快感の嵐が奔流のように過ぎ去り、フリーレンの意識は、荒れ果てた無人の浜辺に打ち上げられたように、ゆっくりと現実へと引き戻される。
床に落ちた、開かれたままの魔導書。
豪奢な椅子の肘掛けの上で、まだ微かに震えている自分の指先。
そして、足元で恍惚と自分を見上げていた、あの魔女の顔⋯⋯。
全てが、悪夢のような現実を突きつける。
「あっ⋯⋯!」
フリーレンは、ほとんど悲鳴に近い声を上げて、リリティアナを突き飛ばすようにして立ち上がった。契約など、もはや頭にはない。ただ、この場から逃げ出したかった。屈辱と、混乱と、そして今まで己が知ることのなかった身体の反応に対する、純粋な恐怖。その全てから。
彼女は書庫から逃げ出し、塔の中に与えられた自室へと駆け込んだ。意味がないと知りながら、重厚な扉に震える手で鍵をかける。そのままベッドに倒れ込み、顔を枕に押し付けた。しかし、求めていた安息は訪れない。身体の奥深く⋯⋯腹の底には、今まで知らなかった熱の残滓(ざんし)が、まるで生き物のように渦巻いている。リリティアナの指の感触、囁く声、そして自分の喉から漏れた、あの恥知らずな喘ぎ声が、何度も、何度も脳内で再生される。
魔法で身体を清めようとした。しかし、肌に触れる水の感覚さえ、先程の記憶を呼び覚ます引き金になる。冷たいはずの水が、なぜかリリティアナの指のように熱く感じてしまう。
千年を生きて、初めてだった。フリーレンは、己の身体を、紛れもない「裏切り者」だと感じていた。
◇
翌日、フリーレンは書庫へ行くことを躊躇った。
あの場所は、もはや聖なる知識の探求の場ではない。己が獣のように喘ぎ、屈辱に塗れた舞台だ。しかし、脳裏に浮かぶのはヒンメルの顔。彼との再会という、この永い旅の唯一の目的が、彼女の足を無理やり書庫へと動かした。
重い足取りで書庫の扉を開けると、リリティアナは窓辺の椅子に座り、優雅に本を読んでいた。まるで昨日のことなど、最初から何もなかったかのように。フリーレンが取り落とした魔導書は、丁寧に拾われ、彼女が昨日まで座っていた椅子の横のテーブルに、きちんと置かれていた。
この、何事もなかったかのような静謐な態度が、フリーレンをより一層混乱させる。罵られる方が、まだましだった。
フリーレンは意を決して、自席へと向かう。
その時だった。
ただリリティアナの横顔が視界に入っただけで、フリーレンの身体の奥が、きゅん、と疼いた。下腹部に、微かな熱が集まるのを感じる。思わず、ごくりと唾を飲み込む。
身体が、昨日の快感を記憶している。
そして、あろうことか⋯⋯それを期待してしまっている。
フリーレンは、この事実に、おぞましいほどの恐怖を覚えた。これこそが、リリティアナが自分に仕掛けた「呪い」の、本当の正体なのだと悟った。
震える手で、テーブルの上の本を開く。しかし、古代文字の羅列は、一行たりとも頭に入ってこない。意識の全てが、リリティアナの次の動きに集中してしまっている。いつ来るのか? 次はどこに触れるのか? その緊張と、背徳的な予感が、彼女の理性を完全に麻痺させていた。
だが、リリティアナは近づいてこない。ただ時折、頁をめくる、ぱらり、という乾いた音を立てるだけ。この沈黙が、フリーレンをじわじわと、しかし確実に追い詰めていく。まるで獲物が自ら罠にかかるのを、辛抱強く待っているかのように。
やがて、リリティアナが静かに立ち上がり、フリーレンの傍らにやってきた。
フリーレンは、全身の筋肉を硬直させて身構える。
しかし、リリティアナはフリーレンの前に、一杯のハーブティーを置くだけだった。湯気の向こうで、彼女の唇が優しく微笑む。
「集中できない時は、温かいものを飲むといい」
その声は、どこまでも慈愛に満ちていた。
しかし、その底なしの優しさが、フリーレンには何よりもの拷問に感じられた。リリティアナは、フリーレンが今、何を考えているか、その身体がどうなっているかを、全てお見通しなのだ。このハーブティーは憐れみか、それとも勝利宣言か。
フリーレンは、ただ俯いて、湯気を見つめることしかできなかった。
数時間が、永遠のように過ぎ去っていく。
フリーレンの前に置かれたハーブティーはとうに冷め、彼女の精神は張り詰めた弦のように、限界を迎えようとしていた。読書など、もはや不可能だった。リリティアナが動かないという事実が、逆にフリーレンの身体を内側からじわじわと、しかし確実に蝕んでいく。
下腹部に宿った熱は、引くどころか、無言の期待を養分にして、どろりとしたマグマのように育っていく。時折、椅子に座る身じろぎで太腿の内側が擦れるだけで、びくりと身体が震え、秘裂からまた一筋、熱い蜜が滲み出すのを感じてしまう。
もう、ごまかしは効かない。
この身体は、もう彼女を求めている。
フリーレンは、ついに本を閉じた。
パタン、というその音は、この静まり返った書庫で、降伏を告げる白旗として、あまりにも大きく響き渡った。
彼女は顔を上げない。ただ俯いたまま、次の瞬間を待つ。唇をきつく噛みしめ、ローブの下で両の拳を固く握りしめる。それは最後のちっぽけな抵抗であり、これから起こるであろう全てへの、屈辱的な覚悟の表れでもあった。
リリティアナは、窓辺の椅子から静かに立ち上がった。
足音は、しない。
フリーレンは、彼女が背後に回るのだと思った。昨日までのように。
だが、リリティアナはゆっくりとフリーレンの正面に回り込み、その椅子の前に立った。フリーレンは俯いたままだ。その視界に、リリティアナのローブの裾と、床に置かれた優雅な靴の先が入る。
リリティアナはフリーレンの前に屈み、無理やり視線の高さを合わせた。そして、その冷たい指先でフリーレンの顎を捉え、抵抗を許さずに顔を上げさせた。潤んだ青い瞳が、屈辱と、抗えない渇きに激しく揺れている。
「やっと素直になったね」
リリティアナは囁いた。その言葉が終わる前に、フリーレンの唇は、彼女のそれで塞がれていた。
それは、フリーレンの千年の人生で、おそらく初めての口づけだった。
リリティアナの唇は驚くほど柔らかく、そして熱かった。驚きに固く閉じられたフリーレンの唇の隙間を、リリティアナの舌が、まるで鍵を探すようにゆっくりとこじ開けようとする。フリーレンは最後の意地で抵抗するが、リリティアナの指が顎を強く掴み、それを許さない。
ついに、熱く湿った舌が、いとも容易く防衛線を突破してくる。フリーレンの口内を探索し、歯列をなぞり、敏感な上顎をねっとりと撫でる。フリーレンの思考が、その未知の快感に焼き切れていく。彼女の小さな抵抗はすぐに力を失い、やがて⋯⋯リリティアナの舌に、自らのそれを、恐る恐る絡めてしまっていた。
「ん⋯⋯ぅ、ふ⋯⋯ぁ⋯⋯」
フリーレンの喉から、キスに飲み込まれた甘い声が漏れる。屈辱のはずなのに、身体の芯が蕩けていく。脳が痺れ、足先から力が抜けていく。これが、キス⋯⋯?
リリティアナは名残惜しそうに唇を離す。二人の間には、透明な唾液の糸がきらめいて、ぷつりと切れた。フリーレンは息も絶え絶えで、その顔は熟れた果実のように赤く染まり、瞳は完全に理性の光を失っていた。
「ほら、ね?」
リリティアナはフリーレンの濡れた唇を親指で優しく拭い、囁く。
「君は、こうしたかったんだ。最初からずっと」
その言葉は、もはやフリーレンには届かない。口づけによって、彼女の身体は、その魂ごと、完全にリリティアナのものとなっていた。
リリティアナは満足げに微笑むと、その場に跪き、昨日と同じように、ローブの裾から手を差し入れた。すでに熱く湿りきった下着に、その指先が触れる。
「ご褒美をあげよう、私の可愛いフリーレン」
唇に残る生々しい感触と、下から込み上げてくる新たな快感の波。昨日知ったばかりの悦びが、昨日よりもずっと早く、そして強く身体を支配していく。フリーレンはもう、絶望すら感じなかった。ただ、リリティアナが与える全ての快楽を受け入れるために、静かに目を閉じるだけだった。
呪いは、もう解けない。