※この作品はR-18です。

侯爵家の影の支配者は熟女が大好き   作:埴輪庭

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風雲、急

 ◆

 

 帝都の冬は鉛色の空から重苦しい沈黙が降り注ぐ季節だ。

 

 石造りの校舎は芯まで冷え込み、吐く息は白く、窓ガラスは氷の蔦(つた)に覆われる。

 帝国魔術学院もまた、冬の長期休暇に入っていた。

 

 まあ休暇とは名ばかりなのだが。

 

 市井の学生ならば、帰省して暖炉の前で家族と団欒し、あるいは恋人と雪道を歩くといった浮ついた時間を過ごすのかもしれない。だがここ魔術学院においては「休暇」とは「講義がない」というだけの意味に過ぎない。むしろ講義がない分、研究に没頭せよという無言の圧力が校舎の石壁から滲み出ているようだった。

 

 春になれば「中間発表」が待っている。

 

 これは現代日本で言うところの修士論文の中間審査に近い。あくまで学院内での発表とはいえ、ここで無様な成果を晒せば、進級はおろか、将来の出世コースから転げ落ちることは確定する。

 

 魔術師の世界は実力主義だ。無能な者に割く予算もポストも、この帝国には存在しない。

 

 故に図書館や実験棟の灯りは夜遅くまで消えることがない。目の下に濃い隈を作り、眠気払いのポーションを飲みながら、羊皮紙の束と格闘する学生たちの姿はもはや冬の風物詩と言ってもよかった。

 

 ちなみに夏休みは多くの学生が帰省する。

 

 これは単なるバカンスではない。領地を持つ貴族の子弟にとって、夏は領地経営の実務を学ぶ重要な時期であり、また社交シーズンでもあるからだ。対して冬は雪で街道が閉ざされることも多く、移動のリスクが高い。合理的と言えば合理的だ。

 

 そんな殺伐とした空気の中、大図書館の片隅で、優雅にページをめくる男が一人──イサク・サザーランドである。

 

 周囲の学生たちが必死の形相で専門書に噛り付いているのに対し、彼の纏う空気はあくまで穏やかで、どこか他人事めいている。 彼が今読んでいるのは専門の言語学でも現在取り組んでいる生命魔術の文献でもない。

 

 歴史書だった。

 

『アルバラ帝国興亡史・第三巻』

 

 分厚い革表紙の背にはそんなタイトルが金文字で刻まれている。

 

 普段のイサクなら、まず手に取らない類の本だ。

 

 だが今回は事情が違う。

 

 きっかけはあの軍用魔術の権威、タウラス教授の言葉。そして、友人を自称するアルフォンス・ド・ロンドブルの危険な思想。

 

 ──『有事の際に書物の中の知識だけでは己の身一つ守れんぞ』

 

 タウラスの言葉も澱のように心に残っていた。

 

 戦争──イサクはその響きを毛嫌いしている。非生産的で、うるさくて、何より自分の平穏な生活を脅かす最大のノイズだ。

 だが嫌いだからといって無視できるものでもない。もしこの先、帝国が他国と事を構えるとしたら。

 

 その時、この国はどのように動き、どのように戦うのか。

 

 それを知るには過去を見るのが手っ取り早い。

 

 イサクはページを繰る。

 

 現皇帝シェラハザード・バーラカーラ・シャマル・アルバラ。彼女が即位してからの二十年、帝国の領土は爆発的に拡大した。

 

 その戦い方は一言で言えば「システマチック」だ。

 

 個の英雄に頼らず、補給と兵站を重視し、規格化された魔術で敵を押し潰す。

 

 だがそれ以前はどうだったか。

 

 三代前の皇帝、通称「烈火帝」の時代。記述によれば、当時はまだ「個」の力が戦況を左右していたらしい。

 

『……烈火帝は自ら陣頭に立ち、焦熱の魔術で敵城門を溶解させた。兵たちはそのカリスマに熱狂し、死を恐れずに突撃した……』

 

 精神論と根性論の世界である。イサクは鼻で笑った。非効率極まりない。指揮官が最前線に出るなど、リスク管理がなっていない証拠だ。

 

 だが読み進めるうちに興味深い記述を見つけた。

 

 先々代の時代。帝国は一度、東方諸国連合との大規模な戦争で敗北を喫している。

 

 敗因は魔力枯渇。

 

 長期戦により魔術師たちの魔力が底をつき、そこを物理的な兵力差で押し切られたのだ。

 

 ──なるほど。

 

 イサクは顎を撫でる。

 

 現皇帝シェラハザードがなぜ軍用魔術の低コスト化と効率化にこだわるのか。その理由が透けて見えるようだ。彼女は過去の失敗から学んでいる。歴史とは単なる過去の記録ではない。それは失敗のデータベースであり、未来を予測するためのシミュレーション・モデルだ。

 

 そう考えれば、この読書もあながち無駄ではない。

 

 イサクにとって、これは研究の息抜き──にしては少々脂っこい内容だがまあ、彼にとっては軽い読み物のようなものだ。

 

 ぱらり、とページをめくる音が静寂な館内に響く。

 

 その時だった。

 

「……イサク様?」

 

 遠慮がちな声が頭上から降ってきた。

 

 イサクが視線を上げるとそこにはセシリア・クラインフェルトが立っている。

 

 厚手のショールを肩に掛け、手には数冊の参考書を抱えている。栗色の三つ編みがわずかに揺れた。

 

 イサクは本から手を離さず、静かに応じる。

 

「やあ、セシリア。奇遇ですね」

 

「ええ、本当に! まさか図書館でお会いできるなんて」

 

 セシリアは花が咲いたような笑顔を見せた。彼女にとって、イサクに会えることは「奇遇」ではなく「必然」に近い。なぜなら、彼がここにいるだろうと予測して、毎日通い詰めているのだから。

 

「ここ、よろしいですか?」

 

 断られることなど微塵も考えていない様子で、セシリアはイサクの向かいの席を指差した。

 

「どうぞ」

 

 イサクが短く答えるとセシリアは嬉しそうに腰を下ろした。彼女は参考書を広げるふりをしながら、ちらちらとイサクの手元を盗み見る。

 

「……歴史書、ですか?」

 

 セシリアが不思議そうに尋ねた。彼女の知るイサクは常に古代語や魔術理論といった、実用的かつ高度な専門書ばかり読んでいるイメージだ。

 

「ええ。少し気になりまして」

 

 イサクは本を閉じることなく答える。

 

「珍しいですわね。イサク様が歴史なんて。てっきり、新しい魔術の研究に没頭されているものとばかり」

 

「研究の息抜きですよ。それに歴史を知ることは魔術を知ることにも繋がりますから」

 

 適当なことを言う。だがセシリアの瞳はキラキラと輝き出した。

 

「まぁ! 素敵ですわ。温故知新、ですのね!」

 

 勝手に良い方に解釈してくれるのは彼女の美点であり、同時に欠点でもある。

 

「それで、どの時代のことを?」

 

「三代前……烈火帝の時代の戦史を中心に」

 

「戦史……」

 

 セシリアの表情が少しだけ曇った。

 

「イサク様は……戦争がお好きなんですの?」

 

 恐る恐る、といった風情で尋ねてくる。もしイサクが「ああ、血湧き肉躍るね!」などと答えたら、彼女の恋心も百年の恋も冷めるかもしれない。だがイサクはページから目を離し、セシリアの目を真っ直ぐに見据えた。

 

「嫌いですよ。大嫌いです」

 

 即答だった。迷いなど欠片もない。

 

「非効率的で、野蛮で、多くのリソースを無駄にする。あんなものは人間の営みの中で最も愚かな行為の一つでしょう」

 

 その言葉にセシリアはほっと胸を撫で下ろした。

 

「よ、よかったですわ。わたくしも、争い事は苦手で……」

 

「ですが」

 

 イサクは言葉を継ぐ。

 

「嫌いだからといって、無視することはできません。現に我々の生活は過去の戦争の結果の上に成り立っている。そして、未来の戦争の可能性からも逃れられない」

 

 イサクは指先で、本の一節をトントンと叩いた。

 

「敵を知り、己を知る。それは対人関係だけでなく、歴史や国家に対しても同じこと。戦争という現象を構造的に理解しておかなければ、いざという時に足元を掬われます」

 

 セシリアは感嘆の溜息を漏らした。

 

「さすがはイサク様……。常に先を見据えていらっしゃるのですね。わたくしなど、目の前の課題をこなすだけで精一杯ですのに」

 

「僕も似たようなものですよ。ただの暇つぶしです」

 

 謙遜ではなく、本音である。

 

 セシリアは頬杖をつき、うっとりとした目でイサクを見つめた。彼女の目にはイサクが「憂国の士」として映っているのだろう。帝国の未来を案じ、過去の歴史から教訓を学ぼうとする、思慮深い青年貴族。実際は自分の平穏な生活と性生活を守るためにリスクヘッジをしているだけの保身の塊なのだが。

 

 恋は盲目。フィルターがかかった彼女の視界にはイサクのずんぐりとした体躯さえも、頼りがいのある大樹のように見えているに違いない。

 

「そういえば」

 

 イサクが話題を変える。

 

「貴女の研究はどうですか。古代ルーンの変遷については」

 

 自分のことばかり聞かれるのも面倒だ。矛先を相手に向けるのは会話をコントロールする基本テクニックである。

 

「あ、はい! それが少し面白い発見がありまして……」

 

 セシリアは待ってましたとばかりに身を乗り出した。

 

 彼女は自分の研究について語り始める。その声は弾み、表情はいきいきとしている。地味で目立たない彼女だが知的な話題になると途端に華やぐ。

 

 イサクはそれをBGMのように聞き流しながら、時折的確な相槌を打つ。

 

 ──悪くない。

 

 イサクは内心でそう思った。

 

 彼女の話は論理的で、聞いていて不快ではない。アルフォンスの自慢話や、タウラスの軍事演説よりはずっとマシだ。

 

 それにこうして図書館の片隅で、静かに言葉を交わす時間というのは意外にも心地よいものだった。

 

 あくまで「友人」として、だが。

 

 窓の外では粉雪が舞っている。

 

 図書館の暖かな空気の中で、二人の時間は穏やかに過ぎていった。

 

 それが嵐の前の静けさであるとも知らずに。

 

 ◆

 

 冬の休暇も半ばを過ぎた頃。

 

 とある天気の良い午後にイサクはアガサ・メーベルの邸宅を訪れていた。

 

 理由は単純。体が求めていたからだ。研究の合間の息抜き。マージとの実用的な処理とはまた違う、知性と包容力、そして頽廃的な背徳感に満ちた大人の情事。

 

 重厚なカーテンが引かれた寝室には熟した果実が腐り落ちる寸前のような、甘く濃厚な匂いが充満していた。

 

 暖炉の火だけが揺らめく薄暗がりの中、乱れたシーツの上でアガサはイサクの胸に縋り付いていた。

 

「……んッ、あ……イサク、君……っ」

 

 その顔は学院で見せる厳格な「鉄の女」とは似ても似つかない。

 

 銀糸の髪は汗で頬に張り付き、上気した肌は六十を過ぎた老婆とは思えぬ艶めかしい熱を放っている。

 

 イサクはずんぐりとした体躯で彼女にのしかかり、その耳朶を甘噛みした。

 

「先生、いい声ですよ」

 

 イサクの太い指がシーツの下でアガサの豊かな肢体を這う。

 

 重力に引かれ、柔らかく垂れた乳房の感触。薄くなった皮膚の下にある骨の硬さとそれを覆う肉の柔らかさ。若い娘のような弾力はない。だがその「衰え」こそがイサクにはたまらなかった。長い歳月を生き、思考し、戦い抜いてきた肉体が今、自らの手の中でただ快楽を貪る雌へと堕ちていく。

 

 その頽廃的な背徳感がイサクの歪んだ征服欲を極限まで刺激するのだ。

 

「先生の体は本当に勉強熱心だ。教えれば教えるほど、素直に反応する」

 

「いじわる……言わないで……あぁッ!」

 

 イサクの剛直が枯れかけたと思いきや豊かに蜜を溢れさせるアガサの泉を深く穿つ。

 

 知性を剥ぎ取られ、ただの肉塊として扱われることへの悦び。アガサはイサクの背中に爪を立て、掠れた声で啼いた。

 

 そして事後。

 

 弛緩した空気の中、アガサは気怠げにイサクの胸板を指先でなぞった。

 

「……イサク君」

 

 甘く、粘りつくような声。

 

「ん? 何ですか、先生」

 

 イサクは彼女の髪を弄びながら応じる。

 

「最近、学院長から打診があったのですが。来年度から、カリキュラムの一部を見直すそうで……。わたくしに特別講義を持ってほしいと」

 

「ほう。それは名誉なことですね」

 

 あの盗用騒ぎで失墜しかけた彼女の地位は今や完全に回復し、むしろ以前よりも高まっている。当然の帰結だ。

 

「内容は?」

 

「『魔術の構造的解釈』……つまり、君とわたくしが語り合ってきた、あの理論を体系化して教える講義です」

 

 アガサは誇らしげにしかしどこか媚びるような目つきで言った。

 

「君のおかげです。君がいなければ、わたくしは今頃……」

 

「よしてください。先生の実力です」

 

 イサクは彼女の言葉を遮り、その唇に深いキスをした。アガサはとろんとした目でイサクを見つめ返す。その瞳にはかつて誰にも向けなかった依存の色が宿っている。

 

「ただ、一つ問題があるのです」

 

「問題?」

 

「ええ。その講義のアシスタントが必要なのですが……なかなか、適任がいなくて」

 

 アガサは上目遣いにイサクを見た。湿った瞳が言葉以上の何かを訴えかけている。

 

 その意図は明白だ。彼女は公私にわたって、イサクを側に置いておきたいのだ。

 

「……僕にやれと?」

 

「だめかしら?」

 

 六十を過ぎた女性が少女のように首を傾げる。普通なら痛々しい光景かもしれない。だがイサクの目にはそれがたまらなく愛おしく、そして淫らに映った。彼女はわかっているのだ。自分がイサクにどう見られているかを。そして、それを武器にすることにもはや躊躇いがない。

 

 ──したたかになったものだ。

 

 イサクは内心で苦笑した。だが悪い気はしない。

 

 アシスタントになれば、彼女と過ごす時間は増える。研究室で堂々と二人きりになれる機会も増えるだろう。それはつまり、昼日中から濃厚な「課外授業」ができるということだ。

 

「……わかりました。お引き受けしましょう」

 

「本当ですか!?」

 

 アガサの声が弾んだ。

 

「ただし」

 

 イサクは彼女の耳元に顔を寄せ、耳朶を甘噛みしながら低く囁いた。

 

「報酬は高くつきますよ? ……先生のすべてを授業料として頂戴しますから」

 

 アガサは一瞬、きょとんとし、すぐにその意味を理解した。顔が茹で上がったように赤く染まる。

 

「……ええ。望むままに。……わたくしの、かわいい征服者様」

 

 彼女はイサクの首に腕を回し、自ら唇を求めた。

 

 冬の夜は長い。二人の熱は冷たい外気などものともせず、燃え上がり続けるのだった。

 

 ◆

 

 季節は巡る。

 

 雪が溶け、校庭の木々が芽吹き始める頃。

 

 学院は春の中間発表会を迎えた。大講堂には学生たちの成果が展示され、教授陣による厳しい審査が行われている。

 

 イサクの発表は「古代語における多重意味構造の解析」。

 派手な魔術の実演もない。淡々と言語学的なアプローチで魔術の基礎理論を再構築する内容だった。イサクの本来の研究である生命を言語に置き換えて──というものではない。それはこの場で発表するにはあまりに刺激的過ぎるとイサクは考えた。

 ゆえに中間発表で出してきたものはいわゆる副産物である。

 

 だが見る者が見ればわかる。その論理の緻密さ、着眼点の鋭さ。審査員席に座るアガサは満足げに頷いていた。

 

 一方、アルフォンスの発表は「質量弾投射魔術の実践」。

 こちらは派手だった。模型を使った実演で、土塊の弾丸が標的を粉砕する様を見せつけ、聴衆をどよめかせた。タウラス教授が我が意を得たりとばかりに拍手を送っている。

 

 そして、セシリア。

 彼女の発表は「中期エルフ語の音韻変化と精霊感応に関する定量的考察」。

 

 従来、精霊魔術の分野では曖昧な「祈り」や「感性」で片付けられていた詠唱の効果を音響学的なアプローチで解明した意欲作だった。 彼女は特定の母音推移が起こす空気振動が精霊の好む周波数帯と共振することを膨大な文献データから実証してみせたのだ。

 

 発表を終えたセシリアは講堂の隅にいるイサクを見つけ、駆け寄ってきた。

 

「イサク様! いかがでしたか、わたくしの発表!」

 

 期待に満ちた瞳。

 

 イサクは彼女を見下ろし、短く言った。

 

「良かったとおもいます。特に第三王朝期の詩歌を引用し、音韻の揺らぎを肯定的要素として定義した点は慧眼でした」

 

 それだけの言葉で、セシリアは天にも昇るような心地になる。

 

「ありがとうございます!」

 

 その笑顔を見ながら、イサクはふと思う。

 

 平和だ。今はまだ、平和だ。

 

 だがタウラスの熱視線、アルフォンスの兵器開発、そして歴史書に記された帝国の野望。

 

 それらが指し示す未来は決して明るいものではない。

 

 ──まあ、なるようになるか。

 

 イサクは思考を打ち切った。

 

 考えてどうにかなる問題とそうでない問題がある。イサクの好みは前者であった。無論、考える事そのものに意味がある──まあ、言ってしまえば哲学のような考えもないではないが。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ◆

 

 そして、この日の一週間後。

 

 帝都に早馬が駆け込み、緊急の鐘が鳴り響いた。

 

 東方国境線が破られた、と。

 

『東方諸国連合軍、侵攻開始。シグルド要塞、陥落』

 

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