本場所と呼ばれる熾烈なトーナメントが終わると、力士たちには束の間の、しかし重要な“オフシーズン”が訪れる。
マンコ相撲の全国的な普及とファンとの交流を目的とした地方巡業。
今年は白羽の矢が立った、とある山間ののどかな温泉町がその舞台となった。
「…な、なんですか、この人の数は…」
巡業バスから降り立った十六夜咲は、その目の前の光景に絶句した。
人口わずか三千人のはずのこの小さな町。その駅前の広場が、ゆうに一万人を超えるであろう男と女たちの異様な熱気で埋め尽くされているのだ。
古くからの相撲ファンである腰の曲がったおじいちゃんたちの隣で、色とりどりのサイリウムを握りしめた若者たちが、「きらら、命!」と書かれたハチマキを締めている。あまりにもカオスな光景だった。
「ふふん。これが“愛内きらら”効果、ですわ」
隣でバスから降りてきたきららが、得意げに胸を張る。
彼女が手を振ると、広場の一角から地鳴りのような歓声が巻き起こった。
咲は改めて、この元・国民的アイドルの凄まじい影響力を肌で感じていた。
巡業の午前のプログラムは公開稽古とファン交流会だ。
土俵の上で本場所さながらの激しい稽古を披露すれば、観客からは「おおーっ!」という感嘆の声が上がる。
稽古の後のふれあいタイムでは、力士たちがファンとの記念撮影やサインに応じる。
「咲ちゃん! 先場所、感動したぞ! この町の誇りだ!」
地元のおじいちゃんが涙ながらに咲の手を握りしめる。
咲は、その温かい声援に胸が熱くなった。
だが、その直後。
隣のきららの握手会の列からは、全く毛色の違う会話が聞こえてくる。
「きららたん、今日もおマ、…いえ、お腰の調子はいかがですか!?」
「きららたんの一番搾りの“潮”をペットボトルに詰めて売ってください!」
「きらら様! 私をあなたの奴隷にしてください!」
「もー、みんな、だーい好き! でも、きららの“一番”はちゃーんと未来の旦那様のためにとっておくんだからねっ!」
きららは、そのあまりにも欲望に忠実なファンの声援を、完璧なアイドルスマイルでいなしていた。
(…すごい。プロだ…)
咲は改めて、この歌姫の胆力に尊敬の念を抱かざるを得なかった。
午後のメインイベントは、本場所では決して見ることのできない巡業名物、『初っ切り(しょっきり)』と『相撲甚句(すもうじんく)』だ。
『初っ切り』とは、相撲の禁じ手や珍しい決まり手を面白おかしく紹介するコミカルな寸劇。
今年の演目は、「オシャレ力士の悲劇」。
一人の意識高い系力士が、「あたし、見えないところもオシャレしたいの」と自分のおマタにピアスの穴を開けてしまう。
だが、いざ試合になると、そのピアスが相手の陰毛に複雑に絡みついてしまい、「痛い!」「抜けない!」と二人が奇妙な体勢のまま土俵の上をのたうち回る、というあまりにもくだらない、しかし抱腹絶倒のドタバタコメディに、会場は大爆笑に包まれた。
そして、ついに巡業の大トリ。
夕暮れの特設ステージの上で、『相撲甚句』の時間がやってきた。
本来、『相撲甚句』とは、力士たちが輪になり、独特の節回しで甚句(七五調の短い歌)を歌い上げる伝統芸能だ。
だが、きららが参加した今年のそれは、もはや伝統芸能ではなかった。
「みんなー! 準備はいいー!? 巡業スペシャル・ライブ! 開演だよーッ!」
センターマイクを握りしめたきららが叫ぶ。
その背後には、バックダンサーとして咲をはじめとする若手力士たちが、下半身を丸出しにしたまま緊張の面持ちで控えている。
そして鳴り響いたのは、お囃子の笛や太鼓の音ではない。
ズンズンと腹の底に響く重低音のEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)のビートだった。
きららは歌い、そして舞い踊る。
その歌詞は、確かに「はあ〜、どすこい、どすこい」と相撲甚句のそれ。
だが、その節回しは完璧なJ-POP。
そして、その踊りは伝統の四股とは似ても似つかないキレッキレのアイドルダンス。
バックダンサーの咲たちは必死にその動きについていく。
「さ、咲ちゃん! もっと腰をセクシーに!」「は、はいぃ!」
咲の動きは力強い四股とぎこちないアイドルの腰つきが混ざり合った前衛舞踊(コンテンポラリー・ダンス)のようになっていた。
そして曲のクライマックス。
きららは叫んだ。
「ラストは、みんなで最高のウェーブを起こすよー! レッツ・ヒップ・シェイク!」
その号令と共に。
ステージの上の十数人の力士たちが、一斉にその鍛え上げた尻をぷるんぷるんと音楽に合わせてシェイクし始めた。
そのあまりにも壮大で、あまりにも官能的で、そしてあまりにもバカバカしい光景に。
古くからの相撲ファンもアイドルのヲタクたちも、その垣根を超えて一つになった。
「「「どすこい! どすこい! 俺の、きらら(咲ちゃん)!」」」
謎の一体感に包まれた大合唱が、温泉町の静かな夜空にいつまでもいつまでも響き渡る。
その夜。
旅館の大浴場で一人湯船に浸かりながら。
咲は今日のあのカオスな一日を思い出し、ふふ、と笑みを漏らした。
(…なんだかよく分からないけど。でも、すっごく楽しかったな)
新しい時代のマンコ相撲。
それはきっとこんな風にぐちゃぐちゃでめちゃくちゃで、でもどこまでも温かくて楽しいものなのかもしれない。
咲はそう思った。
「咲ちゃーん! 明日の朝五時からダンスの朝練、するわよー!」
湯船の向こう側から聞こえてくるきららの底抜けに明るい声に、咲は「ひぇっ」と小さな悲鳴を上げながら、その湯の中へと深く、深く沈んでいくのだった。