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イサク・サザーランドは一部の、というより大部分の同級生から敬遠されていた。
理由はいくつかある。あのオルレアン公爵令嬢を(表向きは敗北だが実質的に)完膚なきまでに叩きのめした圧倒的な魔術の才。そして何より彼の纏うどこかとっつきづらい雰囲気である。
決して無礼ではない。むしろ慇懃なほどに礼儀正しい。素行が悪いわけでもない──まあ、これは表向きの話だが。しかし彼と対峙した者は感じてしまうのだ。目に見えない壁のようなものを。
──私はここまで線を引きました。これ以上は近寄らないでくださいね。
そんな無言の圧。
イサク自身、あえてそうしているわけではない。単に彼の生き方そのものがまあ率直に言ってしまえば「陰キャ」のそれに染まりきっているというか、そんな感じなのである。
とはいえ、イサクは他者との交流を軽視しているわけでもない。むしろ研究における難局(ボトルネック)の解消は他者との何気ない会話がきっかけになるケースが多いことをイサクは前世──虻川伊作としての経験からよく知っている。セシリアの助言がレオの治療に繋がったのが良い例だ。
ではなぜ、自分から積極的に学友たちと関係を構築しようとしないのか。
その理由は一言でいえば、“貴族”という存在そのものにあまり良い印象を抱いていないからであった。この辺の感覚は転生する前のものを色濃く引きずっていると言えよう。
虻川伊作の人生は率直に言ってあまり良い生まれ、育ちとは言えない。裕福とは程遠い家庭環境。学費を稼ぐために身を粉にして働き、それでもなお、言語学という金にならない学問に全てを捧げてきた。それは苦難の連続であり、同時に彼にとっての誇りでもあった。
対して、学院に集う貴族の子弟たちはどうか。
生まれながらにして家柄に恵まれ、金に困ることもない。勉強も、自分がしたいものを好きなだけ出来る。彼らにとって学問とは教養であり、暇つぶしであり、あるいは将来の栄達のための道具に過ぎないのではないか。
もちろん、人は人、自分は自分だ。そんな理屈はイサクにも分かっている。分かってはいるのだがそれでも腹の底で、どす黒い熱泥のような感情がぐつりと煮えるのだ。
持たざる者が持つ者に向ける、嫉妬と怨嗟の入り混じった感情──ルサンチマンというやつだった。
ただ、そんな拗れた思いを他人にぶつけたところで仕方がない。そしてイサク自身、自分がそんな矮小な感情を抱いていることを心のどこかで深く恥じている。
だからこそ彼は壁を作る。自らの内なる醜さを他者に悟られないために。そして、他者の無邪気な眩しさに自らの心が焼かれないために。実に面倒な性格である。
そんなイサクの複雑な内面など知る由もないアルフォンス・ド・ロンドブルは今日も今日とて、彼なりにイサクとの距離を縮めようと奮闘していた。
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「ふむ、サザーランド──いや、イサク。僕は君を少々誤解していたかもしれないな」
イサクとアルフォンスの、奇妙な交流が始まってひと月ほど経った頃。その日の最後の講義が終わるや否や、アルフォンスがイサクの席に近づいてきて、そんな事を言った。
まるで長年の親友に語りかけるような口調。いつの間にかファーストネームで呼んでいるがイサクがそれを許可した覚えはない。アルフォンスの中では二人はすでに強固な友情で結ばれているという認識らしい。
「はあ」
イサクの返事はいつも通り気が抜けていて、どこか間の抜けたものだった。
「その者の人品というものは異性の趣味を見ればわかるものだ」
アルフォンスは得意げに語り始めた。彼の中で、イサク・サザーランドという男の評価がようやく定まりつつあったのだ。
「はあ。そうですか」
「青き血を引く者であっても、誰もが貴族(ノブレス)足りえる品格を備えているとは限らない」
アルフォンスは教え諭すように人差し指を立てる。
「そうかもしれませんね」
イサクは教科書を鞄にしまいながら、適当に相槌を打った。早くこの場を離れて、アガサの研究室に行きたい。あの古紙とインクの匂いに満ちた空間で、彼女と高度な魔術理論について語り合う時間こそが今のイサクにとっての数少ない癒しなのだ。もちろん、その後の「お愉しみ」も含めて。
だがアルフォンスはイサクのそんな心中を察する事もなく、熱弁を振るい続ける。
「中にはひどい趣味を持つ者もいるのだ。きらびやかな外見に騙され、中身を見ようとしない者など数知れず! 例えば、あのオルレアンのじゃじゃ馬娘のような女を好む者など、僕には到底理解できないね」
それはヴァリーラ・ド・オルレアンへの痛烈な皮肉であり、同時に「派手な女は嫌いだ」という点で意見が一致したイサクへの、彼なりの賛辞でもあった。
「それはロンドブル殿のこ、いえ、それはまあ……遺憾な事ですね」
イサクは危うく「それはロンドブル殿の個人的な感想ですよね」と言いそうになったが寸でのところで言葉を飲み込んだ。
「うむ。その点、君は悪くない。見かけ通り、君の性根はどっしりと安定している様だな」
アルフォンスは満足げに頷いた。
「はあ」
この辺りになるとさすがにイサクも内心でうんざりしていた。
──どっしりと安定している、か。
褒められているのか貶されているのか判然としない。だがだからといって勘気を発するようなことはない。イサクは確かに女に対して支配的な欲求を見せることもあるが基本的には温厚なのだ。面倒事を嫌う、事なかれ主義者とも言える。
まあ、何をされても怒らないというわけでもなく、父グレイルを馬鹿にされた時の様に超えてはならない一線はきちんと存在するのだが。
アルフォンスはイサクの反応が薄いことを「同意」と解釈した。そして、いよいよ本題を切り出す時が来たと判断する。
「だから、明日の休みはあけておきたまえ」
それは提案ではなく、決定事項を告げる口調だった。
「なぜです?」
イサクは怪訝そうに眉をひそめる。
「良いところへ連れて行ってやろう、というのだ」
アルフォンスは声を潜め、イサクの耳元に顔を近づけた。甘ったるい香水の匂いが鼻につく。
「君も何となくわかるだろう? 色街だよ……それも、高位貴族御用達のな」
アルフォンスは意味ありげに片目を瞑ってみせた。それは「男同士の秘密の共有」を意味するサイン。これでイサクも乗ってくるはずだと彼は確信していた。
──ああ、風俗か。
イサクは内心で、深く、深くため息をついた。
そこまで興味があるわけでもなかった。
イサク・サザーランドという男は別に穴があれば誰でもいいというわけではないのだ。彼の欲望はもっと複雑で、倒錯的だ。知性と経験を重ねた熟女をそのプライドごと踏み躙り、屈服させる。その過程にこそ、彼は至上の悦びを感じる。
金で買える一時限りの快楽など、彼にとっては児戯にも等しい。それに今の彼にはドロテアがマージがそしてアガサがいる。彼女たちとの濃密な関係だけで、彼の欲望は十分に満たされているのだ。
だがここで断ればまた面倒なことになりそうだ。この男はしつこい。「なぜだ」「男なら興味があるはずだ」と食い下がってくるだろう。その問答に費やす時間と労力を考えれば、一度くらい付き合ってやる方が遥かに効率的だ。
イサクは一瞬のうちにそこまで思考を巡らせると感情の読めない、いつもの無表情で頷いた。
「なるほど。楽しみにしています」
その言葉にアルフォンスの顔がぱっと輝く。友情がまた一歩深まったと彼は確信した。
こうして二人の男の奇妙な休日が始まろうとしていた。一人は友情を確認するために、もう一人は面倒事を避けるために。
目的は違えど向かう先は同じ──欲望渦巻く帝都の夜の街である。