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その夜、イサクは学院の寄宿舎を抜け出し、一台の馬車に揺られていた。
車窓の外を流れる帝都の夜景に目をやるでもなく、彼はただ静かに思考の海に身を沈めている。馬車の紋章はオルレアン公爵家のもの。日中の決闘が終わってから数時間後、果たして公爵家からの使いはイサクの元を訪れた。全ては彼の予測の範囲内である。
イサクは安堵していた。オルレアン公爵リシャールが決闘の裏にある政治的力学を理解できる、話の通じる人間であったことに。もし彼が娘の可愛さだけで動くような凡庸な貴族であったなら、事態はより複雑化していただろう。あの場でヴァリーラを完膚なきまでに叩きのめし、その尊厳を公衆の面前で踏みにじることは赤子の手をひねるより容易い。だが、それはオルレアン公爵家、ひいては帝国貴族社会全体を敵に回すに等しい愚行。サザーランド侯爵家という脆弱な地盤の上に立つ彼にとって、それはあまりにも割に合わない選択であった。
故に勝てる戦をあえて放棄したのだ。ヴァリーラのプライドを砕くのではなく、その父であるリシャールの理性に訴えかけるために。
──『この落とし前は、貴方がつけるのですよ』
決闘の最中、イサクが視線で送ったのはそのようなメッセージ。そして公爵はそれを見事に読み解き、最悪の事態を回避するための取引に応じた。実にクレバーな男である。
やがて馬車は壮麗なオルレアン公爵邸の前に静かに停止する。
通された執務室は、重厚な書架と高価な調度品で埋め尽くされていた。暖炉の火が、壁にかけられた歴代当主たちの肖像画を不気味に照らし出している。その中心で、リシャール・ド・オルレアンは客人を待っていた。そして、その傍らの床には──
ヴァリーラがいた。
彼女は昼間の儀礼服ではなく、生まれたままの姿でそこにいた。純白の肌は暖炉の光を浴びて艶めかしくさえあるが、その体は屈辱と恐怖に小刻みに震え続けている。長い金髪は乱れ、床に正座させられたその姿は、もはや誇り高き公爵令嬢のそれではない。ただ、これから裁きを受ける罪人のようであった。
「よく来てくれた、イサク君」
リシャールは疲労の滲む声で言った。
「昼間の件、君の配慮には感謝する。……この借りは、いずれ必ず返そう」
「お気になさらないでください、公爵閣下。全ては、あるべき秩序を守るための、ささやかな調整に過ぎません」
イサクは淡々と応じる。その言葉の裏にある冷徹な計算をリシャールは正確に理解していた。
「さて」
公爵は本題に入った。
「この愚かな娘の処遇だが……君に一任したい」
その言葉にヴァリーラの肩がびくりと跳ねる。
「本来であれば、決闘に敗れた者は勝者の所有物となるのが古の習わし。家門の名誉を汚したこの娘にもはやオルレアンを名乗る資格はない。……君が望むなら、この娘に『魔術紋』を刻むことを許可しよう」
魔術紋。それは簡単に言えば隷属の魔術だ。対象者の肉体に魔力で紋様を刻み込むことにより、その者の自由意志を完全に奪い、所有者の命令に絶対服従させる禁断の術式である。一度刻まれた紋は消すことができず、刻まれた者は死ぬまで所有者の道具として生きることを強いられる。それは単なる主従関係ではない。魂の根幹にまで及ぶ、絶対的な支配。
リシャールは己の娘を物としてイサクに差し出したのだ。その瞳の奥には、苦渋と共に老獪な政治家としての冷徹な計算が光っている。この恐るべき才能を持つ少年を娘を贄とすることで自らの陣営に取り込む。そして万が一、この娘が彼の子を成せば、オルレアンの血にサザーランドの規格外の魔術の才能が混じることになる。
──なるほど。そういうことか。
イサクは公爵の深謀遠慮を即座に見抜いた。ここで断ることもできる。だがそれは、この老獪な狐に不要な警戒心を抱かせるだけだ。今はまだ彼らと事を構えるべきではない。
「……閣下のお心遣い、痛み入ります。そのご提案、謹んでお受けいたします」
イサクが静かに頭を下げると、リシャールは満足げに頷いた。そして、床に震える娘に非情な命令を下す。
「ヴァリーラ」
「……はい」
か細い声が執務室の静寂に溶ける。
「彼にお前がまだ誰のものでもないという証をその手で示しなさい」
「……え?」
ヴァリーラの思考が一瞬停止した。父が何を言っているのか理解できなかったのだ。
「聞こえなかったのか。脚を開き、お前の純潔の証をその指で開いて見せろと言っているのだ。これからお前の主となる彼に対して、商品に瑕疵がないことを証明するのは当然の礼儀であろう」
その言葉の意味を理解した瞬間、ヴァリーラの顔から完全に血の気が引いた。全身の力が抜け、崩れ落ちそうになる体を最後の意地だけで支える。
「いや……いやです、お父様……! それだけは……!」
涙声の懇願はしかし、リシャールの氷の仮面を溶かすことはない。
「やれ」
短く、冷たい命令。それはもはや、父親が娘にかける言葉ではなかった。
ヴァリーラはわなわなと震えながら、ゆっくりと、本当にゆっくりと両膝を左右に開いていく。成熟した太腿が露わになり、その中心にある秘められた裂け目が暖炉の光に照らし出される。
そして、震える右手を自らのその場所へと伸ばした。指先が、熱く湿った感触に触れる。その生々しさに彼女の精神は悲鳴を上げた。
涙がぽたぽたと床の絨毯に染みを作っていく。
──ああ、私は、獣だ。これから値踏みされる、ただの牝なのだ。
そんな事を思いながら、ヴァリーラはゆっくりと、震える指で肉の襞を押し開いた。
その全てをイサクはただ無感動な瞳で見下ろしていた。
熟れた果実も悪くはないが、青い果実が腐り落ちていく様を観察するのもまた一興か──と、そんなことを考えていた。