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オルレアン公爵家の帝都屋敷はその威容とは裏腹に、今宵ばかりは墓場のような静寂と重苦しい空気に支配されていた。
執務室の重厚なマホガニーの机を挟み、公爵と、その一人娘であるヴァリーラが対峙している。常ならば爛漫な薔薇のように華やいでいるはずのヴァリーラの顔は血の気を失い、その瞳には消しがたい屈辱と、それ以上に強固な反抗の色が宿っていた。
「……馬鹿者が」
オルレアン公爵──リシャール・ド・オルレアンは絞り出すようにそう言った。その声には怒りよりも深い疲労と諦念が滲んでいる。彼はこの国の中枢を担う政治家であり、常に冷静沈着、若かりし頃には氷の貴公子とまで呼ばれた男だ。だが今、彼のこめかみには青筋が浮かび、その指先はかすかに震えていた。
「貴様は自分が何をしたのか、本当に理解しているのか。よりにもよって、サザーランド侯爵家の嫡男相手に決闘を申し込むなど……!」
「ですがお父様! あのような卑しい庶子に、このわたくしがオルレアンの名が侮辱されたのです! 黙って見過ごすことなどできましょうか!」
ヴァリーラは叫ぶように反論した。彼女にとって、血統と家柄こそが世界の中心であり、それを守るためならば命を賭すことも厭わない。それが貴族の矜持であると、骨の髄まで信じ込んでいる。その純粋さ、あるいは愚かさが事態をここまで深刻化させたのだ。
「矜持だと? 笑わせるな」
リシャールは吐き捨てるように言った。
「貴様のその薄っぺらな矜持とやらのために、我が公爵家がどれほどの政治的窮地に立たされたか。サザーランド家は確かに財政的には困窮しているがその歴史と魔術界における影響力は侮れん。下手をすれば、帝国内の勢力図が塗り替わりかねない事態なのだぞ」
リシャールの言葉はヴァリーラが想像するよりも遥かに重い現実を突きつけていた。だが彼女の耳には届かない。
「ですから、わたくしが勝てばよろしいのでしょう! あのような豚に、このわたくしが後れを取るとお思いですか!」
「勝てると思っているのか、本気で」
リシャールの声が絶対零度まで冷え切った。その瞳に宿った異様な光に、ヴァリーラは思わず息を呑む。
「貴様は何も知らんのだ。お前の言う庶子の父親──グレイル・サザーランドという男の、本当の恐ろしさを」
リシャールは椅子に深く身を沈めると、遠い過去を思い返すように目を閉じた。
「奴は確かに、貴族としては能天気が過ぎる。領地経営の才もない。だが魔術師としては別格だ。超一流などという言葉では生温い。あれは理の外側にいる化け物だよ」
二十年前。帝国と東方諸国連合との間で起こった大規模な国境紛争。リシャールもまた、若き将校としてその戦場にいた。そして、彼は見たのだ。
絶望的な戦況の中、たった一人で現れたグレイル・サザーランドが古代語の長大な詠唱と共に、夜空から
それは比喩ではない。文字通り、灼熱の隕石群が敵軍の頭上に降り注ぎ、一瞬にして一個師団を地図上から消し去ったのだ。その圧倒的で、神の御業にも等しい破壊の光景は今もリシャールの脳裏に焼き付いて離れない。
それほどの魔術師ならば何一つ経済活動をしなくても暮らしていけるはずだが、グレイルの魔術の虫は労せずして得られる多額の金を食いつぶすほどにタチが悪い。
(まあそれくらいの魔術馬鹿でなくてはあれほどの業を修める事はできないという事なのかもしれないが……)
そんな事を思いながら、リシャールは語を継いだ。
「あのイサクという少年はその化け物の血を引いている。しかも学院では首席だというではないか。その実力が生半可なものだと思うか?」
リシャールの脳裏には最悪の未来予想図が描かれていた。愛娘があの少年の前で無残に敗北し、命を落とすかもしれないという恐怖。
「……だからこそ、だ。この決闘、代理人を立てる」
「代理人、ですって?」
「そうだ。我が家に仕える魔術師の中から、最も腕の立つ者を選ぶ。いや、違うな」
リシャールは自嘲気味に笑うと、冷たく言い放った。
「万が一を考えれば、『死んでも惜しくない者』を立てるべきだろう。それが政治というものだ」
その言葉はヴァリーラの最後の理性を焼き切るには十分だった。
「お断りいたします!」
彼女は机を両手で叩き、身を乗り出した。
「これはわたくしの決闘です! わたくしの名誉の問題です! それを他人に任せるなど、臆病者のすること! オルレアンの名が泣きますわ!」
「黙れ!」
パァン、という乾いた音が執務室に響き渡った。
リシャールがヴァリーラの頬を打ったのだ。生まれて初めて父に叩かれた衝撃に、ヴァリーラは呆然と立ち尽くす。頬がじんじんと熱を持ち、目には涙が滲んだ。
「……貴様のわがままはもう聞き飽きた」
リシャールは打った方の手を握りしめながら、静かに、しかし決定的な宣告を下した。
「どうしても自分で出ると言うのなら、止めはせん。だがもし敗北すれば──その時は貴様を勘当する。二度とオルレアンの敷居を跨ぐことは許さん。それでも良いのだな?」
それは脅しではなかった。公爵としての、そして父親としての、最後の通告。
ヴァリーラは涙を拭うこともせず、父を真っ直ぐに見据えた。その瞳にはもはや迷いの色は欠片もない。
「……ええ、望むところですわ、お父様」
そう言い放つと、彼女は乱暴に扉を開け放ち、執務室を後にした。
一人残されたリシャールは力なく椅子に座り込む。娘の強情さは誰に似たのか。いや、他ならぬ自分自身だ。その事実に、彼は深く、深いため息をつくしかなかった。
◆
三日後。決闘の日は皮肉なほど晴れ渡っていた。
秋の高い空は澄み渡り、帝国魔術学院の広大な修練場を容赦なく照らし出している。円形の闘技場を取り囲む観客席はこの異例の決闘を一目見ようと集まった学生や教職員たちで埋め尽くされていた。
好奇、興奮、そしてかすかな不安。様々な感情が入り混じった視線が闘技場の中央に対峙する二人の男女に注がれる。
ヴァリーラ・ド・オルレアンは公爵家の紋章が刺繍された儀礼用のローブを身にまとい、その手には家宝である白銀の杖を握りしめていた。その表情は硬く、緊張と興奮でわずかに紅潮している。彼女は自らの勝利を信じて疑っていなかった。己が積み上げてきた研鑽と、血統に裏打ちされた魔力量。その全てをこの一戦に叩きつける覚悟だった。
対するイサク・サザーランドはいつもと変わらぬ学院の制服姿である。そのずんぐりとした体躯はこの晴れ舞台にはいかにも不釣り合いだ。彼は杖すら持たず、ただ無感動な表情でヴァリーラを見据えている。その姿はまるでこれから散歩にでも出かけるかのような気軽さだ。
立会人である学院長が厳粛な声で決闘の規約を読み上げる。
「──本決闘はアルバラ帝国法に基づき、両者の合意のもとに行われる。決着はどちらか一方が戦闘不能となるか、あるいは降参の意思を示した時とする。いかなる結果となろうとも両家はこれに異議を唱えないものとする」
学院長が一歩下がり、開始の合図である鐘が鳴り響いた。
その瞬間、先手を取ったのはヴァリーラだった。
「穿て! 『炎槍(イグニス・ランケア)』!」
短く、しかし力強い詠唱。白銀の杖の先端に魔力が集束し、瞬く間に一本の巨大な炎の槍が形成される。それは音速を超え、一直線にイサクの胸元へと飛来した。
観客席からどよめきが起こる。ヴァリーラの魔術の練度は学生のレベルを遥かに超えていた。その速度、威力、そして何より、詠唱の短さ。並の魔術師であれば、防御壁を展開する暇もなく、その身を焼き尽くされていたことだろう。
だがイサクは動かなかった。
彼はただ、静かに右手を前にかざし、こともなげに呟いた。
「『炎槍(イグニス・ランケア)』」
次の瞬間、信じがたい光景が展開された。
イサクの手のひらから、ヴァリーラが放ったものと全く同じ形状、同じ大きさ、そして同じ威力の炎の槍が放たれたのだ。
二つの炎槍は闘技場の中心で激突し、凄まじい爆音と熱波を撒き散らしながら、綺麗さっぱりと相殺された。まるで鏡写しのような光景に、観客たちは息を呑んだ。
「なっ……!?」
ヴァリーラが驚愕に目を見開く。偶然か? いや、違う。イサクの瞳は明確な意思を持って彼女の魔術を打ち消したのだ。
──馬鹿な! なぜ彼がわたくしの術式を!?
魔術の応酬において、相手の攻撃を防ぐ方法はいくつかある。防御壁を展開する、属性の相克を利用して打ち消す、あるいは単純に、より強力な魔術で押し潰す。
だがイサクが今行ったのはそのどれでもない。「相手が放った魔術を瞬時に解析し、全く同じ魔術を、全く同じ威力で撃ち返す」という、極めて異端で、そして非常識な離れ業である。
それは単純な防御よりも遥かに高度な技術を要求される。相手の詠唱、魔力の流れ、術式の構造。その全てを瞬時に理解し、完璧に模倣しなければならない。さらに、威力を寸分違わず調整し、的確なタイミングで衝突させなければ、相殺は成立しない。わずかでもずれれば、術式は暴発し、術者自身が危険に晒されることになる。
それをこの男は杖も使わず、こともなげにやってのけたのだ。
「まぐれよ! 『氷嵐(グラキエス・テンペスタス)』!」
ヴァリーラは動揺を振り払うように、次なる魔術を放つ。今度は広範囲を凍てつかせる氷の嵐。
「『氷嵐(グラキエス・テンペスタス)』」
しかし結果は同じだった。イサクは淡々と、その魔術を模倣し、相殺する。
「『雷霆(フルグール)』! 『岩弾(ペトラ・ミッシリス)』! 『風刃(ウェントゥス・ラーミナ)』!」
ヴァリーラは半狂乱になって魔術を連打する。だがその全てがイサクという名の完璧な鏡に阻まれ、虚しく消え去っていく。
観客席はもはや静まり返っていた。彼らは今、人智を超えた技巧の応酬を目の当たりにしているのだ。アガサ・メーベルのような熟練の魔術師でさえ、その光景に戦慄を覚えていた。
──なんという精度。なんという解析能力
ヴァリーラの魔力は膨大だがその消費は激しい。次第に彼女の呼吸が荒くなり、額には大粒の汗が浮かび始めた。対するイサクは依然として涼しい顔で立っているだけだ。その圧倒的なまでの実力差、いや、次元の違いが誰の目にも明らかだった。
「くっ……!」
焦燥と疲労、そして何より、自らの全力を尽くしてもなお、相手に傷一つ負わせられないという屈辱がヴァリーラの集中力を乱した。
その一瞬の隙を、イサクは見逃さなかった。
彼がわずかに右手を振るう。それだけの動作で、ヴァリーラが放とうとしていた風の魔術が制御を失い、彼女自身の足元で暴発した。
「きゃっ!」
突風に煽られ、体勢を崩すヴァリーラ。その拍子に、彼女の手から白銀の杖が滑り落ち、カラン、と乾いた音を立てて石畳の上に転がった。
魔術師にとって、杖を失うことは騎士が剣を失うことに等しい。それは事実上の敗北を意味していた。
静寂が訪れる。誰もが決着がついたと思った。
だがイサクは違った。彼はゆっくりと、ヴァリーラに向かって告げた。
「ほう。なかなか見事な魔術でしたよ、オルレアン嬢。特に、先ほどの『炎槍』。詠唱速度、威力、共に学生としては申し分ない」
その声はまるで講義室で学生のレポートを添削するかのような、平坦な響きだった。
そして彼はヴァリーラが行ったのと同じように、右手を前にかざした。
「ですが少しばかり無駄が多い。例えば、こうです」
イサクの右手に、魔力が集束し始める。その量は先ほどまでの比ではない。大気が震え、空間そのものが軋むような、凄まじい圧力が闘技場全体を包み込んだ。
「『炎槍(イグニス・ランケア)』」
放たれたのはヴァリーラが最初に放ったものと同じ魔術。しかし、その規模と威力はまるで違った。それはもはや槍などではない。城門を打ち砕く破城槌のような、巨大な炎の塊。その熱量は太陽の断片を思わせ、周囲の空気を焼き焦がしていく。
ヴァリーラは迫り来る破滅の光景に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。逃げることも防御することもできない。圧倒的なまでの力の差が彼女の心を絶望で塗りつぶしていく。
──死ぬ。
そう思った瞬間。
炎の塊はヴァリーラの鼻先数センチのところで、ふっと、まるで蝋燭の火を吹き消すかのように、跡形もなく消え去った。
後にはわずかな焦げ臭さと、沈黙だけが残される。
イサクは何事もなかったかのように、静かに講釈を続けた。
「ご覧になりましたか? あなたの術式は魔力の集束過程において、非常に多くのロスが生じている。原因は詠唱の際に含まれる不要な音韻と、それに伴う感情の昂りです。魔術とは感情で制御するものではない。論理と、冷徹な計算によって構築されるべきものです。あなたの魔術は威嚇や虚勢といった不純物があまりにも多すぎる。実に非効率的で、美しくない」
それは辛辣なまでの駄目出しだった。ヴァリーラが誇りとしてきた魔術の全てを、根底から否定する言葉。
「さて」
イサクはそこで言葉を切ると、床に転がった白銀の杖を顎で示した。
「決闘はまだ終わっていませんよ、ヴァリーラ嬢。杖をお拾いなさい。待って差し上げます」
それは慈悲ではない。敗北を認めさせ、そのプライドを完全に粉砕するための、悪魔的なまでの追い討ち。
ヴァリーラは歯を食いしばり、よろめきながら杖へと手を伸ばす。その瞳には再び憎悪と反抗の炎が灯る。彼女は杖を拾い上げると、それをイサクに向け、最後の力を振り絞って詠唱をしようとしたが──
その瞬間。
イサクが右足の踵を、トン、と軽く地面に打ち付けた。
「がっ……!?」
次の瞬間、ヴァリーラの体は見えない巨大な手に押し潰されたかのように、その場に崩れ落ちた。凄まじい重力が彼女の全身にのしかかる。指一本動かせない。呼吸すらままならない。
「な、にを……した……」
石畳に頬を押し付けながら、ヴァリーラはかろうじて声を絞り出した。イサクは詠唱していない。杖も使っていない。ただ、踵を打ち付けただけだ。
「この距離で詠唱などと……余りに悠長なものでね。少しばかり、重力を操作させていただきました」
イサクはゆっくりとヴァリーラに近づきながら、淡々と説明を始めた。その口調はまるで幼子に世界の理を説くかのようだ。
「『魔術には詠唱が伴う』──それはある意味で正しいですがある意味では致命的な誤りです。多くの魔術師はそう信じて疑わない。ですが詠唱とは一体何でしょうか?」
彼はヴァリーラの目の前で立ち止まると、その無様な姿を見下ろした。
「詠唱とは言葉です。そして言葉とは世界を定義し、固定するための記号に他なりません。我々魔術師は魔力という曖昧で流動的なエネルギーに、言葉という名の楔を打ち込むことで、それを特定の現象として発現させているのです。『炎よ出でよ』と唱えることで、魔力は『炎』という形を与えられ、現実に干渉する。つまり、詠唱とは自らの願いを限定的に叶えるための、極めて効率的な手段なのです」
イサクが語るのは魔術の本質に関わる深遠な理論。それは前世の言語学者としての知見と、この世界での魔術の研鑽が融合した、彼独自の解釈だった。
「ですがそれは同時に、魔術の可能性を制限する枷でもある。言葉という記号に頼る限り、その魔術は言葉の定義の範疇を超えることはできない。しかし、もしも術者が世界の理を深く理解し、言葉に頼らずとも魔力の流れを完璧にイメージし、制御することができたなら──」
彼はそこで言葉を切ると、再び、トン、と踵を打ち付けた。
「ぐぅううっ……!」
ヴァリーラにのしかかる重力がさらに倍増する。全身の骨が軋み、内臓が押し潰されるような圧迫感。
「詠唱など必要ないのですよ」
観客席は騒然としていた。無詠唱魔術。それは理論上は可能とされながらも実際に使いこなせる者はごく一握りだ。それをこの少年がいとも容易く行使している。
「さて、ヴァリーラ嬢。そろそろ終わりにしましょう」
イサクは冷たく言い放った。
「降参してはどうですか? そのままでは潰れて死にますよ」
だがヴァリーラは降参しなかった。彼女は血走った目でイサクを睨みつけ、震える唇で何かを呟こうとしている。その矜持だけが彼女をかろうじて支えていた。
「……ほう。まだその目ができるのですね」
イサクは感心したように言うと、三度目、踵を打ち付けた。侮辱する為ではない。油断ならぬと考えたからこその駄目押しである。
メキ、と。
ヴァリーラの体から、鈍く、嫌な音が響いた。どこかの骨が限界を超えた圧力に耐えきれず、折れたのだ。
「あ……がっ……!」
声にならない悲鳴が漏れる。
貴賓席でこの一部始終を見守っていたオルレアン公爵は歯を食いしばり、拳を固く握りしめていた。今すぐにでも飛び出し、決闘を中止させたい。だがそれはできない。これは娘が自ら選んだ道であり、公爵家の名誉がかかった戦いだ。
──頼む、ヴァリーラ。降参しろ。もう十分だ。
内心でそう叫び続けた、その時だった。
ふと、闘技場の中央に立つイサクがこちらを見ていることに気づいた。
公爵とイサクの視線が遠く離れた距離を超えて、交錯する。
イサクの瞳は相変わらず何の感情も映していなかった。だがその奥に宿る知性の光が何かを語りかけている。
リシャールはその目からイサクが言いたいことを読み取った。それは言葉によるものではない。政治家としての長年の経験と、直感だけが理解できる非言語的なメッセージであった。
一秒の百分の一ほどの時間の間に、リシャールの頭の中で数々の取捨選択が行われる。このままならばヴァリーラは間違いなく死ぬだろう。イサクが手心を加える性格ではないことは、この短い時間でリシャールは理解した。
その上で自身がヴァリーラをどう思っているのか、生きればどうなのか、死ねばどうなのか。数多の天秤が左、あるいは右へと傾いていく。
そうして──リシャールはゆっくりと、しかし確かに頷いた。
次の瞬間。
闘技場に、イサク・サザーランドの、よく通る声が響き渡った。
「──参りました。僕の負けです」
その言葉に、闘技場全体の時が止まった。
観客も学院長もそして床に這いつくばるヴァリーラ自身も何が起こったのか理解できなかった。
イサクはヴァリーラにかけていた重力魔術を解くと、彼女の前に恭しく膝をついた。
「オルレアン嬢。貴女の矜持、見事でした。僕の完敗です。先ほどの数々の無礼、心よりお詫び申し上げます」
そう言って深々と頭を下げると、イサクは呆然とするヴァリーラを残し、何事もなかったかのように、静かに闘技場を後にした。
後に残されたのは不可解な結末と、嵐が過ぎ去った後のような奇妙な静寂だけであった。