【天下一番相撲会・三回戦】
両国国技館がこの日一番の熱狂に包まれていた。
三回戦、第四試合。
それは誰もが待ち望んだ宿命の再戦(リマッチ)。
先場所、十一月場所の決勝戦と全く同じカード。
東、前頭二枚目、“論理の女神”矢倉理詰。
西、小結、“土俵の歌姫”愛内きらら。
絶頂川アナ:「きたあああああ! 因縁のリマッチです! 先場所、あの感動の決勝戦! ファンの“愛”の光が天才科学者の“論理”を打ち破った、あの奇跡の一番の再現です! 今日も歌姫は奇跡を起こすのか! それとも雪辱に燃える科学者がその奇跡の“解法”を見つけ出したのか!」
天知:「…矢倉理詰は、あの日以来一日二十時間ラボに籠り、愛内きららのあの必殺技、『スターライト・イリュージョン』の完全な解析と、その対抗策の研究に全てを費やしてきたと聞いています。…彼女はもはや“奇跡”を信じてはいない。ただ未解析の“現象”としてその全てを解き明かそうとしている。…今日は彼女にとって、その研究の成果を発表する学会のようなものなのでしょう」
「はっけよい、のこった!」
試合開始!
きららは自信に満ち溢れていた。
先場所、自分はこの天才に勝ったのだ。愛は論理に勝る。その証明。
彼女は序盤からエンジン全開。ファンの大合唱をその身に浴び、再びあの“奇跡”を起こすべくそのステージの準備を始めた。
だが。
理詰はその全てを読んでいた。
きららがファンに呼びかけ、会場のボルテージが最高潮に達し、あの『スターライト・イリュージョン』が発動されようとした、まさにその瞬間。
理詰が動いた。
新・対抗策:『論理的ノイズ・キャンセリング』
理詰は突如その場で不規則な、しかし極めて重い四股を踏み始めたのだ。
ドン! ダダン! ドンドン!
その地響きのような重低音が、きららの歌声とファンのコールが作り出す心地よい“グルーヴ”を完全に破壊する。
観客は、その不協和音にリズムを狂わされ、あの完璧な統率の取れたスマホのフラッシュを焚くことができない。
「なっ…!?」
きららの顔に焦りの色が浮かぶ。
奇跡の源泉であったファンとの完璧な一体感が、論理的なノイズによって分断されてしまったのだ。
絶頂川アナ:「ああっと! きららの必殺技が不発に終わった! 矢倉理詰、ファンの団結をその不規則な四股で物理的に破壊したというのか! なんという即物的で、そして効果的な戦術だ!」
最大の武器を封じられたきららは、もはやただの小娘。
理詰はそこから先場所と同じく、きららをその論理の檻の中へとじわじわと追い詰めていく。
『論理的封殺(ロジカル・プリズン)』。
きららの動きを予測し、その魅力を封じ、そしてその心を的確に折っていく。
やがて理詰は完全に戦意を喪失したきららを捕らえた。
そしてその冷徹な宣告を下す。
「…先場所。あなたは統計上の“イレギュラー”で勝利した。私はあれから三ヶ月、そのイレギュラーが発生する全ての条件を分析し、その全ての発生確率を限りなくゼロに近づけた」
「…あなたにもう奇跡は起きない。あなたの敗北はもはや数学的に確定しているのです」
そのあまりにも残酷な死刑宣告。
歌姫の心は、その絶対的な論理の刃の前に、今度こそ完全にへし折られてしまったのだ。
「…あなたにもう奇跡は起きない。あなたの敗北はもはや数学的に確定しているのです」
矢倉理詰のその冷徹な宣告。
愛内きららの心は完全に折れた。
最大の武器であったファンとの絆は無残に断ち切られた。
自分のステージはもう終わり。
彼女は、その瞳から大粒の悔し涙をぽろぽろとこぼし始めた。
絶頂川アナ:「ああ…! きららが泣いている! 歌姫がそのステージの上で涙を流している! もう為す術はないのか…!」
理詰は、そのきららの涙すらもデータとして処理していた。
(…涙腺からの塩分濃度の高い水分の排出を確認。精神的ストレス値が閾値を超過したことによる生理現象。…これも計算通り)
理詰は、その完璧なシナリオの最後の一行を実行すべく、その腰に力を込めた。
きららを最も効率的に、そして最も屈辱的に絶頂させるための最後のプログラム、『絶頂関数(クライマックス・ファンクション)・F(x)』を。
だが。
その瞬間だった。
理詰の完璧な論理の世界に、たった一つだけ彼女が予測しえなかった“計算外”の事態が発生した。
「「「泣くなあああああああああああああああっ!!」」」
「「「俺たちの、きららを泣かせるんじゃねえええええええええっ!!」」」
声の主はきららの親衛隊(ファン)だった。
だが、その声はもはやきららを応援するためのコールではなかった。
ただひたすらに純粋な“怒り”。
自分たちの愛する女神を泣かせた、目の前の感情のない人形に対する剥き出しの憎悪の叫びだった。
その怒りは瞬く間に国技館全体へと伝播していく。
「そうだ! アイドルを泣かせるな!」「あんな機械みたいな相撲、見てて面白くもなんともねえんだよ!」
一万五千の観客のその負の感情が一つになった瞬間。
それはもはや声援ではない。
理詰のその繊細な聴覚センサーを麻痺させるほどの強力な“不協和音(ノイズ)”だった。
「…!?」
理詰の完璧な集中が初めて乱される。
(…なんだ、このノイズは…。予測モデルにない不規則な音波…。私の計算を邪魔している…)
彼女の脳内にエラーメッセージが表示される。
【WARNING:外部からの敵対的音響干渉。計算精度、低下】
そして、そのほんの一瞬の混乱を。
泣いていたはずの歌姫が見逃すはずもなかった。
(…みんな…、怒ってくれてる…)
(…あたしのために…)
きららのその悔し涙は、いつしか感謝の涙へと変わっていた。
そうだ。もう勝敗なんてどうでもいい。
あたしはただ、この声に応えたい。
あたしの全てを懸けて。
きららは、その最後の力を振り絞り、理詰の拘束をこじ開ける。
そして叫んだ。
「理詰ちゃん! あんたは強い! でも、あたしのステージはあたし一人で作ってるんじゃないの!」
きららは、その魂の全てを叩きつける最後のアンコールを歌い上げる。
それはもはや勝利のためではない。
ただひたすらにファンへの感謝の想いを伝える“愛の歌”そのものだった。
だが。
理詰はもはや動じなかった。
一度発生したノイズ。そのパターンも彼女はすでに分析し終えていた。
「…感情の爆発。予測可能な範囲です」
理詰は、きららのその魂の一撃を完璧な計算でいなし、そしてそのカウンターとして最後の、『絶頂関数』を叩き込んだ。
「あああああああああああああああっ!」
きららは、その魂のない絶頂の中で崩れ落ちた。
勝負あり。
論理が奇跡を二度も許すほど甘くはなかった。
だが。
敗れ去ったきららのその土俵に。
響き渡ったのは罵声ではなかった。
「「「きらら! きらら! きらら! きらら!」」」
割れんばかりのきらら・コール。
それは勝者を称えるものではない。
敗れてなおその魂を輝かせた敗者を労う温かい、温かい“エール”だった。
きららは、その声援に包まれながら泣いていた。
だが、その涙はもはや悔し涙ではなかった。
その顔には、これまで見せたことのない心からの感謝の笑顔が咲いていた。
(…そっか。あたしは勝たなくてもよかったんだ)
(…ただみんなと一緒に、笑ったり泣いたり怒ったり。…それだけでよかったんだ)
きららは、勝利よりも遥かに大切なものをその手に掴んでいた。
勝者である理詰は、その光景をただ無表情で見つめていた。
(…理解、不能。敗者は罰せられるべき。なのに、なぜ勝者である私以上に祝福されている…? この現象は私の数式では説明ができない…)
彼女の完璧な論理の世界に、初めて解くことのできない“問い”が生まれた瞬間だった。
土俵を去るきらら。
その足取りは敗者とは思えないほど力強く、そして晴れやかだった。
彼女はもう迷わない。
ただファンのために、そして自分のために最高のステージを続ける。
その新たな決意をその胸に固く抱いて。
ファンとして応援している選手が負けそうなのは悲しいですが、対戦相手を罵倒して良いわけではありません。