十一月場所、決勝戦。
両国国技館は異様な熱気に包まれていた。
東から土俵に上がるのは、元・国民的アイドル、愛内きらら。
西から現れるのは、“データ至上主義の怪物”、矢倉理詰。
情熱と論理。愛と計算。あまりにも対極な二人の頂上決戦。
「はっけよい、のこった!」
試合は序盤から理詰の完璧なペースで進んだ。
きららの全ての動きは完全に予測され、その華やかな『魅せ相撲』はことごとく封じ込められる。
理詰は淡々と、きららのデータを収集し、分析し、そしてその心をじわじわと追い詰めていく。
「…あなたの戦闘能力は、ファンからの声援のデシベル数に比例して上昇する。その相関係数は算出済み。あなたの力の源は、もはや私にとって未知数ではありません」
やがて理詰はきららを捕らえた。
それは痛みも快感も伴わない。ただ決して逃れることのできない数学的な拘束。
そして理詰は、その最後の宣告を下した。
「…シミュレーションは完了しました。このまま筋繊維の自己防衛本能により、強制的な絶頂を迎える確率は90秒後に88.9%」
「…これより、“実行”フェーズに移行します」
そのあまりにも冷徹な勝利宣言。
歌姫は完全にその論理の檻の中へと閉じ込められてしまったのだ。
きららの心が折れそうになる。
諦めの感情がその体を支配しようとしたその瞬間。
彼女の耳に届いたのは。
決して諦めることのないファンの歌声だった。
「♪君に・会いたくて・会いたくて・震える、この・想い~い~♪」
それはきららがアイドル時代に初めてセンターを務めた、あの伝説のデビュー曲。
親衛隊(ファン)たちがその最後の望みを懸けてアカペラで歌い始めたのだ。
その決して上手くはない、しかしあまりにも真っ直ぐな愛に満ちた歌声。
「…みんな…」
きららの瞳から涙がこぼれ落ちる。
(…そうだった。あたしは一人じゃない…!)
(…この歌がある限り! この声が聞こえる限り! アイドル、愛内きららは終わらない!)
カッ!
きららのその体から最後の、そして最大の光が放たれた。
それはファンの愛という名の奇跡のエネルギー。
理詰のその鉄壁の拘束がミシリと音を立てて軋む。
絶頂川アナ:「おおおおおおおおっ! 歌だ! ファンの歌声がきららに力を与えている! 奇跡は起きるのか! 愛は論理を超えるのかァ!」
理詰のその分厚い眼鏡の奥の瞳が、初めてわずかに見開かれた。
「…観測、エラー。予測不能なエネルギーの上昇を確認。…なるほど。これが“愛”というバグの正体…。面白い」
だが、彼女は少しも動じなかった。
「…ですが、そのバグすらも私の数式には織り込み済みです」
理詰は、その腰の動きを変えた。
きららのその愛のエネルギーの波形を完全に打ち消す逆位相の周波数を、その腰の微細な振動で生み出し始めたのだ。
そして、その振動に一つの“命令(コマンド)”を乗せる。
それはきららの体の一番感じやすい性感帯の、その神経細胞だけを直接ハッキングするための快感のプログラム。
最終奥義:『絶頂関数(クライマックス・ファンクション)・F(x)』
きららの愛の炎がふっと掻き消されようとしたその瞬間。
きららは叫んだ。
それは理詰への言葉ではなかった。
客席で歌い続けるファンへの最後のメッセージだった。
「みんなー! この曲の最後の振り付け、覚えてるー!?」
その言葉に親衛隊(ファン)たちがハッとする。
そして、彼らは一斉にある一つの振り付けを始めた。
それは観客全員でステージ上のアイドルに向かって、両手で大きな“ハートマーク”を作るという、あまりにもシンプルで、あまりにも純粋な愛の表現だった。
「…これより、“実行”フェーズに移行します」
矢倉理詰のそのあまりにも冷徹な勝利宣言。
愛内きららは、その逃れることのできない論理の檻の中で絶望していた。
(…ダメだ。この子には何も通じない…!)
だが、その心が折れそうになった瞬間。
彼女の耳に届いたのは。
決して諦めることのないファンの歌声だった。
「♪君に・会いたくて・会いたくて・震える、この・想い~い~♪」
そのアカペラの歌声が理詰の完璧な計算を狂わせる最初の不協和音。
きららは叫んだ。
それは理詰への言葉ではなかった。
客席で歌い続けるファンへの最後のメッセージだった。
「みんなー! この曲の最後の振り付け、覚えてるー!?」
その言葉に親衛隊(ファン)たちがハッとする。
そして、彼らは一斉にある一つの振り付けを始めた。
それは観客全員でステージ上のアイドルに向かって、両手で大きな“ハートマーク”を作るという愛の表現。
だが、それだけではなかった。
きららが叫ぶ。
「いくよ、みんな! 届け、あたしの想い! 『スターライト・イリュージョン』ッ!」
その言葉を合図に。
親衛隊(ファン)たちが作ったそのハートマークの中心で。
数千、数万のスマートフォンのカメラのフラッシュが一斉に焚かれたのだ!
それはもはやただの光ではない。
理詰の完璧な視覚情報システムを完全に麻痺させる“光の洪水”だった。
「…!?」
理詰の視界が真っ白に染まる。
その分厚い眼鏡の奥で、彼女の瞳が初めて焦点を失った。
手元のタブレットの画面がノイズで乱れる。
【ERROR:外部からの過剰な光量干渉。予測モデル、強制終了】
「…なっ…! データが読めない…!」
初めて理詰の声に動揺の色が浮かぶ。
全ての五感をデータに頼り切っていた彼女は、そのデータを失い、生まれて初めてただの“勘”と“本能”だけで戦うことを強いられたのだ。
そして、その一瞬の混乱を歌姫が見逃すはずもなかった。
「ありがとう、みんな! ここからはきららの独壇場(オンステージ)よ!」
拘束から抜け出したきららは、水を得た魚のように舞い踊る。
それはもはやただの相撲ではない。
アイドル愛内きららのその引退コンサートの最終演目(ファイナルアクト)。
最終奥義:『ドリーム・オン・ステージ!』
彼女のこれまでのアイドル人生の全てを叩きつけるかのような華麗で、そしてあまりにも情熱的な腰つきの連続攻撃(メドレー)。
理詰は、その予測不能な感情の奔流の前に、なすすべもなく翻弄される。
絶頂川アナ:「逆転! 逆転! 大逆転だァーッ! 論理の檻を愛の光で破壊した! これが、これこそがアイドルの生き様だァ!」
そしてきららは、その魂のコンサートの最後の一曲を歌い上げる。
それは理詰のその冷たく閉ざされた魂を無理やりこじ開ける、あまりにも強引で、そしてあまりにも温かい快感のGIFT。
理詰の体から迸ったのは計算された絶頂ではなかった。
生まれて初めて経験する訳の分からない、しかしどうしようもなく心地よい感情の爆発。
彼女は、その未知の快感の中でゆっくりと意識を手放した。
その無機質な顔に、ほんの一筋だけ涙を伝わせて。
勝負あり。
優勝は愛内きらら。
論理が愛に敗れた瞬間だった。
絶頂川アナ:「かったァァァァァ! 奇跡だ! 愛が奇跡を起こしたんだ!」
天知は、その光景を静かに見つめていた。
(…理詰。お前は負けた。そして生まれて初めて、“データ”ではない、“感情”というものをその身に刻んだ。…あるいは、それはお前にとって勝利よりも価値のある敗北だったのかもしれないな)
そして、始まる最後の『子種拝領の儀』。
行司は盲目の音無響。
きららは、嬉し涙でぐしゃぐしゃになりながらも最高の笑顔でその儀式に臨む。
響の耳にはその全てが聞こえていた。
彼女の喜びで高鳴る心臓のビート。
そして、彼女が奏でる絶頂の喘ぎ声。
それは計算された完璧な音階ではない。
少しだけ音が外れて、少しだけリズムがずれて、そしてどこまでも人間臭い魂の“歌”だった。
(…ああ。なんと美しい旋律だ)
響は、その盲目の瞳の奥で静かに微笑んだ。
新しい女王が誕生した。
愛と笑顔と、そしてファンの声援を武器にする前代未聞の“アイドルの女王”が。
その華やかな戴冠式を国技館の全ての人間が万雷の拍手で祝福していた。