【天下一番相撲会・決勝戦】
両国国技館は静まり返っていた。一万五千の観客のその全ての視線が、祈るように土俵の上の二人の女神に注がれている。そのあまりにも神聖で、あまりにも濃密な緊張感に、誰もが息をすることすら忘れていた。
東、絶対女王、龍炎寺貴和子。西、聖母、十六夜咲。これまでの戦いを経て、二人はもはやただの力士ではなかった。貴和子は、その絶対的な力と誇りの奥に、人間としての激情と愛を取り戻した、“闘神”。咲は、その無限の優しさと母性の奥に、悪意や絶望すらも飲み込む覚悟を手に入れた、“地母神”。天の神と地の神が、今この土俵の上でまみえようとしていた。
その神々の戦いを裁くのは、もちろんこの男しかいない。ヴェールを外したその素顔を、初めて公の下に晒した天覧行司。そのあまりにも高貴で、そしてあまりにも美しいその顔は、まさしくこの国の未来そのものだった。
「はっけよい、のこった!」
その声は、もはや試合開始の合図ではなかった。新しい世界を創るための、“創生の言葉”だった。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
衝突の瞬間。国技館が揺れた。いや、違う。世界が揺れた。二人の女神から放たれるあまりにも巨大なオーラの衝突。それは、もはや物理的な衝撃ではない。空間そのものを歪ませる魂の激突だった。
そこから繰り広げられたのは、人間の理解を完全に超越した戦いだった。貴和子が、その気高い腰つきで天罰のような一撃を放てば。咲が、その雄大な渦で、その天罰すらも優しく受け止め、浄化していく。咲が、その慈愛に満ちた奔流で全てを包み込もうとすれば。貴和子が、その絶対的な誇りで、その奔流すらも蒸発させてしまう。力と愛。支配と受容。天と地。その全ての二元論が、この土俵の上でぐちゃぐちゃに混ざり合い、そして新しい“何か”へと生まれ変わろうとしていた。
絶頂川アナ:「ああ…!あああ…!もはや私には何も言えません…!言葉が意味をなさない…!これは相撲ではない!これはセックスでもない!これは、ただひたすらに美しい、“宇宙の営み”そのものです!」
天知:「…そうだ。我々は、今日この日この場所で、ただひたすらに感謝すべきなのだ。この奇跡を目撃できた、というただその一点において…」
戦いは膠着する。互いが互いの全てを出し尽くし、そして互いが互いの全てを受け止めている。このままでは決着はつかない。永遠にこの神々の戯れは続くのではないか。誰もがそう思い始めた、その時だった。
二人が動いた。まるで示し合わせたかのように。同時に一度だけ、大きく後方へと跳躍し、距離を取る。そして見つめ合う。その瞳には、互いへの最大限の敬意と、そして感謝が宿っていた。
(…ありがとう、咲)
(…ありがとうございます。貴和子さん)
魂の対話は終わった。ここから先は、残された最後の魂の全てを叩きつける最後の、“神殺し”の時間。二人は静かに、そして深く、その腰を落とした。それぞれの究極奥義を解き放つために。国技館が再び静寂に包まれる。神話の最終楽章が今始まろうとしていた。
静寂。両国国技館の一万五千の観客の、その全ての魂が息をのむ。土俵の上。二人の女神が、その最後の、そして究極の神の領域へとその身を高めていく。
東、龍炎寺貴和子。彼女の体から全ての光が消えた。いや、違う。光すらも飲み込む絶対的な“無”の空間が、彼女の腰を中心にして生まれていた。それは、全てを拒絶し、全てを封じ込め、そして全てを支配する、究極の防御の概念。日本の神話に語られる、太陽神さえも閉じ込めたという、あの伝説の岩の扉。
最終奥義:『天岩戸(あまのいわと)』
西、十六夜咲。彼女の体から無限の光が溢れ出す。それは、アナスタシアの力を飲み込み、りんの毒を浄化し、そしてこれまで戦ってきた全ての魂の想いを、その身に宿した生命そのものの輝き。全てを受け入れ、全てを赦し、そして全てを新しい何かへと生まれ変わらせる、究極の創造の概念。日本の神話に語られる天地開闢(てんちかいびゃく)の、その始まりの渦。
究極奥義:『天之渦(あめのうず)』
閉ざそうとする力と。生まれようとする力。その二つの絶対的な宇宙の法則が、今土俵の中央で衝突した。
ズウウウウウウウウウウウウウウウンンン…!
音ではない、音。魂の鼓膜を直接震わせる宇宙の鳴動。国技館の照明が明滅し、観客たちはまるで金縛りにあったかのように、その身を動かすことができない。そして放送席で、絶頂川アナは、その狂気の淵で、ついに神の領域を目撃する。
絶頂川アナ:「み、見え…、見えます…!」
彼は、その涙でぐしゃぐしゃになった顔でマイクを握りしめ、絶叫した。「二人の腰から…!二人の女神のその聖なる交合から…!あ、新しい“宇宙”が生まれようとしています!」
天知はもはや解説を放棄していた。ただ、その眼鏡の奥の瞳で、目の前の奇跡を静かに見届けている。
『天岩戸』は絶対だった。その完璧なまでの封印の力は、咲の『天之渦』を完全に閉じ込め、その光を飲み干そうとする。だが。咲の『天之渦』はただの力ではなかった。それは“受け入れる”力。貴和子のそのあまりにも巨大な封印の“圧”すらも、自らの力として吸収し、そして、その渦をさらに大きく、さらに強く、成長させていく。
(…すごい。これが貴和子さんの魂…)
(…なんて強くて、なんて気高くて、そして、なんて寂しいんだろう…)
咲は、その全てを受け入れた。貴和子の強さも、弱さも、その孤独の全てを。
そして。そのあまりにも巨大な愛の前で。貴和子のその、決して開くはずのなかった最強の岩の扉が。ミシリ、と音を立てて軋んだ。ほんの僅かな光の亀裂。咲は、その一筋の光を見逃さない。彼女は、そのありったけの感謝と尊敬と、そして愛を込めて、最後の渦を、その亀裂へと注ぎ込んだ。
パアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
岩戸が開かれた。絶対的な闇が光に敗れた瞬間だった。そこから溢れ出したのは、もはや快感の奔流などという生易しいものではない。ただひたすらに純粋な、“生命そのもの”の光だった。
その光の津波は、まず貴和子のその体を優しく包み込んだ。「あ…」貴和子は、その光の中で感じていた。孤独だった自分の魂が満たされていくのを。最強であるが故に、決して誰にも理解されることのなかった自分の全てが赦されていくのを。彼女は、その生涯で最も深く、そして最も満たされた絶頂の中で、静かに微笑んだ。
「…見事だわ、十六夜 咲…」
そして、その光は国技館の全てを満たしていく。観客も、力士も、関係者も、誰もがその温かい光に包まれ、ただ涙を流していた。
やがて光が収まる。土俵の上には、二人の女神が倒れていた。勝負は決した。天覧行司が、その震える手で軍配を天へと掲げた。
「…しょ、勝者…。…西、前頭筆頭…、十六夜、咲…!」
その言葉を合図に。国技館は、歴史上最も温かく、そして最も優しい万雷の拍手に包まれた。咲はゆっくりとその身を起こすと、倒れたままの貴和子の元へと駆け寄る。貴和子は、その満ち足りた笑顔で、新しい女王の顔を見つめていた。
「…我が国の未来を…。いいえ」
貴和子は、その手を伸ばし、咲の頬に触れた。「…この世界の未来を、あなたに託すわ。…新たなる、“母”よ」
古い神話は終わりを告げた。そしてここから新しい神話が始まろうとしていた。一人の優しすぎる少女が、この世界の本当の“母”となる、その物語が。