【天下一番相撲会・準々決勝】
龍炎寺貴和子と天童ひな。そのあまりにも壮絶な一番の熱狂が、まだ国技館には渦巻いていた。だが、その熱狂をさらに上書きするかのように、次の取り組みに観客の期待は最高潮に達していた。準々決勝、最後の一枠を懸けた戦い。東、前頭筆頭、“聖母”、十六夜咲。西、前頭筆頭、“氷の女帝”、アナスタシア・イヴァノワ。
絶頂川アナ:「さあ、始まりました!準々決勝、最後の一番!これもまた、事実上の決勝戦と言っても過言ではない!日本の柔なる“渦潮”が、世界の剛なる“大瀑布”を飲み込むのか!それとも、大瀑布がその全てを粉砕するのか!」
天知:「…見ものです。今のアナスタシア関は、もはや先場所までの彼女ではない。龍炎寺部屋での地獄の合同稽古を経て、彼女は、その圧倒的なパワー(ハードウェア)に、横綱直伝の日本の“技”(ソフトウェア)を完全にインストールした。もはやただの破壊兵器ではありません。…“戦術核兵器”へと進化しています」
その天知の言葉通り。土俵に現れたアナスタシアの雰囲気は、明らかに変わっていた。以前の氷のような冷徹さに加え、その碧眼の奥には、戦いを心の底から楽しむ戦士の炎が宿っている。
「はっけよい、のこった!」
試合開始!咲は、序盤から自らの得意なフィールドへとアナスタシアを引きずり込むべく、『渦潮』を発動させる。だが。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
アナスタシアが放ったのは、もはや単発の『ツンドラ・インパクト』ではなかった。凄まじいパワーを乗せた腰つきが、まるで滝のように途切れることなく咲へと降り注ぐ。
新・決まり手:『大瀑布(だいばくふ)』!
それは圧倒的なパワーと日本の緻密な技術が融合した、誰も止めることのできない暴力の奔流。咲のその柔らかな『渦潮』は、そのあまりにも巨大な水量の前に、なすすべもなく掻き消され、砕け散った。
「くっ…!」
咲は防戦一方に追い込まれる。まるで巨大な滝壺の中で、木の葉のように翻弄されているかのようだった。
絶頂川アナ:「ああっと!渦潮が効かない!十六夜の得意な形が全く通用しないぞ!アナスタシア、強い!強すぎる!これが世界!これが女王と共に稽古を積んだ女の力か!」
天知:「…相性が悪すぎます。十六夜関の『渦潮』は、相手の力を受け流し、利用することでその真価を発揮する。しかし、アナスタシア関の『大瀑布』は、その受け流すという行為そのものを許さないほどの絶対的な物量で全てを押し流してしまう。…このままではジリ貧です」
咲は、じりじりと土俵際へと追い詰められていく。呼吸が苦しい。体が悲鳴を上げている。このまま、この圧倒的な才能の奔流に飲み込まれてしまうのか。誰もが聖母の敗北を予感した、その瞬間だった。
全てを洗い流す暴力の奔流。アナスタシアが放つ『大瀑布』が、土俵際へと追い詰められた十六夜咲の華奢な体を飲み込もうとしていた。勝負は決した。国技館の誰もが、そう思った。
だが。その絶望的な嵐の中心で。咲の心は、驚くほど穏やかだった。轟音のようなアナスタシアの腰の衝撃音も、観客の悲鳴のような歓声も、全てが遠のいていく。彼女の意識は、深く深く己の内側へと沈んでいった。そしてその研ぎ澄まされた魂で感じていた。アナスタシアが放つ、この圧倒的なパワー。それは先場所までの、あの氷のように冷たい無機質なエネルギーではなかった。
(…あったかい…)
その力の奔流の奥の奥にある核。それは熱く、激しく、そしてどこまでも純粋な“喜び”の炎だった。(…そうか。アナスタシアさん、あなたも今、心の底から、この相撲を楽しんでいるんだ…!)女王・龍炎寺貴和子という好敵手と出会い、このマンコ相撲という文化の奥深さに触れて。彼女は、もはやただの戦闘機械ではなかった。勝利を渇望し、そして戦いの喜びに打ち震える、一人の誇り高き“戦士”へと生まれ変わっていたのだ。
そのあまりにも気高く、そしてあまりにも温かい魂の“声”を聴いてしまった、今。咲の心は決まった。
(…この滝を止めることはできない)
(…この奔流に逆らうこともできない)
(…ならば)
(…この全てをあたしが受け止めてあげるしかないじゃない…!)
咲は抵抗するのをやめた。彼女は、その両足にぐっと力を込める。祖母との地獄の修行。あの滝に打たれ、その全てを受け流した、あの感覚。彼女は今、自らの体を大地に深く根を張る、巨大な“器”へと変貌させたのだ。
ドンッ!
アナスタシアの最後の、そして最大の一撃が咲の体に叩き込まれる。だが。咲の体は吹き飛ばない。その凄まじい運動エネルギーは、咲の足の裏から土俵の土へと、そしてこの国技館のさらに奥深く、母なる大地へと、全て吸収され、流れ去っていく。
絶頂川アナ:「た、耐えたァァァァァ!十六夜咲!氷の女帝の、全てを懸けた最後の一撃を、その身一つで受け止めてみせたァァァッ!」
天知:「…馬鹿な…。受け止めただけではない。彼女は今、アナスタシア関のあの膨大なエネルギーを、全てその体内に“吸収”したのです。…なんという器の大きさ。彼女は、もはや川を飲み込む渦潮ではない。…その大瀑布すらも受け入れる、“海”そのものになろうとしている…!」
アナスタシアは戦慄した。自分の全てを出し尽くしたはずの一撃。それが目の前のこの小さな少女に全て飲み干されてしまった。そしてその少女の体から、今自分が放ったものとは比較にならないほどの巨大なエネルギーが生まれようとしているのを肌で感じていた。
咲は、その顔を上げた。その体は、吸収したエネルギーで青白いオーラを放っている。だが、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。彼女は、その唇を動かす。声にはなっていない。だがアナスタシアには、その言葉がはっきりと聞こえた。
(…ごちそうさま、でした)
その言葉を合図に。咲の腰がゆっくりと、しかし星々を動かすかのような雄大なリズムで回転を始めた。それは、アナスタシアの『大瀑布』を完全に飲み込み、そして自らの『渦潮』と融合させた新たなる決まり手。
聖母と女帝。二つの母なる“水”が一つとなり、全てを無に帰す究極の津波へと生まれ変わろうとしていた。そのあまりにも絶望的な光景を前に、国技館はただ静まり返るしかなかった。