※この作品はR-18です。

マンコ相撲〜土俵際の乙女たち〜   作:ろくさん

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【第三十二話】 初めての“味”と敗北

それはもはや戦いではなかった。

 

まるで駄々をこね、キーキーと叫び声を上げながら、その小さな拳を母親の胸に叩きつける赤子の癇癪(かんしゃく)のよう。

天童ひなのあの神速を誇った腰つきは、もはやその完璧な論理性を失い、ただめちゃくちゃに咲のその温かい『揺りかご』へとぶつけられるだけだった。

 

「いや! いや! いやぁ!」「なんで壊れないの! なんで笑ってるの! なんで気持ちいいの! ムカつく! ムカつく! ムカつく!」

ひなの口から意味をなさない言葉が漏れる。

 

咲は、その全ての攻撃を、全ての罵詈雑言を、ただ微笑みながらその身に受け続けていた。

だが、その聖母の如き彼女の体も限界に近づいていた。

いくら受け流しているとはいえ、天才のその常軌を逸したエネルギーを吸収し続けることは、咲の肉体と精神を確実に削り取っていく。

 

絶頂川アナ:「ああ…! なんという光景だ! 怪物と聖母の果てしない抱擁! しかし、十六夜の顔色が…! 明らかに体力の限界が近づいているぞ!」

 

天知:「…『母性防御』は無敵の盾ではありません。それは相手の全ての攻撃を、自らのHPを、MPを削りながら受け止め続ける究極の自己犠牲の盾。…このままでは母がその愛の重さに潰されてしまう…!」

 

ひなは、その本能で感じ取っていた。

目の前のこの温かい“壁”が、少しずつ脆くなっているのを。

そして、彼女は最後の駄々をこねるように。

その持てる全ての力を凝縮させ、最後の一撃を放った。

それはもはや技ではない。

ただ「こっちを見てよ」という魂の叫びそのものだった。

 

そのあまりにも純粋な一撃。

咲はそれを避けることも受け流すこともできなかった。

いや、しなかった。

その最後の“叫び”を真正面から受け止めることこそが、自分の“役目”だと分かっていたから。

 

「…っ、んんんんんんーーーーーっ!」

 

咲の体が大きくしなる。

限界を超えたその体。最後の一撃が引き金となり、その内なる“泉”がついに決壊した。

だが、それは苦痛の絶頂ではなかった。

駄々をこね疲れ果てた我が子を、ようやく寝かしつけた母親が、その安堵感の中で眠りに落ちていくかのような。

あまりにも穏やかで、そしてどこまでも幸福な快感の奔流。

咲は、その温かい光の中でゆっくりと意識を手放し、その場に崩れ落ちた。

その顔には満足げな微笑みだけが浮かんでいた。

 

勝負あり。

規則(ルール)の上では、相手を絶頂させた天童ひなが勝者。

 

だが。

勝者であるはずのひなは、その場に立ち尽くしていた。

喜びも達成感も何もない。

ただ、目の前で自分を受け止め、そして眠るように崩れ落ちた咲の、その安らかな寝顔を呆然と見つめているだけだった。

 

最後の一撃の瞬間。

決壊した咲の“潮”がひなの体にも降りかかった。

そして、その一滴が偶然ひなの唇の端に触れた。

ひなは無意識のうちにそれをぺろりと舐めてしまったのだ。

 

(…なに、この…、あじ…)

 

それはひながこれまで口にしたどんなものとも違っていた。

ただしょっぱいだけじゃない。

ほんのりと甘く、そしてどこまでも温かい。

まるで母親の母乳のような。

いや、ひなは母乳の味など知らない。

だが、彼女の魂の一番奥底にある本能が理解していた。

これは自分が生まれてからずっと足りていなかった何か。

ずっと探し求めていた何かの“味”だと。

 

勝者としてその名を呼ばれても。

観客がそのあまりにも奇妙な一番の結末に戸惑いざわめいていても。

ひなは動けなかった。

ただその唇に残る、生まれて初めての“母”の味のその余韻に。

魂ごと囚われて立ち尽くすことしかできないでいた。

 

勝負は決した。

だが、そのあまりにも奇妙な結末に両国国技館は静まり返っていた。

勝者としてその名が呼び上げられても、天童ひなは動けない。ただその唇に残る、生まれて初めての“母”の潮(あじ)のその余韻に魂ごと囚われて立ち尽くしている。

 

やがて、その硬直を破ったのは行司音無響の静かな声だった。

「…勝者、天童ひな。儀式を執り行う」

 

『子種拝領の儀』。

そうだ。あたしは勝ったんだ。だからこれはあたしの権利。

ひなは、そう自分に言い聞かせながら、まるでロボットのようにぎこちなく土俵に横たわった。

だが、その心は完全に混乱していた。

響がその小さな体と結合する。

その瞬間、ひなの脳裏にフラッシュバックしたのは、先程味わったあの温かい潮の“味”。そして自分を全て受け入れた咲のあの聖母のような微笑みだった。

 

(…なに、これ…、あったかい…)

 

初めてだった。

この行為が、ただのデータ収集や義務ではなく、温かい“何か”を伴うものである、なんて。

ひなのその無垢な体は正直に反応する。

彼女の絶頂は、もはやいつものような「こくん」という乾いたスイッチの音ではなかった。

「…ひゃっ!?」

驚きと戸惑いと、そしてほんの少しの心地よさが入り混じった小さな、小さな猫のような悲鳴。

それは彼女が生まれて初めてあげた本物の“喘ぎ声”だった。

 

響の耳には、その変化がはっきりと聞こえていた。

(…壊れたな)

響は静かに思った。

(…あの完璧な機械が。十六夜咲というイレギュラーによって、その調律を完全に狂わされた…)

 

【国技館・医務室】

咲は簡易ベッドの上で穏やかに目を覚ました。

体の疲労は深いが、心は不思議なほど晴れやかだった。

(…負けちゃったけど。でも、なんだか嬉しいな)

自分の想いが少しだけでもあの小さな怪物に届いたような、そんな気がしたから。

 

ガラリと医務室の扉が開く。

そこに立っていたのは、検査のために連れてこられた天童ひなだった。

ひなは咲の姿を見つけると、びくりとその小さな体を震わせ、気まずそうに顔をそむけた。

いつものあの傲岸不遜な態度はどこにもない。ただ母親に悪戯を見つかってしまった子供のような顔をしていた。

 

咲はそんなひなの姿に、ふふ、と優しく微笑みかけた。

そして、その傷だらけの体をゆっくりと起こすと、こう言った。

 

「あなたの相撲、とっても楽しかったよ」

「……!」

ひなの肩が大きく跳ねる。

 

「また、やろうね」

 

そのあまりにも無垢で、あまりにも慈愛に満ちたその言葉。

それはひなの最後の理性の防壁を完全に粉砕した。

勝ち負けもプライドも論理もデータも何もかもがぐちゃぐちゃになっていく。

ひなのその小さな胸の内に、生まれて初めての訳の分からない感情が爆発した。

 

「…っ、うるさいっ!」

 

ひなは、そう叫ぶのが精一杯だった。

その顔は耳まで真っ赤に染まっている。

そして、彼女は脱兎の如くその場から逃げ出した。

 

一人、残された咲は、そのあまりにも子供らしい反応に、「あはは」と声を上げて笑った。

その笑い声は本当に楽しそうだった。

 

放送席でその一部始終をモニターで見ていた絶頂川アナは、もう涙でぐちゃぐちゃだった。

「ああ…、天知さん…。一体これはどういうことなんですか…。勝ったはずの怪物が泣きそうな顔で逃げ出して…。負けたはずのシンデレラがあんなに幸せそうに笑っている…」

 

天知は、その眼鏡の奥の瞳を細め静かに答えた。

「…番付の上では、天童ひなは勝ちました。ですが、魂の戦いにおいて、彼女は生まれて初めて完膚なきまでに“敗北”したのです」

「…敗北、ですか?」

「ええ。十六夜咲という愛の化身を前にしてね。彼女の完璧だった論理の世界に、“恋”という最悪のバグが植え付けられてしまった。…これから、あの怪物がどうなっていくのか。私のデータでは、もはや予測不能です」

 

その頃。

国技館の薄暗い非常階段で。

天童ひなは一人膝を抱えうずくまっていた。

心臓がうるさい。

顔が熱い。

訳の分からない感情がぐちゃぐちゃで気持ち悪い。

彼女はそっと自分の唇に指で触れた。

まだあの“味”が残っているような気がした。

 

その時。

彼女のその大きな瞳からぽろりと一筋、温かい液体がこぼれ落ちた。

ひなは、その指先に落ちた雫を不思議そうに見つめる。

 

「…なに、これ…?」

 

生まれて十三年。

“怪物”と呼ばれた天才少女が。

生まれて初めて“涙”という感情を知った瞬間だった。

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