神話は終わった。だが、新しい神話が始まろうとしていた。土俵の中央には、新女王として天覧行司の前にひざまずく、十六夜咲の神々しい姿。その全てを見届ける観客たちの万雷の拍手。これ以上ないほどの幸福な大団円。
だが、その光のステージのすぐ裏側で。二つの影が静かに、しかし確実に動き出していた。
まず始まるのは、最後の、そして最も神聖な儀式。『子種拝領の儀』だ。天覧行司、橘千歳がそのヴェールを外す。そのあまりにも高貴で美しい素顔に、国技館がどよめく。彼はゆっくりと咲の前にひざまずくと、その手を優しく取った。
「…十六夜咲。いや、新たなるこの国の“母”よ。あなたのその偉大な魂に、心からの敬意と感謝を」
その声はどこまでも優しく、そして温かい。彼は咲の体をゆっくりと土俵に横たえる。一万五千の観客が見守る中。だが、もはやそこに羞恥などなかった。これはセックスではない。新しい時代を創るための“契約”の儀式なのだから。
千歳のその完璧な肉体が、咲の全てを受け入れた器と一つになる。その瞬間。咲の体から後光のような温かい光が溢れ出した。
絶頂川アナ:「ああ…!ご覧ください!女神と神が今、一つに!これこそが天地創造!新しいネオジャパンの夜明けであります!」
注がれる子種は、もはやただの精液ではなかった。この国の未来そのものである、希望の光の奔流。咲は、その全てをその海のように広大な子宮へと確かに受け入れた。
そのあまりにも神聖な儀式が終わりを告げた瞬間だった。国技館の全てのスピーカーから凛とした、しかし怒りに満ちた女の声が響き渡った。
「…この神聖なる祭りの最後に。皆様にお伝えしなければならない、“真実”があります」
声の主は、龍炎寺貴和子。彼女は、いつの間にか放送席のマイクを奪い、その女王の瞳で国技館の一点を睨みつけていた。
「この我々の愛するマンコ相撲協会は、長年、深い深い“病”に蝕まれていました。その病の名は、“腐敗”。そして、その病の元凶である“癌細胞”が、今この会場の中にいます」
国技館の全てのオーロラビジョンが一斉に切り替わる。そこに映し出されたのは、月詠愁が命を懸けて集めた不正の証拠の数々だった。使途不明金の流れ。闇マンコ相撲との繋がり。そして、数々の八百長試合の記録。
貴和子は、その美しい指先でVIP席の一点を指し示した。そこに座っていたのは、いつも穏やかな笑みを浮かべ、誰からも慕われていた、あの新進気鋭の部屋、『黒百合部屋』の美しき親方。黒百合 乱(くろゆり らん)。
「黒百合親方。…いいえ、全ての闇の元凶、黒百合乱。あなたの悪行もここまでですわ」
貴和子の断罪の声が響く。
「協会の金を横領し、闇賭博で私腹を肥やし、有望な力士を事故に見せかけて葬り去り、そしてあろうことか、この天下一番相撲会の権威そのものを失墜させるべく、天覧行司の誘拐まで企てた…。その罪、万死に値します」
黒百合 乱は、その完璧なまでの微笑みを崩さない。だが、その瞳の奥には、もはや隠しきれない蛇のような冷たい光が宿っていた。
「…あらあら。負け犬の遠吠えは見苦しいですわよ、横綱」
「負け犬?いいえ。わたくしは、この土俵の“法の番人”ですのよ」
貴和子の合図と共に。愁が率いる調査官たちが、一斉に黒百合 乱の元へと、なだれ込む。観客席がパニックに陥る。だが、その全ての混乱は、たった一つの声によって静められた。
「…静粛に」
声の主は、天覧行司、橘千歳だった。彼は静かに立ち上がると、その神の如き声で告げた。「…龍炎寺貴和子の告発は全て真実である。…これより、マンコ相撲協会の、大掃除を始める!」
その絶対的な権威の一言。黒百合 乱は、観念したようにふっと笑うと、静かにその両手を差し出した。女王と月の、長くそして孤独な戦いが、ついに勝利の瞬間を迎えたのだ。
国技館が、龍炎寺貴和子のその衝撃的な告発に揺れていた。全ての観客が、VIP席に現れた黒幕、黒百合乱のその美しい悪魔の貌に釘付けになっている。だが、その熱狂と混乱の中心から、そっと離れ、闇の中へと消えていく一つの影があった。盲目の行司、音無響。彼の神に与えられた“耳”は、もはや女王の断罪の声には向けられてはいなかった。彼の全ての聴覚は、この混乱に乗じて逃げ出そうとする、たった一つの“音”を追っていたのだ。
(…いた)
響の脳内の音響マップに、そのターゲットの反応が映し出される。恐怖に引きつった心臓の鼓動。浅く速い呼吸のリズム。そして何より、あの決して忘れることのない、下品でしゃがれた“声紋”。あの日、恋人・美冬の死を嘲笑った、あの男。響は、その音を追って人混みを抜け、薄暗い地下通路へとその身を滑り込ませた。
【国技館・地下 選手控室エリア】
「…はあっ、はあっ…!ば、化け物め…!あの女狐めが…!」
中年のコーチ、蛇の目(じゃのめ)は、壁に手をつき荒い息を吐いていた。まさかこのタイミングで、全ての悪事が暴かれるとは。こうなればもう逃げるしかない。闇の世界で自分を匿ってくれるはずの黒百合乱は、もういないのだから。彼が非常口へとその足を向けたその瞬間。
「…どこへ行くんだい?」
その背後からかけられた、あまりにも静かで、そしてあまりにも冷たい声。蛇の目がぎょっとして振り返ると、そこには、あの盲目の行司、音無響が、まるで亡霊のように静かに佇んでいた。その手には一本の尺八が握られている。
「…な、なんだ、てめえは…。按摩さんか?道に迷ったのか?」
蛇の目は虚勢を張る。だが響は、その言葉に答えず、ただ静かにその顔を声のする方へと向けた。その固く閉じられた瞳は、まるでこの世の全てを見透かしているかのようだった。
「…ずっと、探していたんだ」
響の声は、凪いだ湖面のように穏やかだった。「…あんたの、その“声”をね」
「…ああん?」
「数年前。一人の力士が死んだ。俺の恋人だった女だ」
響は、まるで詩を詠むかのように静かに語り始めた。「彼女は、死ぬ間際に、とても美しい“歌”を歌った。苦痛に歪みながらも、その魂の全てを振り絞ってね。…だが、その美しい最後の歌に、一つだけ汚い不協和音が混じっていた」
響のその閉じられた瞳がすっと蛇の目の喉元を捉える。「…それは、獲物が苦しむのを見て喜ぶ、ハイエナの下品な笑い声だった。…あんたの今の心臓の音と、同じ“音”をしていたよ」
「ひっ…!」
蛇の目の顔から血の気が引いていく。こいつ、まさか。「き、気のせいだろ!人違いだ!」蛇の目はそう叫ぶと、最後の悪あがきとばかりに、響へと殴りかかった。
だが。その拳が響の顔に届くことはなかった。響は、その風を切る“音”、筋肉が収縮する“音”だけで、攻撃の全ての軌道を完璧に予測していたのだ。ひらりとその攻撃をかわすと、響は、その手に持った尺八を、まるで剣士のように一閃させた。ドンッ!その硬い竹の先端が蛇の目の首筋にある神経の一点を的確に捉える。蛇の目の体から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「…がっ…、ぁ…」
響は、その無力な獲物を見下ろしながら、静かにその尺八の先端を男の喉元へと突きつけた。
「…殺しはしない。それでは美冬が悲しむ」
響の声はどこまでも冷たい。「あんたは生きるんだ。そして全てを“歌う”のさ。黒百合乱に命令され、あんたが美冬に何をしたのか。その全てを洗いざらい、愁さんの前でね」
「……」
「もし、嘘をついたり、黙ったりしようものなら…。その時は」
響は、初めてその唇に笑みを浮かべた。それは悪魔の笑みだった。「…あんたがどこに隠れていようと、俺には聞こえる。あんたのその汚い心臓の音だけはね。…そして、その心臓の音を永遠に止めてやる」
その絶対的な宣告に、蛇の目はただ失禁しながら頷くことしかできなかった。
やがて、愁の部下である調査官たちがその場へと到着し、泣きじゃくる蛇の目を連行していった。一人残された響。彼の復讐は終わった。だが、その心に喜びはない。ただ虚しく、そしてどこまでも静かな時間が流れるだけだった。
その静寂の中で。響の耳にふと一つのメロディが聞こえた。それは亡き恋人、美冬の、あの、大好きだった『月光の奏鳴曲』。そしてその旋律の奥から、彼女の、あの銀の鈴のような笑い声が聞こえた。
(…ありがとう、響)
(…もう、いいんだよ)
響のその固く閉じられた盲目の瞳から。ぽろり、と一筋温かい涙がこぼれ落ちた。それは、復讐を終えた復讐者の涙ではなかった。長年、その魂を縛り付けていた哀しい恋の呪縛から、ようやく解き放たれた一人の男の“再生”の涙だった。彼の長い長い冬は、ようやく終わりを告げたのだ。
あの歴史に残る『天下一番相撲会』から、数年の歳月が流れた。ネオジャパンの世界は、そしてマンコ相撲の世界は、確かに変わった。
【マンコ相撲協会・理事長室】
「…報告します、理事長。今期の出生率、昨年比で3.5%の上昇です。特にマンコ相撲の人気が高い地方都市での伸びが顕著です」
特命調査官改め、協会理事長補佐官となった月詠愁が、その冷静な声で報告する。その報告を受けるのは、協会の新しい理事長。元・絶対女王、龍炎寺貴和子、その人だった。彼女は、現役を引退した後、その圧倒的なカリスマ性と政治力で、腐りきっていた協会を完全に掌握。黒百合乱をはじめとする旧体制の腐敗した幹部たちを一掃し、クリーンで公正な組織へと再生させたのだ。
「…まだ始まったばかりよ、愁。本当の戦いはこれからですわ」
貴和子のその女王の顔には、もはやかつての孤独の色はない。ただ、この愛すべき相撲の世界の未来を見据えるリーダーとしての自信と誇りに満ち溢れていた。
【十六夜部屋・稽古場】
「甘いわよ、ひな!」
コーチのジャージに身を包んだ毒島りんの檄が飛ぶ。「今のあんたの突きは、ただの“点”だわ!咲ママのあの全てを包み込む“面”を破るには程遠い!」
「…う、うるさいっ!ママとか言うな!」
高校生となり、その天才的な才能にさらに磨きをかけた天童ひなが、顔を真っ赤にしながら言い返す。あの死闘の後、彼女は咲のことをツンデレながらも、「咲ママ」と呼び、慕い、そしていつか超えるべき最大の目標として、その背中を追い続けていた。りんのそのサディスティックで、しかし的確な指導の下、二人の奇妙な師弟関係は、新しい時代の名物となっていた。
世界もまた変わった。
アナスタシアは、母国ロシアとネオジャパンの架け橋となる国際親善大使として、世界を飛び回っている。愛内きららは、現役を続けながらも一児の母となり、“ママドル力士”という新しいジャンルを確立。今やテレビで見ない日はないほどの人気者だ。矢倉理詰は、その悪魔の頭脳を協会の発展のために使うことを決意。公式データアナリストとして、師匠であった天知と共に、力士の怪我を防ぎ、その才能を最大限に引き出すための科学的なトレーニングメソッドを開発している。
そして盲目の行司、音無響。彼は、その復讐を終えた後も、土俵に残り続けた。そしてその神に与えられた“耳”で、若い力士たちの心の“音”を聴き、その悩みを癒す、“相撲セラピスト”として、多くの力士たちから慕われている。
【そして、始まりの場所。十六夜部屋】
夏の終わりの穏やかな午後。縁側で一人の女性が幸せそうに目を細めていた。十六夜咲。その腕の中には、すやすやと眠る赤ん坊の姿。彼女と、夫となった橘千歳との間に生まれた、この国の希望の光。その隣では、千歳が優しく彼女の肩を抱いている。庭先では、息子がよちよちと歩き回り、土俵の周りでは、地元の子供たちが元気に笑い声を上げている。
ネオジャパンの出生率は、少しずつ、しかし確実に上向き始めていた。土俵際の乙女たちが、その命を燃やして戦い、そして繋いだ想いが、確かにこの国の未来を明るく照らし始めていたのだ。
咲は、その腕の中の小さな命をそっと抱きしめる。そしてその愛おしい未来を見つめながら、静かに呟いた。
「…はっけよい」
さあ、始めよう。新しい生命と共に歩む、新しい人生を。
「…のこった」
この愛すべき、バカバカしくて、そして美しい世界で。これからもずっと。女神たちの物語は続いていく。
【了】
こんなトンデモ小説にお付き合い、ありがとうございました!
メインストーリーはこの話で完結ですが、明日以降幕間を幾つか投稿しますので、奇特なマンコ相撲ファンの方はお楽しみください。