『......になりました。学生の皆さんは、最寄りの交通機関等を利用して下校しましょう──』
放課後。
建ち並ぶビル群は茜色に染まり、斜陽が街路樹の上端に差し掛かっている。学校を辞した貪鮫は、帰宅の途についていた。学生達に速やかな下校を呼び掛ける街頭アナウンスが流れ、上空を飛ぶ飛行船の薄膜スクリーンには夕刻の最新ニュースが表示されている。世代を問わず、数多の人間が一斉に街に繰り出す様子はある種の壮観さを醸していて......。
学生街の大通りともなれば尚の事、まだ一〇代の若人である彼らは夏休みを前にして浮き足立っているのが感じられた。
暫くヒトの波に揉まれて歩いた頃、ふらりと脇に逸れるように別な道へと進んでいく。彼の自宅は第二一学区にある先進技術を多用したモダン邸宅に居住権を有しているが、あの辺に住んでいるのは貪鮫くらいで、大体は自らの通学先のある学区内に用意しているのが殆どだ。間違っても街の端から長距離通学している者は多くない。
夕暮れのラッシュアワーで溢れる通りを尻目に、停留所からバスに乗り込んだ。
一部を除きどの学区からでも他の学区へと交通網が通っているので、煩雑な乗り換えやパスが最小限に済むのは非常に便利だ。平日の利用客は比較的少ない第二一学区行きのバスは、学生など数える程度しか居ない。
学園都市の公共交通サービスは基本的に完全無人化されており、自動運転プログラムが導入されているために人間の運転士は存在しない。決まったルートを定刻通りに走らせるだけなら、高度化されたAIと遠隔監視端末だけで十分だからだ。更に監視カメラと集音機能を駆使し停車エリアを通過する際人間を確認しているのだから、事故や取り零しのリスクも低くなっているようだ。
幸い、バス内には貪鮫以外の乗客は無かった。なんとなく一番後方の席に陣取ると車輌はゆっくりと進み始め、夕暮れの学園都市を静かに後方へと流していった。
走り出して暫く経つと、過ぎ去る景色を見るのにも飽きが来てしまったので何となしに内装へと目をやる。
車内に懸架された液晶広告では、賑やかな音楽と共に外部向けと思われるコマーシャルが流れ......派手な見出しが躍っている。怪しげな商品名を連呼して、壁の外では認可すら下りないような製品もこの街では溢れ返っていた。外界とは数十年単位の技術進歩の開きがあるとされているけれど、メディアの質は大して代わり映えしない。そうなるように働きかけたからだが......。
画面では、有名な能力者にクローズアップする番組に切り替わっていて若冠一四歳の才媛として名高い【
当人は知る由も無かったが、能力開発の元締めたる上層部からすればそれは定められたレールを予定通りなぞるだけの事に過ぎない。
結局は、体制側の人間からしてみれば憧れの電撃姫だろうと単なる駒にすぎないのだ──
「──ああいうのがタイプなのかね?」
若年女性特有の高音域の旋律が、突如として耳に響いた。
真隣から聞こえた音に一瞬貪鮫の細胞が緊張するが、記憶のモノと結び付けるとうんざりしながらそちらを向いた......先程まで彼以外に乗客の居なかった座席には、一人の
そいつは脚をぷらぷらさせながら、此方を見て楽しそうにしている。
「脅かすな、アレイスター」
「おや、私だと分かっていたのか。流石は貪鮫君と言うべきかな」
感心しているのか、皮肉を込めているのかいまいち分からない反応を以て返答としたのは、中高生位の年齢に見える少女であった。その少女こそ、科学サイドの首魁にして初代統括理事長ことアレイスター=クロウリーに他ならないのだが……。
過去の実験にて、自らの魂を分化──言い換えると、アレイスター=クロウリーという存在が取り得る一〇億八三〇九万二八六七通りもの可能性を生成したのだが、いがみ合うだけであったそれらを生命維持装置の内部にて集約させた。総数にして十億を越えるクロウリー達を、分化先を出現させて擬似的な瞬間移動を可能とする事で同時間軸上に同時に存在させるという荒業を成しているのだ。
目の前に居るのは、彼の記した魔導書『法の書』に登場する女性神格の一柱【ベバロン】、あるいは【ベイバロン】を元として受肉した個体というべきモノだ。
「ふーむ......久し振りに外に出てみたが、大して代わり映えもしないものだね」
少女体となったアレイスターは、興味深そうに車窓越しの風景を眺めていた。水色を基調とした学生服に酷似した衣服を着て、伸びやかな脚を純白のソックスで覆っている。ちらりと横目で見ると、ブレザーの胸元は窮屈そうに押し上げられており......限界まで張り詰めた布地が悲鳴めいたシワを作っていたのが分かった。
その特徴的な銀髪と翡翠の瞳は、美しい女性の形態を取った事でより魅力を増すようだった。銀糸の如く煌めく長髪は床に垂れるほど豊かで、碧玉を嵌め込んだかのような虹彩には洗練された叡智を感じさせる物がある。
文字通り完璧な
「外に出てきて良いのか。魔術師に見つかったら終わりだぞ」
ビルの狭間に消え入りそうな太陽を窓の外に見ながら、何時もよりも少し低い声色で窘める貪鮫。そもそも、年中陰気なビーカーの中に籠って生命維持すら機械に任せきりの人間が瞬きするだけでも異常事態とされるような有り様なのに。表に出てくるという事実は安全上、機密上極めて危険な状態だが......奴はのほほんとして言葉を紡ぐ。
「心配は無用だ。街の外ならば出た途端にクソ共の探知に引っかかるが、学園都市内部なら直接触られでもしない限りは大丈夫だろう。そもそも私が表に出る事自体が稀なのだからね」
......それにしたって些か軽率だろうに、という非難を口に出さず。僅かに眉間に皺を寄せて少女を眺めると、ソックスに覆われた肉付きの良い脚を優雅に組み替えては不敵に笑っている。
「用があるなら遠隔通信で連絡すれば良いだろうに」
「そうでもないとも。プランの進捗は概ね既定通りに進んでいるし、それに......君とこうして逢瀬でしけこむのも乙なものだろう?」
ふうわりと、神秘的な美貌を微笑みに綻ばせて擦り寄ってくる少女──中身はおっさんのままである。
付き合いの長さだけなら熟年夫婦にも匹敵する関係の二人だが、未だ会話の内容には理解不能な部分が見受けられる。貪鮫はため息をつくと、「......それで?」と続きを促した。
「胡散臭いのは自覚しているが......今の私は純粋に君に逢いたかっただけなんだがね」
会いに、のニュアンスが
つつつ......と、音も無く隣に移動してくるアレイスターを無視していると、膝の上に置いていた手に白く細い指を重ねられる。
少しひんやりとした柔らかい女性のものだというのは見れば分かったけれど、その体の持ち主は自他共に認める変態野郎だった。一瞬で嫌になった。
「そう嫌がるな。女には無性に男を求めたくなる日もあるものだよ」
滑らかな手つきに反してどこか粘つくような思慕を感じ、ぞわりと鳥肌が立ちそうになる感触を抑え込み手を放すように促すものの、あっという間に五指を絡め取られてしまい。柔っこい掌の質感と、女体から醸される独特な芳香が混ざり合い得も言えぬ気分になりかけるところで意識を戻す事に成功した貪鮫は、自らが置かれている状況を把握してげんなりと肩を落としたくなりながらも必死に打開策を考えようとするのだが。
「おいおい、まさか寂しさを訴える美少女を放置して帰ろうとは思っていないだろうね?......今日は二人でゆっくり楽しもうじゃないか♡」
そんな事情を知ってか知らずか、一層身体を押し付けるように密着してきたアレイスターへと視線を向けると......案の定、少女の美貌に似合わない蠱惑的な表情を見せていて──これはどうにも厄介な事になる未来しか見えないと思いつつ溜め息を吐いたのだった。