世間が『天下一番相撲会』の開催告知に沸き立つ、ある晴れた日の午後。
十六夜咲は一人のベテラン力士の引退式に参列していた。
会場は両国国技館のような巨大なスタジアムではない。
その力士が長年所属した相撲部屋の稽古場。
集まったのは後援会の人々や家族、そしてかつて彼女と鎬を削ったライバル力士たちだけ。
アットホームで、しかしどこか物悲しい空気がそこには流れていた。
主役は曙 フミ。
かつて咲が初めてプロの土俵に上がった時、その洗礼を叩き込んでくれたあのベテラン力士だった。
彼女は年齢による体力の衰えを理由に、今場所限りでの引退を決意したのだ。
マンコ相撲の世界では、力士は引退の際に髷(まげ)を切らない。
その代わりに、彼女たちは己の力士としての誇りと、そして戒めの象徴であった、上半身を縛り付けるあの“まわし”を断つのである。
土俵の中央に曙フミが立つ。
その上半身は長年使い込まれた一本のまわしで固く縛られている。
後援会の会長が挨拶に立ち、彼女の長年の功績を涙ながらに称えた。
そしていよいよ、『断まわし式』が始まった。
金色のハサミが盆に乗せられて運ばれてくる。
まずハサミを入れたのは、かつてのライバル金剛寺しのぶだった。
「…あんたの、『熟成味噌すり』、最後まで攻略できなかったわ。…お疲れ様」
ぶっきらぼうな言葉。だが、そこには確かな敬意があった。
チョキン、とまわしが少しだけ切れる。
次にハサミを入れたのは愛内きららだった。
「フミせんぱーい! そのいぶし銀の戦い方は、きららのステージにない深みを教えてくれましたー! うえーん、寂しくなりますー!」
その派手な泣き真似に会場から笑いが起きる。
チョキン。
そして咲の番が来た。
咲はフミの前に立つと深々と頭を下げた。
「曙さん。…あなたが私の最初の相手でした。あなたのあの厳しい腰つきが、私にプロの世界の厳しさと、そして楽しさを教えてくれました。…本当にありがとうございました」
「…ああ。あんたも強くなったじゃないか」
フミが初めてその口元に優しい笑みを浮かべた。
チョキン。
多くの関係者たちが少しずつそのまわしにハサミを入れていく。
そして最後に、フミの師匠である親方がその前に立った。
「…フミ。二十年間よう頑張った。お前はこの部屋の誇りだ。…これからは一人の女として幸せになれよ」
親方が涙声でそう言うと、最後の一筋を断ち切った。
ばさり、と音を立てて。
曙フミの体を縛り付けていたまわしが土俵の上へと落ちた。
彼女の両手が自由になる。
それは彼女がもはや“力士”ではなくなった瞬間だった。
会場が水を打ったように静まり返る。
そして親方が一つの美しい桐の箱をフミへと手渡した。
箱の中に入っていたのは。
一枚の“ぱんつ”だった。
これは、『門出のぱんつ』と呼ばれる特別なぱんつ。
引退した力士がその自由になった手で最初に身に着ける新しい人生への第一歩の象徴。
「もうこのマンコは戦いのためには使わない」という決意表明。
そしてそれは、最も親しい者たちから贈られる最後の餞(はなむけ)だった。
フミの後援会が贈ったそのぱんつは。
純白のシルクで作られ、その前面には再生の象徴である金色の鳳凰が見事に刺繍されている、あまりにも豪華な一品。
だが、そのデザインはサイドが大胆に紐だけで結ばれ、そして後ろは限りなくTバックに近い、あまりにもエッチなデザインだった。
最後まで女を磨き続けろ、という後援会の愛に満ちたメッセージ。
フミは、そのあまりにも大胆なぱんつを手に取ると、一瞬だけ顔を赤らめた。
だが、すぐにその顔を上げ、誇り高い力士の顔で頷くと。
その自由になった両手でゆっくりと、しかし迷いなくその『門出のぱんつ』を履いた。
その瞬間、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
「フミ、お疲れ様!」「幸せになれよ!」
咲は、その光景を涙で滲む目で見つめていた。
いつか自分もこうして土俵を去る日が来るのだろうか。
その時、自分の隣には誰がいてくれるのだろうか。
そして自分はどんな『門出のぱんつ』を贈られるのだろうか。
パーティーの後。
美しいドレスに着替えたフミが咲の元へとやってきた。
「…咲ちゃん。あんたはこれからこの世界を背負っていく人間だ。…あたしなんかが届かなかった、その頂の景色、必ずその目に焼き付けなよ」
「…はい!」
力強く頷く咲。
ベテランから若きエースへと、確かにその魂のバトンが手渡された瞬間だった。
一人の力士の物語が終わり。
そしてまた、新しい物語がその熱を増していく。
天下一番相撲会の開幕はもう目前に迫っていた。