚のみで跳躍し、膝蹴りの状態はそのままに、リョウガの顎を蹴り上げた。
一瞬で飛び膝蹴りへ移行したのだ。
リョウガは顎を撃ち抜かれ、顔が上向きに大きく跳ね上がった。
リョウガの脳は激しく揺らされ、頭蓋骨の壁に叩きつけられる。
一瞬、意識は分断され、認識の外へ押し出された。
そこから、ギョンドが飛び出し、右肩から全身をリョウガにぶつけた。
ギョンドは左手をリョウガの股に押し込み、右脚の膝裏を抱え込むと、そのまま、一気に壁まで突き進み、自身の体と壁でリョウガを挟み押し潰す。
181kgの肉の弾丸と、コンクリートの壁でのリョウガのサンドイッチの完成である。
恐ろしい事に、壁には亀裂が走り、巨大なクレーターが広がっていた。
人間が、その身で、まるで鉄球クレーン車を使用した様な破壊を見せたのだ。
壁に埋まったリョウガへと更に全身をぶつけ、銃口を腹に押し付けると、弾倉が空になるまで、残る弾丸七発打ち続けた。
人体に弾丸が撃ち込まれ、まともな人間なら耳を塞ぎたくなる様な音と共に、夥しい鮮血が迸った。
リョウガの身体がズルズルと壁から床へと崩れ落ちる。
仰向けに倒れ、ビクリと身体が痙攣し二度血を吐いた。
それをギョンドは見下ろし、止めと言ったところか。
──顔面に向かって、まるで力士が行う四股のような形で、脚を踏み下ろした。
力士の四股と異なり、ギョンドは、靴を履いている。
釘や、鋭利に砕かれたガラス、砂利などを踏み締めても足を保護する硬い靴底は、こうした踏みつけの際は、防具ではなく武器となる。
防音がしっかりしているラブホテルの宿泊室だが、その顔面と床を踏み抜く地鳴りの様な轟音は、外にまで響き、外の住人にも聞こえたのではないか。
その凄まじい轟音と比較すると、ピクリとも動かぬリョウガは、普段の明るく話す姿を鑑みれば、哀れな程静かになってしまっていた。
「──死んだか。馬鹿な女だ、不意討ちならまだしも、真正面から戦い、勝てると……」
ギョンドの腹に、ポッカリと穴が空いていた。
血が吹き出した。
肉はまるで破裂した様に抉れて居る。
穴から内臓が見えるのだ。
「……き、貴様」
いつ、触れられたのか。
「空掌はこんなことも出来るんやで」
リョウガの小さな手は血に塗れ、赤黒い肉の塊があった。
ギョンドの腹筋だった物だ。
──迦陵頻伽は猛禽類である。
──空掌と言う名の、迦陵頻伽の鉤爪がギョンドの強靭な筋肉を引き裂き、ごっそりと抉り取ったのだ。
チーヨーは絶句し、ギョンドの元へ向かおうとしていた歩みを一旦止めた。
「あんたのタックルなんか、あれとくらべたら、大したことあらへんわ」
しかし、リョウガもまた、大きなダメージを負っているからか、その口調のトーンは舌足らずにも聞こえる、どこかくぐもった声であった。
二発目のタックルと銃撃を喰らい、その激痛で覚醒出来た。
一発目のダメージは大きく、二発目と銃弾の速射を喰らわなければ意識は断たれたままであったろう。
場合によれば、あのままどうなっていたか分からない。
真冬のあの姿を見たからか。
意識が無かった事実に、ゾワリとした
(あ~、そうか、嫌なもん見てもうたんやなぁ、嫌でも性差を意識してまう)
とは言え、その怯えの様子を態度では微塵も見せずに、敢えて煽る。
あれと言うのは、自身の空掌の一先ずの完成と想定した儀式の事だ。
ギョンドやチーヨーも、その儀式とやらは知っている。
実際に見た訳では無いが、亜細亜圏の裏社会で武術家として生きるものには、有名な話だ。
ゆらりとした妖気と熱気を纏い、リョウガは立ち上がる。
未だ子供染みている八重歯を覗かせながらも、真冬の幼い愛らしさとはまた異なる、どことなく勝ち気さと気品さが同居している艶やかな笑みを浮かべた。
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