※この作品はR-18です。

マンコ相撲〜土俵際の乙女たち〜   作:ろくさん

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【第二十話】 決戦前夜

【夜:十六夜部屋】

 

決勝戦を翌日に控えた夜。

十六夜咲は、縁側で一人静かに月を見上げていた。

あの地獄のような準々決勝から数日が過ぎていた。毒島りんとの死闘で負った心の傷は、まだ完全には癒えていない。だが、不思議と恐怖はなかった。

むしろ、今の咲の心を満たしていたのは、驚くほど穏やかで、そして澄み切った静けさだった。

 

(…怖い、とは違うんだ)

 

思い出すのは、龍炎寺貴和子のあの絶対的な強さ。

先場所、自分を赤子のようにひねり潰した、あの『奈落啜り』の味。

そして、先程、霧島カレンをただ“誇り”だけでねじ伏せた、あの女王の執念。

 

(…もう一度、あの人と戦いたい)

 

それはもはや、リベンジなどという単純な感情ではなかった。

ただ純粋に。

今の新しい自分なら。

絶望の淵から蘇り、敗者の痛みを知り、そして人を赦すことを覚えた今の自分なら。

あの孤独な女王と、どんな“相撲”が取れるのだろうか。

どんな“快感”を分かち合うことができるのだろうか。

その未知なる可能性への好奇心と喜びが、咲の心を満たしていた。

 

「…いい顔になったじゃないか」

いつの間にか背後に立っていた祖母の撫子が静かに言う。

「今の、お前の心には迷いがない。ただ澄み切った水面のようだ。…明日は思う存分、お前の相撲を取りなさい」

「うん…!」

咲は力強く頷いた。

 

【同時刻:龍炎寺部屋・トレーニングルーム】

龍炎寺貴和子は一人静かに四股を踏んでいた。

その一挙手一投足は、これまで以上に洗練され、無駄がなく、もはや神聖な儀式のようだった。

アナスタシア戦のダメージは、まだ体の芯に残っている。腰の痛みも完全には消えてはいない。

だが、そんなことは今の彼女にとって些細な問題だった。

彼女の心は今、三十数年の人生で最も静かに、そして激しく燃えていた。

 

(…十六夜、咲)

 

モニターに映る、あの小娘の顔。

毒島りんのあの悪意に満ちた毒を喰らい尽くし、そして光へと変えた、あの信じられない一番。

そして、りんを赦した、あの生意気なまでの慈愛。

 

(…あんな戦い方、あたしにはできない)

 

貴和子は認めざるを得なかった。

自分がこれまで積み上げてきたものは、全て“勝つ”ためのもの。支配し、ねじ伏せ、そして頂点に君臨するための完璧な力。

だが、あの小娘の相撲は違う。

受け入れ、飲み込み、そして相手ごと新しい世界へと生まれ変わる。

それは、貴和子がその“完璧さ”と引き換えに、どこかへ捨ててきてしまった生の、混沌とした輝きだった。

 

(…面白いじゃないの)

 

貴和子の口元に、初めて心からの挑戦者の笑みが浮かぶ。

「小娘…。明日は、あんたのそのわけのわからない“光”とやらを。このあたしの“完璧”で、どこまで受け止めきれるか。試させて、もらうわよ…」

 

王者としてではない。

一人の力士として。

一人の女として。

貴和子は、未知なる挑戦者との戦いを心の底から楽しみにしていた。

 

【同時刻:協会指定の医療施設】

医務室の簡素なベッドの上で、毒島りんはぼんやりと天井を眺めていた。

咲との戦いで負った心の傷。その衝撃で、彼女は軽い記憶の混濁を起こし、緊急入院していたのだ。

そこに静かに一人の男が入ってきた。

今場所の行司、月詠愁だった。

 

「…体の具合は、どうだ」

「…あんた、誰だっけ」

りんは、まだ少し朦朧としている。

愁は答えず、ただりんの枕元に一輪の小さな花を置いた。

 

「…君の相撲は痛々しい。見ていて胸が苦しくなるほどに」

「……」

「だが」

愁はそこで一度言葉を切る。

「君が最後に十六夜咲の『渦潮』の中で見せた顔。あれは少しだけ…」

 

愁は遠い目をして続ける。

「綺麗だ、と、思った」

 

その言葉に、りんの虚ろだった瞳がほんの少しだけ揺れた。

「…わけ、わかんないこと、言わないでよ」

りんはぷい、と顔をそむける。だが、その耳は真っ赤に染まっていた。

愁はそれ以上何も言わず、静かに部屋を出ていく。

 

一人になった部屋で、りんは枕元に置かれた小さな花をそっと指で撫でた。

彼女の凍てついていた心に、何かがほんの少しだけ溶け出したような、そんな不思議な夜だった。

 

【同時刻:都内某所の高級ホテル】

アナスタシア・イヴァノワは自室でノートパソコンに向かい、凄まじい勢いでキーを叩いていた。

画面には、膨大な量の数式とデータが並んでいる。

咲の『渦潮』、貴和子の『執念』、りんの『毒』。

彼女は今場所で得た全ての“非合理な変数”を、自らの戦闘モデルに組み込んでいたのだ。

 

「…理解、不能。変数“愛”、変数“友情”、変数“赦し”。これらの戦闘力への寄与率が算出できない。…だが、興味深い。極めて興味深いサンプルデータだ」

 

彼女はキーを叩くのをやめると、敵であるはずの龍炎寺部屋へと国際電話をかけた。

電話に出たのは、貴和子の腹心の部下だ。

「…もしもし。私だ、アナスタシアだ。龍炎寺貴和子に伝えろ。『お前の体、気に入った。来場所まで、私がお前の最高の稽古相手になってやる』、と」

 

一方的な宣戦布告。

いや、それは彼女なりの最大限の“敬意”と“友情”の表現だったのかもしれない。

 

様々な想いが交錯する決戦前夜。

それぞれの場所で、それぞれの魂が明日というたった一日のためにその輝きを研ぎ澄ませている。

やがて夜が明け、運命の決勝戦の朝が来る。

この国で最も強く、そして最も美しい女が決まるその朝が。

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