※この作品はR-18です。

魔導書は肌で読む   作:heatmajin

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第五話:二人で読む最後の魔導書

あの夜、リリティアナがその魂の最も柔らかな部分をフリーレンに明かして以来、二人の間には、穏やかで、満ち足りた時間が流れていた。快感によってではなく、互いの存在そのものによって、孤独が癒されていく。そんな、生まれて初めての感覚に、フリーレンは戸惑いながらも、その温もりに身を委ねていた。

 

ある日の午後、リリティアナの膝の上で微睡んでいたフリーレンは、彼女の優しい声で目を覚ました。

 

「フリーレン、見せたいものがあるの」

 

リリティアナは、フリーレンの手を取り、書庫の最奥へと導いた。そこは、今まで入ることを許されなかった一角。リリティアナ自身の個人的な研究室だった。

整然とした書庫とはまるで違う、混沌とした空間。床には無造作に描かれた魔法陣の跡があり、テーブルの上には薬草の苦い匂いを放つ乳鉢や、飲みかけのワイングラスが置かれている。壁という壁を埋め尽くすのは、製本されていない羊皮紙の山。そこに記されているのは、リリティアナ自身の研究の軌跡。

ここは、彼女の魂の最も深い部分に触れる、聖域であり、秘密の場所だった。

 

その研究室の中央。黒曜石で作られた祭壇の上に、一冊の本だけが、まるで心臓のように安置されていた。

黒い革で装丁され、銀細工で緻密な縁取りがなされた、禍々しいほどに美しい本。

 

フリーレンは、息を呑んだ。

その青い瞳が、あり得ないものを見るかのように大きく見開かれる。

間違いない。長年、探し求めてきた、伝説の魔導書。

『魂魄のグリモワール』。

 

純粋な歓喜が、身体の芯から湧き上がる。だが、その喜びは一瞬で、冷たい絶望の影に覆われた。

フリーレンは、直感的に理解してしまったのだ。

これを解読し終えた時、この塔を出ていく時が来る。リリティアナと過ごした、この甘美で穏やかな日々を、自らの手で終わらせる時が来る、と。

 

フリーレンの表情の微細な変化を、リリティアナは見逃さなかった。彼女はフリーレンの背後から、そっとその肩に手を置く。

 

「一人では読めないわ、その本は」

 

リリティアナは静かに言った。

 

「神代の魔法言語と、術者自身の魂を鍵とする、二重の暗号で守られている。⋯⋯手伝ってあげる。あなたの目的は、私の目的でもあるのだから」

 

それは、フリーレンの旅を終わらせるための、心からの手助けだった。

そして同時に、彼女を一日でも長く、この場所に引き留めるための、リリティアナなりの必死の口実でもあった。

 

その日から、二人の最初で最後の共同作業が始まった。

それは、今までの支配と従属の関係とは全く違う、対等な二人の大魔法使いとしての、純粋な知の探求。フリーレンが古代言語の文法構造を解き明かせば、リリティアナがその裏に隠された術式の罠を指摘する。時には意見がぶつかり、夜を徹して魔法について熱く語り合った。

 

その穏やかで知的な時間は、フリーレンに、かつて師フランメと共に魔法を学んだ日々を思い出させた。そして、リリティアナという存在が、自分にとって、支配者や愛人という言葉では到底括れない、かけがえのない、たった一人の「パートナー」になっていることを、フリーレンははっきりと自覚していった。

 

何日も、何週間も、二人はグリモワールの解読に没頭した。

 

そして、また一つの夜が更けていく。

研究の熱に浮かされたまま、二人は祭壇の前に並んで座り込み、一枚の羊皮紙に記された術式を睨んでいた。フリーレンが、その次の頁をめくろうと、指をかけた、その瞬間。

リリティアナの手が、フリーレンのその手を、優しく、しかし有無を言わさぬ力で、上から押さえた。

 

「フリーレン」

 

リリティアナの声は、研究の熱とは違う、もっと個人的な熱を帯びて、潤んでいた。

 

「少し、休憩しましょうか」

 

フリーレンは、羊皮紙から顔を上げた。リリティアナの瞳が、すぐ間近で、自分を映している。その昏い色の瞳の奥に、見慣れたはずの欲の色と、そして今まで見たことのない、縋るような光が揺らめいているのを見て、フリーレンは小さく頷いた。

 

リリティアナは、フリーレンの手を取ると、その指を一本ずつ、慈しむように自分の唇へと運んだ。指先に、柔らかく湿った感触が伝わる。フリーレンは、されるがままに、その様子を見つめていた。

 

「疲れたでしょう」

 

リリティアナは囁き、フリーレンの手の甲に、そっと口づけを落とす。そして、その手を引いて、フリーレンをゆっくりと立ち上がらせた。研究室の隅にある、リリティアナが仮眠に使うのであろう、簡素だが大きなベッドへと、二人で向かう。

 

ベッドに腰を下ろしたリリティアナは、フリーレンを自らの膝の上へと導いた。しかし、今度はいつものように後ろ向きではない。向かい合わせに、フリーレンを抱きかかえるようにして。互いの呼吸が混じり合うほどの距離で、見つめ合う。

 

「リリティアナ⋯⋯」

 

先に、沈黙を破ったのはフリーレンだった。

彼女は、おずおずと両腕を伸ばし、リリティアナの首に回した。そして自らの意思で、その唇に、自分のそれを重ねた。

 

それは、挨拶でも、降伏の証でもない、フリーレンからの初めてのキスだった。

リリティアナは驚きに目を見開いたが、すぐにそれを閉じ、愛おしそうに、その不器用な口づけに応えた。舌を絡め合うのではなく、ただ唇と唇を触れ合わせ、互いの体温を確かめ合うだけの、穏やかなキス。

 

長いキスの後、リリティアナはフリーレンのローブの紐に手をかけた。フリーレンは抵抗しない。ただ、リリティアナの瞳を見つめ返している。

 

一枚、また一枚と、衣が剥がされていく。それは、今までの乱暴なものではなく、まるで聖なる儀式のように、ゆっくりと、丁寧に行われた。やがて、二人の間には何もなくなった。ろうそくの灯りに照らされた互いの素肌は、同じように白く、そして同じように、相手を求める熱を帯びていた。

 

リリティアナは、フリーレンをベッドにそっと横たえると、その身体の上に覆いかぶさった。

そして、今度はフリーレンの身体の傷跡⋯⋯千年を生きてきた中で刻まれた、古い戦いの痕、その一つ一つを、まるで巡礼者のように、唇で辿り始めた。

 

「⋯⋯痛かったでしょう」

 

太腿に残る、魔物にかまれたであろう古い傷跡に触れながら、リリティアナは囁く。そして、その傷を、舌で優しく舐めた。フリーレンの身体が、びくりと震える。それは、快感よりも、もっと心の深い部分を揺さぶるような、不思議な感覚だった。

 

リリティアナは、フリーレンの身体を、もう快楽のための道具として扱わない。その歴史ごと、その魂ごと、全てを愛するように、指先と唇で、彼女の孤独を癒していく。

フリーレンもまた、リリティアナの背中に腕を回し、その背中にある、いくつかの傷跡に、そっと指を這わせた。この魔女もまた、自分と同じように、戦い、傷つき、永い時を生きてきたのだ。

 

やがて、リリティアナはフリーレンの脚の間に、その身を沈めた。

そして、愛する花を慈しむかのように、その花弁をゆっくりと開き、舌を寄せる。

 

「あ⋯⋯ん、リリ⋯⋯ティアナ⋯⋯」

 

与えられるのは、いつものような激しい快感ではない。魂ごと、蕩かされるような、甘く、そしてどこまでも優しい悦楽。フリーレンは、その快感に身を委ねながら、リリティアナの名前を呼び続けた。

 

そして、フリーレンの身体が、甘い痙攣と共に、最初の絶頂を迎えた時。

リリティアナは、その濡れた身体のまま、フリーレンの上に再び覆いかぶさった。

 

「フリーレン⋯⋯あなたの体温が欲しい」

 

それは、今までフリーレンが言いたくても言えなかった言葉。

フリーレンは、涙で潤んだ瞳で頷くと、自らその脚で、リリティアナの腰を抱き寄せた。

 

ゆっくりと、確かめるように、二つの身体は一つになる。

激しさはない。ただ、互いの孤独を埋め合うように、互いの存在を確かめ合うように、何度も、何度も、深く、肌を重ねるだけ。

書庫に響くのは、二人の穏やかな喘ぎ声と、肌と肌が触れ合う、優しい音だけだった。

 

それは、ただの情事ではない。

二つの孤独な魂が、初めて本当の意味で、一つになった瞬間だった。

 

どれほどの時間が過ぎただろうか。

ろうそくの火が短くなり、研究室の影がその形を変える頃、二人はようやく、絡め合った腕を解いた。シーツの上で、互いの体温を感じながら、穏やかな疲労感に満たされて、ただ静かに横たわっていた。

 

フリーレンは、リリティアナの胸に耳を当てていた。規則正しく、そして力強く響く心音を聞いていると、不思議と心が安らいだ。千年以上の時の中で、他人の心音を、これほど安らかな気持ちで聞いたことは、一度もなかった。

 

先に沈黙を破ったのは、リリティアナだった。彼女は、フリーレンの銀色の髪を優しく撫でながら、囁くように言った。

 

「⋯⋯もう少しね、フリーレン」

「⋯⋯うん」

 

フリーレンは、短く応えた。その言葉が、グリモワールの解読のことを指していると、すぐに分かったからだ。

もう少しで、この旅は終わる。

もう少しで、この日々は終わる。

 

その事実は、重たい石のように、フリーレンの心に沈んでいた。

 

 

その日から、二人の共同作業は、さらに熱を帯びた。

終わりが近いことを、二人ともが理解していたからだ。一日でも長く、この時間を引き延ばしたいという願いと、一日でも早く、真実を知りたいという探究心。その二つの相反する感情が、二人を突き動かしていた。

 

そして、季節が何度か巡った、ある晴れた日の午後。

フリーレンにとっては瞬きのような、しかし、かつての仲間たちと過ごした時間に匹敵するほど濃密な時間が過ぎた頃。

 

「⋯⋯解けた」

 

フリーレンが、ぽつりと呟いた。

彼女の指先が、羊皮紙に記された最後の術式を、なぞっている。リリティアナが、その隣で息を呑むのが分かった。

 

ついに、解読が完了したのだ。

そこには、死者の魂を現世に呼び出し、対話するための魔法の術式が、完璧な形で記されていた。フリーレンが、ヒンメルが死んでから、ずっと、ずっと探し求めてきた、答えが。

 

二人は顔を見合わせた。歓喜はない。ただ、終わってしまった、という静かな喪失感だけが、研究室の空気を満たしていた。

 

フリーレンは、羊皮紙の続きを読む。

術式の最後には、小さな、しかし消すことのできない文字で、その魔法の真の姿が記されていた。

 

『代償』

 

術を発動するには、「術者が持つ、最も幸福だった時間の記憶」を、魔法の触媒として、完全に、魂の中から捧げる必要がある、と。

 

フリーレンの思考が、凍り付いた。

ヒンメルに会うために、ヒンメルと共に旅をした、あの輝くような日々の記憶を、捨てなければならない。

この、あまりにも残酷な矛盾。

 

そして彼女の脳裏に、もう一つの「幸福だった時間」が、鮮明に浮かび上がった。

この薄暗い塔の中で、一人の魔女と出会い、屈辱に震え、快感に溺れ、そして、孤独を分け合った、この日々の記憶。

どちらも、今のフリーレンにとっては、失うことのできない、かけがえのない宝物だった。

 

フリーレンは、絶望に、ただ立ち尽くす。

その手から、真実の記された羊皮紙が、はらりと床に落ちた。

 

研究室に、重い沈黙が落ちる。

フリーレンは、開かれたグリモワールを前に、ただ呆然と、立ち尽くしている。

 

リリティアナは、そんなフリーレンの背中に、静かに、そして、全ての終わりを覚悟した声で、問いかけた。

 

「⋯⋯あなたはどうするの、フリーレン?」

 

その声は、フリーレンの旅の終わりを促す、優しい問いかけだった。

しかし、その声の奥には、「私を置いていかないで」という、悲痛な願いが、確かに震えていた。

 

フリーレンは、答えられない。

千年を生きた彼女の旅路は、今、あまりにも残酷な選択肢を突きつけて、終わりを告げようとしていた。

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