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ある日の放課後──帝国魔術学院の大図書館、西棟三階。
帝国法の書架が並ぶその一角、人払いの魔術によって外界から隔絶された書架と書架の狭い隙間。
そこで、いつもの
清掃婦のマージは床に膝をついたまま、口内に放たれた白濁の全てを一滴残らず喉の奥へと流し込む。ねばつく液体が食道を下っていく生々しい感触はいつまでたっても慣れるものではなかった。マージはイサクにこの様な事をさせられるまで、他者のペニスを口に含んだ事などなかったのだ。
全てが終わると、イサクは手早く身なりを整えた
「ご苦労様です」
そう言って懐から金貨を一枚取り出し、ぐったりと床に座り込むマージの手のひらに握らせようとした。
だが、マージはその手を受け取ろうとはしなかった。
彼女は俯いたまま、そのぽっちゃりとした体を小刻みに震わせている。その様子はいつもの、行為後の気怠さや羞恥とは明らかに質が異なっていた。もっと切実で、追い詰められた獣のような気配が彼女の全身から滲み出ていた。
「……どうしました」
イサクは怪訝な表情を浮かべることなく、ただ事実確認として尋ねた。
「もし、この行為がどうしても厭だというのなら、別に無理強いはしませんよ」
もしマージがここで拒絶すれば、二人の関係は終わりを告げる。それは彼女が息子の治療費を稼ぐための貴重な収入源を失うことを意味していた。
無論イサクには脅迫のつもりはない。脅迫とは時と場所と相手を選んでするものであって、マージの場合はそのいずれにも当たらない。互いの条件が噛み合わないためビジネスが終了する──ただそれだけの話である。
マージはハッとしたように顔を上げ、血走った目でイサクを見つめるとぶんぶんと首を横に振った。違う、そうではないのだと。
「あ、あの、サザーランド様……そのう、もし、その……」
何かを言いかけては躊躇い、言葉が続かない。その煮え切らない態度に、イサクはすぐにピンと来た。
「上の口だけではなく、下の口を使えば幾ら貰えるのか、ですか?」
先回りしたようにイサクが尋ねると、マージは息を呑み、そしてゆっくりと頷いた。その頬は羞恥で赤く染まっている。
「あなたは確か、亡くなったご主人に悪いからと、それを最初に拒否したはずでは?」
「っ……はい……」
イサクの記憶力は正確だった。それはマージがこの屈辱的な行為を受け入れる中で、かろうじて守り抜こうとしていた最後の矜持だったのだ。
「なるほど」
イサクは顎に手を当て、思考する。マージが自らの矜持を曲げてまで、さらなる金銭を必要とする理由。それは一つしかない。
「とすれば、息子さんのご容態が?」
「な、なぜそれを……」
マージの目が驚愕に見開かれた。まるで心を読まれたかのような反応だが、イサクにとっては単なる論理的帰結に過ぎない。
「考えればわかる事です。あなたの人となりや事情を調べた上で、このビジネスを持ち掛けたわけですから。貴女が最後の矜持を捨ててまで金を得ようとする理由など、それ以外に考えられない」
イサクの口調はどこまでも事務的だ。
彼がマージを選んだのは決して行き当たりばったりではない。射精さえできれば誰でも良いというわけではないのだ。人間とは様々だ。善良な者もいれば、悪辣な者もいる。もし後者のような人間に手を出せば、ゆくゆくはサザーランド侯爵家を巻き込むような面倒へと発展する可能性も否定できない。
確かにこの帝国において平民の人権など吹けば飛ぶようなものだが、それでもなけなしの人権らしきものは存在する。学院内で性的な強要をしたとなれば、それはイサクの経歴に間違いなく瑕をつけるだろう。彼は常にリスクを計算し、最も効率的な手段を選び取る。マージはその計算の上で選ばれた最も安全で、そして最も都合の良い存在だったのだ。
「……息子が、あと数日のうちに、新しい薬を使わなければ、もう……」
マージの目から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。これまで堪えていたものが、堰を切ったように溢れ出す。
イサクはその涙に濡れた顔をしばらく無感動に眺めていた。イサクの心には同情も憐憫も湧いてこない。勿論嘲笑の念もない。ただ目の前で起こっている現象を冷静に分析しているだけだ。やがてイサクは懐から小さな革袋を取り出した。チャリン、と重々しい金属音が響く。
「ここには金貨が十枚入っています──が」
イサクはマージの瞳を真っ直ぐに見据えながら、言葉を続けた。
「そもそも、息子さんの病に使用している薬は対症療法としてのものでしょう?」
「た、たいしょ、う……?」
彼女の口から、間の抜けたオウム返しが漏れる。
「ええ。病の根本的な原因を取り除くのではなく、表面に現れた症状を一時的に和らげているに過ぎない。違いますか? 高熱が出れば解熱剤を、痛みがあれば鎮痛剤を。ですが、それは病そのものを治しているわけではない」
イサクの解説は明快だが残酷だ。
「それではいくら金があっても足りません。例えるならば底の抜けた桶に水を注ぎ続けるようなものです」
マージも薄々は感づいていたのだ。医者の煮え切らない態度、日に日に増えていく薬の種類、そして一向に快方に向かわない息子の容態。それら全てがこの治療が決して根本的な解決にはなっていないことを示唆している。だが、彼女はその現実から目を逸らし続けてきた。希望に縋らなければ耐えられない、そんな時。人はそれが頼りない藁であっても掴んでしまうものなのだ。
「そんな……では、あの子は……」
「今のままでは、いずれ死ぬでしょうね」
マージの顔から急速に血の気が引き、その体は絶望の重みに耐えきれず、その場に崩れ落ちそうになる。
その肩をイサクのぽっちゃりとした手が、しかし意外なほど力強く支えた。
「ですが、それはあくまで『今のままでは』という仮定の話です」
地獄の底に差し込んだ一条の蜘蛛の糸のようにマージの鼓膜を震わせるイサクの声
「僕が言いたいのは、もっと効率的な方法があるかもしれない、ということです」
「こ、効率的な、方法……?」
「ええ。例えばその病の根本原因を特定し、それを取り除くための全く新しい術式を構築する、とか」
魔術師が病を治す──イサクが口にしたのは、この世界の常識からはかけ離れた提案だった。
「サ、サザーランド様は神官様でもいらっしゃるのですか……?」
マージの問いはこの帝国社会の常識に基づいたごく自然なものだった。
帝国において、神官と魔術師は全く異なる存在として認識されている。
神官とは文字通り神に仕える者。彼らが振るう癒やしの力は、あくまで神がもたらす奇跡の代行に過ぎないとされる。その力の源泉は個人の才能や知識ではなく、ひとえに揺るぎない信仰心にこそある。故にその力の発現は不安定で、神の御心次第という側面が強い。
そして奇跡には相応の対価が求められる。高位の神官に治療を依頼するには莫大な寄進が必要だ。死に瀕する病ともなれば、金貨十枚など到底足りない。マージが神官に頼らなかったのにはそういった現実的な理由があった。
対して魔術師とは世界の法則、すなわち「理(ことわり)」そのものを探求し、それを自らの知識と魔力によって操作する者たちである。彼らの力は神からの借り物などではない。血の滲むような研鑽の末に、自ら掴み取った技術だ。彼らは祈るのではなく、分析し、理解し、そして支配する。癒やしの術も行使はするが、それはあくまで物理的な外傷の治癒などに留まり、病という複雑な生命現象そのものに干渉することは魔術の領域ではないとされている。
だが、イサクの考えは違っていた。
彼は常々、神官も魔術師も本質的には違いはないと考えていた。奇跡と呼ばれる現象を引き起こすという点において、単にアプローチが異なるだけであると。神への祈りも、魔術の詠唱も、それは等しく「言葉」である。言葉という記号を用いて世界を定義し、その在り方を書き換える行為。ならば生命活動もまた、一つの言語体系として捉えることができるのではないか。
イサクは今、病という生命現象そのものを一つの複雑な術式とみなし、それを言語学的に「解読」できないかと考えていた。肉体を構成する細胞が発する微弱な魔力の流れを「音韻」として捉え、それらが組み合わさって形成される生命活動を「文法」として理解する。そして、その構造的欠陥──すなわち病巣を特定し、修正するための新たな「記述」を構築する。それは生命という名のプログラムに対する、極めて論理的な介入である。
「僕はただの術師です」
イサクは淡々と告げる。
「ただ、僕が考えている事がうまくいくかどうかはまだわかりません。失敗してしまうかもしれませんね。最悪の場合、あなたの息子さんはその場で死んでしまうでしょう。もしかしたら、薬を飲み続けていた方が長生きできたという事にならないとも言い切れません」
その言葉には慰めも期待を持たせるような甘さも一切ない。ただ冷徹なまでの可能性と、それに伴うリスクだけが提示される。マージは息を呑んだ。目の前のこの青年は悪魔なのか、それとも救世主なのか──その判断がつかない。だが、その瞳の奥に宿る底知れぬ知性の光が彼女に奇妙な信頼感を抱かせた。
「どうしますか、マージ。底の抜けた桶に、貴女の尊厳と肉体を注ぎ込み続けますか? それとも、万に一つの可能性に賭けてみますか?」
「サ、サザーランド様……は、どうすればよいと、思いますか……」
マージは目に涙を浮かべて問うた。誰かに決めてほしかった。この重すぎる選択を、自分一人で背負うことなどできなかった。
だがイサクは答えない。彼の目は「あなたが決めるのです、マージ」と雄弁に語っていた。
ややあって、マージは床に額をこすりつけるようにして、深く、深く頭を下げた。
「お、お願い、いたします……! どうか、あの子を……あの子を、お助けくださいませ……!」
「良いでしょう」
イサクは短く応じると、床に這いつくばるマージのくすんだ色の髪を乱暴に掴み上げる。
「ぐっ……!」
痛みに顔をしかめるマージ。その口にイサクは自らの、再び熱く昂り始めたペニスをねじ込んだ。それは先ほどまでの事務的な行為とは明らかに違う。もっと深く、もっと暴力的な挿入。
「んぐぅっ……!?」
「契約成立です」
イサクはマージの頭を片手で固定したまま、冷たく言い放った。
「貴女ができうる技巧の限りを尽くす事です。僕も術の限りを尽くすのですから。お互いにベストを尽くす──
そうしてマージは、必死にイサクの欲望に応えようとその口内を蠢かせた。
ずちゅ、ぐちゅ、と卑猥な水音が、知の殿堂の片隅に響き渡る。
マージは苦しさに嗚咽を漏らしながらも、決してその動きを止めなかった。舌を這わせ、吸い付き、喉の奥までその熱い塊を受け入れる。息子の命がかかっている。その一念だけが彼女を突き動かしていた。その動きには、先ほどまでの躊躇いや羞恥の色はない。ただ、イサクに全力で奉仕するという純粋な目的にのみその意識は集中していた。
イサクはその様子を無表情で見下ろしている。その瞳には何の感情も浮かんでいない。だが、その口元に僅かに満足の色が浮かんでいた。