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アルフォンス・ド・ロンドブル(学院生活①参照)は自らの完璧さを疑ったことがない。
ロンドブル公爵家嫡男。陽光を溶かし込んだような絹糸の金髪、古代の彫像もかくやという彫りの深い顔立ち。すらりと均整の取れた長身痩躯。その姿は吟遊詩人が謳い上げる物語の王子様そのものだ。学院の廊下を歩けば、令嬢たちがうっとりとため息をつき、同性の生徒たちは羨望と嫉妬がないまぜになった視線を向ける。
当然である。血統、容姿、そしてそれなりの知性。全てを与えられた自分こそがこの世界の中心に立つのに相応しい。
だがその完璧な外殻の内側に詰まっているのは煮詰まった自尊心と凝り固まった選民思想だ。他者を見下し、公爵家の権威を自らの手柄のように振りかざす。要するに、絵に描いたような俗物である。本人はそれを高貴なる者の責務(ノブレス・オブリージュ)と信じて疑わないのだから性質が悪い。
そんなアルフォンスには目下、どうにも我慢ならない存在がいた。
イサク・サザーランド。
あのずんぐりとした、芋虫のような男。
かつてサロンで言い負かされた屈辱は今も胸の奥で燻っている。あれは単なる言葉の綾、油断しただけだ。そう自分に言い聞かせても、あの男の感情の読めない灰色の瞳を思い出すたびに、腹の底が冷えるような不快感を覚える。
だがアルフォンスがイサクを憎む理由はそれだけではない。いや、むしろそれは些細なきっかけに過ぎなかった。
彼が何よりも許せないのはセシリア・クラインフェルトがあの男にべったりと張り付いているという一点に尽きる。
そう、アルフォンスはセシリアが気に入っていた。
セシリア・クラインフェルト。そばかすの散った顔に、地味な栗色の髪。学院に咲き誇る大輪の薔薇や百合のような令嬢たちの中で、彼女はまるで誰にも気づかれない野スミレのようだ。
それがいい。
アルフォンスは派手な女が嫌いだった。ヴァリーラ・ド・オルレアンのように、自らの美貌と家柄を誇示し、甲高い声で自己主張を繰り返す女など、騒々しいだけで何の魅力も感じない。あれは鑑賞するには良いが手元に置くにはあまりに面倒だ。
女とは男の後ろを三歩下がって歩き、その存在を主張しすぎず、しかし確かな温もりで男を支えるべきもの。セシリアの控えめな佇まい、目立たないが整った顔立ち、そして何より、その「地味さ」こそがアルフォンスの支配欲と庇護欲を心地よく刺激した。彼女は決して自分以上の輝きを放つことはない。常に自分を引き立て、傅き、そして何より、従順であるはずだ。
──あの子は僕が磨いてやらねばならない原石だ。いや、原石ですらないかもしれない。ただの石ころ。だからこそ良い。
そんな傲慢な確信があった。自分の隣に立たせ、上等なドレスと宝石で飾り立てれば、彼女はそれなりに見栄えがするだろう。そしてその輝きは全て自分のおかげだと、従順な瞳で感謝を示すはずだ。想像するだけで、口元が緩む。
だというのに。
その石ころがこともあろうにあの豚の周りを、まるで従者のようにちょこまかと付き従っている。講義室で、図書室で、食堂で。常にイサクの傍らに侍り、その凡庸な横顔を熱の籠もった瞳で見つめているのだ。
──僕のセシリアが。
その光景を見るたびに、アルフォンスの完璧な顔が憎悪に歪んだ。
とはいえ、アルフォンスもただの馬鹿ではない。その頭脳は明晰であり、政治的な駆け引きにも長けている。
あのヴァリーラとイサクの決闘。あれを見て、イサクが単なる庶子、単なる肥満豚ではないことは理解していた。
魔術の相殺、無詠唱での重力操作。あれは学生のレベルを遥かに超えている。少なくとも、これまで見てきた中でもピカ一の業前であると認めざるを得なかった。正面からぶつかって勝てる相手ではない。
そして恐らくは家の力を以てしても、どうこう出来はしないだろう。
決闘の終わり方があまりにも不自然だったからだ。圧倒的に優位に立っていながら、イサクは自ら敗北を認めた。あれは間違いなく、オルレアン公爵家との間に何らかの約定が結ばれたに違いない。
もし、ロンドブル公爵家の嫡男である自分がサザーランド侯爵家と表立って敵対すれば、オルレアン公爵家をも敵に回すことになりかねない。帝国貴族社会という名の、複雑怪奇な力学の中で生き残るためにはそれは避けるべき事態だ。
──だが。
だからといって、セシリアを諦める気にはならなかった。
アルフォンスは自室の書架から一冊の古びた書物を取り出す。東方の島国から伝わった、兵法書だ。
『敵を知り己を知れば百戦危うからず』
それはかの国の軍師の言葉。まずは敵を知ること。奴の弱点を、その思考パターンを、徹底的に分析する必要がある。
そしてその書にはこうも記されている。
『石を掘っては三年』
鉱人(ドワーフ)と呼ばれる亜人の特徴を言い表した言葉だ。彼らは硬い岩盤に当たっても、三年間は諦めずに掘り続ける不屈の精神を持つ。だからこそ希少な金属を掘り当て、高品質な武具を打ち出すことができる。忍耐の尊さを説いた一節。
アルフォンスは満足げに頷くと、鏡に映る自らの完璧な姿を見つめた。焦る必要はない。これは知略と忍耐を駆使した、長く困難な戦いなのだ。
「あの邪悪な豚を除くためには逆に懐へ飛び込むしかあるまい」
そう決意したアルフォンスはイサクに近づくことにした。物理的にも、そして精神的にも。
◆◆◆
アルフォンスの懐柔作戦は翌日から早速開始された。
それは傍から見れば、涙ぐましい努力と、そしてどうしようもない滑稽さに満ちたものだった。なにせ彼は他人に媚びを売るという経験が皆無なのだ。
午前の古代語の講義。イサクがいつものように後方の席に着くと、アルフォンスはまるで偶然を装うかのように、その隣に腰を下ろした。普段なら取り巻きを引き連れ、最前列の特等席を陣取る男がである。
「やあ、サザーランド君。ここ、空いているかな」
努めて爽やかな笑顔を浮かべるアルフォンス。その笑顔は完璧に計算されているはずだったがイサクに向けられるそれはどこかぎこちなく引きつっている。まるで仮面を貼り付けたかのようだ。
「……ええ、どうぞ」
イサクは読んでいた本から顔を上げると、感情の読めない声で短く応じた。その態度は礼儀正しいが歓迎している様子は微塵もない。慇懃無礼とはまさにこのことだろう。
講義が始まる。アルフォンスはイサクの気を引こうと、必死だった。
「今日のテーマはなかなか興味深いな。特にこの部分の解釈だが……」
教科書の記述を指差しながら、わざとらしく話しかける。イサクが少しでも反応すれば、そこから会話を広げるつもりだった。
「……講義中は私語を慎まれた方がよろしいかと」
だがイサクは一瞥もくれずにそう言い放つ。アルフォンスの完璧な横顔が屈辱にわずかに歪んだ。
──この豚め。僕がわざわざ話しかけてやっているというのに。
内心で毒づきながらも、アルフォンスは諦めない。『石を掘っては三年』だ。
今度はイサクがノートにペンを走らせる様子を、感心したように覗き込む。
「ほう、君の筆記体は美しいな。まるで印刷されたかのようだ」
苦し紛れの褒め言葉。イサクの字が特別美しいわけではない。ただ几帳面に整然と並んでいるだけだ。
「恐縮です」
イサクは淡々と返す。会話はそこで終わった。
居心地の悪い沈黙が二人の間に流れる。周囲の学生たちはこの奇妙な組み合わせを遠巻きに眺め、ひそひそと噂話を交わしている。その視線がアルフォンスの神経を逆なでした。
この作戦、想像以上に難易度が高い。
そんなアルフォンスの不審な行動を、最も敏感に察知している者がいた。
セシリア・クラインフェルトである。
講義が終わった後、教室を出ようとするイサクに、セシリアは小走りで駆け寄った。
「イサク様!」
その声にはいつもの明るさだけでなく、切迫した響きがあった。
「イサク様、お気をつけくださいまし」
「何がです、セシリア」
最近、名を呼ぶようになったことで、二人の距離はわずかに縮まっている。もっとも、それはセシリア側の一方的な認識だが。
「アルフォンス様のことですわ。あの方が急にイサク様に近づいてくるなんて、絶対に何か良からぬ事を企んでいるに違いありませんわ」
セシリアは真剣な表情で訴える。彼女にとって、イサクの平穏を乱す者は全て敵なのだ。
イサクはセシリアの忠告を聞きながら、内心で深く同意していた。
──確かに、気持ち悪い。
あの完璧な容姿の男が自分のようなずんぐりとした男に媚びを売るように近づいてくる。その意図は不明だが生理的な嫌悪感を覚えるのは事実だった。もしや男色の気でもあるのではないか。そんな疑念すら湧いてくる。
「ええ、忠告感謝します。僕も注意しておきましょう」
イサクは素直に頷いた。その言葉にセシリアは安堵の表情を浮かべる。
それからも、アルフォンスのコンタクトは続いた。図書室で、中庭で、彼は神出鬼没に現れてはイサクに話しかけようとする。その度に空回りし、周囲の失笑を買う。実に健気な努力である。
ある日の昼食時。食堂で一人食事をとっていたイサクの前に、トレイを持ったアルフォンスが姿を現した。
「ここ、よろしいかな」
断られる前に、彼は強引にイサクの向かいの席に腰を下ろす。イサクは小さくため息をついた。
「……どうぞ」
しばらくの間、気まずい沈黙が流れる。アルフォンスは意を決したように、フォークを置くと、イサクの目を真っ直ぐに見据えた。
「サザーランド君。単刀直入に聞こう」
その声はいつになく真剣だった。
「君はどのような女性が好みなんだ」
イサクはその問いかけにわずかに眉をひそめた。無理もない。こんな衆人環視の中で話す話題ではない。だがこれはアルフォンスの作戦なのだ。
──庶子の如き俗物ならば、こういう話が好きだろう。
アルフォンスという男はこれでいて案外に書を好む。それも、どちらかというとエンタメ寄りの書を。だからこそ、庶民というものが何を好むか知った気になっていた。
ここで困ったのはイサクである。
──さて、どう答えたものか。
正直に「熟女が好きだ」などと答えれば、面倒なことになるのは目に見えている。どうにかしてこの男に去ってもらわねばと考えを巡らせるイサク。
イサクが返答に窮していると、アルフォンスはそれを肯定と受け取ったのか、勝手に語り始めた。
「僕は派手な女はダメなのだ」
唐突な告白だった。
「着飾ることばかりに夢中になり、自らの価値を声高に主張するような女は好かん。女とはもっと慎み深く、知性的であるべきだ。そうは思わないか」
その言葉はアルフォンスの本心だった。そしてそれは期せずしてイサクの好みとも一致していた。
イサクもまた、派手な女は好みではない。彼が好むのは知性と経験を重ね、内側から滲み出るような複雑な魅力を持つ女性だ。方向性は全く異なるが「派手な女は嫌い」という点においては二人の意見は完全に合致していた。
「……ええ、まあ、そうですね」
思わず、イサクは同意してしまった。
その反応に、アルフォンスの顔がぱっと輝く。
──ほう。コイツ、中々分かっているな。
アルフォンスは内心で少し感心した。
──この豚、見た目はともかく趣味は悪くはないようだな。
そんな事を考えたアルフォンスは破顔する。
「そうだろう! やはり君とは話が合うと思っていたのだよ!」
アルフォンスは上機嫌でテーブルを軽く叩いた。
当初は徒労にも思えた「石掘り」は思わぬ鉱脈を掘り当てたのかもしれない。