【天下一番相撲会・準決勝】
準決勝、第一試合の興奮が冷めやらぬ両国国技館。だが、次に土俵へと向かう二人の力士の、そのあまりにも対照的な姿に、会場は息をのむような静けさに包まれた。東、前頭筆頭、十六夜咲。その表情は穏やかで澄み切っている。だが、その奥には、これから始まる宿命の戦いへの静かな覚悟が宿っていた。
西、小結、毒島りん。彼女もまた、静かだった。だが、その静けさは、これまでの不気味なそれとは違う。かつての相手を見下すようなサディスティックな笑みはない。ただひたすらに純粋な求道者のような真剣な眼差しで、目の前の十六夜咲という“光”を見つめていた。
絶頂川アナ:「…ついに、この再戦の時がやってまいりました。先場所、我々に最も衝撃的な一番を見せてくれた、この二人。あれから数ヶ月。聖女は女神へとその器を広げた。そして毒婦は、その毒を浄化され、全く別の力士へと生まれ変わった。…これはもはやただの再戦ではありません。二人の魂の“答え合わせ”です」
天知:「…ええ。矢倉理詰のデータですら、今の毒島りんの強さを正確に予測することは不可能でしょう。彼女は、かつての残忍さを捨てた。だがその代わりに、十六夜咲から学んだ、“受け入れる”という新しい“強さ”を手に入れている。…全く未知数の一番です」
「はっけよい、のこった!」
試合開始!先手を取ったのは、りんだった。だが、その腰つきはこれまでの彼女のそれとは全く違っていた。相手を傷つけ、嬲るための不快な動きではない。あまりにも鋭く、そしてあまりにも的確に。咲の体の中心。その魂の“歪み”を直接突いてくるかのような一撃。
新・決まり手:『毒の転写(ポイズン・トランスファー)』
それは、相手に毒を注入する技ではなかった。逆に、相手の内にある、弱さ、迷い、トラウマという名の“毒”を、その的確な刺激によって強制的に表面へと“引きずり出す”技だった。
「くっ…!」
咲は、その一撃に思わず顔を歪める。痛いのではない。だが、心の一番見たくない部分を抉られるような不快感。先場所、りんから受けた、あの魂への攻撃。その恐怖の記憶がフラッシュバックする。咲の『渦潮』がわずかに乱れた。
絶頂川アナ:「な、なんだ、これは!毒島りん、まるで咲の心の弱点を知り尽くしているかのような、的確な攻撃だ!咲の渦が乱されているぞ!」
天知:「…これは…。凄まじい技です。彼女は、自らがかつて持っていた“毒”を完全に理解し、そしてそれを、相手の“毒”を見つけ出すための“センサー”として使っているのです。…なんという皮肉。そして、なんという成長だ…」
りんは攻撃を緩めない。
「…甘いわよ、サキ」
その静かな声が響く。「あんたは、あたしの毒は飲み込んだ。でもあんた自身の心の中に残っている、恐怖の“毒”はまだ克服できていない。…その程度の覚悟で、この先に待つ本物の“怪物”たちに勝てるのかしら?」
それはもはや敵からの攻撃ではなかった。共に地獄を見てきた戦友からの、そして彼女を導くコーチからの、あまりにも厳しく、そしてあまりにも愛に満ちた、“檄”だった。咲の乱れた渦の中心で、彼女は己の最後の“弱さ”と向き合うことを強いられていた。
「…その程度の覚悟で、この先に待つ本物の“怪物”たちに勝てるのかしら?」
毒島りんの、その厳しく、そしてどこまでも愛に満ちた檄。それは十六夜咲の心の一番奥深くに突き刺さっていた、最後の“棘”を白日の下に晒した。先場所、りんから受けたあの魂への攻撃。その恐怖の記憶。
(…そうか。あたしはまだ怖かったんだ)
咲は理解した。りんの、この一見残酷に見える攻撃。それは、この最後の“毒”をあたしの中から完全に絞り出させ、そしてあたしを本当の意味で“無敵”にするためだったのだ、と。そのあまりにも歪で、そしてあまりにも大きな友情の形に、咲の胸が熱くなる。
「…ありがとう、りんさん」
咲は微笑んだ。その顔にはもはや一欠片の迷いも恐怖もなかった。「…もう、大丈夫」
彼女は、りんのその的確に急所を抉ってくる『毒の転写』の全てを防ぐのをやめた。それどころか、自らの『渦潮』を大きく広げ、その全ての“毒”を喜んでその身の内側へと招き入れたのだ。かつて、りんの悪意を飲み込んだように。今度は、自分自身の過去のトラウマを、その母なる渦の中へと飲み込み、そして溶かしていく。
りんの瞳が見開かれる。咲の渦がその輝きを変えたのだ。これまでのただ温かいだけの光ではない。弱さも、痛みも、恐怖も、その全ての“影”すらも優しく包み込む、どこまでも深く、そして強い“光”へと。
絶頂川アナ:「ああ…!なんということだ!咲の渦がりんの毒を完全に飲み込んだ!いや、違う!浄化している!りんが咲の毒を引きずり出し、そして咲がその毒を自らの光で浄化している!これはもはや相撲ではない!二人で行う、魂の“共同セラピー”だ!」
天知:「…これが、彼女たちがたどり着いた答え…。憎しみ合うのではなく、殺し合うのでもなく。互いの傷を舐め合い、そして互いを高め合う…。なんという次元の戦いだ…」
ここから先は、もはや技と技の応酬ではなかった。ただひたすらに美しい魂の対話。りんがその鋭い腰つきで咲の未熟な部分を指摘すれば。咲がその温かい渦でりんの魂に残る古傷を癒していく。それはまるで永遠に続くかのような奇跡の時間だった。
だが、勝負はいつか決する。二人の体力も、潮も、そして魂も、全てが燃え尽きようとしたその最後の瞬間。ほんの僅か。ほんの紙一重の差で。咲のその全てを受け入れる“器”の大きさが、りんのその鋭利な“刃”の鋭さを上回った。咲の光の渦が、りんのその全ての過去を優しく抱きしめる。
「「んっ…、あああああああああああああああああっ!」」
二人の絶頂が完璧に重なり合った。それは、どこまでも温かく、そしてどこまでも清々しい魂の交歓だった。
勝負あり。土俵の上には、全てを出し尽くし、互いに支え合うように倒れ込む二人の女神の姿があった。その顔には、勝者も敗者もない。ただ最高の“対話”を終えた戦友(とも)としての、晴れやかな笑顔だけがあった。
「…ありがとよ、サキ」
先に口を開いたのは、りんだった。「…これで、あたしはもう思い残すことはないわ」彼女は、ゆっくりと咲の体を離すと、自らその土俵を降りようとする。そして最後に一度だけ振り返ると、その生涯で最高の優しい笑顔で言った。
「…行ってこい、サキ…。お前が、あたしの光だ」
その言葉を残し、毒婦は去っていった。その背中には、もはや一欠片の闇も残されてはいなかった。
そして始まる、『子種拝領の儀』。勝者として土俵の中央に進み出る、咲。その前にひざまずくのは、この天下一番相撲会を司る最高の権威。天覧行司、その人だった。彼のヴェールの奥の瞳が、目の前の少女を深い深い慈愛の眼差しで見つめている。
その儀式は、もはやただの子種拝領ではなかった。光も闇も、その全てを乗り越え、真の“女神”へと覚醒した咲を祝福するための戴冠式。天覧行司から注がれる神聖な光の奔流が、咲のその広大な海のような子宮へと満たされていく。それはまさしく、天と地が結ばれる神々の交合。
全ての儀式が終わり。オーロラビジョンについに最後のカードが映し出された。
【決勝戦:東・横綱 龍炎寺 貴和子 vs 西・前頭筆頭 十六夜 咲】
女王が、その人間としての魂を取り戻し。聖女が、その神としての器を手に入れた。最高のコンディションで整った最高の舞台。この国の本当の“母”を決める最後の戦いが、今、始まろうとしていた。
準決勝第二試合を42話から分離しました。