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迷いはしたものの、結論はすぐに出た。
皇帝への興味は確かにある。この国を支配する絶対権力者とはいかなる人物か、その目で確かめてみたいという知的好奇心は否定しない。だがそれ以上に優先すべきことがある。研究だ。今取り組んでいる、生命活動を言語体系として捉え直すという壮大なテーマはまさに佳境を迎えていた。ここで歩みを止めるわけにはいかない。
──それに寒い。
イサクは思考をまとめると感情の読めない、いつもの無表情でアルフォンスに向き直った。
「お誘い、痛み入ります。ロンドブル殿」
その声は恭しく、貴族の子弟として完璧な礼節を保っている。
「皇室の狩場とは実に興味深い。ですが残念ながら先約がありまして」
「先約?」
アルフォンスの完璧な眉がわずかに上がる。
「ええ。古代文献との、知的な格闘という名の先約です。今、取り組んでいる研究が少々込み入っておりまして。まとまった時間を取るのが難しいのです」
イサクは申し訳なさそうにわずかに眉を下げてみせた。もちろん、これは方便ではない。事実である。彼が今、解き明かそうとしている謎は皇帝の顔を拝むことよりも遥かに重要度が高い。少なくとも、イサクにとっては。
「……そうか」
アルフォンスは意外なほどあっさりと引き下がった。その表情には確かに落胆の色が浮かんでいるが不満や怒りの色は見られない。彼もまた、この学院に籍を置く学生だ。研究の重要性、そしてそれに没頭する学徒の心境は彼なりに理解できるのだろう。
「それは残念だ。君のような男と狩場で酒を酌み交わしながら語り合うのも一興かと思ったのだが」
「またの機会に是非」
イサクは慇懃に頭を下げる。
「うむ。……ところで」
アルフォンスは気を取り直したように話題を変えた。その瞳には先ほどまでの社交的な光とは違う、純粋な学術的探求心が宿っている。
「君の研究が佳境だというなら、僕の方も負けてはいられないな」
「ほう。ロンドブル殿はどのような研究を?」
イサクは社交辞令半分、純粋な興味半分で尋ねた。この男、顔は良いが中身は空っぽだとばかり思っていたが存外、真面目に学問に取り組んでいるのかもしれない。
「僕が取り組んでいるのは『長距離砲撃魔術』の体系化だ」
アルフォンスは得意げに胸を張った。ロンドブル公爵家は代々、帝国の軍事を支えてきた武門の名家である。その血は彼にも色濃く流れているらしい。
「砲撃、ですか」
「そうだ。現状の遠距離攻撃魔術──例えば火球(ファイアボール)や氷槍(アイスランス)といったものはせいぜい数百メートルが限界だ。魔力で作られた弾体は距離が伸びるほどに大気の影響を受け、拡散し、威力を失ってしまう」
それは魔術における基本的な常識だった。イサクも頷く。
「だがもし数キロメートル先、いや、数十キロメートル先の敵陣をこちらの姿を見せることなく一方的に殲滅できるとしたらどうだ? 戦争の概念そのものが変わると思わないか」
アルフォンスの声が熱を帯びる。
「そのために必要なのは魔力で作られた弾体ではない。物理的な質量を持った弾丸を魔術的な推力で超高速で射出する。それが僕の理論の根幹だ」
「……なるほど。質量兵器ですか。興味深い」
この世界には火薬を用いた重火器は存在しない。だからこそ、アルフォンスの着眼点は革新的だった。
「弾体は何を?」
「土塊を固めるのさ」
アルフォンスはそう言うと人差し指を立て、宙に何かを描き始めた。
「ただの球体ではだめだ。空気抵抗が大きすぎるし、弾道も安定しない。重要なのは形状だ」
彼が描いたのは先端が尖り、後方に向かって滑らかに細くなる流線型。それはイサクの前世の知識にある、ライフルの弾丸そのものだった。
「この形状ならば、空気の壁を切り裂き、より遠い距離の目標に到達できる。さらに」
アルフォンスは指先をくるりと回してみせる。
「弾体に回転(スピン)を加える。すると弾道は驚くほど安定し、命中精度は飛躍的に向上する。これを実現するための術式を今、構築しているところだ」
彼はまるで子供が新しい玩具を自慢するかのように無邪気に笑った。
だがイサクの心は冷え切っていた。
──なるほど。こいつは本物だ。
アルフォンスが語る理論はあまりにも合理的で、そして恐ろしく効率的だった。それは単なる魔術の応用ではない。明確な殺意を持って設計された、純然たる兵器の理論である。
空力特性、ジャイロ効果。この世界の魔術体系には存在しない概念を彼はどこからか見つけ出し、あるいは自らの直感で導き出したのだろう。そしてそれを人を殺すための道具として昇華させようとしている。
イサクは内心で、アルフォンスという男の評価を改めた。顔だけの男だと思っていたがどうやらそれだけではないらしい。
──彼には才能がある。それも、極めて物騒な人殺しの才能が。
「……素晴らしい着眼点です、ロンドブル殿」
イサクは感情を押し殺し、淡々と賛辞を送った。
「だろう? これが完成すれば、帝国の軍事力は他国を圧倒する。いや、圧倒しすぎるかもしれないな!」
アルフォンスは愉快そうに喉を鳴らす。彼には自らが作り出そうとしているものがどれほどの地獄を生み出すか、その想像力が欠如しているのか、あるいは理解した上で楽しんでいるのか。イサクには判断がつかなかった。
「ですが一つ懸念があります」
イサクは静かに指摘する。
「その理論がもし他国に漏洩すれば、あるいは模倣されれば、帝国にとっても大きな脅威となりうる。諸刃の剣ですな」
「ふん、心配はいらんさ。この術式は極めて複雑だ。僕のような天才でなければ、そう簡単に真似はできんよ」
アルフォンスは傲慢に言い放つ。その自信過剰さが彼の最大の弱点かもしれない。イサクはそう分析した。
「……なるほど。研究の成功を祈っております」
イサクはそれ以上、この話題に深入りすることを避けた。これ以上、彼の危険な思想に触れていたくはなかった。
「では私はこれで」
軽く一礼し、イサクはその場を後にする。その足取りは先ほどよりもわずかに早くなっていた。
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イサクが去った後の回廊に一人取り残されたアルフォンスはふと真顔に戻り、自らの指先を見つめていた。
先ほど宙に描いた、見えない弾丸の軌跡。
「……君なら理解すると思ったよ」
独り言が冷たい空気に溶ける。
アルフォンスは馬鹿ではない。いや、ある意味でイサク以上に鋭敏な観察眼を持っているかもしれない。
彼は気づいていたのだ。イサクが軍用魔術の話を聞いた時、一切の動揺を見せなかったことに。
普通の学生ならば、その破壊力や非人道性に顔をしかめるか、あるいは絵空事だと笑い飛ばすだろう。
だがイサクは違った。
彼は瞬時にその理論の有効性を理解した。
「やはり、君はこちら側の人間だ」
アルフォンスは口の端を吊り上げた。
表向きは穏やかな学徒を装っているがその本性は自分と同じ、あるいはそれ以上に獰猛な獣なのだとアルフォンスは嗤った。
「楽しみだなぁ、イサク。君がその牙を剥き出しにする時が」
アルフォンスはポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認した。
そろそろ、次の予定の時間だ。
アルフォンスは踵を返し、優雅な足取りで歩き出した。