【6】
目が覚めたときは10時を回っていた。奈々未はベッドで伸びをして、スマホを手に取るとまた毛布にくるまった。佐久間賢介はとっくに出掛けているだろう。彼は二泊三日で関西方面に取材に行った。
それにしても、いい人に助けてもらったものだ。賢介は食べ物を買ってくれたし、留守の間の生活費も渡してくれた。そのうえ、彼の部屋で同棲しようとまで言った。家賃が払えないのだから、彼の提案は渡りに船だ。賢介が取材から戻ってきたら気が変わらないうちに部屋に押しかけよう。もちろん、セックスは好きなだけヤラせる。捨てられないように肉体で繋ぎ止めるしかない。
簡易ベッドから出られずに寝そべっているとスマホに着信があった。
本宮正弘の弁護士からだった。弁護士は「今から事務所に来て欲しい」と言った。奈々未が「体調が悪いので二、三日待ってください」と答えると、弁護士は、「せいぜいお大事に」と電話を切った。弁護士からだと分かったときはドキリとしたが、賢介の指示通りに「体調が悪い」と答えたら、簡単に引き下がった。あらためて、賢介は頼りになると思った。
奈々未はスマホを置いて、右手をルームウエアのズボンの中に手を潜り込ませた。パンティをずらし、性器を指で撫でる。
・・・ああ、我慢できない、だって、奈々未は淫乱で、ヤリマンなんだもの。賢介さんに触って欲しい。奈々未の指でオナニーしちゃう。あっ、あっ、にく、肉襞、撫でて、クリトリスも気持ちいい。オ××コ、オ××コが濡れっぱなしよぉ。はあ、はあ、賢介さん、好きよ、好きよ、はあ、はあ、見て、奈々未のオ××コ、オ××コ見て。いやらしいとこ、恥ずかしいとこ見て、はあ、はあ、はあ、あっ、ああ、いやあ。イクう、イクう。でも、悠斗の方がいいかも。賢介さんゴメン、悠斗とセックスしたくなっちゃった。悠斗、抱いて。奈々未は悠斗が好きなの、好きぃ、悠斗、オ××コ舐めてぇ・・・
お昼にカップの焼きソバを食べた。
夕方、シャワーを浴びて缶ビールを飲んでいるとき電話があった。液晶画面に表示された名前を見てドキンとした。東海悠斗からだった。
30分後、奈々未はマンションを飛び出した。悠斗と会うためだ。佐久間賢介には、悠斗と会ってはいけないと言われていたが、声を聞いたら我慢できなくなった。電話の向こうで「大変だったんだね」と囁かれて、たちまちパンティの前が濡れてしまった。オナニーしながらお願いしたので悠斗にも通じたのだ。
佐久間賢介からは悠斗と会わないようにと釘を刺されていた。だから、悠斗の元へ行こうとしているのは裏切り行為かもしれない。
悠斗の顔を見るだけだ。セックスはしない。でも、誘われたら、どうしよう。
彼は駅前のファミレスで待っているということだった。車で来ているのなら好都合だ。悠斗を部屋に連れ込むのは気が引けるからラブホテルに行くつもりだ。財布には賢介からもらったお金が入っているので食事とホテル代には十分だった。
しかし、ファミレスの駐車場で奈々未を待っていたのは悠斗ではなかった。本宮正弘に雇われた弁護士と風俗店のリクルーター、それにヤバい男たちだった。
弁護士は「元気そうですね、体調が優れないと聞きましたが」と、丁寧に言った。全裸宙吊りで放置しておきながら、元気そうとはまるで他人事のようだ。
「嘘はいけませんよ」
「すみません」
「さてと、キャンセル料の返済についてなのですが」
「その件は二、三日、待ってくれませんか」
佐久間賢介は明日帰ってくる予定だ。そうすれば、彼が100万円の返済について交渉してくれるはずだ。
「100万円は、返せる見込みがあるんです」
「いえ、そうではなく9000万円です」
「はあ、9000万円!」
「本宮氏は、あのマンションには住みたくないそうです。あなたが足を踏み入れた部屋は不潔だというのでね。そこで、奈々未さんにマンションの購入金額9000万円を支払っていただくことになりました」
とんでもないことになった。結婚式や新婚旅行の費用だけでなく、マンションの費用、9000万円までも負担させられるのだ。
「あの若者、悠斗君にも弁済義務が発生すると説明したら、あなたを呼び出すのに協力してくれました」
奈々未が弁護士との面会を断ったので、彼らは悠斗を使って誘い出したのだ。まんまと罠に掛かってしまった。しかし、気が付いたときはもう手遅れだった。
それから車であちこち走り、ラブホテルで男たちに抱かれた。一晩中セックスして、また車に乗せられ、次に停まったのは閑静な住宅地だった。
「別荘だよ、誰も住んでないボロい別荘だ」
住宅地かと思ったが、そこは別荘街だった。男が千葉県の田舎だと言った。
ドアを足で蹴って室内に入った。建物は長いこと使われていないのだろう、空気が澱んで埃っぽい。イス、テーブル、ソファなどの調度は埃が溜まっているし、床も靴の跡が付くくらい汚れていた。
奈々未は順番にフェラをさせられた。フェラが終わると風俗店のリクルートをしている男が書類を示した。
「9000万円返済する計画書です」
書類には、『9000万円』とか『返済』の文字が並んでいる。
「ここに記載してあるように、返済期限は五年です。毎月200万円返せば期限内に返済可能です」
「はい、風俗で働いて返しますから、それでいいですか」
奈々未は正座して、床に額が付くらい頭を下げた。髪に埃がまとわりついた。
「ここに署名してもらいましょうか」
9000万円を返す念書にサインするのかと思ったが、そうではなかった。それは、奈々未がウェディングドレスでワゴンに縛り付けられた写真が載っているビラだった。ビラは何種類もあって、結婚式で撒かれたモノや、つい最近に撮られた全裸宙吊りの写真入りのモノまであった。
「その紙の裏側に一筆書いてください。これが見本です」
メモを見せられた。そこには、【9000万円返せないので命をもって償います】と書かれていた。
返済できないので自ら命を絶つということか・・・
「ここで・・・死ぬんですか」
訊いても誰も答えてくれなかった。
奈々未は観念した。一枚のビラの裏面に、メモに書かれた文句を書き写した。途中で手が震えて字が不揃いになった。最後は涙が堪えられなくなり、名前を書き終えて顔を覆って泣いた。
リクルーターの男は、三種類のビラをテーブルに並べて置いた。
「こちらとしては、風俗店で働くことをお勧めしますが、あとは、奈々未さんの気持ち次第ですよ。じっくり考えてください。この世とオサラバするのも選択肢の一つです」
男がイスを運んできた。それから、ロープを投げてよこした。
「さて、そろそろ我々は引き上するとしようか。目の前でやられたんじゃ、夢見が悪くなりそうだ」
「待ってください・・・悠斗はどうなったんですか」
悠斗を巻き込んでしまったのは申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「こうなったのは私の責任だから風俗で働きます。命で償えというのなら、それも仕方ありません。でも、彼は許してあげて」
「心配するな、あの若者はカンボジアに行ってもらう。仕事は外国から日本に電話を掛けることだ。掛子ってわけだよ。当分、日本に帰れない。帰ってくれば警察に捕まるんだ」
「そんな・・・オレオレ詐欺をやらされるんですか」
「詐欺だなんて人聞きの悪いことは言うな。立派な仕事だ。さあ、これで思い残すことはなくなっただろう」
そう言い残して男たちは去って行った。
・・・泣き疲れて、どのくらい時間が経ったのか分からなくなった。
風俗で五年間、肉体を売り続けるか、それとも、いっそ、ここで楽になるか。
何もかも自分のおこなったことの報いだった。高校生のときも、大学に通っていたときも男とヤリまくった。婚約者がいるにもかかわらず悠斗と遊びまくった。そのツケが回ってきたのだ。
そして、会ってはいけないと佐久間賢介から言われたのに、約束を破って悠斗の誘いに乗ってしまった。その悠斗はカンボジアでオレオレ詐欺に加担させられる。彼の人生も破滅させてしまった。すべて自分のせいだ。
リクルーターの男たちは9000万円返済しろと言いながら、その一方で自殺を強要してきた。矛盾した話だが、これが彼らの流儀なのだろう。
奈々未はどんどん追い詰められる。
進も地獄、戻るも地獄、そのうえ、この別荘も地獄だ。
奈々未はロープを手に取った。見上げると真上には太い梁があった。イスを台にして、ロープを掛け、飛び降りる、ただそれだけのことではないか。
売春は五年、こちらは一秒だ。
試しに首にロープを回し、先端を引っ張ってみた。
「ウゲッ」
痛い。
首を吊るのは、こんなにも痛かった。一瞬ではあっても、この痛みにはとうてい耐えられるものではない。この痛みに比べれば、売春した方がどんなにかマシだ。たとえ、変態野郎とかエロおやじに抱かることがあったとしても我慢できる。
それに、死んだら負けだ。負けてたまるか。五年でも十年でも肉体を売ってお金を完済して、アイツらを見返してやる。
自殺はやめて風俗で働くと決めたら、気持ちがスッキリしてきた。
ここは千葉県だと言っていた。それなら、今日中には横浜のマンションに帰れる。佐久間賢介には本当のことを打ち明けるしかない。
奈々未はソファにつかまって起き上がった。
男たちにフェラをさせられたので、うがいをしようとキッチンに立った。
蛇口をひねったときだった。
「うぷ、うっ・・・うっ、おげっ」
突然、吐き気が込み上げてきた。胃の中から精液が逆流してきたようだ。しかし、吐き出そうとしたが何も出てこない。
「うぷ、ううう、うぷっ」
今まで経験したことのない吐き気だ。
まさか・・・つわり?
妊娠だ。
とたんに悪寒に襲われた。
奈々未はキッチンの流しに凭れてお腹を摩った。
ここに赤ちゃんがいる。誰の子供だろう。婚約者だった本宮正弘の子供か、それとも悠斗の子供なのか、どちらか分からないけれど、お腹の中に赤ちゃんがいる。
絶望的になった。妊娠三ケ月くらいではないか。そのうち、お腹が大きくなって目立ってしまう。妊婦の売春婦なんて、誰も相手にしてくれない。これでは、9000万円返済する見込みがゼロだ。
中絶するしかないが、手術費用はどう工面しよう。佐久間賢介に手術代を出してくれと頼もうか。いや、それもダメだ。いくら彼が優しいといっても、他人の子供を堕胎するのを助けてくれるとは思えない。
もう、笑うしかなかった。
売春すると決めたとたんに、妊娠が発覚してしまうなんて。
やっぱり、死ぬしかない。
キッチンの脇の壁にカレンダーが掛かっていた。カレンダーは一年前のものだった。この建物はそれ以来使われていないらしい。一年前は本宮正弘から求婚され、夢と希望に満ち溢れていた。
それが、まさか、こんなことになるとは想像もしなかった。
できるものなら一年前に戻りたい。時間を巻き戻して一年前に帰りたい。今度は失敗しないようにするから。
一年前に戻れたらなあ・・・
しかし、そんな奇跡が起こるはずもないことはよく分かっている。生きてドアの外に出ることはできない。ここで死ぬのだから。
奈々未は踏み台にするイスに座り、靴を脱いだ。
「死にますよ、死ねばいいんでしょ。それで何もかも終わりよ・・・」
ロープを手に掴み、イスに乗って上を見上げた。