イサク様が私のために戦ってくださった──などと、そんな自惚れた考えを抱くほど、私はもう子供ではない。
確かに今の私は自分でもどうかしていると思うほどにあの方に心を奪われている。狂っていると言われても仕方がない。だがそれでも弁えているつもりだ。彼が私に向ける感情の裡に男女間の熱などというものはただの一欠片たりとも存在しないという事実を。
あの日、渡り廊下でヴァリーラ様と対峙した時、彼が助け舟を出してくださったのはひとえに彼の父君であるグレイル様への侮辱を許さなかったからに過ぎない。父君を心から敬愛する彼にとって、その父を貶める言動は自らの秩序を乱す不協和音。ただ、それを取り除いただけ。そこに私個人の感情が入り込む隙間など、ありはしないのだ。
そう、わかっている。
わかっているのに。
ああ、だというのにどうしてだろう。あの決闘の光景を思い出すだけで私の心臓は未だに狂ったように高鳴り、全身の血が沸騰するような熱を帯びる。
止めることができない。この想いの奔流を。
心が燃えているのだ。
あの日、修練場を埋め尽くす観衆の中で私は確かに見ていた。
ヴァリーラ様が放つ、学生の域を遥かに超えたであろう壮絶な魔術の数々。炎の槍が空を裂き、氷の嵐が大地を凍らせ、雷霆が天を揺るがす。そのどれもが必殺の威力を秘めていた。誰もが息を呑み、その力の奔流に圧倒されていた。
だがイサク様は違った。
彼はただ、そこに立っているだけ。杖すら構えず、表情一つ変えない。まるで猛る子供の癇癪をやれやれと眺める大人のように。
そして彼はヴァリーラ様の魔術をことごとく、完璧に模倣し、相殺してみせた。
圧倒的なまでの力に私はどうしようもなく魅了されてしまった。美しい、とさえ思ったのだ。
周囲の喧騒が遠のいていく。私の世界から音という音が消え失せ、視界にはただ、あのずんぐりとした、しかし何よりも雄々しい背中だけが映る。
頬が熱い。呼吸が浅くなる。学院の制服であるローブの厚い生地の下で肌がじっとりと汗ばむのがわかった。体の芯に奇妙な熱が灯る。それは下腹部のあたりで渦を巻き、疼き、何かを訴えかけてくるようだった。
気づけば、私の右手は知らず知らずのうちにローブの襞に隠れ、その熱の中心へと誘われていた。ごわごわとした生地越しにそっと、そこに触れる。
びくり、と自分の体が小さく跳ねた。
駄目だ。こんなところで。大勢の人が見ているのに。
理性ではそう思うのに指は私の意思に反して、そこを確かめるようにゆっくりと蠢く。生地のざらついた感触がむしろ内側の熱を際立たせる。
ああ、イサク様。もしあの場で貴方と向かい合っていたのが私だったなら。
貴方はわたくしの魔術も、こうして分析なさるのでしょうか。
わたくしの詠唱の癖を魔力の流れをその冷徹な瞳で暴き、そしていともたやすく……。
──『君の魔術は実に非効率的で美しくない』
彼の声が脳裏に響く。
それはヴァリーラ様に向けられた言葉のはずなのに、まるで私自身が言われたかのように背筋を甘い痺れが駆け下りた。
──『詠唱とは言葉です。そして言葉とは世界を定義し、固定するための記号に他ならない』
ああ、その声でわたくしを定義してください。
貴方の言葉という楔でわたくしを打ち付けて。
妄想の中で私は修練場の石畳の上に組み敷かれていた。彼はずんぐりとした体で私に乗りかかり、あのぽっちゃりとした、しかし骨張った指で私の全てを暴いていく。彼の口から紡がれるのは愛の言葉などではない。魔術理論の、冷徹で無機質な講釈。その声が耳元で響くたびに私の体は彼の意のままに反応し、浅ましい声を上げてしまう。
ローブ越しの指先にぐっと力が籠もる。
布地の上から硬くなったそこを押し込むと、喉の奥から、くぐもった声が漏れそうになった。
──『君の体は正直だ。僕に辱められることを望んでいる』
そうだ。そうなのだ。わかっている。
これは恋などではない。もっとずっとどうしようもない屈服への渇望。
あの圧倒的なまでの力の前に知性の前にひれ伏し、蹂躙されたいという、抗いがたい欲望。
そして唐突に決闘は終わった。
彼のあまりにも不可解な敗北宣言によって。
きっとそこにも深い考えがあるのだろう。
彼の中で“正解”があって、その方向こへ舵を取ったに過ぎないのだ。
力だけではなく、知をも兼ね備えているイサク様。
この燃え盛る心をこの疼く体をどうすれば良いというのか。
そう、答えは分かっている。
今すぐ私は、彼に──犯されたい。