――もしか、したら。
――もしか、したら。
聴いた覚えのあるメロディーだった。懐かしさすら覚えた。だが、即座に勘違いかもしれないという思いも駆け巡った。初耳の可能性だって十分にある。そんな曖昧さを抱く旋律が、ふと岩戸環の耳を抜けた。そもそも、このアメ横のせき込むほどの群衆のなか、どこからあの音楽が流れてきたというのだろう。
人いきれのなか、音の源をたどってみた。だがうまくいかなかった。もうあのメロディーは聞こえちゃいない。タイトルを思い出そうと試みた。それもうまくいかなかった。四十歳の女にできることは徐々に少なくなっているのかもしれない。自分で自分の年齢を自嘲したとき、ふと横から声があった。
「環さん、どうかした?」
落ち着きすら感じさせる低い声。環は我に返る。
「あぁ、ごめん。何でもないの。ちょっと、聴いたことある音楽かもしれないなって思っただけ」
隣を見れば、三十分ほど前に合流したばかりの若い男の姿があった。芹澤朋也。そう。あの日、すずめとわたしを東北まで乗せてくれた大学生である。相変わらず貧乏ホストみたいな身なりで雰囲気も変わっていない。だが何より、自分が有休をとってまで東京に来た理由でもある。
「そう? 音楽なんか聞こえなかったけど」
「まぁわたしも、どこから聞こえたかわからないし」
「そっか。さて行きますか。カフェでも行きましょう」
「うん。でも、久しぶりね……ってわけでもないか」
「はは。だって環さんたちと会って、まだ一カ月経ってないっしょ」
朋也が歩き出すのに合わせて隣に並ぶ。アメ横では平日ですら並んで歩くのが難しいと、環は初めて知った。宮崎の、特に地元では人を避けて歩くことはほぼない。それほどの田舎でわたしは暮らしてきた……。名物のお菓子のたたき売りに外人が並んでいるが、群がっているのは観光客だけらしい。朋也は何一つ興味を示さなかった。代わりにこちらに問いを投げかけてきた。
「聞いていいですか?」
「何? あぁそういえば、カフェってどこにあると?」
「すぐそこですよ」朋也は正面を向いたまま言った。「環さんって、なんで俺に会いにきたんです? こんな千キロも離れてるのに」
「……はぁ?」
立ち止まる。
思わず声が漏れた。
朋也も振り返った。
「あれ? 違うんですか?」
貧乏ホストのような彼は当然だと思ってるようだった。いや、確かに間違いではないのだけれど。わたしはあくまで。
「ちょ、わたしはただ、お礼をしに来ただけよ。すずめの保護者として当然のことを――って何笑ってるのよ」
よほど必死に映ったらしい。
朋也は余裕のある笑みを環へ返した。
「そんなムキにならなくたって。それに、お礼しに来たってことは結局俺に会いに来たってことじゃないですか」
「う……っ」
王手飛車取り。蛇に睨まれた蛙。
思い浮かんだのはそれだけだ。環は諦めて肩をすくめた。
「あぁもう。……はぁ。そうよ。その通りよ。きみに会いに来たの。悪い?」
「素直に言ったらどうです? ほら、カフェはすぐそこですよ」
「何をよ」
悪い予感がした。
そして大抵悪い予感というのは当たるようにできている。
「環さん、実は俺のこと好きになっちゃったんじゃないですか。お礼ってのは口実に過ぎない」
またも当たり前のように朋也は言った。
だから岩戸環は朋也の肩を小突いた。アメ横にいってえ、という叫びが響く。カップルの痴話喧嘩のひとつと周囲は思ったようだ。
「きみ、調子のったらいかんよ。大人をからかっちゃダメ」
「……からかってなんかないんだけどな」
「わたしをいくつやと思っとんの。もうおばさんよ」
「……はぁ。ま、いっか。どの道あとで言うつもりだったし」若さと無謀さは時に武器にもなる。「環さん、ふつーに綺麗ですよ。ぶっちゃけ俺、環さんなら余裕で付き合えますけど。てか。いきなりですけど、もう付き合いません?」
向き直り、大学生の若い男は純粋さとまっすぐさを込めた瞳で四十歳の環を見た。その想像以上の正面突破は、恋愛経験の疎い環の心を揺らしたのである。ガラスに石が当たれば罅が入るように、当然に。
「な…………っ、な…………っ」
見る見る間に赤みが増す。頬が熱い。この若者は何を言っているのだろう。だが若さ故の勢いは歩みを止めることはない。進軍あるのみとオスの本能が知っているのだ。本丸は目の前にあった。そしてそれは、ある種の男に足りない何かであるのは確かだった。同僚で、漁協に勤め、一人の女性に想いを寄せる純朴などこかの一人の男のことでもある。群衆のなか、朋也は環の両肩に手を置く。眼鏡越しの瞳に実直の焔をともしながら。
環の鼓動が弾む。
こんな至近距離で男に見つめられる経験、あの子を引き取ってからは記憶にない。いや、遠すぎて忘れている。果たしてそんなアプローチが自分にあったろうか。
「年齢差なんて俺は気にしません。だから環さん、俺と恋人になってください。幸せにします」
「ちょ、ちょ、きみ……! なな、なにを……っ」
うろたえてるのは一目瞭然でしかなかった。
と、騒ぎを聞きつけた野次馬が押し寄せてきた。恋のから騒ぎと知った群衆は二人を囃し立て、時には指笛を吹き、あわや一大イベントである。恋愛ごとに目ざとい若い女子にいたっては自分のように飛び跳ねながら喜んでいる。
その騒ぎに、目立つことに慣れていない環は耐えられなかった。ごくごく普通の一般人として、目立つことなんて避けたかった。
だから環は、朋也の手をとった。
「ちょっときみ、こっち来て!」
「ちょ、ちょっと環さん!?」
すっかり輪となった群衆を切り裂くように駆け抜ける。興味本位の他人の視線がここまで刺さるとは思ってもなかった。
道のわからぬ上野の裏路地を、とりあえず朋也の手をとったまま走っていく。東に西に、北に南に。だが人間にはスタミナというものがある。息も絶え絶えにとある雑居ビルの前で立ち止まった。鼓動は爆発的なリズムを刻み、汗が噴き出る。そのとき、これまで一言も発しなかった朋也が背後を振り返りつつ言った。
「……やばい環さん、まだ追いかけてくる」
「え? ほ、ほんと? わたしもう、走れ、ない……」
「……ここに逃げよう! こっち来て!」
返答もできぬうち、環は朋也に導かれるまま隣の雑居ビルらしき建物に入っていく。
ここがラブホテルだと気づいたのは、すっかり部屋に入ったあとであった。
◆
――なんで、こんな流れになってしまったんやろ
「環さん、マジきれいだよ」
パンッパンッパンッパンッパンッ
「んっ、あっ、あっ、んっ」
――こんな、大学生なんかとセックスして、わたし
「好きだよ、環さん……っ、ほら、もっといやらしく四つん這いで腰つきだして」
パンッパンッパンッパンッパンッ
「あ、あぁんっ、奥まで、はいって……っ」
「こんなキャリアウーマンって見た目で気も強くて美人なのに、喘ぎ声エロすぎだよ……」
パンッパンッパンッパンッパンッ
「あぁんっ、だって、きみ、の、おっき……っ」
――四十歳にもなって、男の子に言われるがままエッチな姿勢までして
「ほら、バックでしたままこっち向いて。舌出して」
パンッパンッパンッパンッパンッ
「あんっ、ん、んむっ、ちゅっ、ちゅ、れろれろ、あ、ぁは、んっ」
「エッチだよ環さん……おっぱいもこんなエッチに揺らしてさ……」
パンッパンッパンッパンッパンッ
「あっ、そんな揉まないでっ、あんっ、あんっ」
――でもわたし、心のどこかでは、期待……してた?
「環さん、いや……環。俺またイキそうだよっ、環っ」
パンッパンッパンッパンッパンッパンパンパンパンパンパンパン
「あっ、朋也く………………と……朋也……っ、朋也、朋也っ。はげ、しっ、よっ、あっ、あっ、あっ、あっ、だめぇっ」
「環っ、環っ」
「朋也っ、朋也ぁっ」
パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパン
――ちがうよすずめ、わたし、こんないやらしい女じゃ――
「イ、イクッ、だめだ環っ、俺イクッ!」
パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパン
「わた、し、もっ! あっあっあっあっ! イ、クっ! イッちゃうっ!」
「好きだっ! 環――っ!」
――どびゅっびゅびゅびゅびゅびゅびゅるるるるるるる――――っ
――ビクッ、ビクビクッ、ビクビクビクビクゥ――――――――っ
「あぁ――――っ…………朋也の、熱いの……でて、る……っ………………」
――――――いやらしい女じゃ、ない? 再会したばかりの、それも二十近く年下の男の子とセックスしといて……? ……はは、ごめんね、すずめ。わたしも人のこと、言えんね……
◆
「……勘違い、せんでね?」
「何を?」
「わたし、軽い女じゃなかよ」
「わかってるよ。そんなこと全く思ってない。……ね、こっち向いて」
「え? ん……っ」
今時このネオン煌めくジャグジーも珍しい。だが上野という街には骨董品めいた大人の宿場も未だ色濃く残っている。このホテルもその一端を担っているのは間違いない。そしてその古めかしさを好む層は一定層いるものだ。
裸をさらすのも躊躇していたはずなのに、肌を合わせ、二回も行為を終えたあとではまるで初めの躊躇いが嘘のようにすべてを見せることができた。たとえ十代や二十代前半の張りのある肌ではないとしても、環は今のありのままの女の体を朋也に見せる。環は朋也に背を預けながら入浴を楽しんでいたが、呼ばれるまま振り向くと大学生の彼は口づけを求めてきた。むろん、断る理由はない。
「環……舌だして」
「ん……ちゅっ、ちゅっ」
肌を重ねるということは想いを受け入れること。もはや絶滅危惧の価値観かもしれない。だが環ははそう信じていた。だからこそ今、わたしとこの男は恋人関係にある。あの日以来仄かに心の片隅に生まれた想い。それに蓋をする必要のなくなった今、環はすずめの母代わりの役割から解き放たれて”オンナ”であることを隠す必要がなくなった。
互いの唾液すら愛おしい。
そんな濃厚にすぎる舌の絡めあいを数分続けたあと、いまだ20代前半の若さを生きる朋也はつぶやいた。
「またシタくなった」
「え? ――ぷっ、あは、あはは」
下手すれば子供でもおかしくない年齢差の彼が、今はなぜこんなにも愛おしいのだろう。確かに言葉の証明は先ほどからわたしの下腹部に触れている。ジャグジーのなかにいて尚ハッキリと感じ取れる、脳髄の奥深くを揺らすような硬さのある代物。
環は朋也の首に腕を回しながら微笑んだ。
「……ええよ。でもさすがに二回も激しいのシて休ませてほしいから。……口で、したげる」
「……マジで? 環が口でしてくれんの?」
「そこ、座ってくれる?」
「……」
朋也は言われるがまま浴槽のふちに座りなおした。宣言通り、その下腹部には太く屹立した男の肉の棒が若さの持続力を抱きながら天井を向いている。
環は朋也の足を開き、太もものあいまに腰を下ろす。目の前には、先ほどまで自分のなかに入っていた男の象徴。こうして間近で見るのはあまりに久しぶりに過ぎる。自然と上目遣いになるのは女の性なのかもしれない。
「期待はせんでね。うまくはないから」
「俺……めっちゃ幸せだよ」
朋也の言葉の意味はよくわからなかった。
ただ男がフェラを好むということは知っている。環も四十年の歳月を生きているのだ。かつて付き合っていた男、かつて肉体関係を結んだ男、数は少なけれど彼らは一様にフェラを求めてきた。なぜそこまで咥えさせたがるのかはわからない。それに理解に努める気もなかった。そんないやらしい行為への思考に時間を割く必要性がない。
ただ今、目の前の朋也に対してだけは初めて抱く感情があった。
――気持ちよくしてあげたい
そっと握ってみた。そしてゆるやかに上下してみた。それだけで、
「あぁ……気持ちいい……」
朋也は湿っぽい吐息をあげる。
環はそっと口角を上げた。そしてゆっくりと亀頭を咥えた。そのまま唾液を含ませながら頬をすぼめ、広げた舌を肉棒にあてがいながら上下させる。
すぐ唾液が爆ぜるいやらしい音が響いてきた。
「んふ……ちゅぼっちゅぶっ、じゅぽっ、じゅっぽ、ちゅぼっ」
わかりやすく朋也の腰がうねる。
「あぁ、やっべ……っ」
顔の角度を変えながら口内奉仕を続ける。
「ちゅぼっじゅぼっ、じゅぽっ、ちゅぼっ」
「エロすぎだって、環……マジでさ……」
「ちゅぽっ……ふふ、気持ちいい?」
「元カレがマージでうらやましい」
素直な気持ちを吐き出す若い男に、また愛おしさが増した。
「今は、きみだけよ」宮崎のどこかで絶望に暮れる男が生まれた気がした。「ほら、口に出してよかよ。ん……ちゅぽっちゅぼっ、れろれろ、じゅぼっじゅっぷっ、じゅぼっ」
「あぁ……やべ、やべ……っ」
唾液が愛液のような潤滑油となり、生き物じみた舌が肉棒を裏筋から竿までまんべんなく快楽を植え付ける。何より、朋也より人生経験も仕事もしっかり自立した大人のオンナが自分をイカせるためにフェラチオしているという視覚効果が何よりも興奮させた。
(こんな美人が俺のチ〇ポしゃぶってるとか……たまんねーだろ……)
「ちゅぼっじゅっぼっ、じゅっぼっ、じゅぽっ、ちゅぶっちゅぼっ」
限界はあっという間に訪れた。
というよりもこんな極限の淫靡さ、我慢できるはずがない。
光の速さで脳髄をしびれさせる快楽の極みが尿道をかけあがる。
「あ、やべっ、イ、イクっ!」
「じゅぽっ、じゅぼっ、んふ……出してっ、……ちゅぼっちゅぼっじゅぼっじゅぽっじゅぶっじゅぼっちゅぼちゅぼちゅぼちゅぼちゅぼっ」
世界は一瞬にして真っ白に染まった。
「だめだ環っ、イクっ!」
――どびゅっびゅっびゅっびゅびゅびゅびゅびゅるるるるるるっるる――――――!!!
「ん、ふ――――――っ」
環のフェラが止まる。朋也の腰がガクガクとうごめく。どれほどの精液が放出されたのか、それはわからない。ただ環は何かを口内に含んだ様子で肉棒を口から離すと、それを掌に垂らして見せた。
驚くほど大量の白濁駅がどろりと溜まっていく。
そして環は淫靡さすら醸し出す微笑みを浮かべた。
「どう? 気持ちよかったと?」
朋也は後頭部を吹き飛ばされたような衝撃を覚えた。
「……環。ベッドいこっか」
◆
「中だすよ? 環」
パンッパンッパンッパンッパンッ!
「あぁっ、あんっ、もうやめといたほうが、いいよ……」
「なんで?」
パンッパンッパンッパンッパンッ
「これ以上は本当に、赤ちゃん、できちゃう可能性あるよ……? いいと……?」
「環、俺の赤ちゃん生んでよ」
「ん、もう……四十歳やからって、できないと思って、無責任、なんや、から……」
「俺は本当に環に赤ちゃん生んでほしい」
パンッパンッパンッパンッパンッ
正常位で深くつながった二人は、至近距離で見つめあいながら快楽をむさぼる。朋也が舌を伸ばせば、環も舌を伸ばして先端同士で絡み合う。
「キス好き」
「わたしも」
濃厚な絡み合いが続く。
「環、好き」
「わたしも」
パンッパンッパンッパンッパンッ
「赤ちゃん作ろ?」
「……ん、もう……」
否定しなかった。朋也はつづけた。
「いいってこと?」
しばらくの沈黙ののち、環は朋也の首に腕を回して呟いた。
「――いっぱい中に出してよ? どうせなら」
瞬間、朋也のなかで何かのタガが外れた。門柱が吹き飛ばされた。そんな感覚だった。
「環っ、環っ、環っ、環っ!」
パンッパンッパンッパンッパンッ!
「あんっ! はげしっ、ともやっ、あんっ!」
膨れ上がる射精欲。まるで短距離走のような暴力的なピストンが環の肢体を揺らす。
「俺、本気だからっ!」
パンッパンッパンッパンッパンッ!
「う、うんっ! うんっ! あっ、あんっ! あんっ!」
「環っ! イクッ! イクっ! イクッ!」
「あ――っ! あんっ! あっ、だし、てっ! 出してっ! 朋也の精子、いっぱい出してぇっ!」
自分でも驚くようなはしたない叫びが、ラブホテルの室内に響く。
高まりあった二人が絶頂に達したのは同時だった。
――どぶっぶっぶびゅびゅびゅぶぶぶぶぶぶるっるるうるるううううううううううう――――――――っ!!!!!
――ビグッビグビグビクビクビクビクビク――――――――っっっ!!!!
四回目の射精とは思えないほどの大量の芹澤朋也の精液が、岩戸環の子宮をたっぷりと満たす。おそらくはこの膣内射精こそが、岩戸環妊娠の行為だった。
やがて絶頂を終えた二人が脱力から荒い吐息で重なりなうと、とろけた瞳を交差させ、どちらからともなくまた舌を絡めあった。
「環……気持ちよかったよ」
「うん……わたしもよ」
有休をとって東京に来てから、ほぼセックスしかしていない。
まるでセックスするためにここまで来たようで、環は思わず自嘲気味に笑う。
ふと、同僚の純朴そうな青年の顔が浮かんだ。
だがその顔はすぐ朋也の肌の熱さにかき消された。
唇が離れると、唾液の糸がひいた。
環は尋ねた。
「こげんいっぱい出したら……本当に赤ちゃんできちゃうかもしれんよ?」
朋也は言った。
「すずめちゃんがお姉ちゃんになるなんて、めでたいじゃない」
環は笑った。
そう。
やはり会いに来たのは、間違いではなかったようだ。
~終~